死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

2009.01.19 23:59

 ケータイ小説サイト「野いちご」を見てみました。

 あれなんですね、小説だけじゃなく、エッセイとか、詩とか、「小説」にこだわってるわけじゃないんですね。そうかぁ、そういう世界もあったのかぁ。

 で、その中のエッセイがなかなか面白くてずっと読んでたんですけど、これはハマるね。まぁ、導入部がつまらなくて読む気が起きない作品も多いけども、すぐやめられるし、なんつってもタダだから、クセになっちゃうんだろうねぇ、コレ。

 それを思うと、ふと、一つのことが頭に浮かんだ。

 いわゆる職業小説家って、これも競争相手になっちゃうのかもなぁって。いやまぁ、小説だけに限らず、主に「暇つぶし(+感動)」を提供するエンタメ産業全般に言えることなんでしょうが、素人もライバルになっちゃう時代・・・まぁ、それで見劣りするようなプロでもいけないんですけどね。

 ケータイ小説が、文学かなんてのはどうでもいいですが、芸術になることはないでしょう。でも、それはそれでいいのかもなぁ、と自由な文章で書かれたケータイ小説群を見て思う。
 むしろ、今まで忘れられていた「物語る」楽しさというか面白さというのか、そういうのが間口を広げてみんなの前に来たってことなんじゃないのかな、とか思ったりした。

 昔はすることがなかったから、遊び回るか空想にふけるしかなかったって時代から、今度はモノが溢れた時代で、何もかも与えられたものばかりになってしまう。物語も同じモノがマンガ・アニメ・ドラマ・ゲームになったりと、幅の広がりがあるようでない。もっと自由なお話が、もっと空想的なお話が、いわゆるファンタジーが、今まではそれを仕事にするとか、リキ入れた趣味とかじゃなかったできなかったことが、ケータイ一つでできてしまう。

 それは確かに深みはないけれども、自由という広がりという点では、今までなかったんじゃないのかなと思う。万人に開かれたという意味で。ましてアマチュアらしい感覚と思考は、これまでの「出尽くした」感のあるストーリーテリングの可能性をもっと広げてくれる気もする。

 まぁ実際そんなこと考えてしてる人はいないだろうけど、「物語る」ってことがこんなに楽しいと多くの人が思ってやってるってことが、これはこれで凄いことだよなぁと思うし、それは結局、人の持ってる本能的欲求から来てるのかもしれないと思ったりもする。

 いつの時代もどこの社会も、ストーリーテラーという役割の人が消えることはなかったわけだし(弾圧はされたけども)、本能に根ざしているのなら、この勢いが衰えることもまた、ないのかもしれないなと思ったりもする。

 ただ、ケータイ自体が変わってしまった場合、それはどうなるのだろうか?と、iPHONE見て思う。

 でもあれだよね、現代って「お話」を作るなんてホント、学校の授業か、そうしたい想いの強い人がすることばっかだったんだなぁって思った。

 「昔々あるところに、おじーさんと、おばーさんがいましたが、仲が悪くて別居してました」・・・なんて冗談でも誰も作らなかった。でも、今なら気軽に作られる。それがリアルかどうかなんて問題じゃないし、そこに芸術性を求めるのもヤボだろう。人は、物語が好きなのだ。

 それは、その中でしか好き勝手に生きられないことを知っているからかもしれない。だから逆の意味で言えば、ある種希望がないのかもしれないね。「オレ最強」とか「このヒト最高」みたいなものが多いってのも、それを象徴しているのかもしれない。

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