死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.07.29 23:55

 久々じゃないですか? 転職のこと書くの。

 みんな忘れてない? 私は忘れてなかったよ(ホントだよ!)。

 っていうか一ヶ月以上書いてなかったのね、転職のこと。

 決まったかって? 決まってないよ!(ナイアガラの滝汗)

 ・・・・・・みなさんの心配は痛いほど分かる。なにせ、私自身が一番心配して、しすぎるぐらいしている。

 そのため、「イヤな仕事でもやるよ!」みたいな気持ちもあるのですが、これがなんと、今時の面接では逆効果っぽい。

 「なんでもやる」みたいな感じの人よりも、「社風に合う」とか「仲良くやれそう」とか、そういう人を求めているんだってことが本に書いてあったけども、ホントにそうだなと。

 なのに私は「どんな仕事でもやる」気なので、「どうしてもここがいいです!隊長」みたいなことがまったく言えず、気のいい嘘もつけず、なんか、就活はじめた大学三年生みたいなありきたりの解答しか言えないで終わる。

 もっとも、正社員志望で面接に来て、待たされた机の上に「テレアポバイトのルール」みたいな紙が置いてあり、交通費は500円とか、時給制とか書かれたその内容見て、「えっ、だまされた?」と気持ちがかなり萎えたのもあって、結局むこうの手違いだったわけだが、萎えた気持ちがなかなか盛り上がらず、「質問は?」を五回ぐらい繰り返した面接官に、その期待に応えられる熱意をねじ込めなかった。

 

 まぁ、それほど「したい(want)」わけでもなく、「しなきゃ(must)」という思いが強いから、柔軟な対応ができずに終わる、ということなのだろう。

 まだまだコントロールできてない模様だ。

 それもとにかく「早く仕事しなきゃ!」と内心焦っているからで、それはちょうどモテない男が合コンでもガツガツしてるような感じで、なんでもOKというのは結局、相手も選びづらいわけだ。

 仕事するんだけどなぁ、ほっといても。

 これまでも、そういう想いがあるのだけれど、どーも理解してもらえないことが多かったことを思い出した。

 なんでだろーって今まで思ったけど、今日、やっとわかった。

 ふつうは、「世の中をどうこうしよう」という意識で働く人や会社のほうが少ないのかもしれない。

 だから、私が「世の中を少しでもよくするぞ」という心意気をもって、他の人よりもあきらかに働きすぎだろうという行動を取る方が、珍しく、理解してもらえないのかもしれない。「ヒマだから」と言われたこともあったし。

 仕事ってのは社会の構成員として云々・・・・・って大学のときも思ってたけど、そう考える私の考えが「古い」のかもしれない、と思ったわけ。

 で、現代は個人社会だから、社会への意識なんかおいといて、「自分のこと」のために働く方が自然だぞ、的な考えが跋扈してるんかなぁと思った。悲しい悲しいと。

 けれども、自分が応募したところが、「歩合」があるところだから、たまたまそうだっただけかもしれないと、今までの選択ミスをようやく気がついた。
 そういう会社が多いからこそ、NPOとかが生まれたわけだしね。なぜそのことを忘れていたのか。

 基本的に、水が合うはずもないところなので、興味もないし「頑張ればできますよ」と言ったところで、そんなん向こうもうれしくないし、そもそも「世の中」どーこーと言ってる時点で、営業という仕事の期待度も下がるってもんだ。

 

 そうやって、自分の仕事への考え方というものをよくよく考えてみると、私が「仕事ができる」と思われてきたのは、基本的に、それが誰かの役に立つことをしたときで、それを自主的にかつ献身的にできるから信頼されたのだろうということに気がついた。

 とくに、そういうことやりたがらない人が圧倒的に多いし。

 つまり、利益追求のための数を稼ぐ歩合の仕事では、興味が湧かないのはもちろん、「役に立つ」力が発揮されないだろうということだ。それがなんとなくわかって、これまでの営業系の面接官は、ことごとく落としてくれたのかもしれない。

 何でもかんでもガムシャラにやる人間じゃないんだよな、そういえば。

 それが誰かの力になったりするときだけ、ものすごいエネルギーが出る人間なんだ、私は。だから、困ってる人を助ける形の仕事とかのほうがいいんだなと今頃気づいた。いや、知ってたけど、確信を持てた。

 

 面接官を待ちながら、目の前に置かれたテレアポのルールを見て、こんな事を考えた。自分という人間をモノとして考えた場合、もっと有効に使わないと神様が怒るなと。

 「選ぶなよ」と言われ、ホントに選ばないのもどうかってことだね。

 なんでもかんでもやるよ!ってのが喜ばれるのは、ホントに人が来ないとこ、だけだよね、うん。

 「選ぶ」基準の緩和も大事だけど、その基準をまずしっかりしないと(今頃?)

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