文は人なり

"The style is the man."――文は書くものじゃない、書こうとしたものが文になるのだ

 微熱によるだるさと思考回路の停止は、暑くなればなるほどヒドイ。

 やっと給料が入ったので鍼を打たれに行きましたが、なんつーか、あれですね。いろいろやってるけれど、原因はわかってきたけれども、やっぱり特効薬はありませんなぁ。

 それなのに、不思議なことに、分別もあるはずの大人たちほど、この「特効薬」にひかれることが、世の中にはたくさんあることに気づく。

 まるで特効薬のような総理大臣が現われたとマンセーしたり、健康に特効薬となる食品が出たから買わなきゃとバスに乗って謎の集会所に集合したり、CO2削減はこんなに方策があるんだよと言う言葉を信じてみたり・・・・・こういうのは主に(真面目な)大学生が反発することですよね「大人はアホじゃないか?」と。

 それなのに、歳を取っていれば摂っているほど、特効薬なんて今までお目にかかったことないのだから期待しなきゃいいのに、期待することってあるのはなんででしょう?

 オトナになってしまうことで安心する注意力の欠乏でしょうか? それとも、オトナぶることで隠していたけれど心のどこかでは理想が実現されることを望んでいるからでしょうか?

 

 どちらにしろ、人間、特効薬を期待する時ってのは、特効薬でもなきゃ改善しないだろうと諦めている時なのかもしれませんね。そしてそれは、自分が原因であるという事実の「隠れ蓑」なのかもしれません。