死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.05.15 12:16

 うぉぉおおおおおおお――絶好調ッ!!!!!

 ・・・・と↑↑(アゲアゲ)にしてみたtkiyotoです。ムリヤリ元気です。元気で元気で元気があまりすぎて、そのエネルギーを速攻ブログにしたためてみたtkiyotoです。かなりムリヤリですが。

 昨日、先日(今頃)導入したWindows Vistaの機能のひとつであるサイドバーのガジェットにバイオリズムを入れて、昨日がちょうど最低だったということをとにかくひたすら信じて、落ち込みつづけて文章を書くのは「公害」の一種と考え、持ち上げることした。心が落ち込んでるときは、行動で持ち上げるしかない。

 それがなかなか効果があるところを見ると、人には結局、行動が規定される「信心」という想いが必要なのでしょう。それが宗教なのか占いなのかはたまたサムシング・グレートなのかテレビのアイドルなのかは人によりけりでしょうけど、自分以外の大きな力に頼って生きるのは、人の自然な姿なのでしょう

 さらに、「なんに使うんだ」と最初は思っていた写真のスライドショーのガジェットも「ひょっとしたら効果があるかも」と追加して、かつて行った旅写真を見ながら、感情の赴くままに動いていた時のことを思い出し、少しずつ(勝手に)なくした物をとりもどしつつある現状です。

 だって

なんだこれ
 なんだこれ(汗)

 たぶんこの写真、どっかの博物館で見つけた、唇の下に皿を入れる、どっかの部族の人形(男だからムルシ族じゃないなぁ?)だと思うのだが、これで戦えるのか?戦闘中に取れたらどうするんだ? ・・・・と思ったりしてシャッターを切ったのだろう。

 大学を卒業し、それまでの自由な時間をバイトに費やして卒業旅行で行った中国で英語を話せる大学生と触れ、世界を見ずにいたことに後悔し、金を貯めては2~3週間の海外・国内旅行に繰り出し、自分一人で生きていては触れられないような、さまざまなものに触れる、いわゆる「感性を磨く」修行をしていたあの頃。デジカメの利点を生かし、思いつくままン百枚も写真を撮って、その時の「気持ち」を保存してきたあの頃。

 最近、そんな生活をまったくしていないなぁ、と実感。

 なんか、移動先の「ついで」に写真を撮ることはあっても、自分の感情に従って・・・ってことは全然してないなって。

 

 ひとり暮らしを始めてからも、収入の高くない、けど自由のとれる仕事を選んできたから、そんな生活できるハズもなかったが、そもそも、そうるすることで、失ったものもあるんだなぁって気づいた。つまり、「したいこと」を我慢する生活が始まったと。

 それまでの「我慢」は、「貧乏だから貧乏旅行」という、我慢の中にも楽しみを見いだせていた。しかし、今の状況は、「ひたすら我慢」と、亀が甲羅の中にとじこもって、浦島太郎が助けにくるのを待っているような状況だ。しかし、浦島太郎がこなかったら?

 私は、基本的に異彩を放つほどの才能がなにもなく、強情なだけが取り柄という、あまり大した人間ではないので、本来は、待っていても何も起こらないのである。モーツァルトのように5歳からでも注目されるような人物なら待っていても引っ張りだろうが、そうでない私が、待ちグセがある。困ったことに。

 動き出せば、その強情さが「強い意志」に変わり、無理なことも実現させるエネルギーに変わるのだが、動き出さないものだから、周りに流され、自らその影響下に収まってしまう。そんな生活を、変えたい。だからこその、今年の目標は「楽しむぞ2010」であり、「CHANGE」であるハズではなかったか? CHANGEのために、楽な仕事を辞め、転職をすることに決めたのではなかったのか?

 

 昨日、DODAのキャリアタイプチェック(経験からの適性検査みたいなもの)をやってみたが、「おお、なるほど当たってる」と思った。だが、同時に思ったのだ。「これは、以前の仕事の時の自分で、本来の自分と必ずしも一致しないのではないか?」と。

 人は、行動からその人がわかる・・・・それをシステム化したのが適性検査なのだが、そうすることで見えなくなるものがある。行動や心理からでは「魂」が見えない。「腹の底」が見えない。それは結局、他人にはわからない。わからないのも仕方ない。特に私なんかは、人に見せないのだから。

 私が、こうして自分のことをひたすらブログで書いているのは、普段見せない反動もあるのだろう。13歳のハローワークの診断で「書くことでコミュニケーションをとるタイプ」と診断されたと言えば聞こえはいいが、ようするに、人と楽しく接することができずに臆病になっているだけとも言える。

 もっと、「楽しめばいいのにな」と思ったのは、昨日、失業給付がもらえる範囲に収まる(私の場合は2144円・・・)早朝バイトの応募をやっとのことでして電話して、「また懲りずにお電話ください」と言われた時だ。基本的に、人は助けてもらいたいものだ。その発想を忘れているから、私は、自分を押しつけるのはいけないことだと思ってしまう。

 私は、「人の為に」と考えすぎて、個性を伸ばすことができなくなる人間なのだ。昨日も言ったように、「誰も必要としてないだろう」と勝手に考え、やる気も失せる。

 しかしそれは、必要としている人を、探してないからだ。そこに行けば役に立つのに、行かない。で、待ってる。待ってる方が楽だから。で、その中で必死に役に立とうとする。でも、満たされない。当たり前だ。

 

 「したいこと」ってなんなんだろう?

 そう、ずーっと自分に問いを投げていたが、昨日はこう、今日はこう、と毎日のように違っていた。だから当然、答えられない。答えられないから、それを一本にまとめて言葉にもできない。

 しかし今、いろいろなところを旅をして、自分の興味が赴くまま、勝手に自由行動をとったりしていた時に撮っていた写真を見返して、とみに思う。「自然な状態の自分のしてることが、したいことなのだ」と。

 それが結局、「借金してでもしたいこと」なんじゃないのか? だって、止められないことなんだから。

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