死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.04.14 23:15

今日ではないが、前の携帯(WILLCOMアドエス)のデータを整理していたら、撮りっぱなしになった写真が出てきた。

エビのフォール
 これは、いけすの中で伊勢エビが他の車エビ(?)を足でフォールしている写真である。わざわざ解説がいるのは、エビがジタバタしていたのを静止画ではうまく伝えられないからである。

 下になったエビは、本当に大変そうだったのだが、伊勢エビはまったく動こうとしていなかった。というかむしろ、あたかも「知ったこっちゃねー」と言わんばかりの態度で、苦しんでいる車エビを足から外そうとはしない伊勢エビ。

 ちなみに伊勢エビは肉食で貝でもカニでも食ってしまうそうなので、エビであろうが食ってしまうこともあるだろう。そもそも、伊勢エビは、共食いさえするエビだ。

 人間の目からすれば、「かわいそうだからどいてやればいいのに」とか「同じエビなんだから仲良くやれよ」なんて思ったりするかもしれない。だが、思い返してみれば、人間だって、同じようなことをしているじゃないか。

 国内に飢餓者があふれかえっているのに自分の延命には世界最高水準の医療を求める独裁者とか、脱税したのに「努力不足の貧乏人の為になぜ自分が稼いだ金を取られなきゃいけないんだ」と居直る金持ちとか、謝罪しなければ仲間に入れてやらないぞという権力者や、肌の色が違うだけでチャンスを与えなかったりと、数え上げればキリがない。

 力あるものが、力劣るものを虐げるのは簡単なのだ。力の差を使えばいい。

 ただ、この写真の光景のように、その姿は、ちっとも美しくない。草食動物の群れがライオンに襲われそうになったときに必死に逃げ、逃げおおせた動物が、逃げ遅れた動物のために仲間を引き連れてくるような美しさは、そこにはない。

 これは、人間社会でも同じことだろう。

 別にその方法をとらなくてもできることでも、「やりやすい」からと、楽な方に走りたがる。いけすの中での伊勢エビからしてみれば、中に入っている魚介類など、単なる餌にすぎないだろう。だから、力の差を利用して、さっさと自分の都合のいいようにする。

 これは何も、この伊勢エビが悪いから美しくないというわけではない。人工的に作られた環境だからこそ、美しさに乏しくなるシチュエーションが生まれやすいというだけだ。本来なら、こんなにエビが転がっていることなんてありえない。だから、こんな悠々と伊勢エビがフォールして動きもしないということが起こりうる。

 伊勢エビがこのエビを食べようとしていたのか、それとも単に結果的に下になっていただけなのかはわからない。しかし、たくさんの足で必死にもがいている下になったエビを見ていると、やるせない気持ちになる。そこには「自然界の掟」とかけ離れたような現実があるようにすら思う。

 

 そんな、生け簀という不自然なシチュエーションを見るように人間社会を見つめてみれば、世の中には同じようなシチュエーションがたくさんあることに気づくだろう。逆にいうと、人間が発明した「制度」という人工的なシチュエーションこそが、怠惰な人間を作り出し、力ある者の専横を助長させたということが言えるのかもねと思ったりもした。

 ここが、「力あるものが正義である」というような手前勝手な論理が、「自然界の掟」のような美しさや真理性がない理由なのだろう。自然に従ったのではなく、仕組みに従っただけで、そこから得た結果を、真理だと吹聴している輩が一体どれほど多いのか。

 人間も、生け簀の中のエビと変わらないのだ。

 とにかく、楽して生きれりゃいい。周りがどうあろうと、知ったこっちゃない。そういう人たちの言うことを、頭から信用しないことだ。それを忘れると、権力者や、エセ宗教家や、偏屈な思想家に傾倒することになる。

 彼らは真理を説くが、彼らは彼らの生け簀の中での真理しか語っていないのだ。それを、忘れてしまうと、その生け簀からは一生、出られない。オウム真理教の教徒なんかが良い例じゃなかろうか?

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