死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

--.--.-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
トラックバック(-) | コメント(-) | この記事のURL | 編集 |
2009.10.11 23:36

 結婚式の二次会の帰り道、ふと、いい男/いい女の基準として、「目の色」があるんじゃないか? と、ふと思ったりしました。

 なぜそんなことを思ったかというのは、別に新郎新婦がそうじゃないとかそういうことではなくて、結婚というものを考えてみると、こうやって祝福されて頑張りますと誓ったのに結局ダメでした的なものが多いのが現実なわけじゃないのか?と思えたからだ。

 その原因はいろいろあるだろうしここでそれをとりあげるのは控えさせてもらいますけど、今の時代、「個」が重視されるがゆえに、ある部分では結婚というものはどんどんシビアになっていると思うんですよね。単なる「二人で頑張る」だけじゃ乗り越えられない現実がまってるのが、今の時代だと。

 たとえば、昔なんかはDVあろうが浮気あろうが女の方から離婚なんてできなかったわけだけど、今はそうじゃない。それはつまり、結婚に対しての考え方が、昔とは違う部分が生じるということですよね? それを批難するつもりは毛頭ありませんが、それだからこそ、昔以上に「結婚したままでいる」ということをつづけるのが難しくなっていると言える。

 今日テレビでやっていた、『行列のできる法律相談所』の人気企画「気の毒な夫No.1決定戦」を見ていて、「美人な奥さん」とか「優しそうな女(ひと)」というイメージで結婚して辛酸をなめ続けている夫たちが出ていましたが、こういうのに出るってことは、根本的に「別れる気はない」ということでしょう。

 いや、もっと言えば「僕はこんなにいじめられてるんですよ、かわいそうでしょ?助けてくださいよ!」という本音があると思うんですよね。オファーがあるのはもちろんですが、その前にテレビでそれを「話した」ということは、なにかしらわかってもらいたいという気持ちがどこかにあったから出た話でしょう。それしかネタにならないというのももちろん含んで。

 でもきっと、嫁の立場から言わせると、そういう、「誰か助けて!」という夫の姿こそ、男のくせに、みっともなくて、気持ち悪い、ということになり、触られたくないとかイライラするとかいう感情に行きつくのでしょう。

 昔の価値観で言うと、こういう妻たちの言動は、あまり「男」というものを考えていない、褒められた思考プロセスではないとも言えるのですが、それだけでは片づけられない部分も見え隠れします。

 というのも、そう考える女の人たちが離婚しないでいるのも、したたかな戦略といえばしたたかな戦略と言えるからです。

 だって、男なんてたいがいはどこもこういった「男らしくない」部分があって、だからこそ男は結婚する(≒つまり応援してもらいたい)人が多いので、ほかの男の所に行っても「どうせ同じことが待ってるなら」と、なにごとも自分が優位に立って思い通りに生きられる情けない夫といた方が「好都合」と、無意識のうちにそこに「居心地のよさ」を感じてる部分があると思うんです。

 それが、「寝ころがってテレビを見ながらおかえりと言う」につながるんでしょう。そこからわざわざ抜けだして苦労をしたいという妻が果たしているでしょうか? とくに経済的にやっていけてる場合ならなおさらだし、まして夫が浮気でもしたもんなら「契約違反したのはあなたでしょ」と、逆に自分が優位に立てる。
 本人にそういうつもりはなくても、心のどこかでそういったパワーゲームをしてるんです。

 

 結婚というのはまぁ、夫婦の数だけあると言えばあるのかもしれませんが、しかし、ここには美しい夫婦の姿などないですよね。打算と妥協によって成り立つ夫婦。それは妻だけではなく夫にもあると思います。なにかしら自分にとって「都合がよい」部分がきっとあるはずです。だからこそ、もっといい相手がいるはずと思いながら、あれやこれやと理由をつけて別れないのです。一度決めた結婚だから・・・なんて理由ではなく。本当の理由が。

 とはいえ、現実の結婚というのはそういうケースが非常に多い。それはきっと、結婚が「制度」化してるからでしょう。その制度を「利用」しているからこそ、当然、利用的な関係が生まれるのもしかたがないといえば仕方のないことかもしれません。いわば、結婚制度の裏の顔とでも言いましょうか。何か問題があっても外部からは壊せない関係が保たれるという裏の顔。これを悪用した最たる例がDVだったり、近親強姦(インセスト)だったり、児童虐待だったりします。

 でもしかし、世の中、裏がないことの方が少ないので、そういうことを恐れていてもいけないし、見ないフリをしていてもいけない。むずかしいですけれども、そういう「結婚の裏」を知らずに結婚しちゃ、いけないってことかもしれませんね。

 で、どういう時に「結婚の裏」を見ないかって、「愛の最終形」とか思っていたり、「結婚したらこうしてくれるだろう」と結婚に過度な期待をしてるとか、今の相手に惚れすぎているときですよね。美人の女性と結婚して苦労する男はその典型です。ハッキリ言いますが、「三つ子の魂百まで」で、性格は変わりません。けど、その性格の悪い部分を隠しながら結婚に持ちこむ人が多いんです。なんでって、「結婚したいから」ですよ。目的が優先されたからです。

 そこに気づかないで結婚すると、「こんなハズじゃなかった!」というのが、より感じられることになるでしょう。誰でも、他人と一緒に暮らすだけで「こんなハズじゃなかった!」と思うものですが、それがさらにですからね。

 

 そういう意味で、「結婚」というのはある意味、なによりも自分が試される機会なんだと思います。「結婚は修行だ」とはよく言ったもので、結婚ほど己という人間を思い知らされる体験はそうない。目の前には、四六時中自分の醜いところも見せる相手がいるわけですから。

 そこから逃げる人間はたくさんいますよ? 浮気相手を作ってそこで癒してもらおうとする男とかね。そりゃ、モラル的に問題があるとかはさておき、それは単なる「逃げ」ではないでしょうか?

 誰だって、辛いことを真っ正面から受け止めたくはないものです。
 特にそれが、自分にとってなによりも苦痛だとか言うことなどは。しかし、それを受け止めて、逆にそれを「なんとかしよう」というポジティブな考えを持っている人は、目に力があり、光が宿っているものです。「少年のよう」といって、実際には少年でしかないうわっつらな目の輝きとは違う、どこかに憂いがありながらもそれに負けまいとする、強い意志がその瞳に出るものです。目が死んでいないとでも言いましょうか。

 まぁ、実際問題そんな瞳を持った人はそういないのが現実ですが、でも、条件さえ整えば誰もが持てるものだし、持つ機会がやってくるものだと私は思います。

 そういう瞳の人ならきっと、結婚にも逃げないで、見た目だけ「キレイ」にするということもなくて、自分のために結婚を利用することもないでしょうから、いい結婚ができるんじゃないかなって思いますよ。もちろん、そんな人と結婚するってことは、フツーじゃないですから、大変は大変ですけどね。フツーの結婚ではありえないような苦労もするでしょうしね。でも、それだからこそ、ドラマのような「愛」が生まれるのかもしれません。

 結局、どの「苦労」を自分ができるかってことなのかもしれませんね、結婚って。

 結婚について、な~んにも苦労なんかしたくない! って人は結婚しないのが一番です。明石家さんまのように。それはそれで楽しい人生かもしれませんしね。でも、あれもこれもほしいってのはムリですよ。だって、相手が人ですからね、結婚って。

 あ、でも、それ(人)をモノ扱いしてきた昔の結婚を再現する人とだけは結婚しない方がいいってのだけは、確実に言えることですね。だって、モノには権利がないですから。一生対等にはなりませんよ。

web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/1291-c744cba5

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。