死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.11.25 23:59

 サッカーJ2、横浜FCの都並監督が一年で解任にということになったらしい。

 厳しい勝負の世界だから、あることではあってもかわいそう・・・・とも思えるが、やっぱりこれが勝負の世界なのだろう。こうしなければいけない時もある。この責任は監督だけのものでないということを伝えるメッセージとして行なった解任・・・・というやり方もあるが、今回がそのケースかどうかは私にはまったくわからない(横浜FCの戦いぶりをまったく知らないので)。

 記事によると、都並監督は、3年契約だからとじっくり育成して昨年降格してしまったJ1に復帰しようという計画だったらしいが、その結果が、J2で15チーム中11位・・・・昨年J1にいたチームがJ2でこれでは、さすがに経営的にも危なくなる成績だ。「早く戻らねば」という意識をフロントが感じなかったのだろう。1年の途中で解任が決まった。
 都並監督のコメントは後悔に包まれている。

「理想を追い過ぎて安定感がなかった。それが自分の首を絞めた」(都並監督)

【理想を追ったら・・・】

 あくまでも想像だが、都並監督には、「しっかり力をつけてからじゃないと、たとえJ1に上がっても、またJ2に落ちる」という考えがあったのだろう。確かに、ボーダーライン上で上がったり下がったりではなんの意味もない。そう思えてしまう。

 けれど、それでも「J2」と「J1」は基本的に扱いもれべるも集客も違う(よね?)。スポーツ選手なら誰もがトップリーグで戦いたいと思うだろうし、負けてもそこから得る経験は下部リーグの比ではないと思う。下部リーグに降格した選手がトップリーグに移籍するのが最たるものだ。
 弱くても、本当に強いチームと戦えるほど光栄なことはない。また、ファンもそうだ。サッカーは少得点差で決まる代表的なスポーツだ。それはつまり、「ひょっとしたら何かあるかもしれない」という番狂わせを期待することも、ファンの一つの楽しみなのだ。

 日本代表がブラジル代表に勝てる理由なんか一つもないけれど、「勝ったらサイコーじゃね?」という思いがあるから、ブラジル選手の凄さを見ながら、心のどこかで「勝ったらいいなぁ」と思いながら観戦しているのだ。だからこそ、万が一にでも勝った場合、天地がひっくり返ったばかりに喜ぶ・・・・これがサッカーの醍醐味の一つではなかろうか? 選手としても、単なる腕試しなら、恥をかくだけだ。

 人間、誰しも「理想」を掲げたいところだし、「理想」がないよりはあった方がずっと「夢」が叶いやすくなるのも事実だ。しかし、ここがジレンマなのだが、「理想」を追えば「夢」は必ず叶うかといったらそれは「ノー」なのだ。今回の都並監督解任はそのひとつの例なのかもしれない。
 そして監督自身も、長い選手経験・監督経験から、そのことを「知って」いたはずなのに、油断してしまった。だからこそ、先にあげた言を発したのだろう。後悔先に立たず、というやつだ。サッカーとは、プロスポーツとは、何よりもまず、結果が優先されるのだ。

【プロスポーツの宿命】

 それは、プロスポーツが単なる一人や一団体のものではないからだろう。わかりやすく言えば高校野球などの学生スポーツと比較するとよくわかる。別に彼らが勝とうが負けようが、それは彼らのために、学校のため(集団としての)にすることだけを考えていればいい。別に集客がなくてもお金を払う必要がないのだし、「期待を裏切った」とバッシングされる言われもない。選手が「期待を裏切って申し訳ない」と思うのは自由だが、それ以上責めたりする人はほぼ皆無だろう。

 だが、プロスポーツは違う。プロスポーツは、お金を払って観ているのである。テレビは無料だからではない(J2に無料テレビ放送はないが)。そのチームを観る、応援する時間――つまりお金に換算することのできる価値を、自分たちに預けてもらいながらプロスポーツ選手やチームがやりくりできていけるのだ。
 アマチュアスポーツは縁故や義理でも観る。でも、プロスポーツは、まったく自分と無関係な人たちがするプロスポーツは、そうではない。見知らぬ人たちに、お金と時間を、自分の人生の一部を彼らに託すのだ。限られたそれらを。

 その期待に応えなければ、それはウソだろう。そして、そうしなければ早晩、多くの人の支持を集めることなどかなわなくなる。何があってもおなじように応援し続けられる、熱狂的なファンというのは、どのスポーツでも、ほんの一部だからだ。
 そのほんの一部の人たちがあるからやってこられるのも事実だし、そのほんの一部の人たちだけではやっていけないのも事実だ。でなければ、こんなに多くの社会人スポーツが廃部になることはない。先日も田崎真珠の抱える女子サッカークラブ、田崎ペルーレFCの廃部が決まった。企業の経営難のあおりを受けたからだ。

 つまり、スポーツはお金を集めるのが大変なものなのだ。そしてそれを支える基盤もおどろくほど弱い。そして、その中で戦っていかなければ、つまり収益を上げて整備して補強して・・・という好循環を作っていかなければ、そのチームはいずれ尻すぼみになる。
 だから、最初は結果じゃないと言っていても、状況の変化――たとえば勝てないこと、おもしろい試合を出来ないこと、スター選手がいないことで集客がダウンするようになってくると、当初の予定になかった「結果」が求められるようになってしまう。3年契約でも途中解任・更迭・・・・そんなこともあるのがプロスポーツの怖さであり、現実なのだ。

【理想は必要か?】

 しかし、その競争原理が、スポーツを刺激あるものにしているのも事実だ。その刺激が、収益を生み出す。サッカーというコンテンツを、他のテレビ番組に取られなくするためにも。サッカー観戦という文化を、他のもので代替できないようにするためにも。もちろん、それが行きすぎて入場料が高くなりすぎたヨーロッパサッカーの状況がいいとは言わないが、「現実」はそうである。

 それに対して「理想」を掲げ、それに逆らう生き方をするのも自由だ。だが、結果は残せないだろう。かといって、「理想」をなくしてしまったら、今度は「現実」の巨大な波に翻弄されることになるだろう。ビッグクラブしか勝てない・・・・そんな現実に。

 そもそも、「理想」はあくまでも個人のものであり、それが百パーセント叶うなんてことはあり得ない。叶えたところできっとそれは、現実よりも下の水準になるだろう。世の中とは、自分の理解を超えるところで動いているからだ。しかし逆に、だからこそ、自分の予期しなかったような「感動」が待ち受けている・・・・そういうものを、観る人も求めているのだ。
 日本がブラジルに勝ったら面白い。サイコーに面白じゃないか!

 叶うはずのない理想が叶うことほどおもしろいモノはない。ダサ男が美人と結婚する方が面白いじゃない? 数年前に流行った『電車男』はだから大ヒットしたんではなかろうか?

 プロスポーツの世界で結果を残し続けられる人間は、そこをよくわかっている。だから、勝負の世界では「まず」、勝つことにこだわる。いくら弱くても、「勝つ」と言わなくては始まらない。でなくば、「理想」など夢のまた夢になるのだ。「勝つことよりも大切なことがある」のは確かだが、その負け数が勝ち数より多くて納得する人間はほとんどいない。
 残された道は、勝つことにこだわるプロセスの中で、理想を体現していくのだ。そうしなければ、理想など夢のまた夢・・・・これはなにも、スポーツに限ったことではない。特に弱いチームならなおさら、そうしなければいけない。悠長なことを言っていられない。

 そういう意味で、「こんな日本を作りたい」といって結局途中で挫折した内閣があったのもうなづける。「~したい」という理想は、個人の夢だ。それに夢中になるあまり、それが自分個人のものでなく、多くの人の共有財産であるということを忘れてはならない。
 弱いチームに必要な監督は、自分が卑怯だなんだと罵られてもとにかく「勝ちグセ」をつけられる監督なのだろう。もしくは、「理想」に傾倒しすぎず、ほどほどの理想の形で、結果を残す監督・・・・・都並監督はそのどちらの監督にもなれなかった、そういうことかもしれない。

【理想と現実、バランスを取るために】

 結局大切なのは、ありきたりだが、「理想」と「現実」のバランスなのだ。

 しかし、だからこそ難しい。「理想」と「現実」どちらを追えばいいのか、もしくはどこで妥協点を出せばいいのか・・・・そうしていても答えはきっと、その日によって変わるだろう。そういうものに力を注ぎ込むのはいささか危うい。
 「これが出来なかったら俺はやめる」そういう理想をとことん追う監督ならそれはそれで結果を残すだろう。今のチームでダメでも、チームを変えたらよくなる可能性もある。しかし、そうできる人ばかりではない。

 ここまでさんざん「理想と現実」と語ってきたが、そもそも、「理想」と「現実」の両者は、形の決まっているものではない。
 そのことを忘れてしまうと、それに振り回されることになる。さっき挙げた理想をひたすら追う監督は、その人にとって理想が具体的な形になっているから、現実などにぶれないからやれる。
 でも、現実的には、形が決まっていないものだ。それを理解しないことには始まらない。そして、形が決まらないものということは、何か形のあるもの――つまり「本質」――から生まれた「副産物」であるというひとつの証なのだ。それは一体何か?

 サッカーは足を使ってボールを蹴る競技である。
 手を使うというファールなどしないにこしたことはない。フェアプレーをするにこしたことはない。しかし、「ファール」があるということは、それで一発退場にならないということは、ある程度その「ファール」も含んだ上でのスポーツがサッカーなのだ。
 「神の手」で伝説を作ったマラドーナは、そこのところを一番よくわかっていた人間だろう。あの瞬間、キーパーにはじかれると思った瞬間、「何が何でもゴールにねじ込む」ことを考え、わからないようにハンドをした。危険な賭だったそれは、見事に成功した。審判を欺いた。しかしマラドーナは言う「あのプレーでサッカーを冒涜したとは思わない」と。

 私はマラドーナのファンでもないし、そもそもサッカーファンでもない。だが、確実に、だからこそ確実にサッカーとは何かを言えると思う。サッカーの本質は、ファールをしないことではなく、ボールをゴールに入れるスポーツであるということなのだ

 今の日本人で「ファールがダメ」そんなことを言う人間はそういないだろう。ファールギリギリをどれだけ使えるかが、世界と戦う生命線だと知っている。
 それは「現実」を受けいれているからだ。「このままでは日本は世界に勝てない」という「現実」を。ここで「それは卑怯だからできません」と言うのは自由だが、一向に勝てはしないだろう。そもそもの実力が劣るのだから。

 しかし、だからといってそのままでいいとは限らない。フェアプレーができるなら、それが一番いい。そして、そういう理想を、現実と戦いながら、追っていく・・・・そして実力をつけて、ファールを極力しなくても勝てる・・・そんなプレースタイルが生まれるかもしれない。なぜなら、サッカーはぶつかり合うスポーツではなく、ボールをゴールに入れるスポーツだから。出来るかはわからないが、それはそれで、理想として追うなら(大変だと思うけど)不可能ではないのではないかと思う。ルール改正があればなおさら。

【理想は追え、現実とも戦え、だけど振り回されないこと】

 「理想」を追ったからダメだった。

 よく言われることである。しかし私はそれは違うと思う。「理想」は追っていい。「現実」とのバランスさえとれれば、むしろ追うべきだと思う。それこそが人を新しいステージに成長させるのだから。

 大事なのはきっと、「理想」と「現実」の間で妥協点を見出すことではなく、その両方を生んだ、その「本質」を理解することだ、それも深く。なぜなら、「理想」も「現実」も、その本質を内包しているから。

 「理想と現実」に振り回されないために、「理想と現実」という枠組みから離れて考える必要があるだろう。
 そうしなければきっと一生、「理想と現実」という、永遠に解けない課題に振り回される。そしてそこを理解する事ができる人間が少ないから、一流が一握りになるのだろう。それはどの分野でも何についても、きっと変わらない。私はそう思う。

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