死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.12.11 23:59

 小学校低学年相手の、合気道授業に参加してみましたよ。というか、投げられ役でしたよ。受け身が出来るので。

 まぁ、最初なので大げさに投げる技は使われなかったですが、おもしろいですね、これ。ずっと興味を持ってたのもありますし。

 私は「合気道はインチキだ」と言うほど格闘技に関して無知ではありませんが、自分の想像していたものとずいぶん違っていた感じ。それはきっと今日やったのが「投げ」より「極め」(一教~三教)が多かったからかもしれないけれど、一般的なプロレス的な「極め」とは根本的に性質が違うものだというものをすごく実感した。つまり「パワー」がないと極められない、という考え方と違う

 でも、やられてみると、「なんで」やられたか不思議だけれども、「なぜ」そうなったのかはわかる。自分の重心、力のベクトル、筋の動きと向き、関節の向き、そういったものを「利用して」、たとえば攻める側が望む動きの想定外の方向に動かすことで起こるようだ。つまり、非常に、科学的なのだ、科学で解明されていないことも含めて、科学的。たぶん、どの格闘技よりもずっと。

 しかしそれゆえ、一般的な「格闘技」とはずいぶん異質というのもよくわかる。科学なんて肉体改造とメンタルにしか用いられない、世間一般の「格闘技」とは、「攻める」ことが賞讃される格闘技とは、根本的に異質だ。

 昔から、「世界NO.1を決める」と騒いでる格闘技イベントが脈々と続いてきたけれど、そこでは「攻めない」=弱さの証ということで、ペナルティが取られるわけで、すごく「マッチョ」な世界だ。まぁ、そういう「イメージ」で商売をしているんだけどもね。信仰とでも言おうか。

 なので、それを支えるたとえば部活動とか、道場とか、「とにかく根性だ!」という空気感とはまったく違う。練習しないとかではなく、そういうのじゃダメってことになるんだと思う。それが隙になってしまう・・・そんなもののような気がした。コペルニクス的発想の転換が必要であると思う。マッチョじゃなくても技は掛けられるし、マッチョである必要はない(ただし、スピードは必要)。
 だからといって合気道ならイジメがない、安全だ、とも言わないが、本質的に異質だと感じたし、合気道の開祖、植芝盛平のいう、「和合」というのもよくわかる気がした。出来るかと言ったらすぐには出来ませんけども。でも、やってみようかなぁ。「マッチョ」信仰が嫌いな私向きだし。

 で、基本的に勉強も出来る、元格闘家・須藤元気が、「表面的な強さを追求しても仕方ない、本当に強い人間は戦わずして勝つ」という考えにいたって、格闘家を引退したのもよくわかるなぁ、なんて思った。

 余談だが、もう「58歳!」の由美かおるは、合気道四段らしいよ。スリーサイズが若い頃と変わらない、あの、お銀が。以下の動画は由美かおるの合気道姿

 由美かおるが、「美しくなるための合気道」という本を昔出していたらしい。この動画より更に前。中古で・・・・5千円? なんか、違う人が買ってそう・・・県内の図書館に一冊だけあるから、見てみようかな。

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