死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

2005.04.12 19:59
って思った人いませんか?

さて、何の話かというと、香川県綾南町立陶小が新教科「キラリ」をするんだとかいうニュースからだ。

研究開発校制度ってのがあるんだけど、それに、「キラリ」という教科をやります、という学校を新規登録しましたよ、というニュースだ。
研究開発校というのはまぁ、あれだ、言葉は悪いが教育方法の実験校ってところかな(だから教育大学付属の学校が多いね)。そのデータを元に全国的な教育政策にも反映されたりとかするのね。最近は総合学習との絡みで増えてるみたいだね。学校の区別化はどんどん進むようだ。結構なことだ。
「差別だ!」って主張する人や学校に復讐する人が出そうだけど、平等化が無理だったからこうなってんだからね。これからどんどん増えるよね。


さて、本題の新教科「キラリ」

香川県綾南町立陶小の新教科「キラリ」は全学年に設定し、表現力を重視して、劇の創作などに取り組む。

とのこと以外、情報が全くないのだが、要するにあれかな、「シュタイナー教育」みたいな。


え?シュタイナー教育知らない?

ん~、説明するの難しいんだよなぁ。
ドイツのルドルフ・シュタイナーという数学者で教育者の人が作った教育方法およびその実践校のこと。ドイツとかではれっきとした学校の一つとして認識されているが、そこで行われる教育方法はちょっと普通じゃない。

何が普通じゃないというと、いわゆる受験勉強などないのはもちろんのこと、演劇などの創作活動に重きを置いているというところが普通じゃない。通常、我々の常識で言えば演劇とか工作なんてのは、(子供の人気は高いが)「最もどうでもいい科目」と扱われるが、シュタイナー教育では最も重視していることである、というのが特徴。だから、ふざけた演技をしてたりすると激しく怒られるらしい。点数評価もないらしい。熱の入れるポイントが違うだけで、教育としてはとくにおかしなことはしていない、といえるだろう。
他にも算数のあとに聖書を読み聞かせて「契約」の概念を学ばせたりと、教育の常識が崩れ去る人も多いかもしれない(と同時に認めない人も多いかもしれない)。ちなみにテスト中に教え合ってもいいらしい…そういえば大学のドイツ語の講師はテスト中に答えのようなものを教えてくれたな…。

なんでそうなのかというのはシュタイナーの考え(想像力と学習の密接な関係)によるところが大きい。ただし、シュタイナーの思想を子供たちに教えない、というのがこれまた普通じゃない(宗教教育ならあり得ない)。


「まさに理想的じゃないか!」
と思われる方もいるだろうし、
「そんなの非常識な人間が育つだけじゃないか!」
と思われる方もおられるだろうが、シュタイナー教育を受けた生徒だからといって特別どうこう、ということはない。むしろ、子供たちのほうが他の学校の子と比べて「受験勉強させてくれよ」とか言うらしい(大学受験は普通だから)。
娘をシュタイナー学校に入れたドイツ文学者の子安美知子はその著書「シュタイナー再発見の旅―娘とのドイツ」にてこんなシーンを紹介している。

おもしろいやりとりだ。ふつうならば、先生の側が受験の必要性を強調し、生徒がそのプレッシャーを訴えるという構図のはずだ。それが逆になっている。(中略)シュタイナー学校では、生徒のほうが受験勉強の強制をほしがり、先生がその必要を認めない
 
それでも子供に媚びないのがシュタイナー教育。教師が生徒の要求を突っぱねるのは、ひとえにシュタイナー教育の思想があるためだ。だから何と言われようと突っぱねられる。こういう点では宗教教育に近いものがあるだろう。


・・・とシュタイナー教育の解説はこれぐらいにしておくが、とうとうこういったものが日本の、宗教系じゃない学校で出てくるようになったんだなぁ・・・と思うと、やっと教育というものを幅広く考えることができるようになったのかなぁ、とかちょっとだけ思う。

おそらく、糾弾は避けられないが、「それでも私たちはYESと言う」というノリで抵抗して欲しいものだ。彼らが(下心なしに)正しいと判断したことを、そうコロコロ変えられても子供たちが迷惑する。方法論が間違っているか間違っていないかなどというのは結果論であり、子供たちにとって必ずしも意味のあるものではない。理由は、子供たちは大人になる(=学校を出て社会を知る)からだ。いい加減が良しとされていては、どこでも通用しなくなる。それはヤクザだろうと警察官だろうと同じことだ(後者のほうが通用するよね、とか言わない!)


子供たちにとって最高の教育者とは、子供たちのことを考えている教育者である。
そういう教育者になるためには周りに媚びるなどということはしてはならない。これは道義的な意味合いだけではなく、最も身近な大人であり手本でもある人間が、その子供たちのもつ「人間像」への大きな影響を及ぼすからだ。媚びた教育者を見て育った子供は、真剣に取り組むことすら回避するだろう。「だってそれで問題ないんでしょ?」と言って。

だから教育者は、自らの苦難を滅してでも子供の将来に仕えるから『聖職者』というのだ。必ずしも「仲良し」になる必要なんかない。そのことを、忘れなければいい。


前掲書からもうひとつシュタイナー学校の教師のセリフを少し長いが引用しておこう。

「きみたち、プレッシャーがないというご不満をおもちのようだが、考えてごらん、プレッシャーは、学ぶ対象の側に厳然とあるよ。ぼくの演劇の授業でも、毎日経験しているだろう、作品自体がプレッシャーだってこと。正しい取り組みをしよう、力を出しきる上演に仕上げよう─ぼくは何度もダメ押しをして、妥協しないだろう。それは決して点数によるプレッシャーじゃないけど」
シュタイナー 再発見の旅―娘とのドイツ
子安 美知子
小学館 (1997/03)
売り上げランキング: 284,312
通常2~3日以内に発送
誰もレビュー書いてないなぁ・・・書かないといかんか
web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/12-2fe575b5