死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

--.--.-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
トラックバック(-) | コメント(-) | この記事のURL | 編集 |
2010.11.29 02:31
 こんばんわんこそば、tkiyotoですよ。

 元ネタはいったいなんでしたかね?

 まったくもって記憶にございませんが(政治家風に)、まぁ、記憶になくても問題ないでしょう・・・・・って思ってると、先の「記憶にございません」という言葉が出てくるのでしょう。そう、大物は小さいことを気にしないってアレですよ、アレ。

 最近の政治家が「小物」とおじいさん評論家に言われるのは、そういったところが(昔に比べて)ダメだと言いたいんでしょう、きっと。ジジイはいつの時代も過去に根付いた理想論を語るものですしね(若者は未来を意識した理想論を語る)。


 さて、逐一小話を入れる語りだしではじまることの多いこのブログですが、今日、ふと思ったんですよね。

 冷静に考えたら、こういった語りかけの書き出しって、ヘンじゃないか?と。
 私自身、「ねぇねぇ、ちょっと聞いた?」なんて人に話しかけることは94.7%ないんですが(中途半端だな)、ブログではあたかも読んでる人に語りかけるように、ムチャクチャなふりから話しかけるという、この一連の流れを当たり前のように使っております。

 普段やらないことを、なぜやれるのか?

 それはひとえに、「人に話しかけられない」という臆病さがあるからなんだと思いますが、それはいわゆる「負のエネルギー」と言ってしまえばそうなんでしょうね。本心を普段出さないからこそ、こういうところで出てしまう、的な。まぁ、実質的な本心が全部出てるかと言えばそうでもないですが。

 私の持論では、十代ならまだしも二十代すぎたら性格の矯正なんてできないと思っているので、数多の自己啓発本が訴えかけるように「欠点を活かすしかない」ということを考えると、こういった「負のエネルギー」の利用はまんざら間違ったことではないんでしょう。


 そもそも、こういった語りだし形式で書くということは、不特定多数の「誰か」に対して伝えたい何かがあるわけで、そういったものがなかればきっと、10年もネット日記を書き続けられなかったと思うんですよね。

 それが結局、ネット日記が続く人と続かない人を分ける分水嶺で、また、何かを「発信」する側と「受け手」にまわる側との、決定的な違いでもあるのでしょう。

 それのどっちがいいという次元の話ではなく、本を読むのに際しても、本質まで探ろうとする「リズール(精読者)」と気晴らしのために読む「レクトゥール(読者)」と別れる(A・チボーデ『小説の読者』)ように、「表現」にはそういった側面が必ずついて回るものなのでしょう。
 舞台演劇にも、舞台上にいる人と、観客の「立場」の違いがありますが、観客が作り出す雰囲気は舞台に触発されたモノであるものだし、舞台の雰囲気もまた、観客が作り出す雰囲気に触発されたものであると。

 そういった意味で、腐っても表現する「側」の人間としては、できないとか才能がないとか言っとらずに、表現できるものを形にしていくしか、やることないんだよね。

 「そういったもの」は、その結果として、ついてくるものなのだから。
web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/1446-aca58d2c

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。