2011.01.09 04:38
2011年もはや十日に迫ろうかという段になってようやく、『楽しむぞ2010』に変わる新しいタイトルを考えついたので、早速タイトルを変更しておきました。まったくの予告なしなのでビックリされた方もおられるかもしれませんが、とりあえず今のうちなら、検索エンジンで「楽しむぞ」で検索してもトップに出てくるのでよいのですが、一ヶ月後にそれができるという保証はありませんので、このさいブックマークに入れておいてくださいませ。なんちゃって。
さて、いきなりタイトルがザックリと趣旨替えをしてしまったので説明をしないといけないような気がするのですが、ようはあれですよね、「楽しむぞ2010」と銘打った割にはちっとも楽しめないことが多かった2010年だったので、これはいかんと思い、それに変わるタイトルをどうしようか・・・・なんてまったく考えてなかったのですが、とりあえず年も変わったことなので前年の反省を活かしてどうやって生きてくべさと考えていたら、ふと、今回のタイトルがひらめいたわけです。
カンタンに言ってしまえば、「楽しむぞ2010」の前の「文は人なり」のサブタイトル「The style is a man」が復活したと言えばそんなところもありますが、それよりもまず、「楽しむぞ」という意志的な言葉が、あまり効果をなさなかったことに、あるひとつの真理を見たわけです。
「~なりたい」よりも「~なる」と言った方が現実化するというような言葉がありますが(どこに?)、現実は、目標としたものよりも基本的に小さくまとまることが普通です。目標が漠然としていればしているだけ、それは人を惑わせるのです。
たとえば、自殺したいという人がいたとしましょう。
そういう人を「助けたい!」って人が世の中にはいます。いや、私も助けたいとは思ってますよ? だからこんな文も書くわけで。でも、だからといって、電話で朝まで相談に乗ってあげたいとか、そんなことは思いません。
「救ってあげたい」
そう思える人は貴重でもあります。ですが、そういう人が、「ミイラ取りがミイラになる」のように、救いたい気持ちが先走りしすぎて、結局救えないなんてこともままあるものです。
若いカウンセラーが患者に恋をするのも、その気持ちが先走りすぎるからです。ですが、そういった関係はなかなかうまくいかないものです。なぜならそれは、その人の「救いたい」という気持ちが先に立つあまりに、相手を対等な存在として見るのが難しくなるからです。
自殺したい人というのは、それで助けを求めるような人というのは、本当は死にたくなんかないのです。死ぬしかないと思ってるから「死にたい」と言葉に出して言うのです。それは弱いことでも迷惑なことでもありません。ごく、自然なことです。
本当に死にたい人は、言葉を発露する前に、この世にはいないでしょう。衝動のまま、命を落とすからです。
で、そんな人に対して、「救いたい」という人の心がマッチして、マッチ売りの少女のマッチのように、それだけで心があたたかになり「救い」になることは実際にはあります。ですが、それでは、問題の解決にはならないのです。
結局、その「死にたい」という原因がその人の中にあるものである以上、外部の人間がどれだけ、何をしようと、それを押しとどめることはできても、かき消すことはできません。その人自身が、その人自身の手で、かき消すしかないわけです。
――で、それがいったいタイトル変更となんの関係があるのかと思われるかもしれないのですが、こういうことなのです。
私がブログのタイトルに採用した「楽しむぞ」という言葉は、他の人にとってはどうであったかはわかりませんが、私個人にとっては、楽しめていない自分を後ろ向きに考えた言葉なわけです。で、それでちっとも楽しい気分にならないわけです。なにせ、スタートから「ダメじゃん、自分」というところからはじまってるわけですから。
と、タイトルのせいにしてもいけませんが、自分を「救おう」と思ってるからこそ、まさに「楽しむぞ」とあえて言わなきゃならない自分そのものに気持ちがフォーカスしてしまい、ネガティブな方向にいきやすくなるわけです。
それじゃぁダメでしょと。それじゃぁ、自殺してる人も救えないでしょと。
で、まったくそのことから離れていたわけなんですが、なーんかおかしい、なーんか気持ちがスムーズに流れないなと思ってあれやこれやと考えていたら、そういうことをふと思い出しまして。
いや、決して、楽しいことがなにもないとかそういうことじゃないんですけど、なーんか違う人生を送ってるなと思いまして。ちっとも創作してないし、的な。仕事してないなぁ~って感じがしたんですよね。収入うんぬんではなく、「私の仕事」という意味での仕事。
それってなんでかって考えた場合、自分が通る道からけっこう離れていたからってことに気がつきまして。
「自分の殻に閉じこもってちゃダメ」
とは思っていたんですが、そうやって思えば思うほど、殻の中におさまっていくのが人間というもの。ちょうど、不倫をしている女性が、自分のところに来ない男のことを考えれば考えるほど、その人のことを意識して、特別な存在としてインプットし、復讐心すら持っているというのに「愛してる」などと言うのと似ています。
それはひとえに、自分の歩くべき道を歩いていないからだし、そもそも、自分の殻というのは、自分が意識して壊そうとするものなんかではなく、歩き続けるためには壊さなきゃいけないようなものなんです。
動物が脱皮するのは、その状態ではそれ以上成長できないからで、「脱皮しなきゃ」とせかされてやるものではないのです。たとえばアゲハチョウならば、自分の中に空を飛びたいという欲求がどうしようもなくなってくるからこそ、さなぎになり、そこから羽ばたいていくわけです。
それは結局、アゲハチョウのStyleであり、一生ぶれない自分の軸線ということなんですよね。
私なんかホントに、それがぶれやすいので、「つべこべ言わずに書けよ、書けるんだから」と言われている期待感に応えられずにいたりするんですよね。
そんなことを思って、タイトルを、そんな「~したい」とか「~しなきゃ」とかをぶちこわすエネルギーの源泉にしたってことです。
ん? でもこれじゃ。同じ気がしますか??
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