死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2009.10.31 23:54

 ・・・・さて、昨日、重い重い言ってた電動アシスト自転車(8年物)ですが、今日、なんとか乗って帰ってきましたよ。

 なんつーかね、話によるとエコモードで10km走ればいいとこぐらいしかバッテリーがもたないらしいので、スピードが乗ったら電源オフにしたり、こまめなことをやっていたんですよ。なんでって、ゴール手前が一番坂ですからね。坂というか山ですから。セーブしておかないと。

 とはいえ、仕事の帰りというのもあり、重い自転車、やっぱ疲れてきますよね。なのでついついエコモードをオフにせず走るようになっちゃうんですよね。バッテリーランプがまだ3つついてるからってことで。

 でも、ニッカド電池はなくなり始めたらあっという間にスッカラカンになることがあるので、油断は禁物。おっと、やっと坂の手前に近づいてきたじゃないか、このペースならひょっとしたら行けるか?

 なんて思ってたら、バッテリーランプが2の状態になる。いやぁ、こうなったらなくなるの早いぞきっと。しかも、急な坂が登場するし。

 ああ、もう少しだからもってくれもってくれ・・・・そう願っているわけですよ。なぜなら、いつも通る高低差のある道を走るバスの方の道じゃなく、平らな道を選んできましたからね。とはいえ結局山を登らないといけないので、越す山が少なくて済むってだけなんですけど、これがねぇその分、急になるわけ。やっぱり、運命でしょうかね?(←大げさだな)

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2009.10.30 23:54

 えっと、実家から使わなくなった電動アシスト自転車(8年ぐらい前のやつ)をもらって乗ってみたんですけど、今のと比べて、かなり重たいですね。重たいのは知っていましたが、比べてみるとゾッとするほど違う。

 しかも最近のやつは、バッテリーの大きさが一昔前の半分ぐらいのやつなんかもあったりするし、ブレーキを掛けると充電したりするやつもあります。

 まぁ、そんな中で、昔のアシスト自転車ですよ。どれぐらい昔かって、バッテリーがニッカド充電池ですからね。Ni-Cdですよ?

 最近、充電池といえばたいがいは、単三電池でお馴染みの「ニッケル水素」か、携帯電話でお馴染みの「リチウムイオン」電池ばかりですが、もう、ミニ四駆世代にはたまらない、ニッカド電池ですよ(←どういう意味だ)。

 とにかく、電池が重い。びっくりするぐらい重い。

 そういえば昔の携帯電話も重かった。まぁ、重いだけならいいんですけど、ニッカド電池は継ぎ足し充電すると痛んでくるっていう、実用的な面ではかなり欠点があるんですよね。パワーはあるんですけど、実際にそのパワーは最初だけってことも多かったりする。
 この、もらったアシスト自転車のバッテリーも、実は3個目という・・・・。

 なので、最近は継ぎ足し充電に強いリチウムイオン電池が多いんですけどね、何事にも。マキタのハンディクリーナーもとうとうリチウムイオン電池になりましたしね。でも、ホントに、リチウムイオン電池の工具とか、ニッカドに比べると、使いやすいですもんね。軽いし、使えるし。

 でまぁ、なにが言いたいかというと、そんな、電池も弱ってきている古いタイプのアシスト自転車をもらってどうするんだろ? って今さら我に返っているしだいであります。だって、今のにくらべたら、全然こぎ出しが軽くないもの。

 アシスト自転車に乗ったことのない方は「坂道じゃなきゃいらないでしょ」なんて思ってたりするでしょうが、アシスト自転車のいいところは、「こぎ出し」の快適さです。まったく力がいりませんし、一番早いギアにしても、軽やかにこぎ出せるんですよね。その魅力に取り憑かれると、手放したくないほど。

 ・・・・・というのを知っているだけに、先祖返りみたいなものを、ホントに乗るんか不明です・・・・。でも、引っ越してきたところは坂道ばっかのところだから、とりあえずあると便利かなと。でも、いざ使う段になったら、電池が空っぽってこともあるかもね。ニッカドだけに。

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2009.10.28 23:46

 先日、『深イイ話』で、大関・日馬富士が、「衣食が足りたらあとは人のために尽くしなさい」という、亡くなったお父さんの言葉を実践して、病院の子供たちの援助をしているとかいう話が出ていた。そのエピソードを聞いて、ある「ことわざ」を思い出した。

「衣食足りて礼節を知る(栄辱を知る)」

 日馬富士はご存じのない方もおられるかもしれないがモンゴル人である。当然そのお父さんもモンゴル人で、でも、その人が、われわれにも馴染みのあることわざと同じようなことを言ったわけだ。まぁ、ことわざのたいがいは中国から来てるので、モンゴルに行っていてもおかしくはないからあれなのだけれど、たしかになぁ、と思ったのだ。

 昨今ではこんなのは「死語」だとされるかもしれないが、だが逆説的に考えて、衣食足りたのに礼節が生まれないとするならば、まだまだ人の欲求は満たされない、ということかもしれない。衣食が足りてるのに、まだ、もっと、ハケンなんて死ねばいい・・・・なんて言葉もあったり。

 

 「足を知る/足(た)るを知る」という言葉がある。

 あれもこれもとほしがったらキリがないので、わきまえるのも大事なことだぞ、という意味である。つまり、人間は、自分で「足りた」「満足した」と思わない限り、納得しない限り、「足りる」という精神状態にならないのである。

 あれもほしい、これもしたい、もっともっと・・・・・そう思うのが成長のエネルギーとされてきたけれども、あくなき成長が絶対正であるという「押しつけ」がまかり通ることもある。実際、中身はなにも成長していないのに、表面的な成長だけを見て、成功した!と思ったり。だからこそ、今までガマンしてきたことをやらせろ!的に思うこともあるだろう。

 しかし、そういう人に限って、自分自身に満足はしていないものだ。もっと、もっと・・・・と何かを欲しがっている。特に、金や物でそれを満たそうとしたり、地位や名誉に走ることもあるだろう。

 私は天国と地獄を信じているわけでもないが、死んでしまったら、金や物や地位や名誉など、何も残らない。残ると思っている人はおめでたい。残らないと思っているからこそ、自分の墓にかけられるだけ金をかけるのかもしれない。自分が死んだら子供たちが金を奪いあうことを知っているから。

 人はいつ死ぬかわからないものだ。

 だからこそ、その時その時で、分をわきまえた行動をすることを、忘れてはならない。

 「成功して立派になりたい」

 そう思ってる最中に、人は死ぬこともある。そして「成功」に目が行きすぎて、ダーティーな生活をしていることすらある。そんな時に死ぬことだって、あるのだ。その場合、その人の評価はどうなるだろうか? 「日本を救うと言ってたけれど、単なるチンピラだった」なんてこともあるだろう。

 だから、どんな時でも、礼節を忘れてはいけないのだろう。

 

 だけど、「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるということは、生きることさえままならなかったからこそ、生まれたのだろう。そんな時人は、礼節なんて二の次になるから。それはそれで、ある部分仕方がないことなのだ。生きていくことが優先されるのは、ごく自然なことである。

 「昔は良かった」とかいう言葉も、衣食が足りていたからだ。けっして、おなかが一杯になることが「足る」ことではなく、みんながそれで楽しく暮らせているからこそ、多少お腹が空いてもその現状に対して「足る」状態だったのだろう。

 戦後直後などは、そんな綺麗事はなかったはずだ。親を亡くした子供たちが、何も満足を得られないから盗みをはたらいたように。その時は、「足る」とは言えない。江戸時代の飢饉を見ても「江戸時代は良かった」と、本気で言えるだろうか?

 そして現代も、コンビニに行けば「これを買おう」と勧める雑誌が並ぶ・・・・「まだ足らんだろ?」とでも言わんばかりに。

 「昭和」に対してどこかホッとするのはきっと、今から見たら貧乏に違いないが、そこで「衣食」が「足りて」いたからだろう。無地のタンクトップを着ていた小学生たちがたくさんいたように。みんなが貧乏ならば、それでも笑って暮らせるならば、満足できたから。

 自分の周りを見て、今現状に「足らない」ものはどれぐらいあるだろうか?

 そして、その「足らないもの」について思い悩むことが、一体どれぐらいあるだろう? 「足を知る」というのも、楽に生きるための一つの知恵なのかもしれない。そして、「足りた」ということを実感したら、他者に目を向けるやさしさをもってもいいんじゃないだろうか? ・・・なんて、言ってる自分はどうなんだろうね?

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2009.10.25 23:10

 不要品をオークションして・・・と考えてはや2か月ぐらい経ちましたが、やっと準備に取りかかりましたよ。遅いですよ。

 でも、認証とやらに時間がかかるそうな・・・・えええ?

 ということに今頃気づいて、でも実際すぐできたとしても写真とか撮っていなかったりするので、今日は写真撮りましたよ。太陽が沈んだので全部撮れませんでしたけど。

 ・・・・・行き当たりばったりだなぁ。

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2009.10.22 23:47

 う~ん、書くネタがない。

 名古屋城の外堀
 どうです?

 最近流行りの、じっと見てればどこかが変わってるってアレじゃないですよ?

 すごく緑でしょ? 宮崎アニメかと思うぐらい。

 もう、一体ここはどこなんだと思うぐらい。

 さぁ、どこなんでしょう?

 

 

 こたえは・・・・・

 名古屋城の外堀でした!

 えっ、オチは? ないですよ。最近、「名古屋開府四百年」で盛り上げようとしている名古屋市ですが、外堀は掘りであることを誰も気づかないような状況だった・・・・ってだけの話です。人間、都合のいい部分だけみるものです。

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2009.10.18 23:59

 今日は、一日中、『Lの世界』シーズン3(5じゃないよ)を観てましたよ。なにしてんのと言われそうですが。

 なんつーかあれですよね。「愛」ってなんなのかっていうのを女性同士の関係で悩む彼女たちの姿を観ていてとりあえずわかるのは、愛っていうものはやっぱ、愛だなと感じるときはあるけれども、それはきっと愛というのが、「関係」ではなくて「状態」を表わす言葉なのかもしれないということですかね。

 だから、「そこ」にこだわると関係が壊れてしまうと。でも、形のないものだからこそ、そういうところに目が行ってしまう。それを避けるために、結婚っていう「形」を人間は発明したのだろうか?

 一般に「男女」ではないゲイには必要ないと思われる結婚を、必要としている姿を見ると、それでまた問題が大きくなってる姿を見ると、「道具」や「形」に支配されるといけないって思ったりもする。

 とはいえ、現実に生きるってことは、そういったものと折り合いをつけていくことでもあるんだし、逆に、そういった折り合いをつけずに「愛」にまっしぐらな姿が文学的って捉えられるのも、わかる気はする。

 大事なのはバランスと言うけれど、自分の納得のいく生き方をするバランスって、結構むずかしいのかもね。いや、それが答えとして出てるなら、宗教はあんなにないだろうし、ドラマもできないだろう。

 そういう意味で、それを楽しんで見ているだけって生き方のほうが、実はしたたかなのかもしれないね。それが、オバハンなんかもしれんけども。もちろん、そんな人が愛されるってことはないけどね。

 とりあえず、必死な人の方が、誰かには愛される。それだけは言えるのかもしれない。そういう意味で、「愛されたい」って思ってる人は、何かに一生懸命になった方がいいかもしれないですね。きっとどこかで誰かが愛してくれるはず。もっとも、それが、自分の望む「愛し方」と同じとは限らないけれどね。

 だからみんな悩むんだろ!って言われそうだな。

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2009.10.17 23:48

 今日はソフトボール大会でした。

 朝、雨が降ってきたのでないかなと思ったら、中止の連絡もないし、気がついたら(いつものように)出発予定時間をオーバーし、車で出発。ネットで検索したところ、到着まで1時間ぐらいかかるそうなのだが、土曜の朝だからもうちょっと早く行けるだろうと思っていたわけ。だから、のんびりしてたんですよね。

 でも実際は、混んでないだろうと思ったら、意外と普通に車がいる!

 ・・・・・なぜ??

 私の常識で行くと、土曜の朝ってのは、車が少ないもんだと・・・う~ん、なぜだろう?

 と思いながら、「まぁ、今日はこういうもんかもな」と決めた幹線道を真っ直ぐ走っていて、いっこうに空かないので、イライラしながらも、なんとか目的地に近づいてきたなって段階になって、ハッて気がついたことがあるんです。

 私の「土曜の朝は道が空いてる」って「常識」は、前住んでいた都心での考え方であって、都心から離れた現在の場所と各地を繋ぐ幹線道は、平日よりは空いてるけど、混んでるのには違いないんですよね。

 なんてことだぁ・・・・と思ったけれども、それはもう手遅れ。

 かくして、出発予定時間から15分遅れた分だけ到着時間も遅れてしまった、というわけです。・・・・なのに、他の人も集合してなかったってどういうことよ? やる気ないなぁ・・・って思ってたのになぜか試合に勝っちゃって、予想外の第二試合がありました。そこはコールド負けでしたけど・・・・。

 人生って、いろいろです(←おおげさだな)。

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2009.10.16 23:51

 首いたっ。

 なんだかよくわからないが、気をつけて仕事をしていたつもりなのだが、家で本を読んでいたからなのかよくわからないが、大変肩こりがヒドイ。なにがひどいって「かたこり」を変換して一番目になぜか「KATAKORI」が出てきたことよりももっと、ヒドイ。・・・・・KATAKORIって世界語だったか? 私が検索したときに失敗しただけか?

 まぁ、それはさておき、相変わらず不健康ですね。合気道はじめて、運動するぞって時に指の捻挫で思うように歩けなくなるし、そうなると全体的な運動量も減って、またぐうたらな生活に逆戻り。

 そろそろ足の調子も戻りつつあるとはいえ、まだ走るとか力を入れるとかができないので、朝日が降りそそぐようなさわやかなスポーツライフはまだまだ夢のまた夢です。

 なのに、まったく練習せずに、明日、ソフトボール大会があるっていうんですけど、これじゃ筋肉痛決定だね。筋肉痛だけで済めばよいけど・・・・

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2009.10.13 23:59

 先日紹介した、『硫黄島からの手紙』で録画したやつをですね、DVD化してみたんですよ。

 とはいえ、アクオスレコーダーにCMカット機能がついてるわけではないのですが、試しに、手動でCMカットをしてみました。どうやって? 本編を観ているときにCMの入る時間をメモって・・・・・みたいな。まぁ、めんどくさいですね、ホントに。しかも、繋いだところを再生してみると一瞬停まるような感じだし、めんどくさいわりには満足度が低いのでもうやらないどこうと思いました。

 そんで、その作業をしている途中、「あれっ?」と思うことがありました。

 なにが「あれっ?」なのかというと、私は、テレビの中の小窓(編集画面)に若い日本兵がアップで写っているテレビの前にいるシーンを、どこかで見たことがあるのだ。いや、どこかというか、夢の中で見たのだ。まったく同じシーンを。まったく同じ、(二ノ宮演じる)日本兵の様子を。

 私はけっこう正夢を見る方なので、驚くことではないのだけれども、この夢を見て目が覚めたあとに「なんだありゃ? あんな無意味な夢をなぜ? まぁ、あんな光景(大型液晶テレビの小窓を通じてテレビを見る)にお目にかかることはないだろ」と思って忘れていただけに、「うわぁ!」と思ったわけだ。まさか、実際に、こんなへんてこりんなシチュエーションが再現されるとは。

 しかもご丁寧に、小窓の位置、大きさ、それを囲む編集画面の色もそっくりそのままで、映し出されている映像の色合いも、あの映画独特の色だっただけに、よくよく考えれば「特別」起こりそうなことにも思えなくもないのだが、当時の私は「これはない!」と思っていたのに。

 だから? ・・・・と言われたら何も言うことはないのだが。

 実は、毎度のことなのだが、私の正夢は正夢というよりこういった断片的なものなので、予知夢なんてしゃれたものではなく既視感(デジャヴ)と言った方がいいのかもしれないが、一体なんの意味があるのか、今日感じたことからしても、よくわからない。

 しかも毎回、どうでもいいような光景ばかりなので、ますますわからない。ホントに、役に立たない能力である。いるかいらないかと言われたら、まぁ、あってもいいかなとは思うけれども(ネタに困らないから)。

 人が予知夢を見る意味というのは結局分からないんですが、ただ一つ言えるのは、私を待ち受ける運命ってのが、やっぱりある程度最初から決まっている、ということなのかもしれない。

 でも、毎回言うんだけど、うり坊(イノシシの子ども)が勢いもつけず10メートルも垂直に「上昇」する夢だけは、実現しないだろうなぁ。

 イヤ待てよ? そのうちVISAのリボ払いのCM(中山エミリとウリボーが出るやつ)とかで出てくるかもしれないし、TEIJINが特殊な技術で実現化しちゃうかもしれないね! ・・・・それこそ、なんの意味があるかさっぱりわからないが。

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2009.10.12 23:59
 以前、DVDレコーダーに録画しておいた、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』を観ましたよ。

 かなり考え込んで作ってある映画ですね。

 見ている「どちらサイド」の人間にも、均等に感情のしこりを残さないようにしたりしてあったりとか。いかにも、「映画」というものの酸いも甘いも知っている人が作成したというのがよくわかります。たしかに、黒澤明ならもっといいものが出来たかもしれませんが、こういう映画を今の日本人が作れないというのも、よくわかります。「人間」と「人生」へのアプローチが必要ですからね、こういう風に作るには。

 ああしてやろう、こうしてもらおうというような、「下心」があっては書けないストーリーですので、表現者であると思ってる人は一度見てみるとよいと思います。「表現」のお手本だと思うので。
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2009.10.11 23:36

 結婚式の二次会の帰り道、ふと、いい男/いい女の基準として、「目の色」があるんじゃないか? と、ふと思ったりしました。

 なぜそんなことを思ったかというのは、別に新郎新婦がそうじゃないとかそういうことではなくて、結婚というものを考えてみると、こうやって祝福されて頑張りますと誓ったのに結局ダメでした的なものが多いのが現実なわけじゃないのか?と思えたからだ。

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2009.10.10 23:59

 テレビで、フジテレビのバラエティを振り返るめちゃイケのスペシャルをやっておりましたね。あ、その前に『Lの世界』シーズン3(やっとレンタル100円になったので)を見てました。あ、キリンカップも最後だけ見てました。順序はよくわかりませんが、だいたいエッセンスはつかんだのでよしとしましょう。

 そういえばSPORTS COMMUNICATIONSで、サッカーの中田英寿についてソクラテスが語っているのがありました。その中で、「日本人は早く動けるが、考える速度が遅いので、結果として速くない」みたいなことが語られていましたが、今回の日本代表を見ていても「あ、考えたな」というプレーの瞬間が多々見られましたね。

 えっ、気のせい? 気のせいかもしれないけれど、やっぱ、なんか、「美しくない」と感じてしまうんですよね。プレーの流れが。素人が見ても。いや、素人だからよけいそう見えてしまうと言おうか。その裏の苦労なんてのに想いを馳せませんからね。

 日本代表の試合を見ていつも思うんだけど、「勝たなきゃいけない」って考えすぎてサッカーの「魅力」みたいなものを体現できてない感じですよね。まぁ、日本代表に限らず代表ってプレッシャーがかかるからわかるけども。

 でも、そういうものを超越してこそ、観てる人が感動するんだろうから、人間社会ってシビアなんだよねぇ。いや、そこにこそ、ドラマが生まれるのかもしれないけどね。フツーじゃ、ドラマにならないですもんね。

 で、話は最初に戻るんですが、昔のバラエティはよかった~みたいな感じで昔のバラエティを振り返っていた『めちゃめちゃおぼえてる』でしたが、最近の、腹の底から笑えないのはなぜか? みたいなのを語り合ってもいましたね。
 外からの圧力が・・・みたいなのも言ってましたが、個人的には、テレビという「モノ」を、作り手も受け手も、心から楽しんでないからじゃないのかな、とか思えてきました。なんというか、プレー中に考えてしまう日本代表のごとく、あれやこれや考えすぎて、破壊力に欠けるというか。

 今の時代、みんなある意味賢くなりすぎて、こうしたらこうなるだろう的なものに縛られて、自分の本能とか感覚に従うってことをしなくなった気がします。よい子病とでも言いましょうか。たとえば教師でも、教育のために命をかけるというよりも、マスコミが叩くから、問題を起こさないように的な訓戒にしばられたような空気がある気もします。

 しかし、そういうのを見てると、なんか、元気がなくなってくるんですよね。

 たぶん、そこに一種の閉塞感があるからでしょう。「こうしてはいけない」という形を設けると、それを突き破るエネルギーがないかぎり、どうしてもその形にあてはめようと小手先になるから。形なんてどうでもいいはずなのに、いつしか形のほうが大事だとされる空気に歩調を合わせてしまう・・・・「仏作って魂入れず」なんて死語なんでしょうか?

 もっと、本能のおもむくままに行動できないもんでしょうかね?

 

 ま、そうできてない典型的な私が言うのもなんですけど、今の世代の人間は明らかに、理性に縛られて感情を軽視しがちな気もします。感情のおもむくままに生きている人たちはいるにはいますけど、そういう、いつの時代でもいるような人とは別の話でね。

 教育水準が上がれば上がるほど人は幸せになれる「ハズ」だったけれども、現実はひきこもりとか鬱病になっちゃう人が増えたりと、なかなか思うようにならないものですね。

 「人間」の中にある、動物的なモノというか、感覚的なモノ? そういうものをもっと大事にした方がいい気もします。だって、人はロボットじゃないですからね。理性のために性欲がなくなってセックスレスになって集団自殺するよりは、理性のタガをはずして『Lの世界』のように「してみたい」本能のままにセックスをする方が平和的ではある気がします。

 だって、人が生きている以上、「理性」とは意地でもつき合わなきゃいけないんだから。ときにはそれを外さないとパンクしてしまいますよ。

 

 そういえば、ジャンプ最新号の『バクマン』でも、やる気溢れるはずの主人公たちに「何かが欠けてる」と、若干それを匂わすようなものを取り上げはじめました・・・・よね? 「面白い」話を作るけどなにかが足りない・・・と。誰よりも真剣にマンガに取り組んでいる主人公たちですが、何が足りないって・・・・遊び心かもね。

 遊び心がないと、融通が利かなくなるし、融通が利かなくなると、限界が訪れてしまう。それは、誰の人生にも言えることかもしれません。『Lの世界』でも、清く正しく生きている人が同性愛者に対する「偏見」を持つシーンが何回jも登場しますが、そういうのは最たる例かもしれませんね。

 それで、今のテレビにも、視聴者のせいとか、PTAのせいとか、スポンサーのせいとか、そういう言い訳をせずに、もっとテレビそのものを「楽しんで」番組作れば、さまざまなCM前の引っ張りテクニックを使わなくてもよかったのにね、と思います。真面目にやればやるほど、やり方がアコギになったりするのが人間ですからね。怖い怖い。

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2009.10.08 23:59

 朝、台風の具合を見るためにいつもより一時間早く起きる。

 風は強いものの、木が倒れるほどではないので、どうやら直撃中の直撃ではないね・・・・ということでテレビを見たりする。なるほど、職場の人は全員無事に行けそうだが、私が使う交通機関だけ止まってるらしい。まぁ、昨日の夜に「危なかったら慌てて来なくてもいいよ」という緊急連絡網があったことだし、のんびりと経過を見守ることにした。

 それにしても、雨はさほど多くないが、風が強い。風のせいで雨の降るラインが交差したりして、非常に奇妙な光景だった。

 ってなことを窓を開けてみていたら、どうも、ピチョンピチョンとどこかから音がするではないか。ヽ(。_゚)ノヘッ??

 音のするほうに行ってみるとそこは風呂場で、なんと、昨日洗って風呂場に干しておいた米びつの上に換気扇から水が垂れてるじゃないか! おかしいなぁ、築3年のコンクリートマンションで雨漏り? ということで管理会社を呼んだところ、横なぶりの雨のせいでダクトのフードの下から入り込んだせいではないのか? という言い訳がましい解答が。まぁ、これでまた水漏れがあったら言って下さいというので、換気扇カバーも取り付けられない人の言うことだが、とりあえず信じてみることにしよう。

 

 さて、天気も落ち着き、通常のラッシュ時間より一時間遅れたぐらいにやっと職場に行けるようになったということで近くのバス停に。しかし、Webサイトを見たら「遅れるかもしれません」なんて書いてあるので、時刻表上はあと2分でバスが来るようで数人待っているのだが、私は待っていても来ない気がして、それならと、本数の多いバス停の方へと歩みをすすめることにした。しかし、そんな計算もまったく無意味だったと気づくのは実に3分後で、定時に私が素通りしたバス停に停まったバスが、私の横をすり抜けて行ってしまった。なんてこった。

 どうも私の悪いクセで、単なる短気というよりも、ほかの人を出し抜いて自分だけいい目見てやろうと思ってるところがあって、数人と一緒に「一蓮托生」でバスを待ってりゃいいのに、そんな人たちが「バカ正直に」見えて、自分だけ早く行ける方法を選択した・・・というわけだ。

 でも世の中そんなに甘くなくて、そういう考えを持っている時ほど、思い通りにならない。バスは「まだ座れますよ」という余裕を残し、足の指を捻挫している私を置いてけぼりにして、さっさと次のバス停に。私はそこに追いつけない。

 悲しい気持ちになりながらも「後悔するより反省だ!」と、自分の性格の悪さを再確認しながら、仕方なく本数の多いバス停で待って・・・・いたんだけれども、これが、時間通りに来ない! しかも、やっと来たバスはすし詰め状態で、悲惨なことになっている。なんというか、乗る隙間がない。

 ああそうか、本数が多いということは利用者が多いということで、しかも、いつもラッシュまでに乗ってる人が全員そこに集中するわけで、こりゃ、自分がいかに軽率で無計画なのかを(毎度のごとくだが)思い知らされる結果となった。

 といいながらも、さっき反省したくせに、「急がば回れ」をせずに、その、すし詰めのばすにムリヤリ乗り込んでみた。ああ、やっぱ自己中なのかもねぇ。

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2009.10.07 22:21

 台風。直撃する感じですね、このままだと。

 職場であれやこれや「ほどほど」に対策をしてきたけれども、テレビで風速50m/sで倒れる木とかを見ていて「あれ? 想像以上にヤバイかも!?」と焦り気味です。まぁ、そうなったらもう、対策云々を通りこしてるとは思いますが。

 明日の出勤時間帯にちょうど重なるっぽいので、出勤すらできないのはまぁもどかしいけどもしかたない状況でしょうが、引っ越してきたこのマンションが、どれぐらい水に強いのか未知数なので、不安な夜を過す感じです。どうなんだろうねぇ、坂の途中のマンションって。大丈夫だとは思うんだけど・・・・・。

 というか、朝まで起きて見ていたい気も・・・・するんですけどね。どうせ明日仕事行けねーだろ、的な気分でね。でも、「万一」のことがあるからそれができないですよ、ねぇ。

 こんな天気だし、ゴミを出すのはやめとこかな。

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2009.10.05 00:03

 本屋に行くと思うことがあるのだが、まるで、「う○こを置いてるのか?」と問いたくなるような本もちらほら置いてありますよね。しかもそれが、「話題」とか「人気」とかいう理由で、売れるから目立つようにしてあったりする。

 もちろん、ここで言う「う●こみたいな本」というのは、ギャグ本とかそういうことではなく、自己顕示欲の顕れみたいなものとか、自説を理論武装して読者を納得「させよう」としている本のことなのだが、そんな本が当たり前のように、かつ、凄い本かのように置いてあるのはいかがなものかと思ったりするのである。

 まぁ、こんなことは今に始まったことじゃないと言えばそれまでだし、これこそ環境破壊だろと思ったりもするし(この件を友人は「パルプに謝れ!と言いたい」と言っていた)、止まらない流れなのは認めますが、にしてもねぇ、限度っつーかバランス?がほしいところですよね。

 そんな中、YouTubeにアップされていた『エチカの鏡』で、そういったよくある本屋とはまったく違う路線を行く本屋が紹介されていた。

 その本屋の名前は『読書のすすめ』という(有名らしい)本屋で、新刊やベストセラー本などをまったく平積みしないお店。しかもその店主は、自分が読んでいいと思った本だけを置いているらしく、そればかりか、お客の悩みなどをわざわざ聞いて(!)それに合った本を、簡単な説明とともに薦める・・・ということをしているらしい。それで、つけられた名前が「本のソムリエ」

 ・・・・・こういう店もあるんだなぁって、なんかホッとしましたね。

 逆に言うと、こういう風に置いてもらえるような本を書かなきゃ、ホントはダメなんですよね、物書きって。それを、「システム」や「流行」や「立場」に合わせて売れることで、自分はいい物書きだと勘違いしている人がどれだけ多いことやら!

 そういう意味で、本を書く人がこの本屋に行って、自分の小ささを知るってのも大事なことかもしれないなぁ・・・・。なんてね。ま、災い転じて福となすってことよね。小さな店は大きな店と同じやり方じゃダメだから。

 その、「読書のすすめ」の店主、清水克衛さんはそんなような本をいくつか出しているみたいですね

 以下、エチカの鏡内で店主が薦めた本です。どっかの図書館にはあります。図書館はえらい。えっ、みんな貸し出してる?・・・・テレビ効果こえー。

 
見返りを求める恋愛に 子供を叱ってしまう親に 前向きになれない人に 
夫婦関係に悩む人に
(一時絶版でした)

恋愛に悩む人に
(ビジネス書です)

仕事に悩む人に
(児童書です)



 先日紹介した、斎藤一人の弟子?でもあるみたいなのも、なんとなくうなづけます。基本的に「現状に文句を言っても仕方ないんだから、前向きに受け止めようよ」的なチョイスですよね。それだけが本の価値ではないですけれど、本の価値として大きな意味がありますよね。
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2009.10.03 23:58

 足の親指の捻挫をしてしまったんですよ。足ですよ、足。

 これがなんつーか超不便。医者に行ったら動かないように固定されちゃうもんだから歩きづらいし、かばって歩くからやたらと疲れるし・・・・。まぁ~とにかく、嫌なもんですね、ケガっつーのは。それなのに洗濯とかしなきゃいけない現実があるわけで、これはなかなか大変。

 そういえば、ここんとこそんな大きなケガとかしてなかったもんなぁ・・・。ケガって怖いね、みなさんも気をつけて。

 で、なんでこんなことになったかっつーと、先日、最近はじめたと言ったばかりの合気道教室の中で、子どもと鬼ごっこする時間があるんだけど、それでねぇ、なんつーか、もうねぇ、あれよ、本気になっちまったワケよ、子ども相手に。

 それで、思いっきりすり抜けようとダッシュかましたら目の前に来るもんだから、それを吹っ飛ばすわけにもいかず、よけるスペースもなく、がんばって踏ん張ろうとしたら足の指がぐにゃっと前のめりにつっこんじゃって・・・・・・

 子ども相手にムキになってしまうこともあかんのかもしれないけれども、これは結局私の足さばきがまったくなってないからこそ起こることなんだろうなぁと、「靴」でごまかしてきた足の弱さが身にしみた一件でした。

 達人は子ども相手でもケガしないもんね。

 ・・・・えっ、達人は子ども相手に本気にならない?

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