死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.05.18 09:54

 かつて孔子は、学問について、「之(これ)を知る者は、之を好むものに如(し)かず、之を好むものは、之を楽しむものに如かず」という言葉を残した。

 つまり、学問を知っているというだけの人間は、学問が好きだという人間には敵わないし、さらにその学問が好きな人も、学問を楽しめる人には敵わない・・・・・というわけだが、研究熱心な私はまさに「それでいくぜ!」と、食っていくための仕事の中で「いかに楽しめるか」考えながら頑張ってきた。そして、その価値も享受してきた。しかし、なにかが足りない。

 何が足りてないかなんて、答えは明白だ。

 心が満足していないわけだ。正確には、心の底から、である。

 別に人は、心の底から満足しなければ幸せに生きられないかというとそうでもない。だがしかし、私みたいなよくばりな人間は、できることなら心の底から満足したいと思うわけだ。なにごとにも。
 世の中そんな甘くねーよと言われてしまうのだが、そのための苦労なら甘んじて受けようと思うわけで。

 ・・・・とカッコつけて来たわけだが、それがなぜか、大した苦労につながらない。

 自分の時間の中で心の底から満足しようとしているはずなのに、それ以外の、食っていくための仕事の部分でも、満足できる方法を覚えてしまった。あれ? なんかおかしくないか??

 それはたぶん「得意なこと」を仕事にしてきたというのも大きいのかもしれない。

 人は「得意なこと」を仕事にすると、当然のことながら仕事がしやすいし、自信も得やすい。だからとうぜん、「楽しく」感じることも多くなる。そういう意味で、「楽しめる仕事」を探すのは、「得意なこと」を仕事にするのが一番カンタンなことだと言える

 しかし、(私だけかもしれないが)人間というのは欲深いもので、得意じゃないことも得意になりたいと思うものである。ようするに、成長欲があるということだ。

 

 たとえば私は、高校入学時178cm、48kgで懸垂が3回しかできないという「大丈夫か?」というような体格だったが、格闘技系の部活に入った。子供の頃から、基本的に「外で遊ぶ」ことは「誘われて」することだった人間だから、絶対向いてないのは重々承知だ。目的はそうではなく、気持ちで負けない体と技術を造ることだ。

 そんなことを知らない担任からは「やめとけ、受験に専念しろ」なんて言われたよという話は、転職ライフ2010の最初の記事にも書いたが、だが結果として、世間一般的な「業績」とやらは残せなかったが、少なくとも私の人生にとっては、大きな転換点となった。

 入学時178cm、48kgだった体が、卒業時には185cm、67kgになり、懸垂だって楽々20回以上できるようになった。
 この間の同窓会なんて、「ホネホネロック」だった私の変貌ぶりに皆が目を丸くしていた。
 好き嫌いが多く野菜をまったく食べなかったのに、体が必要としたのでなんでも食べられるようになった。

 私はそれで十分満足している。

 それは、別に私はその道で食っていこうなどと思ってなかったからだ。もちろん、そんなんだからよけいハードに感じたが、それでもなんとか生き延びてこれた。もしかしたら、もっと長所に資源を集中させていれば、今こうして悩んだりしてることはないのかもしれない。何かしらの結果があったのかもしれない。

 だけど私は、この選択を今でも「間違いだった」とは思わない。

 

 それは、やっぱり、「楽しかった」からだろう。

 少なくとも、担任が言うような「受験勉強」をするよりは、楽しかった。それは、ゲームをしている時のような「うわーい、楽しい!」というような楽しさではないけれど、自身が変わっていく様を確認したりすることは、楽しいことだ。

 もともと、プロレスにはまってて興味を持ったのもあるから、プロレスごっこをしたりしている時間も楽しかった。なにより、強くなっていく自分をイメージ「できる」ようになったのが、楽しかった。
 当時はそんな風に「楽しい」なんて言葉にしたり思ったこともないが、今思えば、キツイ中なりに、我慢強いから耐えていた中なりに、楽しさがあった。

 それはきっと、自分から「入りたい」と思って入ったからだろう。
 当時新日本プロレスのレスラーであった馳浩(現在は議員)のイラストが描かれた部員募集を見て、「楽しそう」と思ったのはたしかだ。

 私は基本的に「熟考」する人間なので、安易に「うわー、楽しそう」と思った訳ではない。そうではなく、その絵を描く人がいるということは、プロレスの話ができる環境だなと思ったからである。特に、積極的でない受け身な人間であるので、「環境」に飛び込まない限りなかなか友人を作れないだけに、そこに入ることで楽しい想いができるかも、と冷静に考えてのことだ。

 体力にはまったく自信がなく、しかもかなり消極的な人間なので入部することもずっと躊躇していて、6月になってようやく、別のクラスにいる中学の同級生にそんな気持ちがあるぞと打ち明け、その同級生が同じクラスのその部の子を紹介してくれたことで入ることができた。

 とはいえ実際プロレスに詳しい人ばかりではなかったが、ずっと昔から溜められたであろう週刊プロレスや週刊ゴングもある部室だったので、練習の前後やひとりで練習した後にそれを読んでいたりして楽しかったものだ。なんの意味があるかどうかなんて考えもしないのが、若さのいいところだろう。

 

 あの頃、少なくとも今よりは「楽しい」ってことがどういうことか、わかっていたような気がする。こんな、「どうやったら『楽しめるか』」という技巧や心理を駆使するのではなく、純粋に、「楽しいこと」を知っていた当時

 それがすべて正しいこととは言わない。それだったら、若い子はずーっとセックスしてても楽しいわけだし。それがいいことではないと思うわけで。けれど、大人になると忘れてしまう、大事なことでもあるんじゃないかな、とも思う。

 ようはそこのバランスなんだろうけれども、そういう楽しむ気持ちを忘れてしまうから、セックスレスとか自殺とかが多いんだろうしね。難しく考えずに、ののしり合ってても「気持ちいいから」セックスをする夫婦の方が、人間として自然といえば自然なのかもしれない。「こういう夫婦になろう」と頑張りすぎる夫婦よりもずっと。

 前回でも紹介した、「好きなこと」と「必要とされること」を探している今、「好きなこと」のために「得意なこと」を仕事にしてきたことで限界があるようにも思えてきた。得意なことをしている以上は、それを「仕事」としている以上は、自分の可能性を拡げることはしなくなるからだ。

 いや、そんな能書きはいい。

 楽しくないのだ。心の底から、は。ちょうど、『ブスの瞳に恋してる』に出てくる、モデルとつきあってるときの放送作家と同じような気持ちだ。うん、実にわかりやすい。まわりの「アドバイス」とか、世間の「常識」とかにいい子ちゃんで合わせていても、人生に物足りなさを感じるのも、当然だったのだ。 

 ・・・・・・と、たったこれだけのことをひねり出すのにこんなに長々と文を書いて、しかも読んでもらうって・・・・ええんかね?(汗)

(つづく)

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