死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

--.--.-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
トラックバック(-) | コメント(-) | この記事のURL | 編集 |
2010.06.05 23:23

 ミスチルの『名もなき詩』はあなたの状況にピッタリだと言われた。

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる

(中略)

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいてるなら
僕だってそうなんだ

(中略)

絶望 失望
何をくすぶってんだ
愛 自由 希望 夢
足元をごらんよきっと転がってるさ

 ・・・・なんてところが特にそうだろうか?

 確かに! 

 ――で、あーだこーだ考えてもよかったんだが、それよりも医者の予約時間だと家を飛び出した。まぁ、暇だとあれこれとよけいなことを考えて時間をつぶすので、これはこれで正解かもしれない。

 で、調剤薬局で、「故事ことわざマンガ」みたいなのを読んで待ってたんだけど、そこにあるエピソードにびっくしした。そう、びっくしした。

 

 それは、孔子が、孔子の教えの通り、大国を治めるような手法で小国をやりすぎ感たっぷりに治めていた弟子の国の視察をしたときの孔子の言葉だ。

 「鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」

 言葉の意味は、「鶏をさばくのになんで巨大な牛刀なんか使うのさ~」と、きまじめな弟子をちょっと茶化した言葉だったそうだが、それと同時に孔子は「こいつの能力ではここを治めさせるにはもったいないな」と思った・・・・というようなエピソードだった(詳しくはこちら)。

 もうね、まさに「これよ!」という天啓というかね、「うわぁ」と思いながら帰ってきたわけですよ。私のやってきたことは、まさにこれだな、と。

 そんで、前職で相方さんに「ここで働いていてはいけない」と言われたことを思い出した。

 よくよく考えれば、そうだよなぁ。いったい、何をしようとして、何を勉強してきたのか。それをハッキリさせないまま、「転職を繰り返し」「しかも正社員じゃない」とかでは、そりゃ書類も落ちるし、怪訝な顔もされるぞと。

 そもそも、これまで仕事で文句を言われたことがないほどしてきた自負と業績はあるつもりなのだが、それをなしえたのだって、結局は、人と見てる景色が違うから、結果的に人と違う仕事ができたというだけだ。誰かを打ち負かしたいとか、評価がほしいからとか、そんなチープな理由ではなく。

 

 それなのに、書類審査や面接用に業績をまとめているうちに、そのやってきた仕事そのものに「自分の仕事」を見出そうとした。

 私なら、問題があっても「どうしようもない」と放置されてきたことを「絶対に変えられる、変えるべきだ」と改善してきたことが多かったので、自分は「そういう人間」なんだと思うようになった。
 また、「粘り強い」性格だから、あきらめずにやってきたと思うようになった。

 あげくに、自分は水のような性質のある人間だから、流れが滞ってると気持ち悪くて、その流れをよくするようなことをする人間・・・・というように、それが「自分らしさ」だと思うようになった。

 そうやって決まっていた方が、説明しやすいと思って。

 しかし、それを説明して理解してもらう方が現実には難しい。抽象的すぎてわかりにくいのもあるし、それだったら「なぜ」そうなのかという疑問も湧かれるわけで・・・・・それらはそれらで間違いではないのだが、本質ではなかったのだ。

 

 私がこのブログを書き続けているのも結局はそこだし、SimCityにこだわったのもそこだし、仕事で誰よりも働いたのも結局はそこ。その、根っこの部分を大事にしないで仕事を選んでるから、ワケわかんなくなってしまうわけだ。
 それなのに、その、書類に書くような「これまでの仕事」とやらで、自分を計ろうとする・・・・それではなにもわからないのも当然だ。

 自分の「信念」があって選んできた仕事でも、「正社員じゃないから」と卑屈になるから、そこを面接官につけこまれたりもするし、仕事選びもよけいなことで悩んだりする。

 自分で言う奴はたいがいバカと相場が決まっているが、それでも、ふり返ってみると、絶対に、正社員よりも働いてきたし、正社員よりも有能だった。だからこそ、辞めるときに上司から握手を求められたわけだろう? その「プライド」を安売りしていいのか?

 今まで通り、自分の信念を形作るための「手段」として、仕事を選べば、それでいいんじゃないか。なんでこんな単純なことを忘れてしまっていたんだろうか。
 ただ、これまでのように、「生活の手段」なだけではきっと、これまでのように「牛刀で鶏をさばく」ような状況になることには気をつけなければいけないんだろう。

 

 はじめに紹介した、ミスチルの『名もなき詩』の歌詞を思い出す。

絶望 失望
何をくすぶってんだ
愛 自由 希望 夢
足元をごらんよきっと転がってるさ

 ここんところの悶々とした日々もそうだが、これまでの職場での異常なまでのがんばりとそれに反比例する満たされない感も結局は、足元の、履いてる靴がランニングシューズなのに、ウォーキングのグループに参加していたからこそ起きる気持ちだったのだ。

 それでは、どの職場に行っても仕事があふれ出るし、満足しないし、どの仕事でもできそうな気にもなるだろう。ランニングシューズを履いてるランナーなら、ウォーキングをするのは屁でもない。でも、それは、ランニングシューズが「もったいない」。

 それは別に、周りが悪いわけではない。私が、私という牛刀の使い方を間違えていたから問題だったのだ。

 自分ではなかなか気づかないけど、私という人間を、客観的に、そしてポジティブに見てみれば、結構なものなんじゃないかなって今は思ったりもする。私のまとまりのない文を読んで「凄い」と思ってファンになってくれる人もいるんだから。

 単に、書くのが好きだからだけでは、こんなには書けない。また、物書きになろうなんて気持ちを持ち続けることだって同じだ。

 「信念」まで捨てそうになっていたってことが、一番の問題だったんだね。

web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/1395-0e894d55

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。