死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.11.20 02:08
 今日、はたと気がついたのだが、私はどーも、大きな間違いをしているんじゃないかと思ったわけ。

 いったいぜんたい、なぜそんなことを思ったかというと、『金スマ』にて、話題の戦場カメラマン渡辺陽一さんの仕事への姿勢を見ていて、この、いわゆる戦場カメラマン的に見えないこの人の姿を見ていて、人間、仕事で大事なのは、「方法論」ではなくて、「目的」なんだなと思ったから。

 人間、結果ばかり求める心の状態の時は、焦りからか、自分のやり方よりも、他人のやり方を重視しがちである。その最たる例が「イチロー本」と言えるだろう。

 稀代のヒーローイチローに学べと言わんばかりに、イチローの真似してカレーばっか食ってる人はいないだろうが、頑固で強情な性格のために、誰も追従できない成果を残し続けるイチローは、教科書にも載せたいぐらいの「お手本」。

 だけど現実的に、イチローの仕事への姿勢を真似たところで、そうそううまく行くわけではない。もしそんなカンタンにみんながみんなイチローになれるのならば、そういった本が何冊も何冊も出ることもないだろう。
 とはいえ、かくいう私も、とにかくあらゆることを吸収しようという貪欲な性格のためか、そういったものを参考にしているわけで、えらそうに言えた身分ではないが、だからこそ、身にしみてわかったことがある。

 そもそも、イチローは、子どもの頃から『人生』の中心が野球だったのだ。いや、そういう環境に置かれたと言ってもいいのかもしれない。勉強もきっちりやり、ゲームなどにも熱中したとはいえ、イチローの存在価値の中心が野球であったことは間違いがない。

 そういった人生を送っている人が、果たして何人いるのだろうか?

 それなのに、イチロー流を真似してみても、うまくいくわけがないんじゃないのかなと。


 突出した結果を残す人はたいがい、「それ」しかないという人が多い。

 同じ野球なら、落合博満は野球がなければ、欲がないから世渡り下手で無愛想なおじさんだったであろう。だからこそ、野球に人生を賭けられたんだし、期待されながらも結果を残せずに消えていく野球選手は、「野球しか」ないように思えても、実は野球しかないわけではないのだ。実際、第二の人生で野球と関係のない人生を送れる時点で、野球「しか」ないなんてことは絶対にない。その人の人生観において、野球以外のモノのウェイトが普通の人のようにあれば、普通の人生を送ることもまた、できるものだ

 他にもマンガ家の藤子・F・不二雄も「サラリーマンには絶対なれなかった」という旨の発言をしているし、鳥山明もサラリーマン生活ができなかった類の人間だ。

 こういう例を紐解いていくと、こういった人にしか、大きな仕事は残せないのかもと思えてしまう気がするわけだ。だが、大事なのはそこではないんじゃないかと、戦場カメラマン渡辺陽一さんの姿勢を見て、改めて気づかされたからだ(えっ、やっと本題?)。


 ついつい自分でも忘れそうになるが、私は、ごく自然に、幸せに暮らしたいだけなのだ。

 創作で食いながら、でも大ブレイクとか大作家とかそういうんでなくて、誰かの人生にずっと影響を与え続けられるようなもの、誰かの人生の一部になるようなものが造れたらそれでいいと思っている。
 それじゃダメだとも思う自分がときおり顔を出すが、かといって世間の評判を気にして、小室哲哉みたいに裸の王様になってもいかんしね。


 だから、そういった突出した人たちの生き様や仕事ぶりを参考にしたり、そこから何かを学び取ることはできても、それをトレースすることなど、できはしないし、してもうまくはいかない。そもそも、心の奥底の部分で、「それ」を必要としていないからだ。だから、行動が、イチローに比べたら貧弱に見えるようになる。

 それは、誰にでもあることだし、多くの人は、「真似する人を間違えた」と、とっととあきらめて我が道を行くのだろうが、あきらめの悪い性格が災いするというかなんというか、自然には暮らしたいが、フツーはイヤという欲望が、そこに執着させるんだろう。

 かくして、人生において貴重な時間をムダに使ったりするハメになるわけだ。結果につながらないことで悶々と悩んだりとか、それで行動が鈍ったりとか。



 孔子の行動の中心に立っていたものは、「忠恕(おもいやり)」であったとされるが、そういった自分の人生の「根幹」をなす信念が何かというのを見失うと、人は生き方に迷い、それがひどくなると「生きづらい」とか「死にたい」とか思うようになるのかもしれない。

 そういった面で、「子どもたちの笑顔」が好きで、それを届けたい、守るために伝えたいと思う信念が渡辺さんの中心にあって、そのための行動をして、自然と結果がついてくる・・・・・そういった生き方をする方が、どんな人生をトレースするよりも価値のあることじゃないのかな、と思ったワケよね。

 なーんか、前にも書いたような気がしないでもないけど。


 んで、自分がやるべきは何かってことをふと振り返ってみたところ、新しい仕事をはじめたから覚えることが多いからそっちに意識がいってしまってるけれども、その仕事の中でも、やっぱり、自分の中で、「これをやらねば」と思う部分がムクムクと立ち上がって来ている自分がいることに気がつく。

 それは、これまでの仕事のときにもあったような感情で、誰にでもできることではないけれど、私は誰かに止められようが反対されようが、やると決めた以上は実行に移してきた人間なので、今度もそうしてやろうと、あれやこれやと「策」を練り始めている。
 私の中にある「信念」が、それを支えているのは言うまでもないが、そういうことを思えるようになったと言うことは、それだけ、今の仕事に慣れてきたってことかもしれないね。

 頭ではなく、心に従って生きる方が楽に生きられるってホントだな。

 イチローが、カレーを食べたいからという、ただそれだけの理由で食べ続けた「朝カレー」を今はもう食べていなくて、去年はうどん、今年はそばばっか食ってるという話が本に載っていたが、それも結局は、その行動に深い意味などなく「自分はそうやった方が元気になるから」という、イチロー自身の心に従って生きてることこそが、イチローの「強さ」の秘密、なのかもしれない。
 落合も「ガンダム大好き」という自分の心に忠実だし。


 充実した人生を送るために必要なのはやっぱり、心なんだろうね。

 そういう意味で、小室哲哉の失敗は、好きな音楽を作るという心の満足感よりも、チャートやヒットや音楽文化といった、「頭」で考えたモノを大事にした結果から招いた当然の帰結だったのかもしれないね。

 私個人としては、ヒットしていた小室哲哉よりも、TM NETWORKの小室哲哉に、影響を受けたんだしね。そっちの方がよっぽどすごくないかな? ・・・・ということも、自分も忘れないようにしたいものだね。
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