死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2010.12.24 03:17
 私の所属?している会社は、通常、勤務地が会社ではないので、月に一度「面談」で会社に行かなければいけないというルールというか慣習がある。

 これがまた非常にムダだなという声があっても当然なぐらい内容のない面談もあったり、10分で終わったりと、わざわざ交通費出して集めるよりも、担当者が移動すれば済むことではないのかと思うが、どうもそういう空気にはならないらしい。

 さて、そんなやる気のない面談にて、仕事をくれる会社に対して「これこれこういうことを守りまっせぼくちんは」という誓約書に例のごとくサインさせられ、世の中には、エネルギーの効率的利用ということを考えない人間がいるのだと、つくづく考えさせられる。

 だって、「私は勝手にPOPや資料を作りません」とか、そんなに重要か?

 まぁ、その意図ぐらいわからないほど子どもではないが、問題が起きるたびに、それが「起こらないように」対策を練るばかりで、現在の、誰も読んでいない「規約」とか説明書の注意事項とか、訴えられたら「怖い」からと消極的な発想でもうけられた「義務」に対して、非常に、ムダだなと感じることがあるわけだ。

 問題を起こすようなPOPを作る奴を雇うからだろう、そもそも。そこの責任はとらんで、バカに基準を合わせるのもどうなのだろう?


 そう思うのは誰でもそうだろうし、世の中そんなもんといえばそんなもんだが、ついに金色のガンダムまで登場してしまった、エネルギーに満ちあふれた某国なんかと比べると、この、日本の、というか先進国特有の「閉塞感」は、そりゃ鬱病になる人や戦争で死ぬ人よりも多い自殺者がいるのもうなずける現実でもある。

 それはつまり、「しちゃいけない」ことばかりが多すぎて、だったらもう、死ぬしかないんじゃないかと思うくらい人を追い詰めるようになっている社会だ。そう、太平洋戦争で「お国のために死んでこい」といったような追い詰めが、現代でも当然のように、もっともな顔をして、えらそうにハバをきかせているのだ。人は、進歩しない。


 で、そこで私はどうするのかと言ったら、作るけどね、その、訴求力も説得力もないPOPなんかとは違う、顧客にとって有益な資料を。

 そもそも、そういったものは、企業の利益のためにする行為であり、それを制限した中で、その企業が求める形の中で「なんとかしろ」では、鬱になるだろう、マジメな人ほど。どうしたらいいかわかんないんだもん。

 そこに必要なのは、いわゆる「三味線を弾く」というような柳腰で、処世術だろうと思う。それがない人が病気になり、それを消極的に受け止めてる人が飲み屋でそのうさばらしをし、積極的に昇華しようと努める人がその「くだらない」仕事の中に、楽しさを見いだすことができるのだと思う。


 っていうかそもそも、本当の意味で顧客の利益に、という発想で作られたものがあんまないから、こうなってんでしょ?

 本当に必要なものなら、多少問題があっても許されるもんよ。高度経済成長期の田中角栄みたいな。それが終われば用済みですが。それと同じことですかね。
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言語は、考えるための道具である。
それぞれの言語には、固有の特色がある。
日本語には、時制がない。それで、未来時制もない。

日本人には未来のことが鮮明には考えられない。構文がないので常に未来の内容は混乱している。
結論も決断も下すことができない。
決断を慎重にするためではなくて、不鮮明で結論が得られないためである。

自分から考えることもできず、他人から伝えられることもない。
未来の内容そのものが、社会に存在しない為である。

未来の内容が脳裏に展開できないので、不安になる。
政治家も一般国民も理想社会の予測が立たない。
政治指導者の指導もない。

金の切れ目が、縁の切れ目としか信じられない。
人は信じられない。金を信じるしかない。
1500兆円の個人金融資産も社会資産となることなく宝の持ち腐れになっている。
金はあっても保育所には入れてもらえないようなものである。

英語の時制は、現実と非現実の内容を分けて考える作業に役立っている。
この作業は、英米の高等教育の課程で行なわれている。
現在時制の内容は現実であり、未来時制の内容は非現実である。

非現実の内容がなければ、人は無哲学・能天気になる。
神の意思に導かれることもなく、政治指導者の構想に導かれることもない。
大人になっても12歳の子供の精神状態にとどまる。
目先・手先にまつわる事柄ばかりを考えて生活することになる。

構想がなければ、備えあれば憂いなしとはゆかない。危機管理は、難しい。
一旦、問題が起これば、無為無策で閉塞感を味わう。
そのうち、何とかなるだろう。と見守る。
何とかならないのであれば、諦観に入る。
ああ、この世はむなしい。と漏らす。

こうした繰り返しが日本人の一生である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

2010.12.24 21:45 URL | noga #sqx2p0JE [ 編集 ]













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