死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2009.02.28 23:55

 夜8時、営業も終了してるであろうラジコンショップの前に、一台の車がとまっていた。フェラーリ(たぶんF360)だ。

フェラーリ

 今日は土曜日である。そんな日の夜にフェラーリがラジコンショップの前にいる・・・もったいないと思うだろうか?しかし私には、なにか心を動かされる光景に思えた。

 ラジコンとかパソコンとかを好きな人は、同時に車好きであることはよく知られていると思う。それはきっと、メカニカルなもの、かつ、それをいじることが好きなのであろう。

 だから、別段不思議な光景でもない、とも言える。実際、中日ドラゴンズの山本昌投手(44歳)は、億単位の年俸を毎年もらい続け、複数のスーパーカー(エンツォ・フェラーリ含む)を所有し、同時にラジコンの腕もプロ級としてよく知られている。ラジコンを趣味にするお金持ちはいるわけだ。
 それもそのはず、おもちゃ屋で売られている既製品のラジコンと違い、本格的なラジコンはお金のかかる趣味である。ときには、原付バイク並のエンジンを搭載したラジコンヘリもあったりするわけで、お金がかからないはずがない。

 そんなラジコンを趣味とする人が、おそらく営業時間外、それも土曜日にお店に来る・・・ということは、その人にとって、それが一番大事だという証なのではないだろうか?と感じたのだ。

 フェラーリに乗ってる人が、金持ちのボンボンなのか、それとも、自ら財を築き上げた人なのかは私には知る由もない。しかし、この人にとって大事なのはつまり、こういうことなのだろう。

 「クルマとラジコン、そして気の合う仲間があればいい」

 別に、フェラーリに乗ってるからとか、土曜だからとか、そんな理由で女と遊ぶといったこともしないのだろう。むしろ、それを利用しない、したくないとさえ思っているかもしれない。もちろん、正確なところはわからないが。

 私がこの光景を見て感じたのは、敬意に近いものなのかもしれない。周りに合わせない姿への敬意というよりも、もっと、こう、ひたすら自分の「好き」なものを追いかけ、それを実現した姿。たぶん、この人がボンボンなら、こんな時間にラジコンショップで語らうなんてしないだろうから、フェラーリに乗りたくてがんばってお金持ちになったのだろう。そしてそれを実現した。巨大なラジコン、フェラーリと、おそらく子供の頃から好きだった小さなラジコン・・・それを儲け度外視で語り合える「居場所」と「人間関係」がある・・・たとえこの人が奥さんに逃げられていたとしても、この人はきっと、幸せを享受できているのだろう。

 そしてそれを見た私は、自分に何が欠けているのか、なんとなくわかってきた。

 私は、自分の中に、夢のイメージがあっても、それに向けて努力していても、それがいつも漠然とした形でしかなかったのだ。たとえばこの人のように「フェラーリに乗りたい」というような具体的なものではなく、「いつかは…」と考えてる自分がいたことに気がついた。なのに今まではそれに気づかず、その「いつか」にちっとも近づいてないような自分に一人で焦ったり、悩んだりして、でも、だからといって大きなエネルギーが湧くということもなかった。努力していないとまでは言わないが、あまりにも自分で「実感」を感じられなかったから、それが障壁となって立ちすくむ結果となってしまっていたのだろう。

 私は、もっと自分の感情や欲望に、もっと素直になるべきなのかもしれない。常に我慢して努力してればなんとかなる、それが必要なことだと思ってた。だが。結果は違うのだ。 この、フェラーリとラジコン(とその仲間)を愛する人に、私は生きる上で大切なことを教えてもらった気がする。
 もちろん、そう思えるようになったこれまでのことももちろんあるのだが(昔のブログ名も『欲望の日々。』だったし)、私が今、一番何をすべきかというのを問われているような気もした。

 私は、文を、自分の思う価値でお金と交換したい。
 昨今は、仕事ではなく身分で給料が違うといったような、「対価」という発想があまりに軽んじられる傾向がある。私は、そういうことを常々おかしいと思いながらも、自分もその罠にはまっていることに気づいていなかった。

 私は、自分の文の、具体的な対価を考えたことが一度もない。「これならこれぐらいもらって当然だろう」というような。もちろん、実際問題、そんなことが言えるのはごくわずかな物書きだけだ。たいがいは、とにかく仕事をこなしていく内に、強く出られるようになる、というものだろう。

 私も今までは世の中はそういうものだと思ってきた。しかし、今の世の中、私の職業のように、3年経ったらどれだけ仕事が出来ようが、新しい人と入れ替える、というようなことを平気でするような世の中だ。法を守る側の役所ですらそう。

 むしろ、私のように、「いつかは報われる」と信じている人間の心を「まじめに働く便利な労働力」として利用しながらも、困ったら「立場」を利用して切ることが出来る・・・・私はここで、その善悪を問うているのではない。別に、人間なんてそんなものだ。つい数十年前まで黒人は人間じゃなかったし。
 そういうことではなく、そういう「現実」を現実として受けとめ、それに悲観することなく、愚痴をこぼすだけでなく、「その中でも」たくましく生きていくための方法を、見つけたような気がしたのだ。

 対価の価値を知らない人間には、対価を教えるしかない。それはつまり、自分を安売りしないという事だ。安売りしてしまったら、叶う夢も叶わなくなる・・・・フェラーリは一生買えないようになる。私はフェラーリがほしいわけではないが、水素ロータリーのハイドロジェンRX-8がほしい(市販されてないけど、買えば一千万はするだろう)。

 「好き」を追いかける、それはつまり、自分の人生を自分でデザインして、かつ、それを実現させていくための大事な姿勢なのだろう。自分自身を大切にすること、自分の「価値」を自分で不当に落とし込めないこと。それが、今の時代を生き抜く我々に必要なことなのじゃないだろうか?
 閉店後のラジコンショップ前のフェラーリは、そのことを教えてくれてるかのようだった。

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