死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.06.06 23:59

 躁!鬱!躁!鬱!

 ・・・・ということを繰り返す性格な私。

 昨日は、うぉおおおーっやったるぜぇええ!!!と、ひらめいたアイディアを形づくるために炉の中にガンガン石炭を入れていたのに、今日はまーったくそんな気にならない・・・・。たった一日で、ねぇ・・・・と思うと、さらに↓な感じ。

 まったくこの性格どうにかならんもんかと思うのだが、どうにもならんのが現状な所。まぁ、行動すればいいんだが。その性格を利用してね。いや、軸が立ってないのもあれなんよ。

 

 今日はツイッターに登録してみたり、論語を勉強したり、朝一で面接の連絡があったりしてるんだからちゃんと就職活動も順調に行ってるのに、「ああ、まだ決まってない」と仕事探して、うう、胃が痛い・・・・みたいなまったくもって昨日のテンションはどこに行ったのやら?

 んで、気を紛らわせるためにYouTubeで、『アメトーク』の、先日?やった「すべらない芸人」を見て、「うわぁ、これだ!」と、昨日と違う逆のテンションで天啓を得たというかね。そう、「気にしすぎ」。

 だいたい、起こってもいないことをあーだこーだと不安になっても、仕方がない。そもそもそういう「杞憂」にどれだけ時間を割いてきた事やら?

 「気にしすぎ芸人」の中で、黒沢が「友達がいつ帰ってきても『変わらなくていいね』と言ってもらえる自分でいたい』って言ってたのに凄く共感を覚えたけど、結局、こういう「気にしすぎ」ってのは結局、「自分」を固定化して考えてるところから来てるんかもしれないよね。

 「自分らしさ」っていうことについては昨日の「自分らしさの檻の中で」という記事に書いたけども、結局人って、一日一日、一秒一秒、変わって行ってるんだよね。まったく変わらずいられる人なんていない。

 どんなに引きこもっていようが、細胞は新しくなっていっている。ただそれを、「どう」感じるかしか、違いがないんだろう、きっと

 誰かより経験が足りないとか、誰かより才能がないとか、そういう弱音を吐いたところで、誰もがガンジーのような経験をできるわけでもないし、そういうところを比べだしたらキリがない。ホントに、キリがない。

 

 「気にしすぎる人」というのは結局、物事を深く、多く考えられる人間の一形態なのだと思うが、それが結局、「自分」に使われることによって起こるんじゃないだろうか? たしかに「こうしたらイヤな思いをするだろうな」とか、相手への気遣いみたいなのもあるだろうが、それも結局は、「ちゃんとできない自分」を意識するからだろう。

 「ちゃんとできない自分」をナチュラルに受け止められれば、きっと、何でもないことになるもんじゃなかろうか? みんな、そんなに「気にする」ことにエネルギーを使えないんだよね。

 むしろ、それを活かす方がいいぜって『非常識セラピー』という本の中で、「病的なまでに何度もチェックするという気にしすぎる性格の整備士の話を聞き、私は安心してその航空会社を利用することにした」というエピソードとして紹介していたが、世の中なんて結局、こういう、いいかげんなところもあるものなんだよね。

 

 結局、自分「らしさ」なんてものは、誰にもわからんもんだ。

 だって、いまだに坂本龍馬は「新解釈」されるわけでしょ?

 そんなんより、「自分が」どう生きるかってことを追求した方がよっぽど、「自分らしさ」を作れるよね。その結果として、周りが見た公約数が「らしさ」になるだけで。

 こうやってブログを書くことでセルフカウンセリングをしてるんだ・・・・って私の考え自体も、勝手に作った「自分らしさ」の檻かもしれないんだけどもね。

 非常識セラピーの言葉を借りるならば

つまり、完璧に修理された自転車でなければサイクリングにも行けないというわけだ。しかし、それは現実に即していない。実際には少しくらい壊れた自転車でもサイクリングはできるのだから。

 まぁ、ムリせず、生きろって事だよね。今より少し長く生きりゃ、それで十分進歩じゃない? 自分にやさしく。言うのはカンタンだけど。

 別に、うつになったって、いいんだ。

 でも、うつが原因で死んじゃ、ダメなんだ。

 うつは、うつになる自分を赦す試練、なのかもね。
 自分を責めすぎた罰。ハワイの「ホ・オポノポノ」の考えで行けば、自分の中にあるもうひとりの自分をいじめることになるからね。

 さらにそこで自分を責めたらもう、死ぬしか道はないよね。救済の道を、自ら断つんだから。

 

 世の中、「これが正しい」なんてものはない。ないからこそ、孔子も、仏陀も、キリストも、「書」に教えを残さなかった。だから彼らは「捨て聖」と言われるわけだが、われわれはそれを忘れて、「書」にふりまわされないことだ。

 特に「○○だから××だ」的なものは、ホントに、薄っぺらいものだ。そんなんばっか読んでるから、悩むハメになるんだろうな。今すぐ結果を求めるから。
 そして、そういう人が多いから、うつがこんなに多くて、「癒し」関連の需要がある・・・・その波に、流されないようにしないとね。そのためには、波乗りの技術を身につけないとね。

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