死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

--.--.-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
トラックバック(-) | コメント(-) | この記事のURL | 編集 |
2011.08.09 21:28
 風呂に入る前に洗面台の鏡を見て、腕を振りながら指パッチンをやり、「結構サマになってんじゃないの?」と、ひとり悦に浸っていたところ、振っている腕の起点となるヒジになにかがついているのを見つける。

 なんだこれ? と思いながらよくよく見ると蚊ではないですか。

 よく「ハエが止まるほど遅い」なんて言い回しを聞きますけど、まさか、腕を振りながら指パッチンをしているところに蚊に止まられるとは・・・・・手づかみで撃退しましたが、二枚目になれない宿命をつくづく感じたtkiyotoですよ。

 前振りが長かったですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


 突然で恐縮ですが、「自己啓発本」、よくあるじゃないですか。

 私もついつい、タイトルに釣られて読んでしまうんですが、これ、キリがないんですよね。

 生きにくいからこその自己啓発なんでしょうが、人生なんて「これで決まり!」という生き方があるワケでもなく、結局は、自分自身でその方法を見つけるか、宗教的価値観に則って生きていくか、それとも周囲の流れに流されながら生きていくかとまぁ、人それぞれの生き方をするんでしょうが、自己啓発本を書く人は基本的に自分で自分の生き方を見つけ出した人で、少なくとも現在において、自分の生き方に後悔していない人であるとも言えるわけですよね。

 ですから、そういう人の言葉は非常にためにもなるし、そんな人が教えてくれることが、まったく参考にならないなんてことも少なくないわけで。

 でも、正直これがキリがない。

 自己啓発本の解説をした自己啓発本まで現れる世の中ですから、まさに「生き方」を探すイタチごっこ的な感もありまして。だから、自己啓発本ばかり読んでると、ちっとも前に進めなくなるのに、進んだ気になるという困った状態が発生します。
 まぁ、だから次々と発刊され、売れているのでしょうが。

 人は不安を極力廃したいと思う生き物です。
 実際問題、それがあるからこそ、「○○しろ!」的な本で、それを解決したいと思うんですよね。でも、解決も一時的なもので、結局また、次の自己啓発本のお世話になる・・・なんて堂々めぐりをくり返しているのは私だけではないでしょう。
小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと (サンマーク文庫)小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと (サンマーク文庫)
(2000/06)
リチャード カールソン

商品詳細を見る
 もちろん、それが決して悪いことだとは言えないのが、自己啓発本のタチの悪いところで。

 Wikipediaによると、自己啓発とは「自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。より高い能力、より大きい成功、より充実した生き方、より高い人格などの獲得を目指す」ことなんだそうですが、上昇志向がある人、夢を持っている人が自己啓発をするのは自然なことだし、否定することでもないと思うんですよね。

 でも、「自己啓発」というのは、必ずしも、自分から「こうしなきゃ!」と思ってすることだけじゃないハズなんですよね、ホントは。

 自分の人生をもっとこうしたいとか、こうこうこう生きたいとか、そういう想いがあって、その途中というかプロセスそのものが「自己啓発」でないと本当の意味で自己啓発とは言えないんではないでしょうか?

 たとえば、会社社長になりたいです。どこそこのなんとか言う社長の書いた自己啓発本を読みます、愛読します、バイブルにします。それはそれで結構です。

 ですが、それですべての人がその人のようになれるかといったら決してそんなことはない。

 なにごとも「信じるものは救われる」で、徹底してその自己啓発本を文字通り聖書にして、穴が空くほど読み返し、その人の言動を逐一観察し、自分の行動に取り入れていけば、確かにその人のようになれるかもしれない。でも、そんな人は実際そんなに多くない。

 これが、自己啓発本の抱えるジレンマであり、真実であると私は思う。


 何事も、便利で手軽に「消費」できるものを求めるせわしい現代人には、古くさくて、うさんくさくて、おも~い「宗教」とか「哲学」よりも、本屋でパッと目につく、もっといえばコンビニでとりあえず立ち読みしたくなる自己啓発本を読みたくなるもの(最近はライトな宗教書も置いてあるが)。

 しかし、実際、そんな軽い気持ちで手に取ったものが、人生という長い旅路の、決定的な羅針盤になるだろうか?

 もちろん、そういった出逢いから発展していく、『もしドラ』みたいなこともあるだろうが、かーなーり、少ないはずだ。とりあえず、今のこの現状を脱するための手段にしかならなかったりする。言わば、気休めだ。

 これでは、いくら自己啓発本、つまり、誰かが必死で生きてきた経験から編み出された智慧を、「消費」するだけで終わらないだろうか?

 だからこそ、自己啓発本を読み続けるというスパイラルは終わらないのではないのか?


 皮肉な話だが、自己啓発本の多くは、「消費ではなく投資をしよう」と呼びかけている。それは、株を買うとかそんなんじゃなくて、自分自身の人生というか「未来」に投資しようということで、仕事で結果を残したかったら、ちゃんとスーツを着こなせとか、勉強にお金を使えとか、そういうこと。

 そういった意味で、自己啓発本ばかり読んで「自己投資してる」と思ってるうちは、決して成功などやってこないのだろう。なぜなら、自己啓発本を書いた人たちは、自己啓発本を読んでばっかりいて成功したワケじゃないのだから。

 自己啓発本に共通しているメッセージは、「とにかく自分で行動を起こせ」ということ。そこがスタートなのだと。

 それなのに、行動を起こした人のことばかり見ていては、逆に進めなくなることも出てくる。だって、みんな言ってることバラバラなんですから。

 大事なのは、その、バラバラなやり方で、自分の人生を啓いて来た人たちが発したメッセージを、どう感じ、どう受け止め、どう自分の人生に取り込んでいくか・・・・・それがうまくできないと、自己啓発本だろうが、自己啓発セミナーだろうが、「消費」で終わっちゃいますよね。

 自分の人生をよりよく生きるためには何が必要かってのは、結局、自分で見つけ出すしかないんだよね。

 それが、いろんな自己啓発本から得たメッセージだよね。

 「その人」のやり方を見つけるってこと。人に語れるくらいの、ね。
 むしろそういう、他人に自分のやり方を押しつけたいという「欲」があるからこそ、自己啓発本が書けるわけで。おそらく本人は自覚していないとは思うが。

 そこを押さえておかないと、自己啓発本を読んだだけで満足して、知識として取り得たものを、経験と勘違いして、成長した気になってしまう。「世の中こんなもんだ」と。だが、ある本とはまったく正反対のことを勧める自己啓発本もあるのだから、読めば読むほど、行動ができなくなってしまうワケ。

 結局、自分の人生は自分なりの方法で見つけるしかないってことに気付くしか、ないんですよね。一生、気付かない人もいますから。

 いつまでも読んでないで、自己啓発本を「書く側」の人間にならないとね。

 それには何が必要か――カンタンなことですよね。
web拍手 by FC2












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tkiyoto.blog6.fc2.com/tb.php/1493-ad68352f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。