死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2009.01.24 23:59

 松本清張ドラマ『疑惑』みましたよ。

 さすがというかなんというか、自分のことしか考えない作家じゃ書けないストーリーですね。といっても松本清張をよく知らないんですけども、人の立場に立って考えられる作家ですね。

 フツーに考えればわかるだろ!ということが、世間の人はわからない、そういうものを当たり前のように書いてるんでしょう。でも、現実にはあるんでしょうか?「スパナで水中の車のフロントグラスを割った」なんて、信じる記者や警察がいるんでしょうか?? 割れんだろ!? 水の圧力かかったガラスを女の力でどうやって割るんでしょう?? 先に割れたと考えてみるべきでしょう。

 でも、そういうことが、状況証拠だけで、そういう報道のなかで、もみ消され、信じ込まされてしまう・・・あるかなぁ?あるよなぁ?松本サリン事件なんてその典型だったわけで。だから推定有罪もなくならないわけで。

 でもそこで、単なる批判に終わらないところが凄いんでしょうね。読み応えがあるというか。単なる「正義が勝つ!」だけでなく、情感を刺激するというのか、やるせなさが伝わるというか・・・。

 「疑惑」で人を追いこむ。でも、その根底にあるものはなんなのか?

 それが第一の問いかけなのだろう。

 第二は、その疑惑の根底にあるモノを暴きながら、晴らしていく。でもそこで、見えていくものは新たなる「疑惑」。それは単なる「解決しない謎」ではなく、ものごとを根底から見つめ直さなきゃ見えなくなる、「大きな謎」。

 それを、その人の立場に立って考えること、そのためにこそ「証拠」があるのだということを見せながら晴らしていく・・・これが第三の問いかけなのだろう。つまり、「人はなぜ、こうしてしまうのか?」という根源的な問い。

 そして、そうやってこそ初めてわかってくる、作り上げられた疑惑から解放された、本当の疑惑へのアプローチ。それを主人公である弁護士がたどりついたのは、自身の経験からか、それとも自身の弁護士としての信念か、人間としての有様か。

 実は、これこそが、最大の問いかけであり、この作品の本質なのではないのだろうか?

 つまり、疑惑に身を委ねるのも、疑惑を自分にいいように利用するのも、人間性の枯渇なのだと。

 もちろん、「疑わないから人として正しい」そういうことではない。「疑う気持ちを持っても当然、でも、疑う気持ちだけで動いてはいけない」ということなのだ。疑うべきものがあるのに、疑わないで済ませられることは少ない。でも、「それ」が本当に疑うに値するものなのか、判断する「力」が、生きていくのにあるべきじゃないかと。

 簡単に言ってしまえば、単に「疑惑」=「疑う」とするのではなく、文字通り「惑」、つまり、「惑わせる」ことと向き合うこと、その中で闘ってこそ、「疑惑」の本質が見えてくるということなのだろう。

 疑惑と闘わなかった刑事、検察、記者、関係者・・・それらはすべて、引き立て役なのだ。けれど、現実にありふれたものなのだ。その中であなたは何を感じるのか? 

 単なる「お楽しませ」だけで終わらない、一線級のエンターテイメントとは、かくあるべきなのだというような気がした。受ける先を限定した人を小馬鹿にしたようなエンタメより、「かなわんな」と思わせる物・・・それもエンタメなんだろう。人にとって血肉になるエンタメ。

 私も頑張ろうっと。

 でも、なんで古畑任三郎風なシーンが・・・田村正和だから? あれだよねぇ、田村正和が主人公だと、絶対こっちが勝つって初めからわかっちゃうけど、勝ってもやるせない気持ちになるラストのピアノのシーンと、でもほんの少しでも報われることがあるってのも、人の現実の人生を表しているようで、切なくも温かいね。

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