死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

--.--.-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
トラックバック(-) | コメント(-) | この記事のURL | 編集 |
2009.09.14 22:01

 よく、人前ではかわいらしく着飾る「女っぽい女」が「男らしい人が好き」と、ちっとも男らしくない男(彼氏・ダンナ)を捕まえて言っていることが多い気がする。

 が、こういう人は、口ではそんなことを言いながらも、本質的に、そういうことを「言っても許される」男らしくない人となぜか一緒にいる。なら文句言うなよと思ったりもするが、「私は女っぽくするという努力をしてるんだから、おまえもしろよ」と、その「対価」を求めているのかもしれないし、はたまた、DVがひどすぎる「男らしい人」はこりごりで、男らしくない人とつき合ったけども物足りないと思ってるからかもしれない。

 しかし、その強引な姿こそまさに「男らしさ」の象徴であり、かわいらしさやいじらしさといった「女らしさ」でカモフラージュしているだけじゃないか・・・・とも思ったりもする。

 事実(事実?)、「昔は」かわいらしかった女性が歳を取って、オバハンになることが結構多いように思う。結婚して安心したからとか、子供を産んだからとか、子育てに忙しかったとか、ダンナに魅力がないからとか、いろんな言い分もあるだろうが、きっと、本質的に、「オヤジ的な」ものを持っているからこそ、オバハンになるのだろうと私は思う。女同士になったら男には見せない態度を取ったりとかいう人は特に。

 では逆に、男が「まったく女らしくねーな」と無下に扱う「男っぽい」女はどうだろう?

 たしかに、「男っぽい女」は、「女っぽい女」と同じように「男らしい人が好き」と言う。しかし、そのことを男っぽくない男に対してクドクドと「女っぽい女」のように言うことはない。なぜなら、そんなことをするよりも、とっとと男らしい男を見つけてつき合おうとするからだ。

 男っぽい女は、まるで「男のように」潔い。

 男からしたら「なぜ」彼女たち「男っぽい女」は「女らしく」しないのだろうか?という疑問がわく。男の言い分なら「そうすれば絶対女扱いするのに」というわけだ。

 しかし、そういう「男っぽい女」は、そういう「条件付で女として見る」という態度が嫌なのだろう。それがそもそも「男らしくない」と感じるのかもしれない。自分達が「女らしくしていない」からこそ、そういう「女らしさ」の中にはない、「男らしさ」を求めているのかもしれない。

 

 そもそも、「男らしさ」だとか「女らしさ」だなんてものは、基準があいまいなものである。「男なら泣くんじゃない!」とか「男らしく潔くあきらめなさい!」とかという言葉を、男は刷り込みのように教えられながら育つ。

 が、それはひとえに「それが男として美しい生き方である」という価値観があるのもそうだろうが、私は、それ以上に、「男だからこそ」そうなってしまいやすいからではないかと思っている。

 つまり、男は泣き虫で、執念深い。

 でもそれじゃいけないから、「あるべき男らしさ」を示すのだ。

 実際、ストーカーのほとんどは「彼女や奥さんに捨てられた」だし、そういった男たちがする手口というのは、「泣きつく」「脅迫する」「同情を誘う」と、とっても「男らしくない」手段のオンパレードだ

 「いや、男らしくないからこそストーカーになってんだからそりゃそうだろう」という声もあるだろうが、実は人前では男らしいそぶりを見せている人だったりすることも少なくない。根暗な人がストーカーになるというのは「イメージで」、親分肌の人も、執念に駆られればそうなる。
 何せ彼女は「裏切り者」だし、「嘘つき」だ。それは「正しいことを教えてやらねば」と考える男っぽい(男臭いと言った方がいいかもしれない)考え方に身を委ねやすくさせる。つまり、自分の行動を正当化するのだ。

 どちらにしろ、そういう点に関して言えば「男らしくない」のだけれども、「秘書のせい」にする政治家を筆頭に、批判をすべて受けとめると言ったのに批判に反論する監督とか、そんな「男らしい」はずなのに男らしくない行動をする男をよく見かけるのは、みなさんの方がご存じではなかろうか?

 こういうものは「男らしい」とは本来言うべきでなく、「男臭い」と言うべきだと私は思う。しかし、世間ではそれを「男らしさ」と勘違いしている。

 本当に男らしい人なら「すべて自分の責任です」と言うだろうし、そう言ったときに多くの人は「男らしい」と思うだろう。もちろん、そんな男ばかりでないのが現実だが。

 

 さて、そんな混乱しがちな「らしさ」の中で、なぜ「男っぽい女」が男らしい男に惹かれるのか? 女らしい女が「対価として」求めるのとは違うなにかがそこにはあるはずだ。

 「女っぽい女」は今日も「ウチのダンナは男らしく決断できない」と言いながらもダンナを尻に敷き、「男っぽい女」は今日も「ダンナに男らしく引っ張っていってほしいな」と思いながら、それを言えないでいる。

 でもよく考えてほしい。どちらが「女らしい」だろうか?

 

 さきほども取り上げたように「らしさ」というのは、その、男性なら男性の本質的な「欠点」を是正した中に生まれている。男は本来、執念深くて、ガンコで、嫉妬深いからこそ、サムライのように「潔く諦める」姿が美しい・・・となるといったような。

 とすれば、それが女性にも適用されるはずだ。すなわち、男たちが思う「女らしさ」というのは、男の、「男らしさ」に見える「男臭さ」と同じようなもので、それはいわば「女臭さ」とも言えるものだろう。

 つまり、「女の美しくない部分を、隠すための人工的な女らしさ」。

 それが、よく言われるように、「オンナオンナした女にひっかかる男はアホだ」ということにつながるのだと思う。それが作り物だからだ(ちなみに、この論理は男女逆でも通用する)。

 なぜそういった物を作るのか? それはもちろん、「臭さ」を隠すためだ。男/女として本質的に持っている醜さを隠すための手段、というわけだ。

 だから、「男らしい人だと思ってたのに別れようと思ったら非常にしつこかった」ということが起こる。それは断じて、「男らしい」人ではなく、「男臭い」人が、「男らしく」見せていただけだから起こった結果だ。

 

 男らしさと男臭さ、女らしさと女臭さというように、「らしい(=いい)」ものと「臭い(=悪い)」ものは、はっきり分けないと痛い目に遭う、ということだ。異性への審美眼とでも言おうか。

 もちろん、それを身につけるには経験が必要なのだけれど、それは世間の「評価」にふりまわされていてはできないことだ。「ブランド」や「作者」で作品を見たところで、それが偽物かどうか見分ける力は身につかないのと同じことだ。自分の目を、自分の力で磨いていかなければいけない。

 なかには失敗もあるだろう。だけど、それと向き合い反省していけば、そのうち見る目が養われて行くだろう。そういうことのくり返しで「見る目」が身につく。これができない人が、同じような恋愛をして、結局破滅する。

 

 もちろん、もっと簡単な方法は、信頼できる審美眼を持った人に頼る・・・という方法ですけどね。でも、それで恋愛の「醍醐味」が味わえないって思うのもまた人間だし、そんなこんなで、ドツボにはまる人もいるわけですよね。でもま、それでも自分で責任を取れればなんの問題もないですけどね。

web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/1276-64d7f043

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。