死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.12.24 23:59

 24日、今朝見た夢は、非常に不思議な夢だった。
 というのも、芸能人が夢に登場してくるなんてはじめてだ。芸能界に憧れもないし、テレビが大好きというわけでもないから今までそんなのなくてもごく自然なことだと思うのだけど、今日はなにか特別な気がした。

 私はよく夢を見る。正夢も結構多いほうだ。だけど、他の人もそうだと思うけれど、夢なんて、起きたすぐのときしかおぼえていないものだ。だから、正夢があったとしても、ふとした瞬間に「この光景見たことある!」とその時の夢のことを思い出すことがあるけれど、普段の生活ではほとんどの夢を忘れてしまっている。きっと、そうしないとメモリがパンクするからだろう。

 今朝見た夢は、実に不思議な夢だった。なにせ、特別な意識をもっていない「飯島愛」さんが夢に出てきたからだ。出てきたというか、飯島愛のストーリーにも見えた。私は、その中の一登場人物、傍観者でしかなかった。

 その夢の概要はこうだ。

 ある小さな町のかたすみに、小さな病院があった。個人病院だろうか? 二階に行くと病室があり、二階以上はないように思えた。眼科とか産婦人科とか、そういった雰囲気の所とは違った。むしろ、なにか、希望もない患者が生活しているところに思えた。

 終末医療の病院だろうか? 訪れる人もなく、笑い声も聞こえず、とても退廃的な雰囲気をもつ場所のように感じた。だからといって、病院の廊下は新しく見えたし、そこで働く人びとのやる気が感じられないとか、そういうことでもなかった。むしろ、どれだけ環境がよくても、それではどうにもならない、人間の根本的なマイナスのエネルギーがそこに満ちているように思えた。

 ある日、その病院の一階、階段を下りたところに、おもに犬を扱うペットショップが開店した。非常に明るい雰囲気をもったお店だった。コンビニのように昼光色の蛍光灯で真っ白に照らし出された明るさではなく、もっと、電球のような暖色系の、絵本で見るような、うす黄色い明るさを持った店だった。ガラスごしに箱に入れられた姿を観察するようなペット「ショップ」ではなく、店の中にしきられた柵の中で元気よく遊び回るようなペットショップ・・・。

 その店主は、有名人だったようだが、その生活に疲れて、何か新しいことを始めようと思ったらしい。それで、まわりにマンションもない、だけど、新旧あわさった住宅のあるような、別段、これといった特徴もない地区だった。そんな町に来た店主が、なぜか、飯島愛だった。

 夢の中の飯島愛は、テレビで見るよりもこざっぱりとした感じだった。たぶん、素の姿に近いのだろう。プレーン色のエプロンをして、バンダナを三角にして、頭の頭頂部からうしろに向けてかぶっていた。テレビでは見たことのない、飯島愛の姿だ。

 なぜ、そうなったかが思い出せないのだが、彼女は、病院の人たちとうち解けていた。正確に言えば、彼女の店の動物たちが、自分たちで病室への階段を駆けあがり、病室にいる人たちと触れ合うことで、彼らに笑顔を取り戻させているようだった。最近にわかに注目されている、アニマルセラピーというやつだろう。そしてその動物たちと患者たちが接する姿を、飯島愛があたたかい目で見守っていた。

 そこに至った経緯は、同じ地区に別の二つのペットショップがあって、売り上げが芳しくないために争っていたからだったと思う。そこに来た飯島愛は、その光景をこころよく思っていないようだった。このままではいけないと思ったのかどうかはわからない。

 ただ彼女がとった行動は、彼女らしく大胆で、でもどこか繊細な選択だった。動物たちは「商売の道具」ではなく、「人に必要とされるため」にいるのだと示すことだった。動物たちは、病室のある2階への階段を駆けあがっていった。

 彼女に、それを知らしめるための計算があったのかはわからないが、動物たちはきちんと、「誰にも必要とされない」と感じている患者たちに、生きる希望を与えているようだった。そして動物たちも、彼らに必要とされていることを喜んでいるようだった。
 車いすに乗った偏屈そうな老翁がおだやかな顔になり、病室から廊下まで出てきて、柴犬の頭を撫で、柴犬の尾がうれしそうに振られていたのが印象的だった。ここには、お互いが必要としあうことで輝ける関係があった。

 夢の中に登場する私は、そこの患者ではなかった。そこの土地の人間でもなかった。取材をしている人、という感じでもない。ただホントに、その光景を見ているだけの、テレビの視聴者に近い、登場人物だった。だから、飯島愛とも会話をしていないし、誰とも接していない。これは私の撮った映画なのだろうか?

 非常に不思議な感じがした。

 もちろん、ペットショップの上が病院なんてことが普通に考えたらあるわけないし、飯島愛がそんなことするのもきっとあり得ないことだろう。しかし、なぜか、私はそんな夢を見た。そのことを不思議だなぁと思っていたが、夕方のニュースを耳にして驚愕した。飯島愛が遺体で発見された、と。

 以前、飯島愛が芸能界を引退するというのを、金スマでやっていた。その時に出てきた霊能師、木村藤子が言っていた言葉がすごく印象的だった。

 「あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人」

 それは単に、AV女優からタレントになった成功例という意味ではなくて、AV女優であったという事実を誰しもが知っているのにもかかわらず、そんなこと「気にもさせない」ほどの魅力を持ち、「この人を見てみたい」という気にさせる存在――つまりそれは、人間だれしもが持つ自分のコンプレックスや負い目を、昇華している存在に映ったから、その人たちに元気や希望を与えている――ということなのだろう。

 つまり、「人に光を当てる存在」なのかもしれない。

 それが彼女、飯島愛、いや、大久保松恵の本質であり、資質であったのかもしれない。

 私の中のイメージでの彼女がそうだったのかもしれない。「ポルノ・ホスピタル」という、性感染症予防に力を入れていた彼女らしいタイトルをつけたブログをやっていた彼女のこともそうだし、『プラトニック・セックス』の中での彼女もそうだし、芸能人たちの彼女についての話についてもそうだけど、他人を無意識に光らせることができる人間であると同時に、気を遣いすぎて疲れてしまう部分もあったのだろう。

 それが芸能界をやめるきっかけとなったのかはわからない。けれど、病気も抱えながらそれを続けるのがつらかったのでは? という気もする。そして、それを支えてくれる男性がいなかった。いれば変わったかもしれない。けれど、いなかった。恋人がいるいないとかではなく、彼女が他人を光らせる光の発生源の裏にあるものを、誰も支えられなかったし、そして彼女自身がそうさせなかった。そんな気がした。気を遣いすぎるがために。

 だから木村藤子は必死に、飯島愛に芸能界引退をやめさせようとしたのかもしれない。「今はつらくてもきっとよくなるから」と。

 それはきっと、飯島愛という人間が、本当はすごくさびしがり屋で、人と繋がっていないと生きていけない人間だからということをわかっていたからなんだろう。人を輝かせるのは自分のエネルギーを使うから、そしてそのエネルギーがなくなったからつらくなるけれど、でも、そうすることでこそ生きている実感を得られることもあるのではないかと。病気を乗り越えるエネルギーも湧いてくるからと。
 霊能師である木村も同じような「宿命」を背負っていたからこそ、必死に言ったのかもしれない。

 私が見た飯島愛が出てくる夢は、病室の廊下で飯島愛がペットと患者が親しむ姿をあたたかい目で見守っているところで終わっている。テレビで見る以上の笑顔で、自然な、おだやかな笑顔で。

 飯島愛がペット好きだなんてこと聞いたことないから、あくまで私の見た勝手な夢なのかもしれない。あの夢はひょっとしたら、飯島愛が持っていた「本質」が、いい巡り会いを続けていれば出逢えた、別の未来なのかもしれない、とも思ってしまうけれども。

 ただこれがもう、「正夢」になることはない。

 それともあれは、天国での姿だったのだろうか? 私にはまったくわからないが、そうであると信じたい自分がいる。きっとそれが、彼女、飯島愛という人間がもつ「力」なのだろう。飯島愛は、他人に対して向けられるその力を、自分に正しく向けられなかったのかもしれない。残念な限りである。


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