死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2011.11.04 02:51
 誰が言ったか知らないが、人生、死ななきゃOKである。

 本当に誰が言ったかわからないのだが、この、「死」という重いテーマを扱いながら、「OK」という、ガッツ石松のアレみたいな軽いノリの言葉で締めくくってしまう乱暴さが、この言葉の最大の魅力と言えば魅力だろう。

 ほとんどの人にとって、明日をも知れないというワケではない現代日本社会においては、「死」というものは本来すぐそこにあるはずのものなのに、なかなか意識されないものである。

 たとえば、使い古された表現としては、「日本では年間3万人の自殺者がいる」とか「年間1万人弱が交通事故で亡くなっている」とかがあるけど、寿命とか年齢から来る病死の他の、いわゆるイレギュラーな死というのは、知識としては知ってはいるけれど、実感としては持っていないというのがほとんどの人の考えだと思う。
 実際問題、年がら年中、3万人の自殺者のことを考えながら生きるとか、交通事故死について常に思いを馳せている人の方が「変わってる人」として扱われるのはまちがいない。


 そもそも、「生きる」ということは「死ぬ」に対しての対義語であり、「死」という概念がなければ「生」というものに意味がつけられないものである。

 よく言われるように、

「人は死ぬために生きている」

ってのはまさにその通りで、人生の意味なんて結局死ぬ間際にしかわからないんだから、「死」というゴールに向かってどう生きたかが人生の価値を決めるんだと思う。「どれだけ」生きたかではなく、「死」に向かって「どう」生きたか。

 その代表例が、名作絵本『100万回生きたねこ』かもしれない。

 「100万回生きた」という「立派なとらねこ」にとってそれは誰もができない「すごいこと」であるはずなのに、最期に出会った「美しい白ねこ」にとっては決してそうではなかった。白ねこは、「立派なとらねこ」の必死のアピールにも「そう」と言うばかりで、サーカスにいたから宙返りもできるんだぜという、100万回生きたがゆえに得られた経験も、決して過大評価することはない。

 どんな「すごいこと」であっても、「そう」で片付ける白ねこ。
 これを、地位とか名誉とかを気にする男性的な発想を一蹴する女性らしい発想と言ってしまえばそれまでかもしれないが、その姿は、どれだけ生きたとしてもそんなものは相対評価であって、自分が満足して生きていなければしかたがないと言わんばかり態度だ。

 事実、白ねこは、自分を認めてもらおうと躍起になっているとらねこの必死のアピールにまったくなびいてないにも関わらず、万策尽きたとらねこが「そばにいていいかい?」という泣きが入ったような言葉に素直に「ええ」とうなずいた。
 白ねこにとっては、普通に生きて、家族を作り、普通に死んでいければそれでいい。そう思っていたのだろう。そう考えている者の前で、いくら「100万回生きた」をアピールしたところで、その「100万回の人生の経験」をアピールしたところで徒労に終わるのもムリのない話だ。

 100万回の経験は、確かにすごい。
 でも、それがなければ生きられないのならば、一回こっきりの人生を生きている者たちはなんなのだろう?

 「生きることは死ぬこと」

 というのはどうやって「死」という人生のゴールまでを歩んでいくか、それに尽きる。という意味なのだと思う。

 それをよく理解していない人が、「大企業のエリート」だとか、「良家の子女」だとか、そういった付加価値で人生を彩ろうと必死になり、そして破綻することになる。そういったものを否定はしないのだが、それがあれば人生が変わるなどというのは勘違いもいいところだ。


 そんなハードなお話の後に「死ななきゃOK」なんて話をするのもおかしいかもしれないが、よく言われるように「人は死ぬために生きている」からこそ、あえて「死ななきゃOK」という考え方が必要なんだと私は思う。

 誰だって、命の花をパッと咲かせられたら・・・って思うことはあるだろう。
 そういうドラマは昔から人気だ。パッと咲いて、パッと散る。

 古くは、源義経とか、織田信長とか、明治維新での坂本龍馬、高杉晋作、沖田総司とか、昭和に入れば三島由紀夫とか、比較的新しいところでは尾崎豊とか。
 短い人生を駆け抜け、志なかばで人生が終わる。日本人はとくに、こういった桜みたいな人生が好きな傾向があるのではなかろうか?

 でも、だからこそ逆に、南米人みたいに「貧乏でも人生を楽しめればいいんじゃない?」とか考えたりすることができないのではないかと思ったりするのだ。

 「彼らにくらべて、自分はなんとちっぽけなんだ」
 「自分の人生『なんて』、大したもんじゃないんだ」
 「人に迷惑ばかりかけるだけの自分には、生きてる価値なんてないんだ」

 なんてことを考えたことのある人はきっと、一人や二人ではないハズだ。

 おそらく、私が思っている以上にきっと、たくさんの人々が、同じことで苦しんでいる。


 この、『死ななきゃOK』というカテゴリは、拙記事『「死んだ方がいい」についての考察』に、実際にそのことで悩んでる人たちからの反響が多かったからこそ、書こうと思いたったものである。

 私にとっては、ごく自然に、自分の周りに起こったことから感じたことを綴っただけのことなのだが、それが人々の目に触れ、人によっては救いにもなったという言葉をいただき、そこから、世の中にはもっとたくさんの人が、同じ想いを持っているのではないのか、もっとたくさんの「勇気」を必要としているのではないのかと感じたためだ。

 「ただ、生きてるだけでもいい」と言える勇気を。


 だから私は、あえて言いたいのである


 「死ななきゃOK」と。

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