死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.05.19 13:01


 「楽しい」と感じることが大事だと気づいた前回。

 当たり前って言わないで(ノヘ;)シクシク..。



 では、やっとタイトルにもある本題、「好き」と「楽しい」についてはどっちが大事か?という問題に入っていこう。



 孔子先生は、「(学問を)知ってる人は好きな人に、好きな人は楽しんでる人には敵わない」と言ったと前回紹介した。



 しかし、「知ってる<好き<楽しい」という式が成り立つのならば、たとえばプライベートを重視するために、生活のために精神的負担の少ない「得意なこと」を仕事にしてきた私は、その中で楽しんでいたとはいえ、単に「知ってる」ことを利用していただけの人間だったのではないのか? とも思えてきた。



 つまり、知ってる中で楽しんできただけだと。ようするに、心から楽しんでないだろうと。


 心の底から楽しむことってなんだろう?



 そういうことを頭で考え出すと、時間がかかる上に、「まぁ楽しかったかなぁ?」というものまで組み込んでしまうから、そういうことはよくない。とくに、私みたいに自由に生きてる人間は、苦しいことが少ない分、楽しいことのありがたみがわかりづらいのもある。



 だがまぁ、あれやこれやと長々と試行錯誤した結果、心から楽しいことを見つけるのは至極カンタンで、自分の気持ちに従った行動をする・・・・という、ごくあたりまえの結論に至ったわけだ。



 大人になると、こういう感覚を忘れてしまいがちになる。それは、「社会」の中で生きることで、それに自分を併せていくことで、生まれたときには持っていた本質的な自分を薄めていってしまうからだ。



 特に今は情報化社会だから、うまく波に乗れないと、あっという間に自分を見失う。「拒食症」なんてのは最たる例だろう。美人の見本が眼前になければ、焦ることもない

 「仕事」についても、そういうことが言えるんだなぁ、と失業者になって思ったりした。転職のアドバイス情報の波にのまれたら、転職なんてできない。



 



 と、そこで出てくる転職エネルギーがやっぱり「好き」というやつだろう。



 たとえば、演劇サークルに入っていて、卒業後銀行勤めをしていたけれども、やっぱり演じるのが好きだから劇団役者になる・・・・ってのがいい例だ。「好き」に生きるための転職。それもありだろう。その、好きに没頭している人生が、貧乏でも「楽しい」と思える・・・と。



 それは、成功を夢見てるから「楽しい」と思えるのもあるだろう。人は、夢を追うとき、「楽しい」という感情が生まれる。だから、夢のある人間は、いつまでも若々しく、エネルギッシュでいられるわけだ。



 そういう意味から言えば、「好き」と「楽しむ」は孔子の言うとおり、「好き<楽しむ」の関係であると同時に、「好き→楽しむ」状態になるということなんだろう。それなくして、心の底から楽しんで、しかもそれで結果を残すなんてことが、できるはずもないのだ。



 野球というゲームが根本的に好きでなければ、試合に勝つ喜びも半減してしまうのと同じことだ。「好き」だから、「楽しい」を感じられるようになる。「嫌い」では、感じようと思わなければ感じられないだろう。



 さしずめ、私の「物書き」志望人生がそのようなものだ。ではなぜ私は、その「好き」を見つけられないのか?



 



 そこが問題なのだ。心から「好き」と言えることが、パッと浮かばない。



 たしかに、「好きなことをするため」に自分の時間を大事にしてきたと書いた。だが、その、「好きなこと」をどれだけしてきたというのか? あやしいところだ。それは本当に「好き」なのか?とも思えてきた。



 よく、いろいろな所やいろいろな人に「結局、何がしたいんだ?」と言われることがある。このブログをご覧になってる方も思われるだろう。



 私の行動が読めなくて、私自身も表現できなくて、理解できないためだ。



 それはず~っと言われてることで、そもそもこの停滞感の原因も、そこにあるということは重々わかっている。



 たとえばもし、物を書くこと自体が「本当の意味でやりたいこと」であれば、暇さえあれば書いているはずだ。だが、決してそういうわけではない。むしろ、「書かない自分はダメだな」とすら思っていたりする不毛な日々。「書く環境」を整えれば書くだろうと思っても、結局何も書かない現実・・・・



 それはつまり、本当は「書くこと自体が好き」というわけではないという意味だ。



 このブログにしても、ブログを書くのは楽しいみたいなことを言っていたりするが、正確には、ブログを書いたあとのスッキリした感情がほしいだけだ。だから、長々と自分の考えを書いてるわけで。

 読まされるほうは大変迷惑だと思うのだが・・・みなさんありがとう。



 



 そういう視点で言うと、私はけっして、「好きなこと」をしていない。とも言える。だから、心の底から楽しんでもいないのだろう。「好きなこと」のために仕事をしていることも、楽しいとは思えない。



 すくなくとも、「心から楽しい」という気持ちは、「好き」がなければ生まれない。ただその「好き」が具体的にわからないと、勘違いをすることになる。



 「好きではないけれど、楽しいときはある」という想いを抱えながら男と関係を続けている女性がいる。

 それは、「一緒に何かをしてるとき」なのか、「ある瞬間」なのか当人にしかわからないが、少なくとも、その相手自体を「好き」ではないんだろう。一緒にいるときに発生する自分の状態を、「好き」と思えるのだろう。



 大事なのは、そういった「自分の感じる好き」を「対象を好き」と混同してしまうと「自分はやっぱりこの人が好きなのか?」と勘違いすることになる。それがひいては、DVなのに別れられない関係にもつながっていくのかもしれない。



 そして私もそういった混同によって、「好き」を見失っていたのかもしれない。私は別に、書くことが好きではない(嫌いではないが)。小説だって好きじゃないわけだし。ではそもそも、「何のために」書こうとしていたのか?



 そこに私の「好き」を見つけるカギがあるのかもしれない。



(つづく)

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