死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2011.06.30 05:46
 なにか、やりたいことがある人間は、まず、プロを目指す。

 代表的なのは、プロ野球選手(もしくはメジャーリーガー)を目指す高校球児というところか。

 しかし、実際にプロになれる人間はそのニーズと比較しておそろしいまでに限られている。
 たとえ、プロになれてもまったく活躍できずに消えていく人もいるのだから、プロで、なおかつ第一線で活躍する人は、本当に、限られた人間であり、スターなのだ。

 そういった意味では、プロとはつまり、その道をつきつめた人で、その世界での頂点であると言ってもいい。

 そうなれない人は、ある人は裏方としてその業界にたずさわり、ある人はアマチュアの世界で趣味としてつづけることもあるだろう。
 いつか再びプロを・・・と考える元プロも、その中にはいることだろう。

 その関係を

 プロフェッショナル>アマチュア

とするのはカンタンである。また、そうでなければ、数多くのアマがプロを目指すなんてことはしないだろう。

 だが、それですべてを表現できるかといったら、そんなことはない。

 プロの技術にアマチュアがかなうかと言ったら、それはかなり難しい。常にプレッシャーと闘いながら技術を磨かなければ生き抜いていけないプロの世界の住人と、必ずしもそれ一本では生きていけないアマチュアの住人とでは、訪れるチャンスも、得られるものも、質、量ともにケタ違いなのだ。

 しかしそれでも、アマチュアがプロに勝つなんてことが実際にはある。

 たとえば、サッカーの天皇杯では、プロに限らず学生も参加するが、ときにプロに勝つこともある。

 だから、常に、

 プロ>アマ

という関係が成立するワケではないが、だが、その関係を否定するものでもない。時にアマチュアがプロを上回ることだってある。プロだって人間、アマチュアだって人間だからだ。


 「プロ野球は好きじゃないけど、高校野球は好き」という人はけっこういて、とくに女性に多い。
 そこにあるのは、野球の技術とか強さへの尺度ではなく、明日で終わるかもしれないからと、必死に、一試合、一試合を闘い抜こうとする、ひたむきな情熱への尺度である。
 それは、毎日のように試合するプロ野球選手には、なかなか見受けられない。一塁への全力疾走をする、しないなんてのがいい例だ。

 プロはなぜ全力疾走しないのか。
 それは、一試合、一試合にかける執念の割合が低いからというのもあるのだが、決して、それだけとも言えない。ある部分で、どこかに手を抜くことで、必要な時に全力を出せるように力の配分をするからでもある。プロという、まさに野球漬けの毎日の中で、試合の流れを敏感に感じとりながら、その波にうまく乗ることができるような技術が身についた者だけが、プロの世界で活躍できる。

 プロに求められるのは「一発屋」ではなく、期待に応え続けられることだからだ。


 高校野球では、故障など気にせず、全力プレーをする。その必死さが、観ている者に、プロにはない感動を呼ぶ。
 だが、プロの世界では、全力プレーの結果として故障したら、明日から生活することもままならなくなる。自分一人ならまだしも、妻子がいたらどうだろう? かたや、高校球児が、生活の心配などするだろうか?


 プロフェッショナルというのは、お金をもらう仕事である。

 その道をつきつめるがゆえに、誰も真似できないからこそ、人々がお金を払う商売だ。

 それはつまり、必死になることよりも、もっと違うものを期待しているということである。スポーツならば、高校野球ではお目にかかれないようなスーパープレーだったり、高い技術がもたらす攻防だったり、なによりも「勝利」に対する喜びを期待して、お金を払っているのだ。

 そのように、お金が介在することで、求められることに応えつづけていかなければいけないのがプロの世界であるのだから、必然的に技術があがるのは当然のことで、「勝つ」ための試合の流れを読んで、勝負所で120%集中するために、そうではない所では全力ではないように見えるかもしれない。
 それを「手抜き」ととるのか、クレバーととるのかは人それぞれだが、少なくともつねに全力では、観てる人の気持ちを満たすことができても、期待に応える結果が残せる保証はどこにもない。

 常に期待に応え続けなければいけないからこそ、自分のコンディションが良かろうが悪かろうが、安定した結果を残さなければならないのが、プロである。

 そう言った意味では、誰も手を抜こうなんて、本来はしないはずだ。実際、手は抜いてなどいない。競争相手がいるものだから、手を抜いたが最後なのである。

 だが、人々の目にはそう映らないことも多い。それがすなわち、プロフェッショナルの、プロフェッショナルたるゆえんである。

 つまり、

 プロフェッショナル>アマチュア

 という図式が成り立つのは、必ずしも技術うんぬんだけの話ではなくて、その「対象」に対してどこまでのエネルギーを注げるか、という違いである。

 常に結果を求められるからこそ、それに応えていかないといけない。万年最下位のチームがボロクソに言われるとか、毎日采配批判をされたりするなんて、いい例だ。プロは、お金や時間を払う人間たちと、闘っているのだ。

 プロは、アマチュアたちの憧れでもあるが、アマチュアでは考えられないようなものと闘わなければならない過酷な道を歩くということだ。だから、シビアな世界にもまれることで、技術がより、磨かれていく。それができなければ、生きていけないのだから当然だ。


 だから、プロがアマより優れていることの方が当然増える。だが、だからといって、アマがプロより劣っているというワケではない。

 先にも挙げたように、高校野球は高校野球でのすばらしさがある。プロには、期待に応えなきゃいけない義務があるが、その反面、期待に応えれば結果はどうあれ許されるところがある。不倫報道で騒がれたプロ野球選手がそれだ。
 しかしアマチュアはどうだろう? アマチュアは、お金をもらわないということで、人々が掛ける期待は、一種の「夢」みたいなものである。もちろん、中には、「野球部には宣伝として投資したんだから勝ってもらわなきゃ困る」とかいう人もいるだろうが、ほとんどの人の掛ける期待は、プロの比ではない。

 だから、アマチュアのいいところは、そういった期待と闘うことに縛られないので、ひたすら夢を追えるというところだ。それが、(特に若い)アマチュアのいいところであり、それを追わない限り、プロにもなれないのだと思う。

 プロは、たくさんいる。その中に割って入るには、プロと同じことをしていてはダメなのだ。だから、アマチュアからプロになろうとしている人にはきっと、アマチュアだからできる「必死さ」や「情熱」を対象にぶつけていく必要があるのだと思う。

 高校野球で全力疾走してケガでもしたら、プロにはなれないかもしれない。でも、高校野球で全力疾走しない人が、そもそもプロに入れるのだろうか?


 と言いながらも、私個人としてはアマチュアの方が好きとは言えない。プロの、言い訳のきかないシビアでハードな世界の方が好きだ。

 けど、アマチュアの内からプロのマネをして、小さくまとまることは間違っていると思う。アマにはアマだからできることがある。期待に応えることで得られる喜びといったものには縁が遠いが、だからこそ自由な発想ができる。文学の新人賞でも、大事にされるのは、そういうところだ。技術的なことは、プロをやっていればイヤでも身につく。大事なのは、対象に対してどれだけ真摯に立ち向かえるか。


 そういったものをうまく描いたマンガが手元にあったので、それを読んでふと、こんなことを思った次第であります。

頭文字D(21) (ヤンマガKC (948))頭文字D(21) (ヤンマガKC (948))
(2001/04/25)
しげの 秀一

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 峠出身のプロレーサーに、14のときから(無免許、笑)峠で育ったアマチュアの主人公が、峠のレースで、技術で劣るプロにどう立ち向かっていくのか、また、峠出身でプロになったレーサーが、アマチュアとのレースでいったい何を見つけるのか?

 そこが非常に見応えがあります。

プロレーサーの素直な疑問・・・でも
 レースの結果も一巻でしっかりまとまってるのでそういった点も読みやすくていいですが、レースの結果うんぬんではなく、このマンガ本来のバックグラウンドテーマ「走る」ということに対する、「プロ>アマ」という単純な図式では表せないようなものがあることを描ききった、一つのハイライトでもあります。どちらかというと、主人公よりも、プロの人の心にフォーカスしている巻といえるでしょう。

 これは多分、マンガ家としての作者の経験からも来ているんでしょうね。アマチュア時代にあったものと、プロになってから失ってしまったもの。

 どちらが上で、どちらが下なんてことはない。

 どちらにしても、ベストを尽くす。大事なのは、そういうことなんだと思う。アマチュアでベストを尽くさなかったら、プロへの道なんて、それこそ夢のまた夢なんだから。

 そういうことを考えると、金子みすゞの「みんなちがって みんないい」という言葉が今も色あせないのもよくわかる気がします。「こうしましょう」じゃなく、「こうなんだ」というところが。

 おそらく、『頭文字D』の作者、しげの秀一も、プロだろうがアマだろうが、(クルマで)速く走りたいという走り屋たちに対する深い愛情があるのだろう。自身も走り屋だったわけだし。だから、単純に「プロ>アマ」とは描かないし、描けない。

 そういう意味で『頭文字D』というタイトルには、これから始まる主人公の未来(DRIVER?それともラリーストのスラングか何か?)の、あくまで一ページ(頭文字)にしかすぎない物語なんだよ、という意味が込められているのかもしれない。プロになるのに必要なのはなんなのか、プロが真っ正面から描いた作品・・・・なんじゃないかな? このマンガはあくまでも「成長ロマン」と作者も言ってるしね。
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2011.06.27 23:08
 疲れ教の熱狂的信者になってるtkiyotoですよ。

 そのため、風呂上がりにストレッチをしながら力尽きて床で寝てしまう生活をずーっとしているせいか、背骨があきらかにバランスを失っていて、頭がうまく乗ってない感じで、首や背中がかなり不調。

 なら最初からストレッチなんてしなきゃいいじゃないかと思うかもしれないけれど、調子が良くないからこそ、最大限の効果を期待して、風呂上がり→ストレッチとするワケなんで、必要に迫られてなんですもんしかたないじゃないですか!!

 ・・・・と息巻いたところで、そんな生活をしつづけても一向に状況は改善せず、かれこれ一年ぐらい整体にも行ってないし、こんなアホみたいな生活していてもはじまらないので、おとなしく整体に行こうと思ったわけでありますよ。

 で、駅の近くにある、接骨院兼カイロプラクティックみたいなところに初めて行ったワケなんですが、これまた不思議な整体でしたね。

 私も、カイロとか無痛整体とか鍼治療とかいろいろやってきましたけど、今回行ったところは、背中がツラいのに、背中への「攻撃」はかなり少なく、やり方も表面をなでるだけのような、ちょっと素人には真似できないような手さばきで施術してまして。しかも、背中のコリをほぐすというより、弱い「お腹」への攻撃に力を注がれました。

 先生が言うには、お腹が弱いので背中が丸まり、かつ、体重が後ろになってしまうので、歩くときも猫背になってしまう・・・・という感じらしい。なので、そうならないような歩き方を教えてもらい、次来るのは2週間後でいいよという、これまでの「とにかく毎日でも来い」という、庶民の財布の事情など意にも介しないあまたの整体院と違うんで、軽いカルチャーショックを受けましたよ。
 っていうか、「そんなんで大丈夫なんかホントに」とすら思ったんですが、まぁ、とりあえず先生を信じて様子を見ることにしましょう。

 ちなみに、そこの施術室には、某スポーツ選手が記録を達成したときの、本人から贈られたであろう記念品も飾ってあったのですが、こういうのを見ると安心・・・・というのは別にしませんが、やっぱり、こういうのに「感謝」するからこそ記念品を贈るワケなんで、たくさんの人の力を借りながら大きなことを成し遂げて行く・・・ってのは、大事なことだよね。と思いましたよ。

 なかなか自分には真似できないことですが。・・・・だから貧乏なんだろねぇ。
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2011.06.16 00:04
仕事での疲労がかなり抜けなくなってきているので、気分転換に徳川園に行ってまいりましたよ。

前回行ったのが雨の日だったので人が少ないなんてもんじゃなかったですが、今回は、梅雨の合間のすごしやすい天候だったせいか、人が多かったですね。まぁ、歩けないほど人がいっぱいってワケじゃないんですが、予想したよりは多かったと。

大半が敬老パスで来るような方ですが、他は、外国人観光客とか、子連れの家族とかでしたね。

それでも、騒がしかったり息苦しいほどいたワケではないので、ちょうど、ファミレスのほどよい雑音みたいな「ゆらぎ」でよかったですけどね。


で、そんな、ほどほどの客入りの中、私はというと、園内を流れる川の音を聞きながら石の上に座って、ただひたすらボーッとしてましたよ。

実は最近、自分で、「水の流れ」とか、その音が好きというか落ち着くなということに気づきまして、昨日も夜中にちょこっと家の近くの川を見に行ったりしてたんですが、今の仕事自体がかなり自分にはストレスなせいか、そういった、一種の「癒し」みたいなのを求めてるようなんですよね。

今まで仕事っていうとストレスよりも趣味みたいな楽しい部分のほうが大きいものでしたが、今の仕事は、相当向いてないんでしょうね、苦痛というか苦行化してきてる気がします。

だから、今まで、仕事がイヤとかグチばっかこぼす人とか、パチンコやタバコでウサを晴らすって人の気持ちがぜんぜんわからなかったんですが、今ならわかる気がします。
ちびまる子ちゃんのお父さん、ヒロシも、きっと仕事で大変だからあんなへべれけになるんでしょう。

そんなわけで、仕事を辞めよう辞めようと思ってはいる状態なんですが、じゃぁなにすんのと。

またしても「ふりだしに戻る」感がありますがそれでもこの、約一年の仕事の経験からわかったことがありまして。

それまでの私は、「なんでもできるようにする」あきらめない行動力というかガンコさでいろんな仕事をしてきたんで、器用貧乏を地でいく人間だと思ってたんですよ。よく、「どこへいってもやっていける」とも言われてましたし。

まぁ、今の仕事でもいつも通り、仕事の本質を抑えてやるので、いつも通りの評価をもらうのはもらうんだけど、今までは苦痛ではなかったことが、妙に苦痛。
必要と言われても嬉しかないし、褒められても満足できない。
数字を追わなきゃいけなくて、コンプライアンス的にはアレげだけど会社の力学的に求められる仕事とか、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと様々なものに追いかけられる。

今までもそういうのがなかったわけではないが、ゴールもないだけに、今はまったく仕事に喜びがない。とうぜん楽しくもない。自由がなく規制でがんじがらめなので、当然のことだが、私みたいに自由が大好きな人間にとってはかなり苦痛。


向いてないのは知っていたけど、今の仕事をして感じたのは、「向いてなくてもできるが、向いてないと苦痛」な仕事を選ぶのは間違いだということ。

「向いてる仕事を見つける一番の方法は、向いてない仕事をすることである」と誰かが言っていましたが、まさに至言だなと。

私はマジメな性質なので、仕事があるだけマシとか、向いてないのを言い訳にしてるとか、ついつい自分を責める方にギアを入れがちなんですが、やっぱ、ムリなものはムリですよね。


で、誰も座らないような、小川の川べりの石に腰かけてボーッと川の流れを見つめていると、こうやって人と違うことをしている時の方がずっとラクだなと思いまして。

私は別に、目立ちたくはないので人と違ったことがしたいとは思わないのですが、人に合わせるのがツライので人と違ったことをしてるだけなんですよね。あくまでも結果的に。
本人的には、変わったことをしようとか思ってしてるワケではなくて。

昔っからその性質があるのに、大人になって、できることが増えたせいで自分はなんでもできると勘違いして、ムリしてしまう。
それではいつしかつぶれてしまいますよね。

次の仕事が見つかるまではとりあえず続けるつもりですが、その次が見つからなくて困ってる現状。
とりあえず、人と接するより、一人、黙々とやれる仕事の方が幸せ感じられるんだとわかったんですから、この仕事をやった一年は、ムダではなかったですね。

二度と、こういった仕事をしないと思うし。


人生なんて、こういった試行錯誤や成功と失敗の積み重ねで、ゆらがない自信が作られていくんじゃ、ないでしょうかね。

こういう試行錯誤がなくて「俺は正しい」という、勘違いの自信によって成り立っていると、それがうまくいかないときに人を責めるモラハラや、攻撃に走るDVに行き着くのではないでしょうか? だから、そういう人たちの目の色には深みがなく、放つ言葉も「正論」しか言わないので懐疑的な印象を与えてしまうのでしょうね。

こういうのは、教えられたものだけじゃ、ダメなんですよね。
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2011.06.10 00:29
 仮面ライダーが40周年だそうで、地下鉄の車内吊り広告に、それ関連のイベントのお知らせがありましたよ。


この写真はどうよ。

 原作が石ノ森章太郎ということすら知らない世代が何世代も通過してきたわけなんで、40年というのは驚くに値しない数字ですが、さすがに、バイクの運転のできない仮面「ライダー」が出た時はさすがに面食らいましたよ。

 まぁでも、ずーっとバイクものだけだったらこんなに長くは続いてなくて「過去の名作」になっていたわけですから、『仮面ライダー』をコンテンツや文化として考えた場合には、非常にいいことだったのかなと。ウルトラマンやガンダムもそうですが。

 ただ、作品としてのインパクトは当然弱くなり、コンセプトだけが残っていくのは、作家としては複雑かもしれませんね。

 ガンダムの産みの親、富野監督はそれで鬱になってますし。

 そこはまぁ、作品が一人歩きするからと言えばそれまでですが、他人が作品をいじれるってのが一番の理由でしょうね。

 それで得られる富や名声もあり、複雑な満足感を抱えながら生きていくのが人生ということでしょうか。


 だからこそ、「足るを知る者は富む」というのでしょうね。それはお金だけのことではなく、人生の価値的な話で。

 そういうのがあるからこそ得られたものもあるわけですからね。

 今あるものを数えていく人生の方が幸せになれるってホントですね。


 そういう感じで、一筋縄ではいかないのが人生ですし、やっぱりいい作品にするにはそういう人生の要素というものが欠かせませんよね。
 だって、現実に生きてる人の運命ってほんと、数奇ですから。そういう人までも納得するようなものじゃなきゃね。それと売れ行きは必ずしもイコールにはなりませんが、少なくとも大事な要素の一つであることは疑いないでしょうね。

 世の中の酸いも甘いも味わってきたヤクザが、聖書に触れて牧師になるなんて、代表的な例ですよね。
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2011.06.09 02:07
 地下鉄に乗って、さぁ駅につくぞという段階で鼻血の出たtkiyotoですよ。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 マンガのようにパンチラ見たとか、子どものように鼻ほじりまくったとかそんなんでは全然ないんですが、久しぶりの鼻血にたまげるかと思ったら、さすがそこは三十路なので、鼻の下を流れる感触で見ずとも鼻水ではなく鼻血とわかり、すぐさまティッシュで受け止めたわけですが、あまりにも冷静な自分にビックリします。

 基本、けっこうビビりなので、なんかあったら思考停止してパニくってしまうのですが、鼻血もわりと出す方なので、冷静でいられたのでしょう。

 で、鼻血の止め方も、昔みたいに上を向くとか、ティッシュつっこむとか、首をトントンするとかな方法ではなく、学校でも教えてる最新の(大げさだな)やり方、「鼻骨の下をつまんで押さえる」をやって歩きながら血を止めました。


 ま、結局、対処法を知ってるからパニくらないだけの話ですが、福島原発の問題なんてみてると、な~んも想定してなかったんだなぁと思ったりなんかり。
 テロとかだってありえたわけだから。

 そういうとこ、科学信仰とは別に、平和ボケもけっこうあるんだなぁ・・・と思ったり。

 鼻血出しながら考えることではないですが。

 でも、そういうこと考えると、いろいろ文句言われてますけど、浜岡原発停止を選択した菅首相の選択は、個人的には英断だと思いますよ。歴史的に見てどうなるのかは神のみぞ知るですが。

 だって、国家レベルで起きる起きる言ってる地震の震源地近くに、有事の時の対処法が確立されていない原発があるんですからね。
 なんかあったら、誰も責任取り切れませんもんね。少なくとも、今年度中に浜岡原発になんかあったときに払うお金はもう、ないでしょうよ。


 そんな弱気でどうする!ってマッチョ思考もあるとは思いますが、いざ、自分がその立場になったら、なかなかできないんじゃないでしょうかねぇ? そういう意味では、批判されることは承知の上でこの選択を、よくしたな、と思います。
 少なくとも中部地方では、周波数が違うので夏の電力不足をあまり心配していませんでしたが、この件があってから、真剣に節電やライフスタイルの見直しを考える動きが出てきてますからね。

 そこは、良くも悪くも、消費者運動がベースにある菅首相らしい、人としての「やさしさ」が出たからだと私は思います。やさしければいいというものでもありませんが、菅首相にしかできない「選択」だったんではないかな、と思いますよ。これを「パフォーマンス」という人間はちょっと想像力に欠ける気がします。この状況でパフォーマンスできるんなら、どんだけ無神経な人間なんだと。


 これで、東海地震が起きて浜岡までメルトダウンした日にゃ、菅首相は歴史上価値のある「英断」をしたと言われるでしょうし、50年経っても東海地震が起きなかったら「チキン」と言われるでしょう。首相なんて、報われない仕事です。しかし、歴史の積み重ねなんて、こんなものです。だからドラマになるんですが。

 この、無茶苦茶な状況の中、菅首相が鬱にならないだけでも、褒めてあげたいところです。

 そんなんじゃダメかもしれませんが、ホントに冗談抜きで、足を引っ張る人が多すぎます。だまされないようだまされないようと疑い続けるだけできちんとした取材ができないジャーナリストがいたり、あくまでも自分のやりたいことを実現しようとする政治家がいたり、常に完璧な人間を求める国民がいたり、まさに四面楚歌な状況。

 これも、平和ボケの典型ですかね。

 別に、菅首相のファンとかでも全然なく、代表戦の「雑草です!」ってアピールもどうよ?って思ってた人間ですけど、なんか、ホントに周りが、目的のために自分を殺して「一丸」になってがんばろうってのがなーんも見えないんで。

  「御輿は軽い方がいい」って思えないんかなぁ? 薄っぺらい政治家が増えたもんです。とにかく、ひっぱってってほしい!って幻想に、いつも人は駆られるもんです。そこにヒットラーが現れるのもカンタンですともよ。2・26事件も起きますともよ。

 日本国民として、世界に恥ずかしい。


 たとえば本来の船長がいなくなって、自分に力があるからって「俺が船長になる!」ってクーデターを起こして船長になったからと言って、果たして問題が解決するのか? それよりも、今、目の前の荒波をどうクリアしていくことに一丸になって行く方が大事じゃないのか?

 政治家は『ガンダム』に出てくるホワイトベースの乗組員の姿でも観て、チームワークの勉強をした方がいい気がします。少なくとも、今の大人たちの姿を見て「感動」する人は、誰もいませんよね、残念ながら。

 「アムロ・レイ」のようなエースパイロットがいないからダメなんですかね?
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2011.06.07 10:48
梅雨の中休み?っぽい感じがしたので、ずっとほったらかしにしてあったゴーヤ用の肥料を入れたプランターに、ゴーヤを植えましたよ。

で、いざやるぞとゴーヤの苗を見たところ、なんか激しくぐったりしてまして。
思えば、マックスバリュで買った大丈夫か?な苗なのに、二日ほど水もやらずにいたわけですから、そりゃ、ぐったりともするでしょうよ。

ひょっとして死んだか?
と思ったけど、まぁ、ゴーヤといえばタフな作物の代表格なので、植えて水やりゃすぐ復活するだろと思ったら、案の定、というか自分でも驚くぐらいすぐに復活してゴーヤの生命力にビックリしました。

さすが、育てるのカンタンで、作物も取れるまさにこの夏の節電「ブーム」の救世主!

・・・なので、大量生産されてよわっちい苗もどんどん市場に送り込まれたのかと心配していましたが、そんなことはなかった・・・とも言い切れませんが、まぁ、ゴーヤってやっぱすごいね!と思ったしだいであります。

これならたしかに、植物をよく枯らせてしまうような人でも安心して育てられそうです。

こんなところもまた、救世主っぽいですよね。弱きを助け強きをくじく、みたいな。


そんなことを考えると、弱いところを見せたらすぐそこを責めつつく政治家たちのなんと寒いことか。
もやしみたいな2世議員とかもどうかとは思うけど。

Mr.タフネス、ゴーヤの姿を見習ってほしいもんです。

んなことを私ではなく発言力のある人が言うと、「小沢一郎がまさにゴーヤだ」と言う人も出てくる気もするが。

ま、私もゴーヤをはじめて育てるので、どんな生物なのかは今後のつきあいでもっと具体的にわかってくるでしょうし、今のところその件についてはなんとも言えませんね。




土が余ったので、ついでに、芽の出たじゃがいもも植えてみました。できりゃ、もうけもんぐらいな。

にしても、目に見えるところに実をつくるゴーヤと、目に見えないところに実をつくるジャガイモとの違いってのは、面白いもんですね。
政治家もとい、人間の個性もおなじようにタイプ別がありますもんね。

どっちが上とかではなく、それぞれに合った成長をした方が強くなる気がします。
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2011.06.02 02:27
 いつになく更新頻度が高いtkiyotoです。みなさんいかがおすごしでしょうか?

 世間はあっという間に梅雨になり、6月6日は雨ザーザーと、なんかの歌みたいな日々が続くようですが、今年は渇水の心配がなさそうで水力発電もなんとかなりそうですが、東北の被災地にとっては全然まったくよくないこと。

 「誰にとってもベスト」というものが世の中には存在しないという、ひとつの例でしょう。


 さて、気がついたらそんな被災地の心情などまったく度外視した政変になっているようですが、アメリカの9.11の時だって、一ヶ月ぐらい休暇をしていたB系の大統領がずっと指揮を執っていたというのに、この国の三下たちはなんですかね??

 結局、「この国はこのままじゃダメだ!」という危機感だけあって、明確で実行可能なビジョンを持ち合わせている人が少ないのか? と勘ぐってしまいます。こんなんだからダメなんじゃないかと、国民全員が思ってはいるのですが・・・・まぁ、その立場にならなきゃわからないこともあるでしょうが、現行のシステムを踏まえながらやるしかないんですから、んな、急進的に「改革改革」騒ぎ立てたって変わるワケがないだろうと。

 「急がば回れ」って言葉、知らんのかねぇ?


 そういえば最近、聞かないな。
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