死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.05.06 23:34

 気がつけば失業生活も一ヶ月を軽くすぎ

 気がつけば少し歩いただけで汗をかく時期になり

 気がつけば慎重なのんびりした性格のデメリットが重くのしかかる

 こんばんはtkiyotoです。いかがお過ごしでしょうか皆さん。

 

 ・・・・・・と、今日はこんな変な文体を試してみましたが、本当に一貫しないですね、私の書き出しは。

 基本的に、なにごとも一貫した方が成功につながりやすいのが世の中というものですが、ひねくれた性格なのか、私はついあれやこれやと試したくなるんですよね。ひとことで言えば、「自由が好き」。

 もっとも、「仕事」ではないからこそできるあれやこれやなんで、仕事だと失われてしまう楽しさでもあります。「仕事」にしてしまうと、、どうしても「楽しさ」から遠ざかりやすくなりますからね。難しいところです。

 わかりやすい例でいくと、プロ野球の道に進むか、趣味の草野球をするかという違いだと思います。

 草野球とプロ野球を分けるのは何かって結局はその人の考える「楽しさ」なので、「野球してるのが楽しい」という人なら草野球を選ぶ方がいいし、「野球で相手を打ち負かすのが楽しい」とか「野球で金儲けをしていい生活を楽しみたい」と思う人ならプロ野球の道に進んだ方がいいでしょう。単なる「野球好き」なだけではイチローにはなれません、絶対。

 もっとも、世の中には「金ちゃん球団」みたいな草野球とプロ野球のあいのこみたいなのもあるので、どっちかしかないという考えにとらわれてもいけません。

 大事なのは、自分がどう思うか――つまり、自分の人生の責任をどう自分で負うか、ということなのでしょう。

 

 そう考えると、仕事も選びやすくなってこないでしょうか?

 向いてるとか向いてないとか、

 長所が活かせるかどうかとか、

 経験が活かせるかどうかとか、

そんなことで選ぶのではなく、将来の自分がその選択に責任を持てるような道を選ぶ方が絶対にいい。

 もちろん、誰だって自分の選択には自分で責任を持たなければならないのが人生というものですけれど、せっかく先人たちが「職業選択の自由」が保証されている世の中を造ってくれたんですから、それを有効活用しない手はないんじゃないかと思うんですよね。それこそが、我々に課せられた「責任」ではないかと。

 その「自由」をはき違えていてもはた迷惑な話ですが、「職業選択の自由」を誰もいいことだと思えなければ、また選べない時代に逆戻り・・・・ということになってしまいます。

 人の歴史は繰り返すと言いますが、やはり現代に生きる人間としては、そんな時代が来ることはやはり歓迎できません。
 ひ孫ぐらいの世代になって、「自由」は社会コストを浪費して国家システムを疲弊させるという考え方が常識的になればまた考え方も変わるんでしょうが、とにかく今の時代はやはり、個人で責任を持つ世の中になっているので、個人の責任で自由を獲得するのがごくごく自然なことなのではないかと思うわけです。

 

 話は最初の「自由な文」に戻るのですが、私が仕事で文を書くときは、こんな自由なブログを書いている人とは思えないような、徹底したリアリストになります。淡い期待とか、そんなものは一切入れない。
 むしろ、期待しても無駄だろうと思いながら、極力シンプルに理解しやすいように書きます。基本を照らせば、話を拡げて考える人も中にはいるでしょうから・・・というようなスタンス。

 ただ、期待しても無駄だけど、だからこそ、それがいい方向に多少でも向いてくれれば、とは考えていますが。さすがにそれがなかったらロボットと同じですからね。それを忘れてパターンナイズされたら、それこそ意味がない。行間を読めなくなるということです
 もっとも、期待しても無駄だろうと思ってると、期待以上のレスポンスがあったりするものですが。人はそこまで腐ってませんからね。ただ、多くの人は、燃やすエネルギーがないだけです。色んなところで使いますから。

 まぁ、私個人の目標としては、結論を言ってしまえば、この、両方の感覚を持ち続けられるような人間にはなりたいな、と思ってます。「自由なリアリスト」。欲張りですから。

 基本的に自由なんだけど、完全なる自由ではない。仕事になれば自分の自由を費やしてでも、仕事に従事する・・・・・それは「自由ではない」とか「妥協だ」と思われる方もおられるかもしれないが、精神の自由までは侵されないならそれでいいのではないかと私は考えている。

 だからきっと、「自由」を大事に仕事を選んだ割に、私は誰よりも真摯に仕事に向かい合っていたんだろう。それで人から好かれ、信頼され、尊敬され・・・・と自分ではごく自然なことだったので当たり前だと思っているのだが、何も知らない人が見たら「どんだけ自己評価の甘いおめでたい奴なんだ」と思うかもしれないな。
 まぁ、行間を読める人ならわかるだろうけど。

 ただ、そんな自分が正しいのか、間違ってるのか、時々わからなくなったので、転職を決意したんだったなという「初心」を思い出したんですよね、ハローワークで応募先の現場担当者と電話で話をさせてもらってから。特に、現場の人はリアリストですからね。
 一般論で片付けられたら、私は確かに使えないと判断するのも自然だなと。まぁ、色んな業種を経験しているのがネガティブに働く業種を選ぶからそうなるんでしょうが。

 そういう会話をしてから、「なんで前の仕事を継続せずに無職になったのか?」ちょっと後悔しかけながら思い返してみた。

 前の仕事では、現場の評価と、もっと上の判断は天と地ほど違った。それは全体を考えてのことなので、それを恨むことなどはしないが、疲弊の中で苦肉の策として造られたシステムの都合にまでは合わせていられない・・・・というのが、「自由なリアリスト」である私の判断だったわけだ。
 向こうが「契約期間」を設けるのなら、そのデメリットを追う責任も持ってるよね?と。

 その選択が吉と出るか凶と出るかは今のところわからないですが、その分、人よりずっと大変になるのはしかたないですよね。少なくとも、それが、私の責任のとりかたですよ。

 私が、「ただのおめでたい純粋なバカ」なのか、それともそうではない何かなのか。それを証明するために、自分なりの闘い方でこれからがんばっていこうかなと思った感じですよ。

 初心、忘れるべからず。ですね。

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