死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2012.08.25 00:08
 金曜日、仕事で車に乗っていたんですよ。珍しく朝から。

 うちの会社の社用車は、それぞれ個人で使えるものがなく、共用してるという非常にめんどくさい仕様なんですよね。ま、だからこそ起きたようなことを今日はお話ししますね。


 なんと言っても、社用車で、しかも古い車ばかり、もしくはカーナビもないような車ばかりですから、基本、運転中はラジオを聴いているんですよね、私。
 iPhoneあるんで、FMトランスミッターで飛ばすってとか、イヤホンジャックをカセットデッキに繋ぐカセットアダプターを使うこともできなくはないんですが、私、何事にも真剣になりすぎるたちなので、自分の好みの曲しか入れていない偏った私のiPhoneだと、夢中になって歌ったり、曲に入り込んだりしてしまって、注意散漫になることもあるんですよね。

 前にそれで、バイパスで気がついたら120km/h出てて、白バイに前につけられたりしたぐらいですからね(結局白バイが止まる場所がなくて間に入られている内にあーという感じで白バイとバイバイしていたので免許取り消しにはなってないんですが)。
 ま、そんなこともあって、自粛しないとと思い、「ながら」に最適なラジオを聴くようにしているわけです。勉強とかと同じですね。自分の好きな曲だと世界に入り込みすぎて、ちっとも集中できなくなるので。

 ・・・・で、話がだいぶそれてしまいましたが、そんなラジオなんですけれど、なんか、いつもと違う感じがしたんですよね。多少、じゃなくて、あきらかに。

 いつもは、FM AICHIとか、ZIP FMとか、AMなら子供の頃から聞いている東海ラジオとか、ローカルなやつを聴いたりしてるんですが、なんか聴いてたら全然いつも聴いてるラジオ局と違う感じがして・・・・で、チャンネル確認したら、NHKラジオ第一になってるじゃないですか。

 いやね、ビックリですよ。

 何がビックリって、話の内容を聞く限り、花の蜜の味が違うのは、種子を拡散させるためとかなんとか、いつも下品なネタを話している東海ラジオ(←失礼)の割にはなんか、ためになる話をしてるな〜と思ったんですよ。いや、逆に、他の人も乗ってる共用の社用車なんだから気づこうよと言われてしまいそうですが、最初にエンジンかけたときはたしかに東海ラジオだったんですって。それが、いったん切った後にかけたらNHKになってる・・・・そんなバカなと。
 でも、内容からすると、どっからどう考えてもNHKじゃないですか。

 しかも、よくよく聴いていると、どうも、大人が電話で、子供の質問に答えてる風なんですよね。科学的なこと。

 興味深く聴いてると、意外とおもしろいんですよ、これが。

 恐竜はどれが強いかとか、星はなぜ光ってるのかとか、トカゲはなぜ恐竜より小さいのかとか、星座を考えたのは誰なのかとか・・・
 そういった質問に対して、専門家が答えるわけですよ。小学生たちに。伝わるように。「トカゲは恐竜の子孫じゃねぇぞ!」・・・っていう感じでキレた感じに言うんではなく(言うわけないだろ)、やさし〜く、語りかけるように話すんですよ。

 これって結構難しいよなぁ・・・と思いつつも、でも、やっぱ説明の仕方がうまい人は、話しかけ方がやさしいし、難しい言葉が何かってことをよくわかっている。その、「わかるように説明しよう」というのが、非常に聴いていておもしろいんですよね。

 ちょうど、「誠に遺憾であります」という政治家の発言にヘドが出るのと反対、みたいな感覚でしょうか?(どんなたとえだ)


 しかも聴いてるとこの番組、子供との相談が続いているにも関わらず、途中で歌を入れたりニュースを入れたりと、大人の事情も子供に理解してもらいながらやってるんですよ、小2の子とかにですよ? すごくないですか?

 それよりもっと凄いのは、その小2の子ですよ。

 「こうこうこうだから、こうじゃないのか」と質問したりするし。で、納得できて、最後に答えてくれた先生へのお礼をきちんと言えて、「大きくなったら先生のいる大学へ来てください」という大人社会でいう社交辞令に対しても、「大きくなったら行きます」とか(小2にわかるのか?)、「話せて良かったです、ありがとうございました」とか言うんですよ。

 まだまだ世の中捨てたもんじゃないなって思いましたよ


 いや、やっぱり、NHKを利用する層って、きちんとした育てられ方してるんかもなぁ・・・って思いましたよ。将来、国立大学に行って、日本を支える人材はこんなところにいるんですね。
 
 ばーさんに扮したパーソナリティーが、井戸端会議風に名古屋弁全開であーだこーだ言う・・・とか(汗)、そんな番組のある東海ラジオで育った私には、別世界でしたよ。いや、ちゃんとしてんなと。でも、硬すぎず、おもしろいなと。

 ま、一番驚いたのは、この番組(NHK夏休み子ども科学電話相談)がすでに29年やっていて、しかも夏休み期間中ずーっと、朝の8時から昼の12時までやってるということ。


 ええええ?

 未来の科学少年少女たちは、こんなところで育てられてるの??


 私の知らない世界に連れて行ってくれた、共用社用車に、感謝です。

 ちなみに31日までやるそうですよ。みなさんも一度、聴いてみてはいかがでしょうか?
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2012.08.24 01:54
 休みの日って何してる?

 よく聞かれますよね、社会人になると。えっ、聞かれない?? 聞かれない人はきっと、自分で喋ってるか、どうでもいい存在かのどちらかだと思いますが(←そんなことはないだろ、失礼な)、私は、あまりにも自分のことを話さないせいか、休みの日の行動から、人となりを理解しようとみなさん思われるようです。

 で、その時に私がどう答えてるかというと・・・「何もしてないかなぁ・・・あとは片づけ?」

 というような答え。これにはみなさん納得されないんですが、今日も、掃除してましたからね。そんなこというと潔癖性で隅から隅まで丹念に掃除したのかと思われてしまいそうですが、実際には掃除機を30分ほどかけて、カメの水槽の水の入れ替えに40分ぐらいかけた程度。
 あとは、洗濯ですかね、ベッドの敷きパッドやら、トイレやキッチンのマットとか、あとアイロンとか。

 ・・・・いや、他にもあるだろうと言われるかもしれませんけれど、今日は眼科いったり、甥っ子の誕生日プレゼント買ったりとか、本当に、趣味っぽいことは何もしていない。だから、何もしてない。

 休日は特に、時間を有効活用してないからダメなんだとお叱りを受けそうなぐらい非効率な行動をしていますので、特に「何かしてる」というワケではない。というか、みなさん何してんですかね?逆に。


 まぁ、今の世の中って、仕事に必死にならないと給料もらえないってワケじゃないですからね。中には、休みの日しか楽しみがない、という人もたくさんいますよね。仕事は、お金を稼ぐ手段(であり、その他ちょっとしたことをくれるくれる場所)。

 人の価値観はそれぞれですから、それが悪いとは思いませんけれど、そういう人から見ると、せっかくの休みに、特に何もしてない私って、とってもヘンなんでしょうねぇ。
 でも、休みの日は、仕事の疲れを癒す日なので、特に何もせずのんびり疲れを癒しながら、マンガ読んだり、家のことしたりってのでいいんじゃないですかねぇ? ダメですかねぇ?


 ・・・そう考えるのは、私の中では(あくまでも私の中では)本業が「物書き」で、週5でやっている仕事は「趣味」と思ってるからで、かといっていいかげんにやるのでもなく、必死に仕事して、その中に遊びを見出したりとかしてるからかもしれませんが。

 普通に考えたら、だったらいわゆる「休み」に本業やれよ、週末作家はたくさんいるぞという風に思いますよね?

 でも私は、そうやらなきゃいけないとは思いつつ、のんび~りしてしまいます。

 いや、書こうと思っても、書けないんですよね(開き直るなよ)。
 むしろ、仕事で外に出てきた日の方がよっぽど書ける。

 それは、感性のスイッチが働いているからっていうのもあるけれど、やっぱ、なにかしらのプレッシャーを感じている方が、気持ちにハリが出るからでしょうね。部活やってた方が、試験も成績良かったですからね。試験中に部活休みにするよりも。

 だからたいがい、図書館とか行ってがんばろうと思っていくんですけど、現実としては、本を見つけて読むだけ・・・って事が非常に多いですね。で、帰ってから、書く気になるというか・・・。なかなか、思い通りにならないんですよね、「書く気」って。

 ま、「気」がつくように、気持ちの問題なので、気持ちが集中できていればどこだろうと書けるのですが、書こう書こうと思っていると逆に、書けなくなることってありますよね。皆さんはありません?


 私もこうやってネットで日記(?)を書いてはや10年以上が経過しましたけど、その中で、やっと「どうやったら書けるのか」っていうのが見えてきましたよ。

 たしかに、「毎日書く」と決めることや、「ネタがなくても画面と向き合うこと」といったことは、たしかに正解なんですが、そもそも、その前段階である、「なぜ書きたいか」「なにを書きたいか」自分の中で明白になっていれば、自ずと指が動くものです。

 そもそも、「書きたい」人が書いているんですから、その、「書きたい」という想いというか、『種火』でしょうかね? それを燃やし続けることこそが、書き続けられる習慣を維持するってことかもしれませんね。

 これは、書くことだけに限らず、「こうしたい」という理想の灯火があるからこそ、種火を燃やし続ける必要があるし、薪をくべたり風を送ったりする必要があるんですよね。


 私がこの、Web日記生活で身につけたスキルは、とにかく、書き出してみると書けてしまうってことです。今日の内容だって、なーんも考えずにはじめたら、こうなりました。

 最初のテーマからかなり逸脱しているように感じるかもしれませんけど、『経験』を積めば、自分の中に書くべき『理由』があれば、自然と書けるものですよね。今、ひじょーに眠いですけど。

 そこから考えるに、私が休みの日に何をしているかというと、パッと見はなーんもしていない。だけど、その中身は、次に書くものの情報を、自然と仕入れるための、日常のリセットをする大切な時間なんですよね。いわゆる「仕事」していては、絶対得られない感覚とか感性とか経験とかってあるじゃないですか? そのための、リセットタイムが、私の休みの日、だということです。

 だから、私は休みの日に風呂に行ったりすることもありますね。

 ほんの少し前まで「休みなんだから書かなきゃ」と想ってちっとも書けなかったですけれど、外部からのプレッシャーがない状態だと、内部からのものだけになるので、どうにもね。

 そんなこと言ってるのは、休みを利用して長編をつくろうっていう『灯火』が、そもそもないからでしょうね。それがあれば、「休み?ラッキー!!」ってなるはずですもんね。

 ま、こんな真夜中に、睡魔と闘いながらこれを書いている人間の言うことではないですけれどね。
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2012.08.22 22:20
 金曜ロードショーで『となりのトトロ』観ましたよ。初見です。

 いいですね、あの、「バルス!」って叫ぶところ。
 ツイートが凄いことになってましたよね(←それは「ラピュタ」だ)

 ・・・さて、そんな冗談はさておき、トトロ。色々とビックリしましたよ。


 ・万博公園にある「サツキとメイの家」は外見は同じだが雰囲気は別物
 ・トトロのシーンが想像以上に少ない
 ・短い
 ・大きな盛り上がりが一切ない
 ・大してドラマチックでもない
 ・「トトロは死神」説でもなんでもない

 とまぁ、なんだ評価がボロクソじゃねーかと言われそうですけれど、正直な感想でして。

 だから「つまらない」というわけでもなく、むしろ「おもしろい」し、「何度観ても飽きない」理由がわかるな、という気がしましたよ。それだけに、ドラマ作りに何が必要なのか考えさせられる作品だな、とも思いました。


 まぁ、サツキとメイの家の印象の違いは「まっくろくろすけ」がいる家からアニメは始まるので、そのインパクトが強くて、よく作り込んであるんだけど、「アニメの世界を愉しむ」という意味でのワクワク感はあっても、「まっくろくろすけ的な」何かがいそうな感じではない。というか、周囲も「トトロ」を観てない限り、トトロが出てくるような雰囲気がまるでない(公園だから仕方ないが)。

 聞けばこの建物の設定は1年後で、母親と暮らしている設定らしいのでそれはそれで印象が違って当然かもしれないが、周囲の環境があまりにもアニメと違っていたので、家を見てから映画を観た人間にとっては「劣化コピー!?」と正直思ってしまった。
 そこがアニメとリアルとの違いで難しいところなのだが(リアルにしたら虫だらけで大変だ)、いろんな事情を踏まえて「リアル」を優先した造りだったんだなぁと思う。

 んで、この建物を調べてみたら、聞けば計画者は宮崎駿の息子、宮崎吾郎だそうで、ランドスケープアーキテクトであり、ジブリの森を作った現実家で(ゲド戦記を作ったことはスルーしておくとして)、ジブリの森を作る時も父親である宮崎駿と「理想」と「現実」でバトったらしい。

 超一流になればなるほど現実よりも「理想論」を具現化したいと思うもの。まぁ、そんなだから、宮崎吾郎は超一流の監督にはなれないんだろうなぁ、かわいそうにと思うが、それが人として不幸とは限らないけれども。
 おそらくだが、宮崎駿は鈴木敏夫というプロデューサーがいなければ不幸な芸術家で終わっていたかもしれないので、そこは非常に難しいところなのだが、私個人の感情として言えば、大多数の人はサツキとメイの家で満足するだろうが、作品の質に徹底的にこだわる人なら、満足しないかもなぁと思ったりする。まぁ、見果てぬ夢を追いかけつづける夢想家ぐらいじゃないと、本当に凄くいいものなんて創れないと思うが。一種の狂気やね。

 「かわいいトトロ」のシーンがビックリするほど少ないのは、いわゆる『富野ガンダム』の戦闘シーンでも同じだけれど、ファンが思ってるほど作り手はそこを重視していないということだろう。
 数字が稼げるのは知ってても、媚びない。媚びたら、本当にいいものなんてできない、という信念がそこにある気がする。それはあくまでも推測だが。出しすぎても物語がぼやけてしまうからね。


 トトロが短いのは、『火垂るの墓』との同時上映のため、両中編だったらしい。
 「えっ、これで終わり??」と思ったけれど、変に長引かせない方がよいのかもしれない。テーマが素朴なだけに。まぁ、大きな盛り上がりもそうあるわけでもなく、素朴すぎて興行収入が振るわなかったそうだが、素朴だからこそ、何度観ても飽きないのかもしれない。普遍的というか。

 そういった意味で、「企業的な常識」から行くとちっとも稼げなさそうなコンテンツと思われたのは確かだろうが、そういう目で見る人たちって、「目の前」のことしか見えてないことが往々にしてあるので、皮肉なことに、「子供にしか見えない」トトロや猫バスが、この物語の本質かもしれない。

 この物語は、ノスタルジックな昭和中期で、大人たちが「目に見えないけれどもそこにいるもの」に対して敬虔な気持ちを持っていることが、草壁家の父親しかり、婆ちゃんしかりの言動から見て取れる。

 子供心を大事にしよう、というファンタジーは素敵だね的な発想ではない

 目には見えないけれども、見えるのだ。

 だからこそ、猫バスで病院までいった二人がトウコロモシを置いていったのも、「そういうことがあるかもしれない」という、目には見えないけれども、「想い」が届く・・・的なものが、「実はサツキとメイはその時死んでいた」説にはないから、ちょい無理があるよなぁ、と思ったり。


 一番感じたことは、とても、感情ベースで作られた作品だな、ということ。理屈っぽいところが一切ない。

 だから、特に女性や子供に人気があるんだろうね。


 映画って、感情を動かすものなんだなって改めて思いましたよ。

(当日に観て書いてあったんですが公開してなかったので公開しました)
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2012.08.21 22:50
 こんばんは。

 委託会社向けの懇親会で、セーラー服を着させられたtkiyotoですよ。
 とりあえず、ビジュアルには触れず、足キレイとは言われました。

 その足ですが、わざわざハイソックスまで用意したからリキ入れすぎかなと思ったんですが、上には上がいて、スネ毛を剃ってきた強者もいましたよ。

 銭湯とか行ったら恥ずかしいじゃんねぇ?とも思うんですが、こういう人って、やる前は乗り気じゃないクセに、いざ本番になるとノリノリだったりするんですよね。
 いろんな人がいるもんです。いいことです。


 始まってすぐなので、出オチで終わるんじゃないかと心配してましたが、意外と最後まで盛り上がってたのでよかったです。

 女装させられたのは二回目で、まぁ正直やりたかなかったですが、やってみればなんてことはないことで。

 本人が思ってるより周りは気にしないもので、むしろ、みんな社会人ですから、ある部分では楽しみ、ある部分では同情し、ある部分では感動する・・・といった色んな感情が混ぜこぜになった中を生きるってことが、大人ってもんですよね。

 いわゆるコドモと、何が違うって、そこですよね。

 知識があるとか、経験があるとかじゃなく、「わかって」いるということ。

 これは、教えてできるものでもないし、教えても理解できないものだし、自分で、つかみ取るしかない能力ですよね。

 それができれば、極端な話、小学生でも大人として扱われるし、それができなきゃ、いくつになってもガキ扱いされてしまいますよね。

 ま、教科書には載ってないことだし、先ほども言ったように、自分でつかみ取るしかないことなので、当然のことながら、学校では教えてくれないことなんですよね。


 ただ、それをやらなきゃ、大人として生きていくのはかなり大変なので、みんな苦労しながらでも身につけていくことですが、それに馴れすぎても今度は逆に大人になりすぎて困った人にもなることもあるので、そのバランスって、何気ないことですけど、意識し出すと、すっごい難しいことなんですよね。

 人の中にいると、当たり前すぎて、そんなこと意識することはないですけど、そういうのがない人にとっては、かなりすごいことだったりするもんなんですよね。

 だからこそ、人は人の中で生きる方が自然だし、健康的に生きられるんですよね。

 空気と同じように、意識しないでいられる方が幸せというか。

 「四日市ぜんそく」のあったかつての四日市とか、今では福島とか、安心して呼吸ができない状態は、幸せじゃないですよね。

 幸せとは、意識しないでいられることのことなのかもしれませんね。

 大人として生きるってことは、そういった中で生きることで、何かを手に入れるってことじゃないのかもしれませんね。
 「手に入れたい」って気持ちは、幼児だって持ってる感情ですから。
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2012.08.21 01:00
 こんばんうっひー??

 「こんばん…」まで入力したらこんな候補がでてきてビックリしているtkiyotoですよ。みなさん、いかがおすごしでしょうか?
 はてなキーワードが出てくる機能、必要でしょうかねぇ? ATOK。まぁ、ネタになるからいいか。


 本日、占いしてきましたよ。
 なにをって、まぁ、今後のことですよ!

 四柱推命という、ポピュラーなやつなんですけど、実は、やったことなかったんですよね。
 それを、パートナーが知り合いの経営者とやってきたというもんだから、じゃぁやってみようと。将来を占ってもらおうじゃないかと、どんなもんなんだと、マジメに。

 それで、行ってみたんですけど、もうビックリ。

 何がビックリって、昭和で生年月日伝えたら、それで本開いてなにやら漢字を書き出して、その上に西暦を書いたわけですよ。・・・10年違うやん!!

 もちろん指摘しましたが、大丈夫かなと思い話を聞いていたんですが、いやね、聞いた話もビックリでしたよ。


 以下、箇条書き
  • かなり珍しい運勢らしい
  • 正義感が強いらしい
  • 白黒ハッキリさせないと気が済まないらしい
  • かなり偏っているらしい
  • しかも偏ってるのが、「ストレス」と「考えすぎ」らしい
  • フットワークが重いというか、そもそもフットワークの要素がまったくないらしい
  • 結婚に向いてないらしい
  • 実は10代、20代がよかったらしい
  • 30代もなかなかよいらしい。通知表で行くと4らしい
  • でもストレスはずっとついて回るらしい
  • 40になってからが通知表で行くといきなり1になるらしい
  • 大殺界らしい
  • 大殺界は転職や引っ越しや新しい契約をしない方がいいらしい
  • 松井秀喜は大殺界の時にメジャーに行ったらしい
  • 50代から60代は最悪らしい
  • 最悪死ぬらしい
  • 30代はフットワークが軽い運勢が回ってくるらしい
  • だから転職したい欲が出てきたり、何かやりたい欲が出るらしい
  • 転職するのもありらしい
  • ただ、後の運勢が良くないので物書き専業!みたいに賭けに出るとホントに悲惨になるらしい
  • でも悲惨な運命の方がいい作品作れるから難しいとこらしい
  • 考えすぎな人は普通じゃないから創作に向いてるらしい
  • 相当いい相性の結婚相手を見つけない限り運命はかわらんらしい
  • 大殺界にはラッキーカラーがシルバーか白になるらしい
  • 大殺界にはエネルギーにあふれた人のそばにいるといいらしい
  • 50代から60代の運勢はそうそう変えられんらしい
  • とりあえず先祖を大事にしないといけないらしい
  • そして感謝を忘れないようにしないといけないらしい
  • それを乗り越えてもまぁ・・・らしい
  • 20代から30代にかけてが最強だったらしい
・・・・・とまぁ、こんな感じ。

 なんつーか、あれよね。
 パートナーの話を聞いてると、もっといい意見があるかと思いきや、今はピークから下り坂という、妙に現実的で、コンビニに売ってるポジティブ系占い本もビックリの内容でしたよ。



 まさか、自分の中ではぜんぜん満足してなかった10代20代が最高って言われても、すんなり受け入れられなかったですが、思い起こせば、やれ家が破産したとか、借金取りに追われたとか、抗ガン治療を受けたとか、足を切断したとか、親から虐待を受けたとか、レイプされたとか、監禁されたとか、誰かに刺されたとか、薬物依存で抜けられないとか、リストカットしたとか、たしかにそんなことはなかったなと。

 その時代、自分の中では、金もないし、本を作れないし、ちっとも思ったようにいかねぇ感ハンパなかったですが、充分幸せだったんだろうよと言われ、いや、そうでもないよと思ったんだけれども、まぁ、冷静に考えてみると、そんな、パねぇほどの苦労はなかったなと。

 自分でもよく「大した不幸でもないから、偉大な芸術家たちのようにいい作品創れないかなぁ」と悩んでいたんですけど、たしかにそれは正解だったのかもしれない。だから、苦労しようと思っても、仕事してもうまくいくし、苦労しねぇなぁ、なんか苦労が足りんのかなと思っていたのは、運勢がよかったからかもしれないと思ったりなんかり。
 むしろ、これからそれがやってくると聞いて、なんかホッとしている自分がいる。・・・・そこがたぶん、普通じゃないんだろうけど。



 では、なんでその絶好調時代に大成しなかったのかと聞いてみると、フットワークの要素がないからだと。なるほど。

 今は、運勢的にそれがついてきてるからいいけど、前はなかったんだと。

 というか、若いときに見てもらえばよかったのにと言われてしまいましたよ。そんなこと言われてもな。


 まぁ、それもまた運命ということで、仕方のないことですけれど、それよりもなによりもやっぱりビックリなのが、今は認められなくても、この時なら自分の中では大成しているだろうと思っていた50〜60代が、最悪中の最悪という結果でしょうか。

 自分の人生プランの中で、めっちゃ充実しているだろうと想像していたんですが、むしろ、「ええぇ?」みたいな。

 むしろ、「今までだよ!」みたいなこと言われて・・・行動をもっと起こしておけば違ったのでしょうか??(まだ今も大丈夫みたいなフォローはあったが)

 フットワークの悪さが、歳をとれば身につくと思ったり、誰かがやってくれると思っていたけど、そんなことはなく、若い内の方があったんだからもっとグイグイ、『成りあがり』みたいにやっとけば・・・と後悔はしないけれど、そうだったのか!という想いが湧いたりして。

 手遅れではないけれど、逆に今がチャンス、というのもなんとなく理解できる気もします。





 実は、ここ最近、ずーっと思ってることがあるんですよね。

 ま、『死ななきゃOK』ってタイトルをつけ始めるちょっと前あたりからなんですけど、何のために書き続けるのかっていうか、誰のために書き続けるのかって思ったんですが、『死んだ方がいい』人のことを書いた記事を読んだ人たちの「生きる希望を持てた」的な感想から、「あ、こういうことがしたかったんだな」と思って。

 ずっと忘れてたけど、基本、昔から目指してるのは、TM NETWORKなんですよね。

 ある程度認知度はあるけれど、誰彼かまわず知ってるとか、よく聞くとか、思い出とかにされるんではなくて、聴いた人の人生に影響を及ぼし続ける作品を作り続けるというか・・・そういう意味で、世間ではコムロの時代の方が凄いとか言うけれど、100円CDにされるとかではなく、いつ聴いても、何度聴いても、「いいなぁ」と思えるものを創る存在というか。だから、TM。

 もちろん、ある程度の金銭的成功も、だけど、浜崎あゆみとか嵐みたいになりたいとは、思わない。別にそれが悪いってことじゃなくて、役割の問題だと思うんだよね。



 頭痛の薬でも、バファリンみたいなどこでも売っててよく使うものもあれば、医師に処方箋を出してもらわないともらえない薬とか、もっといけば病院の入院患者ぐらいじゃないと出してもらえないとか、それこそ保険すら下りない薬とかもある。
 アーティストも色々いるけど、違いって、そういうことなんだと思うんだよね。浜崎あゆみと忌野清志郎は、あきらかに違う。でも、上下ではない。

 話がだいぶ飛んでしまったけれども、ようは、CMでやるようなポピュラーな頭痛薬ではなくて、困ったときに駆け込める漢方医の出す頭痛薬(しかも治る)みたいな、そんなのがいいなと昔から思ってはいたんですが、だからまぁ、ガツガツしてなかったってのもあるんでしょうけれどもね。

 でも、そんなのんびりしてたら気がつけば30だし、でも、自分が書いたものから何かを感じ取ってくれて、人生にちょこっと方向性を与えた的なことをコメントから実感できるって、幸せだなと。これだなと。
 子供の頃、タイトルも作者名も憶えていないマンガたちに、私は育てられたんだと。社会的に、そういう役割を担いたいと、純粋に思うわけで。

 そんなわけで、『死ななきゃOK』を書籍化目標にしたりとか、また他に書きたいものもあるなぁと思ったり、そうやってる内に「やっと実現化するプロセスができてきたかも」と思ったり。

 そこで、占い師の言うことで、今がそういうフットワークが動き出した時というのも理解できるし、なにせ50〜60に死ぬかもしれないらしいので、だからこそ、今、やっとかないと!!

 ・・・・と本日書いたわけでありますよ。


 昔のバイト仲間が20すぎで死んだとき「明日死んでもいい、生き方をしよう」と思ってて、最近それが薄れてきたけれど、「リミット」が出てきたことで、具体的に生きられそうな気がしました。映画にもよくあるネタですよね。リミットがあるから、生きることを楽しめる。

 これから頑張りますよぉ(いつまで続くかわからんけど)。


 まずは、読んでなかった『だから、あなたも生きぬいて』『成りあがり』でも読んでみようかな。

 死ぬまでに、読みたいと思ったものは読んでおかないとね。考えすぎてもしかたない。

 まだ、命があることに、感謝しないとね。
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2012.08.17 03:35
 祖母の田舎で初盆でしたよ。

 いとこの三女がなにやらゴキゲンで、読経中もアキャアキャしてたのを見て、なにか、感慨深いものがありましたよ。

 「四十九日」ならぬ「三十五日」や葬儀の時にはビービー泣いていたはずですが、今日はしっかり?座って遊んでおりました。

 まぁ、他のいとこの子たちのようには立つこともできないくらいなんで、だまって座るなんてできなくても当然ですが、生きる楽しさにあふれている姿を見てると、法事というしめやかになりがちな大人の行事のなかで、一服の清涼感を与えてくれるものです。

 それと同時に、祖母にとっての子供(私の親たち、4人)の人数よりも多い、いとこの6人の子供たち(祖母にとってのひ孫)を見ていて、祖母は亡くなったけれども、こうやって命の灯火を絶やさずにきたという、大きな仕事をなしとげたんだな、とも感じました。

 と、同時に、その中で「嫁は子供を産むのが仕事」という嫁観が生まれたのも理解できます。

 だからといって、「子供を産めない嫁だから浮気/離縁されてもしかたない」という考え方が正しいとは言いません。ただ、そういう、「時代遅れ」と言われかねない考えの人がいるのも、共感はできなくとも、「理解」はできるな、と感じた、ということです。


 先のような「子供を産めない嫁だから浮気/離縁されてもしかたない」というような発言をする人を、「時代錯誤もいいとこ」と一蹴するのはカンタンです。

 実際、女性のためのサイト『大手小町』の掲示板『発言小町』に、それを象徴するかのようなスレッドがありました。
 「子供ができない嫁を離婚させたい」という、余計なお世話もいいとこの60歳の姑からの炎上必至の相談スレッドなんですが、468件のレス※があり、そのほとんど(というかすべて)が「あんたがおかしい」というものでした。
※発言小町は検閲があり、乱暴な発言は消されたりするので、実際はもっと多かったと想像される。

 当然と言えば当然の帰結ですが、これはあくまでも、普段口撃されることのない姑が、口撃されてもしかたない所に現れたがために起こった、かなり稀なケースで、実際の家庭環境ではまず起こりえないことでもあります。

 実際、このようなことを嫁側が発言したらどうでしょう?

 ここまで一方的に、「その考え方がおかしい」と言ってもらえるでしょうか? 言ってもらえないと思います。

 おなじく発言小町に、そのようなスレッドがありました。「妻である自分に子供ができずに夫から責められるのは、見合いだからしかたないんですよね」というものです。

 フツーに考えたら、子供ができるできないの問題は、個人の努力ではどうにもならないことです。
 周りがみんな無事産んでいるように「見える」から気づいていないだけで、流産・死産の数は想像以上に多いですし、出産時に母体が死ぬこともあるという現実に対して、あまりにも軽く考えている人が多いようです。ですから、「ブライダルチェックしなかったのは悪い」という、今さら言ってもしかたのないことを言っている人(夫含む)もいるのが私はビックリなんですが・・・。

 現実問題、医者に「あなたは子供を産めない」と言われていた女性が、妊娠・出産したなんて話は、流産した話よりも多く聞きます。あくまでも一般論を元にしてつくられた科学が、どれほどあてになるか怪しいところです。

 だから、古来より「授かりもの」という考え方があったのでしょうし、実際、今もそうやって考えている人も多くいるわけです。
 それなのに、「授かれないこと」を、サンタクロースのプレゼントばりに、「お前が悪い子にだから授かれないんだ」と言いつのるのは、大人としてどうなんでしょう?


 ちょっと話がそれてしまいましたが、私はあくまでもここで、不妊にまつわる価値観の議論をしたいワケではありません。ただ、そんなことで責められて、責任を負わされるのはどうなんだ、と言いたいのです。

 人の価値とは、そんなことで決まるのかと。


 たしかに、人間も生物ですから、種の保存は大切な仕事だし、尊ばれるのも当然のことではあります。

 ですが、人は、それだけで生きているのでしょうか??

 私ははじめに、祖母の法事の中で、祖母にとってのひ孫が生を謳歌している姿を見て、「大きな仕事をした」と感じたと言いました。

 でも、それは単に、「子供を産んだ」からだけではないハズです。

 きちんとした、「家族」を作ってきたからこそ、その子たち、孫たちが、「家族」を作ろうと思い、実際に家族を増やしているんです。
 初盆には参加していませんが、6人のひ孫の他、私の兄にも2人子供がおりますので、すでに8人のひ孫がいます。子供のいない孫が私を含めて4人。ですが、全員「結婚しない」と頑なに思っているワケではないので、もっと増えていくのは確実でしょう。

 それは、我々にとって、「家族」というものが、「作るべき」というものではなく、「作りたい」と思えるものだからに他ありません。

 (すくなくとも)私の近しい親族は、橋田壽賀子ドラマのような、嫁姑でドロドロ・・・みたいなのとはほど遠い、親しい親戚関係です。
 我が家では橋田壽賀子ドラマは「ファンタジー」以外のなにものでもありません。「違う世界」のこととして「こんな人いる?」と楽しんで観ておりました。
 ネット掲示板で、舅を「ウト」、姑を「トメ」、あわせて「ウトメ」なんて呼ぶ必要もありません。邪魔な存在ではないからです。

 それは、「恵まれている」と言われればたしかにそうなのかもしれません。

 ただ、それは、そういう家庭を築いてきた人たちの努力のたまものなのではないでしょうか?


 もちろん、人間なので、すんなり行くことばかりではないのも事実。でも、許せる範囲内です。それが、許せない範囲のことが行われている家庭では、いい家族など生まれるハズもありません。だから、うまくいくはずもないし、真似をしたいとも思わないのです。

 たとえば、その、私のいとこ姉弟の子供たち(祖母にとってのひ孫たち)は、名前が「しりとり」になっている、なんてのは真似をしたくなる好例ではないでしょうか?

 長女(姉)の子供の名前が、上から「あけみ(14歳)」「みか(10歳)」「かいと(8歳)」と続き、その下の長男(弟)の子供の名前が「とうま(4歳)」「まみ(2歳)」「みのり(9ヶ月)」と続く…といった感じ。
 もちろん、プライバシーに関わるので名前も性別も変えてありますが、兄弟が、自分たちの子供に、生まれた順にしりとりで「つながり」を作っていくのもまた、家族としての「努力」であると言えるのではないでしょうか?

 だから、「子供を産めない嫁だから…」という議論が出てくる家庭が、いかに、「家族をつくろう」と真剣に考えていない家庭なのかもわかってくるというものです。

 目の前の「事象」にとらわれすぎて、命を紡ぐ、家族という「精神」が伴っていないと言えばいいでしょうか? 本当に家族をつくりたいという気持ちがあれば、養子縁組でもするんじゃないでしょうか?

 江戸時代には将軍家でさえそうしたのに、この平成の世にあって、「血」だの「ご先祖様に」だの、おかしな議論だと思いませんか?

 ・・・・と、私がそう思うのは、我が祖父が、そもそも婿養子だったからかもしれません。祖母姉妹には、兄も弟もいなかったためです。が、それでも、今現在、我が家系は拡大していっているのです。ブライダルチェックなど、なくてもです。
 そんなのあったら、今の私は存在していなかったかもしれません。


 ですから私は、「子供を産めない嫁だから…」という理不尽な言葉に悩まされている人に対して問いたい。

 「産めなきゃ家族になれないのか? それをはたして家族というのか?」と。

 人の価値は、子供を産んだ産まないにあるワケじゃありません。

 子供を産んでも虐待する親はいるし、子供を産んでも人を愛せない、人を傷つけて平気な子供に育ててしまう親もいます。自殺まで追い込むようなイジメをする子供など、その、最たる例ではないでしょうか?

 人が一生のうちにできることは限られています。

 もし、子供が産めないのであれば、親のいない子供の親になってあげてもいいですし、子供の命を救う活動をしたっていいと、私は考えます。
 子供を産むことはたしかに、社会的には+1かもしれませんが、子供が死んだら−1になるのです。ですから、死ぬかもしれない子供を救うだけで、−1が消えることを考えれば、それは+1の働きになるのではないでしょうか?と思います。

 こういう、人の命を数字で考えるのは不謹慎だという声が上がるかもしれませんが、でも、こうやって見なきゃ、見えないものもあるんじゃないでしょうか?

 数多くの出産が人類を発展させてきたというのは、まぎれもない事実です。
 ですが、ここまで人口が爆発的に増えた理由は、「死なずに済む人」、つまり「出産以外の+1」が増えたからに他なりません。医療の進歩はもちろん、食糧供給力の向上、衛生面での改善、それに伴う寿命の増加等、あげればキリがありません。

 これは、「出産」以外のことにも価値があると信じ、貫き通してきた人々の、努力の証ですし、その大多数は、「産めない性」の男たちが担ってきたのです。命を産めないからこそ、命を守ろうとし、命を育てようとした結果です。


 現代では、「産めない女性」という存在が増える環境になっているのは事実です。
 原因は様々ですが、それをあげつらって責めるよりも、女性が、男性がしてきたようなことをすることで、「産めない」ことを責められる気持ちを和らげる・・・という選択肢も、今後はあっていいんじゃないでしょうか?

 「子供を産めない嫁だから自分はダメなんだ…」と悩む人に、そうやってグローバルに考えなさいなんて、難しい提案かもしれませんが、これも一つの「出産」だと、少なくとも男である私は提示しておきたい。

 『作品』をつくり、それを世に出し、それに触れた誰かの命が救われるのならば・・・と考えてるのも、一つの例でしょう。男たちは、自ら遺伝子を残せない代わりに、仕事に遺伝子を費やすことが多いのです。
 そういう男たちは、「自分の優れた遺伝子を残したいから結婚する」なんてことは言いません。そんなことしなくても、伝わるものです。伝えられるものを、産もうと必死になっているのです。それをしてこそ、自分の子供に、自分のしたことを伝えられると考えているのです。


 もちろん、こういった考え方を参考にすることで、抱えている不妊にまつわる問題が解決するなどとは思いません。
 ですが、自分を責めたところで、妊娠なんてできませんからね。自分を責めて責めて、責め抜いて「妊娠した!」って話は、私は聞いたことがありません

 むしろ、女性としての幸せを感じていたり、この人の子供がほしいと思っていたりしていた方が子供ができやすいものです。皮肉なことに不倫相手の方が子供ができやすかったりするのは、そういう部分も少なからずあると、私は思います。
 不倫して妊娠した話はホントによく聞きますから(そして結局堕ろすハメになった話もですが)。

 ここまで述べたのは、私個人の考え方ではありますが、子供が「天からの授かりもの」とするならば、人事を尽くして天命を待つしかないんじゃないでしょうか?

 その「人事」というのが、「家族をつくる」ではなくて、「妊娠する」ことにあるのだったら、それはうまくいくはずもないですよ

 だって、家族って子供だけじゃないじゃないですか?
 夫ともうまくいってないのに「子供ください、子供がいればうまくいきますから」って、そんなの家族じゃないでしょうよと。
 子供は家族のための道具じゃない、これだけは絶対言えることです。

 家族をつくろうと必死になっていたら、がんばってがんばって、子供を授かることができなくても、その、必死になったプロセスの中で、「自分たちの家族になってほしい人」が見えてくるので、養子に迎え入れたい子供の姿も見えてくるでしょうし、たとえ養子を組まなくても、自分たちがきちんと人として生きてくれば、自分たちの背中を見てきた人たちが子供同然になったりしていくことも、あるんじゃないでしょうか?


 私がもし次に生まれ変わるとき、女性として生まれ変わったのなら、この気持ちだけは忘れずに生まれ変わりたいものです。妊娠・出産は女性の最大の喜びかもしれませんが、それがなければ人生じゃないなんて、ツラすぎます

 もしそれしかなかったのなら、自分に娘が生まれて、その子が不妊症だったら、その子の未来をどうやって明るく照らせるというのでしょう?
 
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