死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.08.15 23:35

 お久しブリーフ

 ・・・・・2010年、それで始める人がどれぐらいいるかわかりませんが、とりあえずGoogleで「2010 お久しブリーフorおひさしブリーフ」で検索したところ15万3千件と出たので、みなさん忘れていないようです。よかったね、ダンディ。

 

 さて、ホントにビックリするぐらいもう、お久しぶりですね。半月ぶりぐらい?

 私はここのところ忙しくて、書こう書こうと思っていたらいつの間にかこんなに経っていたという、毎回のごとく進化のないまさにシーラカンスのような人生を送っておりますよ。

 しかし、シーラカンスが生きた化石と言われても、生きてるんだから別にそれはそれで優秀だったということじゃないのか?

 ・・・とも思うようなひねくれた感性の私ですから、結局、世間一般の「夢の正社員」という就職の波に結局乗れず、ムリに合わせようとして黒い日記を書き続け友人に心配され、機会を見ては外に引っ張り出され、パートナーに叩きたくもない尻を叩かせ、あれやこれやしてる内に、一種の妥協で選んだ仕事を受けに行ったら、あれよあれよと、家の近所の、昔いた業界の別業種で、正社員登用有りの、歩合のある契約社員・・・・という形に落ち着いたわけです。

 いやまぁ、はじめて数日経った今からしてみれば、最初っからそれを選らんどけばよかったんじゃないかとも思うことがままありますけれども、まぁ、たとえムリなことでも挑戦してみてわかることもありますし、やっぱり、人と同じではつまらないという人間なのに、人と同じような発想で結婚を考えたのがそもそも間違いだったのかもしれない、と思うようになったわけですよ。

 まぁ、ね、周りから「やっぱ正社員でないと食わせていけないもんな」みたいに言われることが多いし、自分もいろいろ説明するのがめんどくさいから「そうですね」的な感じでいたら、まさに言葉に感情が引っ張られてしまったみたいな。

 よくわからない? だって説明がめんどくさいんだもん(←オイ)。

 

 とにかく、この何ヶ月かの、いわゆる「失業生活」(実際には専業主夫兼求職者兼物書き)では、自分という人間のことがよ~くわかったと思います。なんていうんでしょうね?

 自分にとって頑張ってもゼッタイムリなこととか、自分が犯しがちなミスとか、自分が生きていくのには何が必要かとか、何に幸せを感じるかとか、ホントに、よ~くわかった気がします。

 ようするに、自分の「生き方」というものがよくわかったということですね。

 

 今日も仕事してて、最初はまぁ、向いてねぇなぁと思っていたんですが、今日やりながら、

 「どうしても早口になるなぁ」

 「気持ちがこもってないからか?」

 「気持ちがこもらないのはそこに力を注いでないからだ」

 「ひょっとしたら肚(ハラ)から声が出ていないからか」

 という自問自答のプロセスの中で、肚から声を出すことをしていなかった自分に気づき、思えばここ10年ぐらい、そんなことしてこなかったかもしれないとか思ったりしたのだ。

 いや10年じゃないか?

 とにかく、肚に力を入れて仕事してきてなかったなぁと思ったわけですよ、今日ね。まぁ、金を稼ぐ手段だったからと言ってしまえばそれまでなんですけど、それでも仕事ができるってことになってたから全然気づかなかったんですけど、ちっとも肚に力を入れて仕事してきてはいないなと思って。

 思えば、なぜ「転職しよう」と思ったのかっていうのは、結局は、今までの仕事への接し方に対して「なにか間違ってたかもしれない」という想いがあったからで、そのために、いわゆる「正社員」という言い訳できない立場になったらどうだろうと考えてみたわけだ。

 その方向性としてはまちがってなかったと今も思うが、方法論が間違えてたなとも思うわけで。

 結局、どんな職場でも全力を尽くしてきたつもりだけれど、そしてそこに大きなインパクトを与えてきたという自負もあるけれど、でもそれはまだまだ余力を残したままなんだよね。だって「お金のため」がメインだから。でもそれは、少なくとも、「自分の人生のため」って発想じゃないんだよね。

 だから、言い訳ができるし、逃げも打てる。

 そして、これが一番重要だが、そのために、自分の持っているものを最大限活かすことができないから、結果もついてこない・・・・となるわけだ。

 これは大きな発見だったわけだ。

 

 そして今日、仕事をしながら、肚から声を出しながら、ふと、思ったのだ。

 どんな職場だろうと、どんな人に囲まれようと、自分のスタイルを貫き通し、周りに好影響を与えてきた経験が私にはあって、それこそが私の生きるスタイルなんだということを、忘れてはいけないんだなと。

 成功体験に縛られすぎても行けないけれど、自分の「生き方」はしっかり一本の柱として立てておかなきゃならない。でないと、いろんなものに振り回されてしまうからだ。

 特に私なんかは、ささいなことからでも長々と文章を書けるように、感受性が敏感すぎるため、人に合わせすぎると生きられなくなるようだ。

 だから、そうならないために、自分で自分のペースを作り、自分のやり方を浸透させ、それが結果としてスタイルになってきたわけで、「自分」を積極的に守ってるという点で、消極的に殻に閉じこもって自分のやり方に固執しているのとは違うことなんだなと思ったりした。

 ようするに、仕事という、ナマモノに真剣に立ち向かうからこそ、生身の自分が試され、自分のやり方が構築されていくというか・・・・・・それが、ひきこもりやニートにはないから、それはもったいないんだよね、人生が。

 

 久々に書くとな~んもうまくまとまらんけど(そもそもまとめる気はないけど)、最近、思ったことがあるんだよね。

 私、物書きを自称してるけど、別に小説家になりたいとか思ってるわけじゃないんだよね。

 というよりは「本」を書きたいだけであって。かといって「ホン書き」は脚本家のことになるから使えなくて・・・・まぁ、思ったことや感じたことを、形にしたい・・・・って思ってるというかね。

 だってそもそも、小説だって好きではないし。

 小説も、小説家になった方がエッセイを書けるかなと思った部分もあるし。宝くじよりも成功確率の低い小説家志望の数の多さから考えたら、とても現実的なプランとは言えないんだけども、そんな思いつきで。

 でも、そうやって思ってる時点で、そもそも、やりたいことが最初っからハッキリしてんだよね。

 こういった、日々のイベントではない日記を書き続けて10年、自分では「書く」「表現する」練習の一貫として始めたことだったけれども、私の文はちょっと特殊らしく、周りからこう言われることも結構あったのも、最近ようやく理解できたんだよね。

 私、転職しますよ、「エッセイスト」に。

 それが一番、自分にとってベストな生き方なんじゃないかなって思います。

 

 そのために、お金を稼ぐ仕事だろうがなんだろうが、感性をフルにして、得られたものを「形」にしていく人生を送っていこうかなって思ってますよ。

 まぁ、対外的に「エッセイスト」と言うだけで、個人的にはやっぱり「物書き」ですけどね。

 

 うまくまとまらんけど、とりあえず書こうと思ってたことを整理せずアウトプットしてみた。読みにくくてごめんなさい。

 まぁ、私のことをよく知る人はみんな一様に「今頃気づいたか!」って思ってるんでしょうね。

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