文は人なり

"The style is the man."――文は書くものじゃない、書こうとしたものが文になるのだ

 今日、兄夫妻の家に行きましたよ。なぜかって、母親の誕生日会をやるということで、ケーキ作りを手伝いにぃぃいいいいいいーーーー!

 「あれ? 君どうしたの」
 「どうしたのって、ケーキ作るんだろ」
 「明日だよ」
 「・・・・・・・なんでよ、土曜だろ?」
 「日曜になったんだって」
 「聞いてねーよ」
 「言ってなかったっけ? ああ、父くん(←そう呼ぶ)に言っただけか」

 ・・・・・とまぁ、冗談のような実話のおかげで、今日はなぜか買い出しに付き合うハメになりました。くっ

 なにした? 洗濯した・・・・・違う!

 しっかし、あれだよねぇ。よくよく考えれば、ひとり暮らしじゃない人ってこういうこともしなくていいんだから、楽って言えば凄い楽だよねぇ。ま、それにどっぷり浸かってるのも、内弁慶の日本代表みたいになるので、どっちがいいかってことでしょうけどね。

 でも、こういうのを結婚するときに考える人って案外少ないよねぇ。というか、お互い実家暮しってのが多いから余計かな? それもまた、時代かね。

 昨日の中日×オリックス。
 7回2−4で負けてて、さらに1アウト満塁というピンチ。そこで出てきたドラゴンズの投手は、斉藤信介・・・・・・誰?

 誰?

 誰?

 ・・・・・と思いながら見てた。というか、ラジオの解説「2軍で防御率5点台」「1軍試合経験は06年の消化試合1試合」と聞いて、これはひょっとして、「ここで抑えなければトレード?」という厳しい落合テストかと思ったんですが、この、斉藤が頑張るじゃないの。最初のバッターを内野フライで1アウト。次のバッターを・・・・カウント2−3−2という、ピッチャーが投げた瞬間に全員スタートという、絶体絶命のピンチに、投じたボールになるスライダーを空振り三振! そして斉藤、吼えた!

 いやぁ、あの場面でよく腕振って外角スライダーを投げたよなぁ。
 結果を欲しがるだけの投手ならあそこで押し出し恐れてストライク投げてホームランとか打たれちゃうんだけど、きっと、ここで開き直って「自分にできる」最高のパフォーマンスをしようと思って腕を振って投げたから、ボールになる球を振らせられたんだろう。いやぁ、よくやった。今後も注目できる選手だね。

 てっきりこの采配はさっき言ったようにトレードありきの厳しい落合采配かと思ったんだけど、この斉藤、5月は2軍で防御率0点だったということで、その調子のよさを買われて、中継ぎ右腕として1軍に上げられただけなのね。

 まぁ、そのテストをこの場面でするのも凄いけど、このシーンで打たれたら確かにもうチャンスは無いかもしれないからねぇ。斉藤はしびれたろうねぇ。それを物にして、今日もちゃんと抑えたということで、ひょっとして岡本のかわりに・・・・まだならんか。
 でも、中日にはあまりいない、闘志を前面に出すタイプだから、中継ぎ右腕に救世主登場かもしれない。やっぱり相手を気迫で圧倒する人も時には必要だからね。静かな闘志で抑える岩瀬みたいのも必要だけど。

 あ、落合監督は選手に優しいから※これでクビにしたりしないよ、ホントは。ごめんよ、信じられなくて。だって、ビックリしたもん。
※マスコミには優しくない。

⇒斉藤信介活躍の記事

 KCO(KEIKO)の初アルバム、『O-CRAZY LUV』(オー・クレージー・ラブと読む)買いましたよ、そういえば。DVD付の限定版の方が通常版より割引きいて安かったでしたけど。

 なぬ? 知らない?

 いや、知らなくてもいいけど、小室哲哉らしくマニアックな仕上がりになってるアルバムでしたよ。でも、いいんだよね、わからん人がわかったって言って売れるよりは、何度も耳を傾けて、やっとわかるって人に響かないとね。

 それはそうと、この楽曲は『オーラの泉』収録前に作られたんでしょうね、同番組で江原啓之に「海外(移住)はダメですよ」と言われた小室さんですけど、作詞KCOの『HELLO UK』という、かなり意味深な曲の歌詞が、もう、移住する気まんまんの歌詞でしたね。

CRIME CRIME
知らないうちにお人形
フリル フリル さようなら
鎖国のカルチャー 私はディパーチャー

とか

Hello UK !! Calling America !!

Hello America !! Hello America !!
Calling United Kingdom  !!

すご〜く、意味深です。

 さて、オーラの泉で諭された小室夫妻移住はどうなる? 移住しないでがんばってほしいもんですねぇ。

 ・・・首が痛い。

 結局パソコンだけじゃないなぁ・・・・って普段の生活からして問題あるからかもしれない。だって、いつも首が前に出てるもん・・・・・頭当たるからしょうがないんだけどさ、背を伸ばしてると。ってそれはいいわけですか? いいわけですよ。

 ってなことはわかってはいるんだけど、気づいたとき=首が痛くなったときってのは大概手遅れなんだよねぇ。習慣って怖い。

 んだもんで(←最近使わない表現だな)整体にいったりするハメになるんだけど、結局いかなくなると元に戻るという悪循環。まぁ、習慣が体を作るんだから、いくら整体で直ったなんていっても元に戻ることは(歳を取ってくると余計にだが)大いにある。

 でもこんな生活もイヤなので(貧乏だし)、なんか、こう、スポーツかなんかで、こういうことの予防ができないかって考えたわけよ。それを、整体のマッサージ係の若いにーちゃんに聞いたところ、てっきり剣道とかヨガとか言ってくるかと思ってたんだけど、カレの答えは「弓道」

 弓道?

 そんなんどこでやるんだよって聞いたら、公立のスポーツセンターでもやってるんですって。少なくとも彼の住む地区では。

 そうかぁ、弓道かぁ。確かに姿勢良くなりそうだ。なんたって背筋使うからね。体のバランスができてないと真っ直ぐ飛ばないし。でも、そう簡単に始められるもんなんか?弓道って。

 そういえば、子供の頃から、姿勢のよい子って大概、寺の子供だったなぁ。座禅の影響なのか知らんけど、女子で背筋120kgあったときはビックリしたよね。細い子が。

 座禅か弓道か・・・・・難しい選択だ。

 

この記事のURL [日記] ダメ人間の憂鬱

 私は結構プロ野球を見てしまう質なので、実は困ってるのよね。

 なにがってホラ、チケットを買ってばっかでお金がないとか、それなのに選手が働きもしないのに年俸上げてくれとばかり言っていたりとかで困っているんじゃなくて(どうでもいい情報ばかりだな)、ついつい、テレビとかラジオで最後まで試合を追っちゃうんだよね。

 まぁ、いいんじゃない? といえばいいのかもしれないけどさぁ、他にやることあるじゃん?まぁ、野球に負ける程度だから大したことないんだっていってしまえばそれまでなのかもしれないけど・・・・・・・って、ヾ(℃゜)∂オイッー!

 例えばこの日記だとか、野球に負けていいのかと。

 そこで今日はいつも野球のない月曜なのに試合があるということで、生体リズムの変更を要求されるわけよ。いつもなら月曜に日記をまとめ書きしたり他ごとしたりしてるんだけどさ、それができない、と。

 ちなみにいつもはどういうスケジュールかというと、スカパー!もBSもない我が家なので、18:00〜ラジオON、19:00〜テレビ・ラジオON、20:54〜ラジオオンリーということで、もう、「他にすることあるだろ?」とつっこまれるような生活をしているわけよね(毎日じゃないけど)。しかも、私はよっぽど一方的じゃない限り最後まで逆転を信じて待つタイプなので、これが、もう、時間的拘束なわけよ。

 まぁ、それで幸せならそれでいーじゃんって言えばそれまでなんだけど、しかし、これじゃなんのために時間の短い仕事して安い給料でやってるかって思うわけじゃない?

 かといって、こういうのを「ダメだ!」って思って、「見るのは巨人戦阪神戦ぐらいにしておこう」とか心に決めても、先発の誰それが投げるからやっぱり見ようとか、今日はいい試合をしてくれるのかなとか思って結局試合が気になってしまう・・・・こんな自分がそれこそ「ダメだ!」って思っていたんだけど、結局そういうのでなんも解決しないで今まで来てるわけよね。それこそ、球場で働いて、その時間給料をもらおうとたくらんだりしたけど、根本的な解決になってないわけよ、ホームゲームじゃないと結局、試合見ちゃうもん。

 それが、今日、なぜか、ふいに、ハッと閃いたことがあったんだよね。

 それは、野球を見るときは野球を見ればいい!ということ。

 それじゃ一緒じゃん?って気もするよね。
 確かにそうなんだけど、でもね、人間、「どうしても生活に必要な時間」ってあるんだよね。食事とか休息とか。それを野球の時に当てはめればいいんじゃないかって思ったんだよ。画期的じゃない?

 ・・・・・・・えっ、今までどうしたのかって?

 ほら、試合の行方が気になるから20:54までテレビとにらめっこして、その後ラジオを聞きながら晩ご飯をつくる・・・・・・それがおかしいって? まぁ、それは気にしないでということで。

 てなわけで、18:00〜のラジオタイムは、前半は休息(その前がPC作業に割り当てたので)、後半は食事の準備、19:00〜のテレビタイム(音声はラジオ)で食事をしながら、試合展開を見て後片付けをしたり、ネットしたりすると・・・・・実にスッキリするんじゃないかと思ったわけよ。「また野球を見てしまった。俺ってダメな奴」とか思わずにすむわけじゃんね、休息も、食事の時間もとらなきゃいけないわけだからさ。

 今頃気づくってところに、この、思い込みの激しい性格が表われている気もするが、気づいたんだからよしとしないとね。

 で、今日はどうしたって?

 もちろん、21:00〜食事作ってましたよ(滝汗)

 『題名のない音楽会』の人気企画、指揮者になる夢かなえます、第3回振ってみまSHOW!を観ましたよ。(第1回前編後編第2回の日記)

 この企画、まだ一年経ってないのに回数が3回目になるという人気企画なのだろうと思いますが、第2回はなぜか1回だけで終了したのが不評だったのか、今回は前後編ということで、今回の前編ではなんと、ゲスト審査員、ジャーナリストの鳥越俊太郎が指揮をしたりしてましたよ。緊張のあまりスピードが遅くなり、物凄い遅いモーツァルトをやっていましたが、指揮としての腕は・・・・・でしたね。

 さすがに3回目ともなると、指揮者のネタが尽きるんじゃないかと思いきや、きっと応募が殺到してるんでしょうね、こんなに早く三回目をやるとは。しかも、見てると、指揮もかなり本格的な人もいます。まぁ、その基準ってのが、「オーケストラより少し早いところを指揮する」という、「指揮」するんだから当たり前のことなんですけど、鳥越さんのが遅くなっていったのは、オーケストラに合わせていったから遅くなったと言うことなんでしょう・・・・・って話が飛んだぞ?

 今回も粒ぞろいというか、おかしいというか、アマチュア最高という感じというか、楽しい指揮者ばかりでした。
 司会者の指揮者、佐戸裕も「マニアックやな」と言った、伊福部昭(ゴジラの曲で有名)の「シンフォニア・タプカーラ第3楽章」を指揮した人はカメラさんの想像以上の動きをしてました。

hutte1.jpgワイドなのにはみ出る!
 薬品の合成に使う器具「ピペット(スポイトみたいなの)」を使って、ムソルグスキー「禿山の一夜」指揮をした科学者も出てました。

hutte2.jpgマッドサイエンティスト!
hutte3.jpg私が禿げ山の魔女だ!
 ・・・というように、今回もヤバイ個性的な人たちがたくさん出てました。
 今回は、「僕のリフティングを見てください」とか、「オーケストラを立たせてスタンディングオベーションに応えたい」とか、素人コエーというようなものも、すべてを包んでやってるので、この企画の人気はその幅広さ、素人感覚を大事にしてるからですかね。誰でもとにかく、「振ってみたい!」という共通項があればいい、みたいな。プロへの登竜門じゃないところがいいんでしょうね、欲がなくて。

岩村さん大爆笑
 そんなわけで、今回も「アマチュアならでは」の大胆な指揮が見られたり、なかなか面白い指揮を見られて審査員の、指揮者:岩村力(大爆笑してる人)、作曲家:青島広志、音楽P:宮本文昭、ゲストに秋川雅史、鳥越俊太郎も楽しそうだし、この企画はまだまだ続きそうですが、なに? 来週の後編にはあの人も?

ルー大柴トゥギャザーしようぜ!
 マジか! ルー大柴て! 確かにできそうだけど、濃そう・・・・

 やっぱり、北海道ドーム・・・じゃなかった、札幌ドームの日ハム戦はよわいねぇ、中日。巨人戦だと強いのに・・・・。

 去年の日本シリーズで、山井の血マメもしかりだけど、「ナゴヤドームで決めたい」「札幌には行きたくない」とパーフェクト寸前の山井を変えた落合監督ですが、そのことについて「監督の器じゃない」「KYだ」とか文句を言った人が、「札幌ドームに行っても勝ってたって」と言ってたが、やっぱり札幌来たら負けるじゃないか。

 昨日は1−0でシャットアウト、今日は20被安打(失笑)で、11−1と、最近の若者言葉で言うと、フルボッコだ。

 なんでこうもやられるのかわからないが、きっと、自分たちの野球が通用しないと必要以上に痛感してしまうからだろう。守りの間を抜ける抜ける。ナゴヤドームではやってるくせに日ハム@札幌ドームだとまるで借りてきた猫状態。

 ・・・・・日本シリーズに日本ハムが来ませんように!

 誰だ? この調子じゃドラゴンズが日本シリーズ行けないんじゃないの?って言ってる奴は!

この記事のURL [○○についての考察] 未熟な自分についてのプチ考察

 仕事の相方の義母が亡くなられたということで、君は通夜はどうするのか、香典はどうするのか、一緒にするならするよ、という話を色んな人からされた。

 あ、そうか、そうだよねと気がついたけど、実際にどうしたらいいんだろうと考えてしまう始末。こういう時、独学にふけりながらプ→やっていた人間の弱さが出るというか、頭でわかっていることも中々うまく対応できない現実がある。そこんとこ、年上の、人生経験のある方は対処だけじゃなく、気配りが出来てえらいなぁと思う。

 なにごとにも真剣に取り組んで、色んな事が幅広くでき、知識も豊富だけれども、やっぱり私も二十代の(←強調)コゾーだなぁと感じる瞬間。

 まだまだ色んな人から学ぶ事ってあるよね。観察するんじゃなくて、学ぶ。自分ってのはどれだけ大きくなっても、やっぱり世界の中からすればちっぽけなものだからね。

 そこから、できることが増えていくんだと思うしね。やるべきことも、ね。

この記事のURL [作品&商品レビュー] VHS『岡本太郎の宇宙』観てみました

 『岡本太郎の宇宙』という、川崎市教育委員会の(予算でつくられた)ビデオを観ましたよ。

 以前書いた記事のコメントで「岡本太郎を見ろ」と言われたので、VHSテープですが図書館にあったので借りてきました。どうも、川崎市の岡本太郎博物館(あるのか?)で上映されているビデオっぽいんだけど、これがかなり上質な出来。造ったのが教育委員会じゃないからか?(←爆弾発言)

 岡本太郎、芸術はコミュニケーションの側面もあるということで、「お前の作品のハッキリ言ってどこがコミュニケーションだよ」と言う人もいるでしょうけど、コミュニケーションとは単なる仲良しこよしでさようならという生ぬるいものを指すのではなく、人としての意志などを正確に伝達する、本当の意味でのコミュニケーション(他人と共有する)を追求した結果なんでしょうね。
 少なくとも、「岡本太郎はこう思った。お前はどうだ?」という手加減抜きのコミュニケーション・・・・・受け手がそれを理解できないのでディスコミュニケーションみたいになったりもしますが、それをわかろうとする人もいることを考えれば、それはコミュニケーションとして成立しているとも言える・・・・・「芸術は爆発だ」のイメージがある岡本太郎ですけど、勝手気ままに生きているのではなく、CMに出るのも自分の言葉しか喋らないという条件をつけたりと※、かなり受け手(大衆)を意識した行動をしている。
※…この、岡本太郎の宇宙には、そのCMがそのまま収録されてる。あのセリフはマクセルのビデオテープのCMだったんだなぁ。

 大衆を意識した、自分そのものを通じたコミュニケーションをしようとしていたのは晩年の方だけど、それでも根底にあるのは単なる「独りよがり」じゃなく、絶対的な他者が存在するがゆえにできる、「既存の価値を問い直す」というアヴァンギャルドな立場で、自分が感じたことを形にしようとしていた――それが『日本再発見 芸術風土記(絶版)』などの、元々の日本の文化そのもの再評価する仕事に繋がっていくのでしょう。

至るところにあふれている秋田の風俗は、一般に紹介されている、あんな泥くさいものでは決してない。すきとおって、ほゝ笑ましい。美しいし、そのセンスはかなり高いものだ。(『日本再発見―芸術風土記 秋田』 なぜかHPで公開中

 そういうわけで、遊べる本屋『ヴィレッジヴァンガード』でたくさん用意されている岡本太郎本(だいたい自己啓発系の)本を読んだ専門学校に通う若者達が、そんなこと気づかずに、「俺はこう思うんだ。バカなお前らはわからんだろうけど」という作品をつくって、芸術家気取りで自己満足の域に行ってるとしたら、ちっとも岡本太郎から何も学んでないんじゃないかな?――と勝手に思ったりするけれど、実際の所、どうなんだろうねぇ。

 芸術って、やっぱ人生と繋がってないと、薄っぺらくなるってわかって・・・・いたら凄いけどね。その葛藤をするのが青春時代なんだろうけど、そういうのはしないで、安易に他人の言葉で自分を表現するなら芸術家として終わりだろうと私は思う。

 話が飛んだけど、やっぱり、芸術って独りよがりのものじゃないよね。前衛芸術(アバンギャルド)な立場を取った岡本太郎でも、やっぱり誰か対象――たとえば旧態依然とした芸術界とか、矛盾だらけの軍国主義に傾倒した人々とか、経済絶対主義を疑わない人々とか――があってやるものだから。
 その対象に伝わるかどうかっていう意味で、コミュニケーションなんじゃないかな、とも思う。媚びないコミュニケーション。これが岡本太郎の本質なんじゃないかなぁ?

人間が動物を食い、動物が人間を食った時代。あの暗い、太古の血の交歓。食うことも食われることも、生きる祭儀だった。残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱が迫ってくる。そういうものをふるい起さないで、ヒューマニズムもちゃんちゃらおかしい。(『日本再発見―芸術風土記 岩手』なぜか(略

 まぁ、パンピーからしたらヤバイ人かもしれないけれど、自分の目で見て、自分の中で消化して、自分の外に出そうとするってのが、なれ合いという意味ではなく、分かり合おうとするという意味での、コミュニケーションの本質なんじゃないのかと問いただしているようで、なかなか痛快なビデオだった。

 やっぱり、岡本太郎って、簡単に真似できないよっていう意味でも。

 DVD『プロフェッショナル〜仕事の流儀 高校教師大瀧雅良の仕事』を観ました。

 なんでプロフェッショナルネタが多いかというと、図書館で借りられる貴重なDVDの中の一つだからです(図書館はNHKモノが多いので・・・)

 さて、高校教師大瀧雅良さんというのは、サッカーの強豪校清水商業高校の、サッカー部の監督をしてる方でして、小野や川口、はては名波や藤田も育てたという人です。

 興味深いのは、そういう選手たちを育てたことを誇りとするのではなく、そういう子は家庭や、それまでとそれからの環境もよかったからで、彼らがたまたま自分のいる学校に来ただけで、彼らは他の学校でも同じように育ったのだとハッキリ言えるところですね。
 今の世の中、いや、昔からそうって言えばそうですが、目先の教育効果ばかり考えてそれを要求する人が多い中にあって、しっかりとした意識やビジョンを持って教育をしているっていうのは、サッカー監督ではなく、わざわざ「高校教師」と名目をつけるにふさわしいって思いましたね。

 その大瀧先生、サッカーも人生も規律が大事と言うことで、靴のかかとを潰して履いてる奴なんて許しません。そういう部員を見つけたら全員の靴をチェック! そのペナルティがなんだったのかまったく出てませんでしたが、高校教師らしい監督さんです。

 しかも先生、サッカー選手として大成することよりも、人として一人前になってくれる方が嬉しいということで、結婚して、子供を引き連れて来るのが凄く嬉しいとのこと。結婚式に呼ばれるよりも、その方がずっと嬉しいというのは、「いっちょまえになったなぁ」というのと、自分の精神を受け継いで行くのかなぁと想像するのが楽しいからだそう(笑)。たしかに、結婚式は誰でもできるからねぇ・・・。

 若い方はこういう姿を見て、仕事を選んでほしいですね。

 

 よく、とんちんかんな質問(というかパンピーな質問)をするこの番組のディレクターだかが、例によって大瀧先生に、変な質問をしていました。「(ほぼ毎日練習したら)旅行に行けませんね?」大瀧先生は笑って答えます。「この方が楽しいもん」

 人の人生、周りと比較して善し悪しを決めちゃダメだよねぇ。家族がどう思ってるかってのを取材しないのがいかにも毎回なプロフェッショナルだけど、そういうのが好きって奥さんもいるからいいよね。生徒たちも、毎日夜遅くまで付き合ってくれる先生と、迷惑をかけている奥さんに感謝の念を抱いてるなんて、きっとあたりまえだろうしね。

 うわぁ、おぼえてない。

 何したかなぁ・・・・たぶん寝てた。

 それじゃダメかなぁ。

 とりあえずねー、暑くなってきたよねぇ。気がつけば、ハッって感じ。もう加湿器いらないかなぁ。

 

 今日、朝、『どですか』という、東海ローカルの、I LOVE NAGOYA臭のバンバンするテレビ番組を見ていたら、天気予報の時に、あの、ただいま大ヒット中(らしい)の『相棒』で片山右京ならぬ杉下右京を演じる、水谷豊が昔歌ったという、『カリフォルニア・コネクション』が流れていた。

 あの、水戸黄門の助さんを長いこと務めた、あおい輝彦みたいに、俳優だけど実は歌手でもあるって人は結構いるので驚くこともないんだけど、水谷豊の歌は初めて聴いたなぁ、私。
 ちなみに、『相棒』の相棒役・寺脇康文がTRFのトリビュートアルバム(正確にはおまけ)で岸谷五朗と『Overnight Sensation』を歌っていたのはびっくりした。うん、ホントにどうでもいい話。

 なんでも、水谷豊は22年ぶりのアルバム(セルフカバー)を出すということで、この、カリフォルニア・コネクションは往年のヒット曲らしい。
 水谷豊というと、あの、俳優仲間を持ちたがらなかった『渡る世間』のお父さん役だった故・藤岡拓也ととても懇意にしていたというイメージだったのだが、それはたぶん天然だからだろう(えー)。

 そういや、前の『うたばん』に水谷豊がくるっていったのを見すごしたけど、きっとそれでうたばんに来たんだよね。

 まぁ、それはどうでもいいのだけれど(いいの?)、この、『カリフォルニア・コネクション』の歌詞の一部がインパクトがあって、一日中頭の中を流れて困ったんですよ。

言葉を超えた 愛もあるはず
熱く燃える季節が 僕らの憧れ 運んで行くよ

 いかにも昭和な香りがするけど、パンチがあるんだよねぇ。
 作詞は阿木燿子かぁ、やられたなぁ。

 うう、首が固い・・・・・なんでだろうといつも言ってるけれど、結局抜本的改革は見当たらず、いや、抜本的改革は間違いなくパソコンに触れなければいいということなのだが、ついつい触ってしまうわけでして・・・・ということで休む時間を増やすとかしかない。

 いや、背中の筋肉を鍛えたりとか、すれば変わることをしていないだけということもあるのだけれど、今日ふと思ったことがある。

 どうも、ディスプレイの位置が低すぎないかと。

 いやね、よく言うじゃない?「ディスプレイは目線の下に」って。これは、人間の目というのは、真っ正面を見るよりやや下に目がある状態が一番緊張が緩くなるからなんだって。だから、ディスプレイは昔から、目線より下・・・・ってことになって、私もそれに従ってきたのだが、どうもおかしい。

 というのも、私は首の後ろの、付け根当たりがよくピリピリするんだよね。原付乗ってるときもそうだけど、パソコンに向ってるときも。それは、結局猫背からくる、頭が前のめりになって首の神経を圧迫してるからだと自己診断(医者は何も言わない)して、低くしたディスプレイを見下ろす形だから余計首を曲げて悪化するのでは?と思い、少し、ディスプレイを高くしてたんだよ。でも、それでも改善しないから、思いきって、座ったとき真っ正面になるようにディスプレイを上げてみた。

display.jpg高ッ!
(右端がタワー型デスクトップ(3ベイ))

 こうすれば、首を前に倒す必要がないので、必然的に首の痛みが解消される・・・・・・・・・といいなぁ。凄く高く見えるのは身長が高いせいで、座高が高い為じゃありません・・・・・・だといいなぁ。これで治ったら最高だね。

 股を開いて座る、「アーユルチェア」ってのが効き目があるらしいけど、私の机は両袖引き出しなので、足開いて座れないんだよねぇ。ま、とにかく、Garage(ガラージ)のイスは値段の割に役に立ってないというのが個人的な感想だよ、数年使って。

この記事のURL [○○についての考察] 子供と教育についての考察

 甥っ子(もうすぐ2歳)を見てて思うのだが、あれだね、子供って、生きてるのが嬉しくてたまらない感じだね。親に守られながら生きているからとも言えるんだけど、何よりまだ、他人と接してないからだろうなぁ。

 そんな中、学校裏サイトやらなんやらで最近はとっても生きてるのにツラいという子供もいる。表面ではいい顔してるのに、ネットやメールではボロクソだったり。それもまた人間なんだと思うけど、そもそも、みんな仲良くと教える学校では、「それもまた人間だよ」なんて絶対教えないので、やっぱりどっかでそういうことを教える人間も必要なんだろうね。エンタメばかり触れるのも考えものってことだよね。

 んまぁだから今でも宗教や哲学が消えずに残っているんだけれども、受験や就職ばかりを考えた学校の勉強はそんなこと「考えなくてもいい」ってノリになりがちなので、教えられるはずなのに教えていないという現実が、また、ネットとかの学校外でのことに悩む子どもたちをなんとかしろよという教師のプレッシャーに繋がっていくんだろうと思うと、目に見える教育改革なんて結局何の解決にもならないということなのかもしれない。

 たとえるなら、印籠を出し方を変えた水戸黄門みたいな。どうやろうが、それはやっぱり水戸黄門だよね。むしろ、その方がつまらなくなったり。学校でも、いい事例を取り入れるだけに済ませたり・・・それは、それ以外の雑務が多いことと、教育方針が曖昧なところに基づくからだろう。迷いがあるというか。

 そういう意味で、モンッテソーリ教育とか、シュタイナー教育とか、教育を根本から思想的な体型の中に組み込んで行なう教育の方が、きっと問題は少ないんだろうなぁ。周りの目とかがうるさいんだろうけど。

 その、シュタイナー教育について書かれた本『シュタイナー再発見の旅〜娘とのドイツ』に、周囲が受験勉強に躍起になっているのに、絵画や演劇などの作品づくりばかりする授業に生徒が反発し、教師が答えるシーンがあった。

「きみたち、プレッシャーがないというご不満をおもちのようだが、考えてごらん、プレッシャーは、学ぶ対象の側に厳然とあるよ。ぼくの演劇の授業でも、毎日経験しているだろう、作品自体がプレッシャーだってこと。正しい取り組みをしよう、力を出しきる上演に仕上げよう─ぼくは何度もダメ押しをして、妥協しないだろう。それは決して点数によるプレッシャーじゃないけど」

 ○○しなきゃいけないと思いこんでいる人が多いが、その多くは刷り込みであり、実際、誰しもが「この勉強が役に立つのか」と思っている。そこで見出した妥協的結論が「将来の生活ため」という、不確定な未来に対しての希望的観測である。

 しかし、勉強の本質はそもそも、古来よりそうであるが、その人が生きることそのものであり、生活の手段はその下位に相当する。なぜなら、今回のミャンマーサイクロン・中国地震を見てわかるように、世の中はほぼ不確定であり、その中でも生きていく選択をするにあたってしなければならない努力が、勉強を生むのだ。
 生きたくなければ、「今回の教訓を」なんて誰も言わない。「生きる力」というのは、そもそもそういうことで、学校で勉強することは、その体験を蓄積していくことなのだ。

 まだ本当の苦しみを知らない甥っ子のように、生きるということはそもそも本質的には楽しいものなのだろう。
 そういうことを考えたら、どんな艱難辛苦も、向き合わなきゃいけないのじゃないかなぁ?逃げてもいい時もあるけれど、本質的には逃れられないので、いつかは戦わなくちゃ、泥沼にはまったままになってしまう・・・・・今の学校教育が、そうなのか・・・なぁ?

 三重テレビで(汗)再放送のガイアの夜明けを観る。

 ロフトが、正社員・契約社員・パートという枠組みをとっぱらい、「ロフト社員」という、時給制ではあるけれど、頑張った分だけ上がるという、正社員化じゃなく(強調)、全社員化するという試みを始めたんですって。

 このシステムを導入すると、1割の人件費増加となるのだが、その目的は「社会正義のためではない」と語る社長。社会正義の為じゃなくても、そういうことやったには理由がある。ロフトは年間に1700人採用して1700人退職するという、人事担当者が凹みそうな現実があったからなんですって。

 いやあ、「仕事の質(=売り上げに直結)」にこだわらなければいけないのに、人件費削減を目的として、セミプロばかり増やすことに時代にあって、やっと当たり前のことを考えて実行できる所が出てきたなと。だいたいの大企業様は、女子アナ希望が相変わらず多いのを見てもわかるように「選べる」側の立場としてあぐらをかいて、自分が時代に応じて変わる努力を忘れて、小手先のテクニックで乗り越えようと必死である。

 ロフトの社長は、10年ぐらいから、人件費カット目的で社員の非正規化している流れが絶対うまいこといかないと考えていて、それを実行に移すチャンスは今しかない、大企業が先にやったら大企業にいい人材が採られる!と思って始めたんですって。でも、こうした方が、普通に考えたら絶対いいよなぁ。従業員、やる気出るもん。やる気出るってことは、サービス残業もフルパワーでしてくれるって事だからね!!

 日本は元気がない!
 っていう声があるけど、元気を出させようと誰もしてこなかったんだから、当然だよねぇ。そういう意味で、「ああ、やっと真剣に考える人が出てきたなぁ」と実感。それだけ追い込まれてるってことかもしれないけどねぇ。

 

 ちなみに、名古屋にあるロフトは名鉄グループ(殿様商売)の運営によるものなので、この制度を導入する気配はまったくないだろうな。

 O須商店街はアメ横にて、DVD-RWメディアを買う。

 いやね、私はあまり使わないんだけど、テレビをパソコンで録画したりして愚兄に渡すことがあるんだけど、返してくれないんだよね、あの人。だったらDVD−Rにすりゃいいじゃんと言われるかもしれないけど、MOTTAINAIじゃない。

 ってわけで、返ってこなくなったDVD-RWの追加を、ということで、買いに行ったんだけど、さすがにビックリしたのが値段だよ。そりゃね、RWだから高いだろうとは思ったけれど、なんと10枚の最安が、300円。10枚300円! しかもCPRM対応のホワイトレーベル(印刷不可)。2倍速だけど。

 すげーうさんくさいけど、別に大した使い方しないからこれでいいや。

 大○商店街最高!(違う意味で)

 でも、また返ってこないだろうなぁ(←ダメじゃん)

 中国の地震、大変なことになってますねぇ。

 そんな中われら日本国は、イラクの時はあんなに熱心だった「国際貢献」の意欲があまり感じられないぐらい「中国次第だべさ」みたいなノリ。いやまぁ、中国が望んでないからって言えばそりゃそうかもしれんけど、それじゃダメだろ。あれだけの被害が出ると言うことは即ち、対策が基本的に疎かなんだから・・・・・。ってことは日本の専門家も期待通り働けないかもだけど、でもやらなきゃね。前に進まないじゃない。

 さて、そんな中、最近の「地デジにしようぜ」のCMがずいぶん腰が低くなってますね。今まで脅迫じみたCMだった気がしますが、「お願いします」なんて言うようになりましたね。だいぶ非難がありますもんね、地デジ。誰がどう見ても、テレビ局(と家電メーカー)の都合にしか見えませんもん。ハイビジョンもそうだったし、ブルーレイもそうだけど。

 テレビ局側からしたら、受信料や放送料を払ってないくせに文句言うなよというところでしょうが、こういう考え方が根底にあると、自分たちのしてることを必要以上に正当化してしまうことがあるんですよね、人間。そりゃ、みんなタダ見してるのかもしれませんが、そういう人たちがいるから、自分たちが存在してるっていう謙虚な想いがどっか行ってしまうんでしょうね。

 話は戻って中国。

 日本の地震対策というのは、亡くなった方・避難生活を強いられた方の犠牲の上に成り立っている。その経験を謙虚に考えれば、「中国次第」なんて言えないんじゃないかな、政治的配慮とか気にせずに。

 ワッキーと上原さくらがそのうち(ファジーだな)の「ラブちぇん」に出て、二人で交換夫婦をするらしい。ってことはあれかな?ワッキーの奥さんと上原さくらの旦那さんは一緒に暮らさない感じなんだろな。なんでも、芸能人同士が共同生活するのは初めてなんですって。

 私知らなかったんですが、この番組、名古屋テレビ(メーテレ)制作なので(収録は東京)、他の所では深夜だったりするんですね。こちらは23時17分だったので、結構みんな知ってるのですが、他の場所ではそうではないんですね。それでわかった。どうも、愛知とか岐阜の夫婦がよく出てる気がするのは、そのせいかもしれない。私が見たのがたまたまそうなのかもしれないけれど。

 あまり見ているという方ではないのですが、まったく見たことのない人に説明をしておかないといけないですよね。

 この番組、「見ず知らずの夫婦が2泊3日入れ替わる」という企画の番組でして、それぞれの(夫に不満を持つ)奥さんが、入れ替わり先の家にお邪魔(ラブちぇん)して共同生活する、そして二人の妻がスタジオに登場して夫婦間の変化を語る・・・という形で進む、夫婦交換バラエティー?です。

 入れ替わった先のお宅というのが、これがまた、絶対意図的だと思うんですが、自分の家と正反対の家が多いんですよね。たとえば、「優柔不断な夫がイヤ」という妻が、「自分の決めたことを従わせなきゃ気が済まない」ラブちぇん先の夫の元へ居候して(夫の家族ルールに従わなければならない※)、ラブちぇん先の夫に嫌気が差しながら、ラブちぇん期間が過ぎて自分の夫の元に戻る「やっぱダンナがいいです」・・・・という。
※・・・当然だが、ベッドを共にすることがあっても、それ以上はしない(固定カメラで撮られてるし←強姦の証拠になる)。キスも同じ。夫婦の習慣に基づいて共同生活をする、という感じ。夫婦交換とは違うイメージ。だから「ラブちぇん」という軽いネーミングなんだと思われる。

 テレビなので、視聴後の読後感(?)がよくなるようにしなきゃいけないので、そういう配慮(演出とも言う)が成されているのですが、あまりにも毎回すんなりまとまるせいか、それとも「こんな変な夫いるの?」というようなケースもあるせいか、ヤラセ疑惑が結構あります。

 個人的には、元々、「どっか好きなところがある」から結婚したわけで、マンネリ化してまったくそれが見えなくなった夫婦(若い出演者が多いから特に)が、それを再確認する、という非常に素直な流れなので、そういう造りなんだと思いますが。「これできたら100万円!」もいつの間にか素人が駆逐され芸能人だらけになってしまったように、素人を面白くさせるって大変だからね、変なの選ばないと。

 それに、よくあるフツーの家庭が「ラブちぇんしたい!」とは思いませんよね。
 だって恥をさらすことですもの。だから出演者の素養として、そういう勇気がある人or周りの好奇な目※に無頓着な人が多いんでしょう。当然、自分をいかによく見せるかを考えてるインテリ夫婦なんか出ません(たぶん)。あと、犯罪臭のする夫婦とかも実際にはあるのかもしれませんが、そういうのをテレビでは放映しないだけでしょう。
※・・・ある人たちにとって好奇な目でも、ある人たちにとっては「テレビに出たの?スゲー」になるので、後者の人が出演する事が多くなるんじゃないかと。

 

 んで、最初の話題だけど、芸能人同士がラブちぇんってどんなのかと思うんだけど、どうも、チョイスが、裏表のあまりない、「家でもテレビとあまり変わらないタイプ」を選んだ感がある・・・・・こういう予定調和が、ヤラセくさくなってしまう部分でもあるんだろうなぁ。ぶっ飛んだチョイスをしないというか。
 ダンディをウリにしている○ひろしとかの素が実は物凄くオッサン臭い・・・・という人のラブちぇんが見たいけど、軽い番組にそんなのはありえないだろうなぁ。「この人の新しい一面を発見!」とか。

 てなわけで、ラブちぇんヤラセ疑惑は今後も続きそうです・・・・。

 

 ちなみに、私が一番「リアルだな」と思うのは、収録後の、妻が夫に電話するシーンです(毎回あります)。ラブちぇん先の家でも出来るだけ不平を言わずに夫の話を聞きながら話してたり、「ラブちぇんして夫婦関係がよくなった」とかテレビの前で語る妻も、夫と電話してるとき「なんでアンタ楽しそうにしてるのよ!」とか「私に料理しろって言うの?」とか、今までちっとも見せていなかった部分が出るところでしょうか。

 それもテレビに放映されてるじゃん!と言われればそれまでなんですが、もう今後関係を持たない人になったら、それに気を遣わずに無関心でいられる女性らしさがよく出ている感じがするんですよね。

 というか正確には、電話先の「素の夫」に、思わず本音が出るのかもしれません。

 「(出演料の)10万円もらった?半々だよね?」(失業しても働く気がない夫)
 「・・・もらったけど、あげないよ」(妻)
 「なんで?」(失業夫)
 「仕事決まらなかったらあげない」(妻)

 まぁ、人って2泊3日程度でそう変われないから・・・。
 それなのに「変わりました」って言うのが女性らしくない? テレビの前に出て「全然変わらなかった」なんて言えるほど気の強い(というか迷惑な)女性なんてそういませんよ。それに、多少は変わるでしょうから、夫も妻も。多少ね。でも、問題の解決は、その後、ちゃんと向き合うようになるかってところから始まりますから。

 さて、ワッキー&上原さくらのラブちぇんはどんなオチを見せるんでしょうか? 「やらせ臭い」と言われるようなオチなのかな?

 私はコンタクトをつけると俄然やる気になって「今日も一日やったるわい!」と思う人間で、その逆にコンタクト外すと「はふ〜ん、もう休も」と、一言もそんなこと言わないけれどもそれぐらい極端にスイッチが切りかわってしまう。便利といえば便利だけれど、家に帰ってからが勝負の身の上としては(家に問題があるとかじゃなく)、これじゃマズイ。

 ってなわけで、よし、今日から家でもコンタクトで臨戦態勢家でも持続だ!

 ・・・・・と息巻いていたけど、やっぱり昼寝してしまった。

 ・・・・・・・・・心持ちの問題だねぇ、やっぱり。

 思ったんだけど、こういうのやってるメリットって何かね?

 いや、今さらなんだけど。

 私は有名人じゃないから炎上しないで済んでますが、有名人だったらとんでもないことになりそうなことばっか書いてますもんねぇ。かといってコメント書かれたらなんでも凹むわけだし。

 んなら最初っからやめときゃいいのに、それでも書いてしまうのは、だってまぁ、止まらんもんねぇ。サボることはするけど。

 そういう衝動に従っていた方が得ることの方が多いしね。まぁ、マイナスのものを得ることもあるけど、それを財産にすることが出来るってのは、なにもないよりは結果的にプラスってことだもんね・・・・・・本当はこんなポジティブな性格ではないんだけど、やっぱ体育会系がしみついているのだろうか。

この記事のURL [○○についての考察] 「花を咲かせる」についての考察

 『ビッグイシュー』ネタ三日目で恐縮だが、94号の特集「都会の道草生活――コケ、道草、フルーツの種」に気になる言葉を見つけた。

 この特集、ホームレス支援雑誌『ビッグイシュー』に載ってるのだから、てっきりホームレスが雑草をどう調理しているのかとという実態調査かと思ったのだが、んなわけないよねぇ、冷静に考えれば。『ホームレス中学生』じゃあるまいし。
 でも、雑草の(ちゃんとした)料理の仕方とかコケの観察の仕方とか、なるほど「道草」的な愉しみとして、普段どうでもいい存在として扱われる、植物たちの価値を再考してみるという、なかなかいい特集(ビッグイシューはその特質上こういうのが多くなるのかな)。
 その中の、『雑草のはなし』などの著者である田中修・甲南大教授の話す、雑草の「生き方」にふと目が行った。

そもそも草花は自分だけキレイな花を咲かせても、仲間が一緒に咲いてくれなければ、花粉もつかないし、強いタネも残せないんです。…(中略)…『みんなで一緒に花を咲かせよう』と決めている。実りを多くするためには自分だけの繁栄はありえない、仲間とのつながり、仲間の繁栄が何よりも大切なんです」(ビッグイシュー94号p17)

 最近は『世界に一つだけの花』が一つの生き方を提示しているようにみんな感じているだろうけど、この歌って、「自分の花を咲かせればいい」って色が強いですよね。

 以前、『さんまのまんま』で100年後も歌われる歌を作りたいと槇原敬之が言って、さんまが「世界に一つだけの花は行けるんちゃう?・・・・・いや、百年はムリやわ」と言った理由もそんなところなのかもしれない。確かに心地のいい、元気の出る歌だし、自己評価が低い今の世代に対して、「そうであるといいな」的に投げ掛けられているメッセージ性の強い歌なので、そういう目的なら実によいのですけれど、人間の人生における真実性という意味で、足りない部分を感じる歌だと思うんだよね・・・・ってそれをエンタメ系のPOPミュージックに求めるのも酷だが。

 そんなことを思ってしまう私に、これだ! と思わせたのがこの田中教授の言葉なんだよね。花を咲かすのはいいんだけど、それって、周りがいてこそじゃないかってこと。自分の花だけ咲かせる美しさも結構だけど、花って言うのは、最終形態じゃないんだよね。花さえ咲かせて終わればいいってのは、成功すれば何してもいいって考えに繋がることさえあるからね。また、本当は花と思えないようなレベルでも、自分の中で「花(=つまり頑張った証)」としてしまうことさえあり得るから。そりゃ歌に責任はないんだけど、あることなんだよね。

 

 花が美しいのは、それが季節を奏でるからでもあろう。それはつまり、毎年どこかで咲く、すなわち種が撒かれた証しなのだ。草花も、人間も、横のつながりと縦のつながりがあって、花を咲かせ続けられる。

 そこら中に植えられているパンジーは、花を咲かせた状態で植えられ、花の内に摘み取られ、処分され、種を残すことはありません。こういう世の中だからこそ『世界に一つだけの花』とかの「花歌」に種という概念がないのも、致し方のないことかもしれませんと言うのはさすがに大げさだろうか。

 能の大成者・観阿弥の息子世阿弥が、一子相伝として残していた能の秘伝書、『風姿花伝(花伝書)』には、「花」という言葉を使って芸事を表現していたことで有名である。世阿弥は、タイトルに「風姿伝」と入れるぐらいだから、「花」を芸事で最も美しい状態だと認めているわけであるが、世阿弥が「花を咲かせろ!」とよく口にする他の人と圧倒的に違うところは、「花」というもの自体にこだわることではなく、ある姿勢を説いているところである。

物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先(ま)づ、種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし。

 この言葉なら百年以上残る、そんな気がする。

 昨日、ビッグイシューの記事を書いたんだけど、そのついでで、以前買ったビッグイシューについて書いた記事を昔の日記で読み返していたら、スゴイもの見つけた。それは・・・・・

 お菓子、「柿の種」のモデルとなった本物の柿の種は実在した!

・・・・・・という記事だ(スゲー煽ってる)。

 ほら、柿の種って、みんなそうでしょうけど、「あれのどこが柿の種?」「全然似てないじゃないか」と思ってたと思うんですよ。いわゆる一般に出回っている柿(次郎柿とか富有柿とか)の甘柿の種って、水滴が垂れるような、いわゆる涙形をした種ですからね。
 でも、あったんですよ、柿の種そっくりな柿の種が(わかりにくいな)。

 ええい、百聞は一見にしかずだ。

これが本当の柿の種(3年前に撮影)
※チョコレートコーティングの柿の種ではありません!
 どうだ!! 上が本物の柿の種 下がお菓子の・・・そっくりじゃない?

 愛知県は幸田町の名産「筆柿」または「珍宝柿」という名の、文字通り筆のような形をした柿の種なんですが、これ見つけたときは凄い感動したなぁ。名前にじゃないですよ(汗)。

 「ごめんよ、俺が間違ってたよ!」って感じで。

(参考)
 ⇒当時の日記(の、10月8日分の日記を参照のこと)

 勢い余って、「柿の種」の元祖、浪花屋さんに「これじゃないの?」とメールをしてしまいました。前にしようと思ったけど、地震でゴタゴタしてるだろうからとしなかったんだよねぇ。

 この柿がモデルじゃなくても、この柿の親戚がモデルなのは間違いないだろうなぁ。だって、柿って1000種類ぐらいあるらしいし・・・・・最近って、スーパーで売ってる物が固定イメージをつけてしまうことあるけど、世界は広いってことやね!

 やっぱ、文句を言う前に謙虚な姿勢で調べるのが大事だよね。

 3年半振りに買ったビッグイシュー93号を読みましたよ。すでに先号でしたが。

 なぬ?知らない?

 ビッグ・イシュー(THE BIG ISSUE)とは、イギリスで始まった、ホームレス支援で刊行が始まった雑誌なんですが、これ、ありがちな「寄付」ではなくて、ホームレスが出版元から直接買って、街灯で、街ゆく人々に売って、その売り上げをそのホームレスの収入にする・・・という一つの仕組みなんですよね。
 最初の10部は寄付としてあげるんだけど、それをホームレスの人がさばいた収益で次の雑誌を買って売るも良し、その日暮しの金に使うも良し・・・というのはどうなんだと思われるかもしれないですけど、「ホームレスの自立を支援」するのだから、お仕着せ的な支援とは違ってこういう方がいい気もします。人見知りする人は当然売り上げを上げられませんが、それは「努力」することなんでしょう。ホームレス生活を脱したいなら。そういう意味で、ある意味厳しいです。

 けれど、ホームレスの収入の分(仕入が1冊140円だから160円)もあるので、普通の雑誌に比べると、出版経路が単純な割に、ページ数の割に、値段が高い! 私が前、大阪※に行った知人から買ってきてもらったときは200円だったのですが、今や300円ですよ。値上がりしてますよ。
※・・・ビッグイシュー日本版の本部が大阪で、当時は名古屋に支部がなかった。

 さて、この雑誌なんですが、ページ数にして全36ページと、普段皆さんが読んでるような雑誌と比べて大幅な違いがあるので「けっ偽善者のボランティアじゃねーか」と思われる人もいるかもしれないですけど、なんつーても、その社会目的が商業雑誌とは違うので、広告数が全然違います。
 マンガのキャラクターが商品の紹介をしたりとか、企業と企業が連携して広告を展開するとかいう「コラボCM」が多い昨今にあって、ビッグイシューの、その、まるで大学新聞みたいな広告の小ささに面食らうかもしれません。

 最近はファッション誌だけじゃなくグッズ誌とか、大量に世の中に存在しますが、コラム以外全部広告じゃないのかというぐらい宣伝のオンパレードな内容が目立ちますよね。「それが資本主義なのさ」とか言う単純な人はそれでいいかもしれないですけど、個人的には、そういうのでちょっと、「払うべき対価」として価値のあるモノを作っているのだと誇りを感じられている制作者が少ないんじゃないのかな、という気もするんですよね。そういう不幸を逆手にドラマにする作品とかも多いですし。

 その為か、ビッグイシューの場合は、値段はページ数や紙質の割に高いですが、内容も読み応えがあるというか、うざい広告がなくてずいぶん読みやすいですよね。別に、ホームレスを支援したいからという気持ちがなくても、偏差値教育にどっぷり浸かって「比較しないと価値が計れない」という人じゃなくて、かつ芸能人(外国人多い)のゴシップではなく苦労話・人生観とか、メジャーメディアでは取り扱われないようなネタ(今回は雑草でした)に触れたいという人は買うんじゃないかな、とか思った。
 そんなにいないでしょうが・・・・・ってことは支援になるのかわからないが・・・・・。

 

 私、都心部育ちなので、ホームレスについては結構難しい感情を持っているんですよねぇ。小学生の頃はみんな、公園を占領するホームレスにみんなで石投げて先生に怒られていましたし(私は投げてませんですけど止められもしなかったですが)、だからそれを大人に咎められないまま大きくなってホームレスを暴行死させる人がいても驚きはしないんですよね(いいことだとは思いませんが、どこでもあり得ることだと思います)。

 かといって、「人が倒れていたら助けなさい」とか大人は言うけれど、ホームレスは倒れてるのか寝てるのかよくわからないし、どう接していいかわからない部分があったんですよね。どこまでが善意になるのか。
 単にほっとけばいいのか、そうでないのか。ホームレス凍死とかもあると同時に、スーパーのカートを明らかに盗んできたホームレスはどうなのかとか、ゴミ置き場の物を再利用して使うのはよっぽどなんでもゴミにする人よりはいい人だとも思うし、しかしあの臭いはいただけないとか、「迷惑だから」という理由でシェルターを作る役所とかにお役所仕事を見たり、キリスト系の学校へ行ってる真面目そうな高校生が「炊出しとかするのが嫌」とか聞くとイラッとしたり、公務員になれば公務員の側の考えからしか彼らを見なくなる人がいたりとか、なんだか色々なことが頭に浮かび、結局「放っておく」という手段を取ってきたのですが、よくよく考えれば、世間一般の人が思う「自分から好きでホームレス生活をしている人はいいけど、仕方なしでなった人にはチャンスを上げたい」というような考えがあるのなら、これ買えばいいんだって単純に思えたりしちゃいました。

 ホームレスって集団で考えてるから面倒かつ無力(お役所仕事がそう)なんであって、そうやって接点を持っていくことで、偏見とかも消えていくことってあるからね。外国文化とかも結局はそうでしょ?

 実際、フツーに「一冊ちょうだい」って言えば、ホームレスのおっちゃんが、その辺の魚屋のおばちゃんと同じように接してくれるわけで、そう考えれば、こういう方が「マーケティング」という乱暴な表現を使えば「売りつける作法」にどっぷり浸かった都会にあって、「物を人から買う」という新鮮な機会をくれると考えれば、これは結構クセになるかもしれない。どうでもいい芸能ネタとかの話題なんかする必要ないし、何よりあの手この手の「宣伝」に頭の中を占有されることがなくなる。つまりそれは、無駄が無くなる・・・・・これがロハスじゃねーのかと思ったりするけどナイショだ。

 ホラ、それに、「臭いホームレスだけはダメだ。五感を刺激するのは犯罪だ」と思う私や同じ考えの人がビッグイシューを買うためには、彼らも清潔にしようと心掛けるだろうしね。「支援」ってそういうことなんじゃないかな? 普通の、当たり前の感覚をもう一度身に付けて、仲間に入りたいって人たちを応援するってのは、いいことじゃないですかね。
 ビッグイシュー販売者(つまりホームレス)のインタビューが毎号掲載されているそうですが、この中で、販売者を卒業(つまり社会復帰)していった人とかがあるのがいいですね。これはネットでも見られますよ。きっと理解してもらいたいからでしょうね。
 それにしても、社会復帰できるってことは、想像以上に売るんでしょうねぇ。1冊140円(昔は110円)だから、アパート借りるなんて夢のまた夢だと思ったけど・・・・えっ売る人は月に1000冊以上も売るの?(つまり月収14万円) そりゃスゴイや。同情だけじゃそこまで売れないやね。

 

 300円、払う価値があるかどうかってのはまぁ、個人差があるでしょうけど、そういうので二の足を踏む人がいるから、(本部が)表紙に有名人を持ってくるんでしょうね。こういう支援に理解のあるアメリカ・西海岸系の有名人(たぶん)が多いですから。最近は日本人も増えましたね。ガンダムのシャアが表紙の回もあったらしい(インタビューは富野監督)。ちなみにこれはまだ売れ残ってるそうです・・・・。

 何したっけ?

 なんかあったような気もするけど、忘れてるってことは大したことじゃないってことだろう。そうそう、録画しておいたNHKプロフェッショナル茂木健一郎のスペシャルを見ましたね、超勉強法みたいな。

 個人的には(実行しているかどうかは別として)別段珍しいことでもなかったと思うのは歳を取ったからかもしれませんが(滝汗)、こういうのを客観的に再確認とかできたりしたのはよかったですね。

 なんで仕事してるときは集中できるのに家帰ってくると集中できないのかとか。

 私の場合、コンタクトをはめる/はずすって行為が戦闘モードの切り替えなので、家帰って「目のために」コンタクトを外して、アイピローで目を休ませながらマッサージ器に乗る→寝てしまうという、完全にオフモードになってしまうのもムリはないと気づいたわけですよ。

 今度から風呂入るまでコンタクト外さないでおこう・・・・んで目が疲れたとか言うんだよね、きっと。

 愛知県は豊田市にある鞍ヶ池公園に行って参りましたよ、家族で。

 私、全然知らなくて、はじめ「池しかないとこ行くのか」と大変失礼なことを思ったんですが、今けっこう人気な場所なんですってね、ここ。東海ウォーカーとかによく載ってる?ファミリーに人気スポットなんですって。

 東海環状自動車道の鞍ヶ池公園PAと繋がった、ハイウェイオアシスでもある公園なんですよね。芝生公園や室内遊具、植物園や動物園、牧場まであるんですよね。すべて大きくはないですけど、全部がまとまってる場所ということで、一粒で二度三度四度五度六度・・・・・・・と言ってみたけどオチが浮かばず、今日はこれぐらいにしておこうか。甥っ子の相手で疲れたし。

鞍ヶ池公園

この記事のURL [日記] タントカスタム

 子供の日でしたね。
 物凄く無関心ですが、気持ちは子供ですよ(どういう問題だ)。

 そういえば、実家の車が新しくなりました。今まで乗ってた車は平成元年製(笑)の、スバル・ディアスという軽自動車ですが・・・・・ハッ!しまった別れの写真を撮っていない!

 この車、当時小学生だった私の好みで、今となっては貴重なサンルーフがついた車なんですよね。当時はそういうオプションをつけられる軽がたくさんありましたが、今は・・・・なんでないんだろ?? やっぱバブルじゃないから? それとも、エアコンが標準装備になったから?(汗)

 そうなんですよぉ、今度の車はエアコンが装備されてるということで、今までなかったのかよ!?とつっこまれそうですがなかった、大変地球に優しい車と別れて、キーレス・イモビ・パワステ(笑)・エアコン(笑)・ABS・エアバッグ・電動スライドドア・ミラーウィンカー・CVT・・・・搭載の最新式の車になってしまったわけですよ。ああ、ちょっと罪悪感。でも、これが世の中なのよね。

タント
 ダイハツ・タントカスタムです。
 しかし、今までの車がMT車だったこともあり、物凄く機械臭い動きをしていたのに対して、なんというか、電子装備で包まれた車という、今時では珍しくない車ですが、こんなの乗ってたら、簡単に事故起こせるよなぁとか思ってしまう。いやまぁ、そういうのを防ぐための最新電子装備なんですけど(汗)。でも、簡単に運転できるって、怖いよね。車って簡単に人を殺せる道具だから。皮肉なんだけどね、安全のための装置が・・・・ってのは基本的に人間信じてない考え方か・・・・・。

 まぁ、私の車じゃないんですけどね。

この記事のURL [トリミングの日々] 死んでからの心配は・・・

以前、新風舎名古屋があった所に、「現代仏壇 memoria」という、謎のお店が出来ていました。

メモリア名古屋
 まぁ、謎というのは大げさですけど、ようは、昔ながらの仏壇はデカくてデザイン的に「イケてない」ということで、現代のニーズにマッチした仏壇を提供するお店・・・・じゃないかな、と。入ってないので推測でしかないのだが。
 デザイン墓石とかを売ってる店とかは見たけど、こんな大看板掲げてるところは初めて見たなぁ。

 調べたところ、全国各地にこのお店があるらしく、ここは中部地方初の直営店なんだそうな。

 輪島塗の位牌を作ったり、本尊(仏像や仏絵)を置かない仏壇を作ったりしてるところを見ると、先程のような理由だけじゃなくて、「現代における仏壇」に沿う形で生まれたものといえるのかもしれない。
 それにしても、本尊を置かないのに「仏」檀っていいのかな・・・・・霊檀とかの方がよかった気もするが、世間一般のイメージである「仏壇」に沿うからってことなんだろうけど、それじゃ「ニーズ」って感じがするのは私だけか? ・・・・・どうもこの会社(八木研)は「ニーズ」と「ウォンツ」を大事にしてるからそれでいいのか。別に仏像をつけることもできるみたいだし。

 それにしても・・・・・最近の個性的な墓石もそうだけど、一個人が、その故人の思いを具現化したインテリア性の強い特別なモノを、故人と直接関係ある人はいいんだけど、その関係者達が亡くなったときはどうなるんだろうね?ゴミだろ
 ルールが決まってるがゆえにデザインが画一化した一つの仏壇や墓で家族全員を入れることが出来た時代ってのは、個より集団を優先してきた時代の名残なんだろうけど、それが変わるってことは、ゴミが増える後々禍根を生むこともあるような気がする。いやまぁ、今までのものでも禍根を生むだろうからこうなってるんだろうけど。

 えっ、なに? どうせ戦争が起きて灰になるって?

 そういわれてみれば、位牌とか仏壇ってどうしてるんだろう? やっぱ廃棄物だろうか? ・・・・・・自然葬が流行ってる理由もわかる気がする。逆にデザイン仏具が生まれる理由も。

 仏教も、「日本仏教」とは別の、本来のブッダの教えそのものに対する理解も最近は進んできてるわけだし、そもそも仏教に触れることもなくなってる人が多いわけだし、こういうのも当然のことと言えば当然のことなんだろうけど、昔、水害でメチャメチャになった家の掃除のボランティアをしたときに、旦那さんが入っているであろう仏壇を引っぱり出してきたら、おばあさんが何も言わず手を合わせていたようなシーンがこういう仏壇だと期待できないような気もする。神聖性がないというかね。

 なんでも自分好みにするってことは、贅沢かもしれないけど、不幸かもしれないやね。「気持ちが大事」って言うけど、個人の気持ちだけ大事にすることがいいこととは限らないんじゃないかなぁ、という気もします。絶対に個人だけでは太刀打ちできないような神聖性も大事にしなきゃいけない時があるという気持ちは、人を大きくしますからね。

 んなこといって、今までの墓石とか仏壇だって神聖性をもって商売してる所ばっかじゃないから、形がアレだとか本尊がないとか、別段、問題ないって言えば問題ないよね。坊さんだって念仏間違えてもスルーしたりとかすることもあるわけだし。良い悪いは別としてね。

 

 自然葬でも同じなんだけど、一つだけ確実に言えるのは、人って、「媒介」が必要なんだろうね。故人を偲ぶための道具が。それがわかっていれば、現代仏壇でも故人の好みを優先したりすることで生まれる神聖性ってのもあるんじゃないかと思ったりします。とりあえず、「自分」の好みで選ぶ仏壇や墓石ってのは、他の人からしたら「ネタ」にしかならないものだと思うのでお気をつけを〜。

ミヒャエル・エンデの墓
 ちなみに写真ですが、ドイツにある、ファンタジー作家ミヒャエル・エンデの本型をした雪に埋もれた墓です。左下の方に見えるのは、『モモ』に登場する、亀甲で言葉を発するカメ、カシオペイア。その背中には劇中と同様、「怖がらないで」と書かれている。

 でもみんな、こんな特別なことってないからなぁ。こういうもんかなぁ。

 今日のオーラの泉は小室哲哉でしたね。

 それにしても老けたなぁ、小室も。もう・・・・50か!!

 50!!

 そりゃぁ老けるわ、さすがに。小学生の時分から聴いている私がもう・・・なんだから、そりゃそうだよなぁ。

 さて、そんな小室先生ですが、今年の正月に「初めて餅つきをする機会に恵まれ、餅が出来るプロセスを理解した」と、現代の申し子として、また、美輪明宏には「声の倍音が凄い」とか江原啓之には「BPMがいつも同じ」という表現を使い、世紀の音楽オタクとして、存分にそのキャラクターを発揮。ちなみに音楽を独学で学んだ小室はオタマジャクシ(♪)楽譜が読めないらしく、一応バンドマンの国分太一がガッツポーズをしていました。

 小室にスピリチュアルが関係あるのかと思いの方も多いと思いますが、美輪曰く、霊感があるのに突き詰めてないだけで本質は「江原と同じような人」ということで、江原が共感して笑いまくるシーンが何度もありました。「移住はダメですよ小室さん」、とかね。

 ・・・ということで、ランの館行ってきましたよ。え?なんでって?

 いや、ランの館10周年記念と言うことで無料だったんですよね、通常700円の入館料が。

 ランの館ってのは、昔私が子ども時分に遊んでいた公園をぶっつぶして作った公共施設なんですが(物凄い悪意のある書き方)、結構人気なんですよね。近所にあるけどまったく行ったことないのは以上のような理由からで、誰が高い金払って行くかよ、ランなんか興味ねーよとまぁ、その辺のヤンキーよりもタチの悪い理由でして、もちろんそれは冗談なんですけど、さして言えば「行く理由もないかな」と思い縁遠い生活を送っていたのですが、仕事で近くを通ったときに見た「本日限り無料」という言葉に踊らされてだね、「これは是非行かねば!」ということで行くことにしたわけですよ。

 ・・・・・ああ、また前置き長い。

 実は、仕事で激疲れて、すっかりそのことを忘れてて、早く帰って風呂入って寝ようと思っていたのですけど、また帰り道に「本日限り無料」の看板を見つけてしまい、疲れた体を圧してランの館に行ってきたわけですよ。

ランの館
 ああ、芸のない都会の中でホッとする庭園だな。

 なんだろなぁ、結構なお値段するので、もうちょっといい物を期待したんだけど、ちょっと残念だったな。欧米圏にあるガーデンやハーバーの、「ゆとりを感じられる空間」としての庭園としては力が足りない気がした。場所が日本だからということではなく、何か、物足りないよね。役所が作っただけの庭園っぽくて、そこにメンタルなものがあまり感じられないからというのは言い過ぎだろうけど、有料でない公園との違いが「よく手入れされている」以外に見えなかったなぁ。
 まぁ、慣れればボーッとできるのかもしれないけど。

 ランの館は10年
 庭園の方は別段凄いなぁというのはなかったのですが、建物の中は凝ってましたねぇ。植物の並べ方が凄いとかそういうのはなかったですが、こんな感じに祝福モード全開というのは大げさですが、結構リキ入ってましたね。ちなみにこの人形は紙をしわくちゃにしてある紙人形です。紙のシワがシャツのシワや髪の凹凸を表しててよかったですね。

ラン・・・・だよね?ちょっと見にくいかな?
 あと、ランメインの企画展示もいい作品が多かったですね。何を持っていい作品とするのかは人それぞれでしょうけど、なかなかその辺ではお目にかかれないような作品という意味で、これは好きな人はお金を払って見る価値あるんじゃないかなぁ、という気がしました。

 でも、若い人が来ない理由がなんとなくわかる気がするランの館でした。それでいいならいいんですけどね。10周年があって今後どうなるのでしょうかね。今までの延長か、それとも発展を試みるのか、何かしらの変革をしなきゃ発展は難しい気がしました。タダ見のくせに偉そうで恐縮ですが。

この記事のURL [スポット&グルメレビュー] アミーゴスペシャルバーガー

 職場の人たちとナゴヤドームは中日×横浜戦に行ってきました。

 ・・・・・ちっとも点が入らない展開だねということで、みんなが行くというので一緒にご飯を買いに行った瞬間にウッズのホームランが出て、慌てて買って帰ってきて、食べようと思ったらタイムリーで点が入って、「ああ、やっぱり席を立つと試合が動く法則だなぁ」と実感しながら、なんで私が試合中に席をほとんど立たないか思い出した。

 子供の頃同じような経験したんだよな。

 で、貧乏性で諦めの悪い性格してるから、「あんな思いはもうごめんだ」と、座席の上にも三年とばかりに動かなくなった・・・・・・のだろうか? 単にドームのメシが高くてマズイからかもしれない。

 さてそんなドームメシですが、最近は美味しくなってきたよと評判なので、思いきって、「数量限定、アミーゴスペシャルバーガー」という名前だけではさっぱりわからないハンバーガーを買ってみました。

アミーゴスペシャルバーガー!
 で、デカイッ!!

 説明によると、肉厚のジューシーなデミグラスソース(だったか?)ハンバーグと目玉焼きのコンビネーションが絶妙の、数量限定アミーゴ(店の名前)自慢のハンバーガー(若干著者による誇張有り)ということで、そんなに自信があるなら食ってやろうかと思ったんですが、これがうまいじ