死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.02.15 23:27

 このブログも元々あったテンプレートデザインをいじったせいか、Firefoxで見ようと思うとレイアウトがずれてしまうなぁと気づいてから幾星霜。

 ブログタイトルも変えたことだし、昨日言ったように「ビジョン・ライター」で行こうと決めたところだし、デザインそのものをズバッと変えようかと思ったけれどもこのデザインが気に入っているので、そのテンプレートを再び改造することにしたわけ。

 元々あったテンプレートもプラグイン(右メニューのパーツみたいな物)対応に変わったことだし、ちょうどいいかな、と。変わったから、また一から改造しないと同じデザインにならないんでスタイルシート(ブログの細かいデザイン仕様を決める物)とかをいじったりするわけだけど、やってていつも思うのは、「私は無駄が多いなぁ」ってこと。

 HTMLならまだしも、スタイルシート(CSS)はちゃんと勉強してないし、必要に応じてネットで調べて、BASICのプログラミング知識だけでCGIやPHP(プログラム)、CSSをいじってきたんで、基本がそもそもなってない。いや、HTMLですら基本から学んでないんだけど。

 基本がなってないから、試行錯誤の連続である。幸いなのかどうかはわからないが、今のネットプログラムはそういう人に配慮してかプレビュー機能がかなり優秀になってきたので便利は便利なのだが、そのぶん、基礎から学ばなくてもできてしまう・・・ってことができてしまう。

 だから、目的を達成するときだけ知識を引っ張ってきて利用する・・・・それが現代病とも言えるのかもしれないが、私なんかはかなりこのタイプだ。

 そもそも、私は何か特に優れている物というのがないもんで、特にこういうことをすることが多いように思う。専門がないというか。専門じゃないから基礎からやらず、必要なときに必要なものを引っ張ってくる。
 だから、コピー機の修理から生理痛のやわらげ方まで、恐ろしく幅広いジャンルのことができるようになったと思う。

 もちろん、その結果だけを見て、他の人からは「凄いね」とか「真似できない」とか言われることはよくあるのだが、別にそれは私の才能でやっているわけではなく、他の人がやらないほどの力を注ぎ込んでいるからでしかない。それを知らない多くの人は私のことを「なんでもできる人」などと思ってさえいる。

 確かに、「割と得意」という分野なら確かにある。しかしそれも、どこにでもいる中での、ちょっと優れた、程度である。

 そんな私が「なんでもできる」人に思われるのは、自分としてはヘンな感じである。自分では、私と言う人間は、「なんでもできる」人ではなく、「なんでもできるようにする」人なだけだと思っている。
 つまり、才能ではなく、行動ということだ。その行動の量が人より多いだけ。

 

 なんでそんな人間になったかと考えると、どうやらこの「無駄」な行動にあるらしいということがわかってきた。

 毎回のごとく、一つのことに集中しすぎて疲弊し、「ああ、無駄な時間を過ごした」と、これまた無駄に悩むことが多い私。そもそも、そこまで集中してやることなんかないのに、やろうとしてしまう。

 一つは基礎がなっていないから、始めたときに終わらせないと忘れてしまうこと。もう一つは、早く完成させたいという欲求があるからだ。しかも、タチの悪いことに、できるだけいいものじゃないとイヤなのだ。つまり、「理想が高い」ということだ。

 私は根本的に、最近はやりの「プランB」というものを考えない、典型的な日本人だ。一つの理想に向けてまっしぐら、である(もっとも他人にはプランBを用意するけれども)。

 もちろん、理想と現実のバランスは大事だ。ただ、その現実の影響を受けた結果の本質が理想とまったく違う形になっていたとしたらそれは単なる妥協であって、理想を無視した形になる。私にはそれが耐えられない。

 避けられない現実があったとしても、理想は理想として残っているべきだと思うからだ。

 だから、あくまでも理想を実現するために、できる限りの手を尽くそうとする。だから当然、「無駄」ができる。「できる限り」だからだ。安っぽいプライドや損得なんかは当然二の次三の次だ。

 

 今日のような「無駄」も、確かにWebデザイナーになるでもなければ、ほとんど無駄なことと言えばそうかもしれない。しかし、そこから学べることは単に、コンピュータの文法だけではない。どういう意図でもって造られたのか、どうやってうまくまとめることができるか、他のことに応用できるようなことも学べる。これは決して、無駄な経験ではない(と言い聞かせないとやっとれん)。

 そんな一見、「無駄」にみえるものの集合体が私という人間なのかもしれないし、だからこそ、プ→したり、金にならない仕事したり、専門と無関係なことしたり、お金を貯めず知識を貯めたり、まったくもって無駄なことばっかやってる人生の割には、「どんな仕事でも大丈夫だね」と人から評価されたりしてるんだろう、不思議なことに。
 それが「なんでもできる」人に見えることにつながる、と。だって、そうできる人はそういないからね。

 だからといって自分が万能な人間だとは思わないけど、これだけは言えるなぁってことはあると気づいた。

 私は「理想が高い」。だからこそ、その「理想を守る」ために諦めないっていう執念深い人間なんだな、と。「なんでもできる」ではなく「なんでもできるようにする」というのは、「できないということ自体をなくしたい」という理想によって、支えられているのだ。

 つまりそれが、visionaryの本意なんだと思うんだけど、とりあえずそれをするのが「ビジョン・ライター」なんじゃないかなって思ったりもした。日本語的な解釈で、「理想を描く人」。
 visionaryじゃ伝わらないもん。それじゃ、理想と違うからね。

 

 ・・・・まぁ、理想が高いから、色んな試行錯誤も「無駄」に見えるときがあるけどね、確かに。理想的なビジョンでは、無駄がないのが一番、ってことになってるから。

 そういう所が私はまだまだ未熟で、無駄を恐れない人に教えられることもあるけどね。理想の追求ばかりだと、周りが見えなくなったり、理想を目指しているはずなのにちっとも近づいている感じがしなくなったりするってこともあるから。一度、理想を捨てるって「無駄」も、大事なんだろうね。

 そういう意味で、無駄も理想のためには必要だってことだけど、注意しなきゃならないのは、理想のない無駄の中には、本当の無駄になることもあるってことも言えるのかもしれないね、逆説的に。

 以上、無駄だらけの日記でした。

 

追伸:デザインをいじっていて、最近「続きを読む」に書かないから1ページが物凄く長くしまって読みづらい思いをさせていたなぁと反省しました。これからは気をつけます(m_m)

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