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死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

2018.05.23 01:37
http://delight-biz.com/
で新しくブログをはじめました。

こちらは今後行進する予定はありません(ただし残します)。
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2017.10.24 03:11
およそ二年ぶりのブログ更新(汗)。

最近はfacebookとか犬のブログとかが優先され、こちらを見るのも久々というありさまです。
もう読者さんは私のことを消えたと思ってるかもしれませんね。

その間何してたかといえば、とりあえず会社というやつを辞めて、企画屋の仕事を始めたというところで・・・・・いや、もう3か月経ったか。

仕事をするにあたって、「ホームページ(Webサイト)」と、「facebookページ」と連携して・・・と準備はしてるんだけど、まだまだ。ブログの方も、こちらの方からWordpressを使ったブログにでもしようかとも考えたけども、どうしようかというような。

というのも、大して実績ないので、バババーンと出すものがねぇ、そんなにない。

とりあえず、ここしばらくかかりきりだった、社会格差解決のための「寺子屋プロジェクトトライアル」が本日を持って正式にやることが決定しましたので、一応、projetista(企画屋)として何もやっていないこともないんですが、金になるようなことはあまりやっておりません

・・・・でも、よくよく考えたらいつものことか。

思えば損得で行動したことがないような・・・。うん、そういえば。


だから、本人自覚ないけど、「正義感が強い」とか言われるのか??

「ダカラカ~(シャンプーのCM風に)」
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2015.11.23 01:56
昨日、11月22日は「いい夫婦の日」でした。

そんな日に私は何をしてたかというと、そうなっていない状態の夫婦のために「別居合意契約書」を作成し、最近使ってない「スーパークローザー」の技術を使い、とりあえずとしての別居の話し合いをスムーズにとりまとめておりました。


実はその前日、来年結婚することになっている、若い二人のお祝いをしており、これから夫婦になる二人と、これから夫婦をやめるかどうか考えてる二人を連続で見たわけなんですよね。

これから夫婦になる二人には、たんに「好きだから」という気持ちだけでなく、夫婦に大切な、「感謝」「尊敬」「想いやり」がお互いにあるのがよく伝わりましたが、これから別居する二人には、それを感じませんでした。

ホントはきっと、あるはずですし、なければ夫婦なんてうまくいくはずないのですが、それが表に出ることはないし、それに本人たちが「気づく」ことがなければ、周りがアレコレしてもムダなんですよね。
だって、夫婦間が一番密接でないといけないわけだし、夫婦の中で育てていくものなんですから。


今後、別居をする二人がどうなるかはわかりませんが、これまで近すぎて見えなかったことを、この冷却期間の中で、

相手と本当にどうなりたいのか?
今後の人生をどうしていきたいのか?
自分一人で生きていけるのか?

冷静に考えて、自分で答えを出してほしいものです。

幸い、今回の話しあいで、今まで話し合えなかったことについて話ができ、共有できたのは、「進歩」だと思います。


もちろん、別居なんてしないに越したことはないんですが、そういったこともあるのが人生ですし、人生を真剣に考えるから、できることもあるもの。

それに気づいて、前に進めるか、それとも普通に簡単に「一緒にいるのが苦痛だから」と別れを選択するか。

人の生き方はそれぞれなので、どの選択をするのかは自由ではありますが、人は一生、自分の生き方を、問われ続けるものです。

そして、それを写す鏡が、夫婦なんだと思います。


二人でいる時の関係や雰囲気は、決して一人では作れません。

だから、「素敵な夫婦」は誰が見ても素敵だと思うし、そうでない夫婦は、いくら片方ががんばって取り繕おうとしても、周りからは取り繕ってるのが丸わかりで、むしろ心配のタネにすらなる。

結局、「夫婦」なんてのは、社会的な意味とか、国家運営的な意味ももちろんないわけではないんですが、そんなのは微々たる要素であって、一人の人間対人間の、継続的な関係でしかないんですよね。

だから、内心、「コイツとはそのうち別れるし」と思っていたら関係修復のためのアクションなんてするはずもないし、「この人は、お金を渡すと何するか信用できないから渡さない」と思っていたら、信用そのものをしなくなる。
それじゃ、うまくいく方が「奇跡」。

継続するために、何が必要なのか?
譲歩なのか、相談なのか、はたまた分担なのか?

「いい夫婦」はそれができてるし、だから結果的に、それを実感し、成長する喜びを得るプロセスをさらに継続させるから、より、「いい夫婦」となっていく。

それはたんに、「いつも一緒で仲よさそう」という表面的なものではなく、精神的なもの。

だから、「いい夫婦の日」に表彰された夫婦が離婚するのだって、あり得ること。それが「残念」とか「夫婦なんてそんなもの」なんて言うのも、変な話。

夫婦二人が、「いい夫婦だ」と思えることが、周りに評価されるよりも、ホントはずっと大切なこと。
だって、仲がいいように“見せる”ことは誰でもできるけど、夫婦二人が「いい夫婦だ」と思えるのは、お互いが実感していなければ実現しないことだから。


相手のことを見ることで、嫌なことばかりが見えて、ダメになることもあるけど、そのアプローチじゃ、「夫婦」という関係を見ることなんてできない。

『星の王子さま』を書いた、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、愛とはお互いを見ることではなく、同じ方向を見ることである」とうまく表現したけど、たとえそれが「別居」であっても、二人の問題を解決するプロセスにそれぞれがアプローチすることで、見える夫婦関係もあると思うし、そうすることで次のステップに進めるのなら、それでいいんだと思う。

同じことを繰り返さないためにも、です。



なお、「いい夫婦」について真剣に取り組むんなら、石井希尚『この人と結婚していいの?』を二人で読むのがオススメですよん。タイトルは過激ですが、中身は過激じゃないのでご安心を。
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2015.07.09 01:36
 久しぶりの更新。
 Facebookのプチ更新しかしてませぬ・・・いかんいかん。

 現在、今年の目標である「NextStep」の一環である、転職活動をしようとしているのだが、どうにもこうにも自己PRというのに悩まされております。

 いまや3X歳なわけで、いろんな出来ることもたくさんあるけれど、就活生みたいにそんなの挙げはじめたらキリがないような状態になってしまう悪循環。基本、「男は黙って背中で語れ」的な考えで、普段から自分をアピールする習慣もないもので、よくある転職指南の自己PRテクニックを読めば読むほど焦りばかりが生まれ、あーでもないこーでもないと毎日書き直す日々。


 よく、周りの皆さんから、私は「どこへ行っても大丈夫」とか言っていただくんですが、自分でもそう思うんですが(汗)、その「どこ」に入るのかが、私にはいちばん難しい。帰属意識というものがかなり希薄ですし、どこでも生きていけるように生きているから。

 でも、「どこでも生きていける」ということは、「どこでもいい」ということの裏返しでもあるわけで、そんなんじゃ、向こうからしたら「熱意」というのは伝わりませんよね。
 正直、会社に入る「熱意」なんかなくても仕事はできるし、そんなもんない方が挫折しなかったり、いい仕事できることもあるわけですが、やっぱり会社への「熱意」がないと一緒に働きたいと思えなかったり、結局辞めそうとか思われるのかもしれません。

 ま、私でもその立場になってみればそうですが、組織に必要なものを考えるのが自然な行為なわけで、それを考えると私のような人間は用ナシのようにも感じてしまい、なおさら、自己PRしようという気が萎えてきます。
 実際は、ありがたいことに必要としてくれる人は山ほどいるわけで、そんな考えは「杞憂」でしかないのですけど、でも、その、必要としてくれる中でいることも安住することを、私は良いことと思えない。悪い意味ではないですが、居心地の悪さみたいなのを感じてしまいます。「このままで本当にいいのかな?」と。

 新しい環境で、必要とされることが、私にとっては理想的なことなのでしょう。平たく言えば、「真性のドM」みたいな気もしますが、いろんな経験をすることが、自分の人生を豊かにする方法だと思っているからというのもあるでしょう。少なくとも私にとっては。

 だから、どんな仕事でも真剣に取り組むし、それが結果を伴っているだけ。
 それをアピールするのにゴチャゴチャ言っても、空虚なだけに感じてしまうのも当然の話とも言えます。自分にとっては当たり前で、それを人にアピールするのも違くないか?的な。

 そんなわけで、毎日あーでもないこーでもないと行きづまる。
 どうにもこうにもならないので、嫁に相談したところ、自分の中にはなかった答えが返ってきました。

  自分はこんな人間ですと書けばいいだけだよと。
  「やりたいこと」を書けばよくて、難しく考える必要は一切ないと。
  自分が「伝えなきゃいけないかなぁ」と思ってるものは、伝える価値がないものだと。
  もっと打算的に考えないと、相手にとって必要なPRの取捨選択ができないよと。

 それを聞いて、その発想があったのか、まったく自分の中にはなかったなと思いました。
 結婚する価値のひとつに、「自分にないものを自分の中に取り入れられる」というのがありますが、改めて、これがあるから結婚したいと思った時のことを思い出しました。


 言われてみればたしかに、他者に自分を評価してもらうんだから、その、他者の気持ちになるのは自分ではできないから、どうしたらいいのかわからないのも当然で、いくら自分を商品のように分析して、相手に響くようにPRしようとしても、何か決定打に欠けるのも無理なかったなと。

 ちょうど、商品を売るために広告を作りました、というレベルの話で、その市場では何がトレンドで、どんなものが好まれ、どんなものが飽きられ、どんなものが望まれているのか、どんな新しいものが受け入れられるのか、業界にどんなインパクトを起こし、どんな準備をすべきか・・・・などを考えた広告を作ってはいなかったとも言えます。

 「自分の強みうんたら」とかも、よくあるコトバですが、現実問題、PRとは、広く知ってもらうことであり、別にカタログのスペックを提示することでも、売れるようなプロモーションを打つことでもなく、PublicなRelationを築くための活動ですよね。

 端的に言えば、「自分のことを知ってもらいたい」という想いの表現というか。


 こういった文章を書くのも結局は、そういう部分があるのですが、それを細々とやるあたりが、こんな悩みを生むのでしょう。

 でも、逆に言えば、今年の目標である、自分が踏むべき「NextStep」は、そんな今からの「NextStep」、脱却もしていかなければいけないということでもあるんでしょうね。おおよそしてこなかった、人と積極的に関わっていく、というような。
 
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2015.03.11 21:50
Evernoteを整理していたら、ずいぶん前に書いた記事ネタが残っていたので、そのまんま載せてみます。

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ゆえあって綾小路きみまろのDVDを観ました。

最初は軽い気持ちで観てたんですが、これがなかなか味のある面白さで聞き入ってしまいましたよ。
というか、聞き入るというほど聞いていないんですが、何かをしながらでも耳に入ってくるというか。だからといって、その作業のジャマをしないというか。

“綾小路きみまろ”といえば、中高年のアイドルっていう世間的イメージがありますが、私個人としては、川崎和男のイメージです。
自分が使う車イスのデザインが気に入らないから自分でデザインしなおしたという、『デザイナーは喧嘩師であれ』という本を記したという、人工心臓をデザインしたという、インダストリアルデザイナーの川崎和男。

たしか、NHKの『プロフェッショナル』でやってたんだと思うけど、「綾小路きみまろのDVDを聞きながら作業するとはかどる」ってなシーンがあって、その印象がすごく強い、きみまろ。

前フリが例のごとく長いですが、そんなきみまろDVDを観ていると、はじめは「んなわけないだろう」と思っていたんだけど、川崎和男の言ってることも理解できてたわけ。

「きみまろ」は、邪魔しない。

なぜそんなことが起こるのか?

きみまろのトークは、「死」や「老い」という、一見すると重いテーマで、ヘタしたら悪口になりかねない危うい綱渡りのようなトークなのに、 さまざまな人生経験をしてきた中高年の琴線に触れるようなあたたかみもある。

しかもそれは、これを若い人がやってもなかなかマネできないだろうというレベル(以前、嵐が挑戦してた)。

私はまだ中高年ではないので、腹を抱えて笑うということはないのだけれど、思わず笑ってしまうことが多いのは、そこにある種の真理が存在するからかもしれない。

きみまろはよく「あれから40年...」なんて言葉でオチを話します。

たしかに、「浮気なんてしないで私のことだけ見て!」なんて言葉を言ってる女性が40年経って同じ言葉を言うかといえば、おそらく言わないだろうなと思わせる真理性がそこに転がっている。

「若い頃はそんなことも言ってたな」という、自分の過去に笑えてしまうというのは、歳をとってるからこそ、感じられる笑いなのだろう。
私もたしかに笑えるのだが、それはあくまで「想像」であって、実感ではない。でも、中高年はそれを実感できるからこそ、はげしく笑える。
「そんなこと言ってたな」とか「言ってた奴もいたな」的な。

それが、きみまろの人気の秘密なのだろう。

で、本題。

川崎和男の言うように、私も「きみまろを聞きながら」で、作業をしてみた。
ペン習字したり、洗濯物たたんだり、アイロンかけたり。

これがまた、おそろしくはかどる!・・・ってことはないんだけども、なんというのだろう?邪魔しない?

そういう不思議な感覚。決して能率が上がるわけではないですよ? むしろ、下がる感じ。

でも、集中しすぎて力が入りすぎることがない感じなので、ペン習字なんかにはいいんですよね。
字って力を入れすぎてもきれいに書けないし。

いい感じに力が抜けて、でも自分の行動のジャマをしないというか。

そういうのがきっと、川崎和男のデザイン思考の助けになるんだろう。

これが、「そんなの関係ねぇ」とかだと、思考の流れをその勢いでジャマされるから、ダメなんだと思う。

そういう点では、きみまろを聞きながら、というのは、これはこれでありだなと思った。


若い頃のようなガムシャラにではなく、ほどよく力の抜けた「生き方」の肯定が底にあるから、力が入りすぎず、でもポジティブになれる・・・・ということかもしれません。

でも、それだと20代の人にはあまり効果がないという気がしてきます。
しょうがないか。
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2014.12.17 07:02
うまくいく結婚かどうかは、石井希尚『この人と結婚していいの?』を読めばわかるが、残念ながら、うまくいかない、いくわけのない結婚をしている人もいる。

それをなぜか?と考えても、「子どものため」だったり、「生活ができないから」だったり、はたまた「私がいないとあの人何もできないから」だったりと、いろいろな「理由」があるし、「勇気」がないだけだったり、なにかを「期待」していたりすることもあったりするなど、深く突き詰めれば突き詰めるだけ、たくさんの、もっともらしい原因が見つかる。

自分と向き合うことは、すごく大切なことだ。そこで見つかる答えもあるだろう。
しかし、そもそも、「結婚」とは、二人でするものであり、一人でするものではない。

だから、一人で考えても、一人で頑張っても、問題は解決しないのだ。

逆に言えば、「二人で」発想があれば、どれだけ身分が違おうが、性格が違おうが、貧乏生活をしようが、同性婚だろうが、やっていける。
なぜなら、「二人で」発想がなければ、二人の間に愛情は育まれないからだ。

でも、それがなければ、どれだけ頑張っても、「形だけの夫婦」にしかならない。


「形だけの夫婦」も、次のステップのための一時的な状態なら、それはそれで良いと思う。

「形だけの夫婦」としては、正しい姿だからだ。夫の退職金が出たら別れる熟年離婚なんかは、その際たる例だ。

でも、そうじゃなくて、明らかに関係が破綻してるのに、「子どものため」に一緒にいようと頑張っても、ちっともDVは収まらず、むしろ悪化して、最悪のケースになることだって、現実にはある。


本当にシンプルなことなのに、それが見えていない。

結婚式で、神父が「健やかなる時も、病める時も・・・」と聞くのは、それが、夫婦関係に必要だからだ。
それがわかっていれば、別に、どんな形の結婚式でもよいし、なんなら「式」を挙げなくてもよいし、それこそ「事実婚」であってもうまくいく。

でも、それができない人が多いからきっと、そんなことを「誓う」システムになっているんではなかろうか?
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2014.12.05 00:44
 最近、立て続けに2つ、懸賞が当たりました。

 「私、失敗しないので」の米倉涼子ばりに、「私、当たらないので」という人生でしたが、そうでもなかったようです。

 とはいえ、不在通知が来て「いったいなんだろな?」位忘れていたので、当人は当たることをまったく想像していなかったのがよかったのかもしれませんが、ちょうどそういった運気が来ているのでしょうか? ロトでも買って試そうかと考え中です。

 しかし、冷静に考えれば、当たったものだって、数あるキャンペーンにまとめて応募した(ネット社会って便利よね)ものの一つならぬ二つであり、実際に応募したキャンペーンは実は他にもあったりして。

 でも、そんな中でも、二つが立て続けに当たると「やった、ツイてる!」とか「運が来てる!」とか思うので、人間というのは不思議なものです。よく言われるたとえに、「野球でいえば○割」みたいな感じですが、正確に言うとハズレの方が多いのに、その中でも「当たった」ものがあればそれを人は「成功した」と思うんだなと。

 自己啓発本の多くは、「成功した人はたくさん失敗した人でもある」的なことが書いてありますが、まさにそうで、こういった、実はもう自分自身でも忘れてしまっているような「ハズレ=失敗」よりも、ほんの少しでも「当たり」があれば、人は「成功」と思うわけ。
 結婚とかでも、100人に振られた人でも、最後に見つけた人が超相性良くて、結婚して幸せになる人もいれば、超美人でモテまくるんだけどなぜか結婚するとうまくいかなくてすでにバツ3になっている人もいます。どちらが成功者かと言われれば、誰だって同じ答えが出ると思います。

 そう考えると、人生に悲観的になる「成功とは程遠い人生」というのは、ある意味では挑戦していない人生とも言えるのでしょうし、でも、だからといって、「たくさん失敗した人が成功者になれるわけではない」というのもまた、事実です。

 だって、負けることも多いけど勝つこともあるから、ギャンブルってみんなやめないんですよね?
 たまに勝っただけで「成功した」と思うから、続けてしまうんですよね?

 
 「成功」というのは、ある意味では、調理法を知らないと毒になる、悪魔の果実なのかもしれません。
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2014.09.04 00:16
 こんばんわんこそば。

 この始まりが多分数回あった気がするけど、どうせみんな覚えてないから大丈夫だろうとタカをくくっているtkiyotoですよ。みなさん、いかがおすごしでしょうか?


 最近の話題ですが、犬を3カ月前から飼いはじめまして、そちらに時間がとられる・・・という状況があるのは、育児で時間を取られるという人と同じ発想なので、そういう考え方をしていても何も解決しないし、人生とは、得るものがあれば失うものがあるので、その取捨選択で後悔しないような人生を送ることが一番大事なんだなと改めて思った次第。

 つまり、状況のせいにせず、自分のできることをする。

 それって、実は地味に大変で、意外となおざりにされがちなことではありますが、生きていく上では、(文句ではない)「自由」な意見を言えるようになるためには、必要な努力だと思います。

 逆に、そういうところで、「人」の差・・・月並みな表現だと『人間力の差』というのが出ていくんだと思います。
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2014.08.13 00:32
 非常にお久しぶりです、tkiyotoです。

 facebookとブログの切り分けがちっとも閃かなかったのでという言い訳のためちっとも書いておりませんでしたが、やはりfacebookで好き勝手書くと大きな問題になりそうな気がしてきたので、大きな問題になりそうなものはブログに書こうという切り分けを閃きましたよ。

 とはいえ、はたして、それが物書きとしていいスタンスなのかどうかは定かではありませんが、ブログはある部分では「放談」になってるので、やはり修練をしながら「とにかく思いついたものを書く」場所にしていきたいと思います。
 自分のことを知る人が読めばfacebookだろうがブログだろうが、同じな気がしないでもないですけど、ブログでの「人格」はやはりブログという環境下だから生まれる「人格」なので、facebookでの「人格」とはまた変わってきてしまうんですよね。

 まぁ、根本にあるものは変わらないので、ある部分での気休めというかお遊びみたいなもののような気もしますが、それでも、「作法」が変わってくるので、それはそれで使い分けも大事かなと。

 ちょうど、歌舞伎役者がテレビドラマに出るのと歌舞伎の舞台に出るのでは作法が異なるのと同じようなことかなと。

 それって、皆さんにもありますよね?
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2014.02.19 01:17
 例によってまた一ヶ月ぶりの更新のtkiyotoです。

 みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 Facebookはどうなったのかというと、ほとんど更新していないのが現状。良くあるパターンですな。

 なんといっても、食にこだわりがないので、今日も出張先でご飯を食べて、巨大な刺身の寿司の写真を撮ったりしたのですが、特にアップロードもせず・・・。

 みんなに共有したい!と思わない方がおかしいのか?
 いやしかし、それっていらない情報じゃね?

 ・・・・と思ってしまうからやらないのだと思うんですが、そもそもそういう考えだとFacebookそのものをやる意味がない考え方とも言えますよね。共有するということは,オープンにするということで、基本、オープンでない私にとっては、なかなかハードルが高い「作業」になってしまうので、なかなか更新しないと。

 あと、他の人と同じものアップしてもねぇ・・・と思ってしまうのも、問題ですよね。それって面白くないじゃん!と。

 いまいち活用しておりませんが、Facebookは更新してなくてもこのブログのようにバンバン広告が入るわけではないので、とりあえずオープンマインドな時に、ちょっとみんなが知らないんじゃね?というときに書いていこうかなぁ。個人的には「質より量」じゃなくて「量より質」だから、「いいね」より「すげぇ」だけがほしいと思っちゃって、面白くないと公開したくないなぁと思うボツネタが山ほどたまっているんです。

 でも、仕方ないですよねぇ、それって。
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