死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.06.02 14:38

 まだこの旅はつづくの??

 ・・・・・なんてあきられそうかもしれないが、安心して欲しい、今回で終わりだ(たぶん)。だいたい、こんなことで時間をかけすぎだ・・・・。

 さて、前回、大事なのは「mustだけでなく、want」だという答えにたどり着き、机の前に貼ってある「こうなりたい」「こうなるべし」という自分への戒めみたいな言葉たちを見ていたところ、一つのことに気がついた。・・・写真を撮るのを忘れたので、ここでこの言葉たちを(恥ずかしいけど)紹介しておこう。

  • ×やらなきゃ ○やりたい(正確な記述は写真参照)
  • ×完璧 ○最善
  • 謙虚
  • Vision
  • 小さな口
  • mind first
  • 負けてもいい
  • 人の為
  • 陰徳
  • 言い訳するな
  • 心技体
  • 5年後
  • ダメもと
  • Give.
  • There are no victims, only volunteers.
  • ツイてる

 ・・・・などなど、パッと見からしても「こうすべし」的な言葉が多いことに、今さら気づく。しかし、そもそも、こういう「must」的な考えで、「気持ちを大事にするべきだ」ということで「やりたい」を推奨しようなどとしたところで、うまくいかないのも当然なのだ。

やらなきゃじゃなくやりたいで.jpgこれこそ「やらなきゃ」の象徴

 この言葉たちは、6、7年ぐらい前から習慣にしていることで、いろいろな経験から、編み出した言葉だったり、どっかで発見した言葉だったりと、時代によって言葉が変わってきている。
 ちなみに、最初から残っているものは、「謙虚」と「Vision」だけだ。あとは、入れ替わり立ち替わりだ。

 で、今度は「want」と「must」という言葉を貼ろうと思ったときに、よく考えたら「must」系の言葉が多いと感じ、私の心のバランスの何がうまくいってないかがよく見えてきたわけだ。

 私に必要だったのは、「しなければならない(must)」を追い求めるのではなく、「自分がやりたい(want)」という本能を大事にすることだった。

 以前、ストイコビッチ監督が選手に絶対言わないようにしてる言葉として「We must win.」をあげたというエピソードを紹介したが、まさに、mustは、必要でありながらも、それだけを考えてはいけないものなのだろう。

 もちろん、人には「must」が必要なときもある。「want」に身を任せっぱなしでは、『Lの世界』のように、「やりたいから」際限なくレズ関係を拡大していき、次々とトラブルを巻き起こす行動を繰り返し、自身も悩むことになる。
 とはいえ、だからといって「must」に縛られすぎても、息苦しくなるし、魅力に乏しくなる。なにより、楽しくない。

 大事なのは、「want」と「must」のバランスなのだ。

 また、身近にいる人が、「want」と「must」のバランスが非常に取れた人で、人に好かれ、楽しそうに生きているという生きた教材だったということからも、そう考えるようになった。

 私が(勝手に)思うに、「want」と「must」というのは、人間の「右脳」と「左脳」のように、人の行動を決める両極なのかもしれない

 私は、なんでも「あっち」と「こっち」とか「右」と「左」とかのような二元論的ににまとめることは好きではないのだが、しかし、人間のあらゆるパーツが2つの両極に別れているのだから、人にとってそういう分け方をする方が自然で、わかりやすいことなのだろうとも思う。

 そこで、「感覚的」な右脳が「want」をつかさどり、「論理的」な左脳が「must」をつかさどっているのではないのか? と思ったわけ。どっかの本に載っているだろうか? わからないが、とにかく、『Lの世界』人たちとか、クリエイティブな人たちが本能に従って生きてるなぁ、というのは、右脳を主に使って「want」に従って生きてるからじゃないかと思うわけ。

 で、私はその逆に、「must」に従って生きてきたわけ。別に、それが「好き」ってことではなく、それしかできなかった・・・というわけだが。

 別に、そういうタイプならそれでいいのだが、それにしても、限度がある。やはり、「中庸」が大事だというのもあるけれど、それよりもなによりも、「must」にしばられすぎて、結局なにも進まない・・・・というんじゃ、ちっとも益がないし、なにより楽しくないわけだ。

 そこで、今まで貼ってあった言葉を全部ひっぺがし、「want」と「must」を左右に配置し、他のものは、それぞれの要素につながるように、整理して配置することにした。あと、昔から生き残っている「Vision」と「謙虚」も、きっと私には必要な言葉なのだと思い、ニュートラルなものとして配置。

しかし、変な習慣?
 こんな感じ(wantは右脳と直結する左目、mustは右目を意識して配置)。

 ・・・・この際なので、「must」系の言葉を減らそうとしたんだが、それでもまだ、「must」的な要素が多いということがよくわかった。

 そこで

とりあえずこんな感じで行こう
 数を合わせて整理してみた。

 詳しい説明はしてもしょうがないだろうから、しません。

 とりあえず、大きな変化は、「want」という「もっとこうしたいのになぁ」という「楽をする」などの気持ちを大事にすることに気づいたことと、「must」には、明確な指針が必要だということだ。

 たとえば、ニュートラルな「Vision」という要素のwantには「5年後にこうなりたい」という漠然とした夢を配置し、mustには、「5年後にこうならなければいけない」という義務的な考えではなく、「そうなるためにはどういうステップを踏んでいけばいいかというプロセスを大事にする」という意味を込めて「日進月歩」にしてみた。
 「5年後」に向かって努力するのは大事だが、5年後ばかり見ていて、あまりにもかけ離れた日常を送っても自分を責めないようにしたいわけだ。それは「want」から来てる気持ちだが、mustはwantに対するコントロール機能があるので、こういう考え方でいるようにした。

 するとどうだろう?

 自分にとって、何をするべきか/しなくていいのか、が明確になってくる。つまり、思考の整理ができるわけだ。特に、左右に分けて考えることで、つらくなったときに違う方向に「逃げる」ことができるのは、心の安定にだいぶ寄与するんだと思われる。
 「5年後」のVisionとかけ離れているような今でも、少しでもそれに近づいて進んでいることを実感してれば、妙な焦りを覚えることもない、といった感じ。

 また、「want」という言葉を心に持ち続けることで、自分がしたいことを当たり前のように大事にする気持ちが生まれてくる。するとどうだろう? 自然と「好き」が見つかりやすくなる。「want」の気持ちを抑えつけることがないので、自然とわき上がってくるのだ

 あとは、「ああ、今こうしたいなぁ」という、「弱さ」に見える「want」すらも受け入れられるようになる。自分にやさしくできないと、他人にやさしくもできなくてよくないのは「頭では」わかっていたが、それを「must」でやろうとしてきた今まで。そうではない。「want」でやさしくしなければならない。

 立派な木になろうと、枝を伸ばし、葉を拡げてきたが、根っこを伸ばすことを忘れてきた。それは、その、「成長」のプロセス自体を楽しんでない、ムリな成長だった。だから、見た目の割に、弱い。

 自分の「なりたい」自己イメージを「must」でしばり、「want」を否定し、使わなかった。だからこそ、「好き」がわからなかったのだ。

 そして、「子どもの頃夢中になったものが好きなものである」という意味が、今、ようやく、すんなり入ってきて、どれを取捨選択すればいいのかわかってきた。あとは、それを試しながら、見極めていくだけだ。そうすれば自然と、「どんな仕事をすればいいか」わかるようになる(今頃??)。

 極端な話、根っこが無事なら、上は全部切り取っても再生するものなのだ。むしろ、樹形を変えたり、根っこをよみがえらせたいのならば、よけいな枝葉を切り取って、根っこにムリをさせないことが大事なんだよね。

 自分の根っこを理解することが、大事だよね・・・・と思って、ある言葉を思い出した。

「物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし。」(世阿弥著『風姿花伝』

 「労力」がいるのは、好きなことの為だけにしたいもんだ。せっかく恵まれた国に生まれたんだから。

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