死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2011.10.26 03:04
 本日、本屋で『ベストセラー炎上』という本をサラッと、ホントにサラッと立ち読みしてみた。

 書き手がまぁ、なんつーかどーせ偏ったことを言うんだろうというのが想像できたので新聞広告を見て「これは読むまい」と思っていたのだが、なんの因果か、つい、そう、魔が差したとしか思えないくらい、自然と手に取ってしまった。もう、タイトルからして、中身がなさそうなだけに!

 とはいえ、こういう本のタイトルってたいがい編集者や出版社が勝手につけたものになるんだろうから、彼らに罪は全くない。

 だが、こういうタイトルで出版されるということ、そのことに、「この本」の目的がどこにあるのか見えてくるかのようだ。だから、読むまい、読むのはおそらく時間の無駄だろうと思ったのだ。


 で、読んだ結果・・・というかさっきも言ったようにサラッと読んだだけなのだが、「やっぱり直感は正しかった!」という内容だった。

 いや、ちゃんと熟読しないで語れるのかという意見もあるかもしれないけれど、私がこの本を「サラッと」読んだ中に、村上春樹『1Q84』への彼らの批判文の中に、「少し読んで、もうダメだと感じた」うんぬん書いてあったので、それ見て私も同じように「(この本は)もうダメだ」と思った次第であるわけです。

 いや、私は決して村上春樹ファンでもないし、氏の小説すら読んだこともないが、公共に向けて発信するんならちゃんと読めよと。読まないでケンカ売るのは無責任ではないかと。『ゲーム脳』と同じ論理。

 体験しろとは言わないが、人々に影響を及ぼす気なら、本気で取り組むべきではないのか?
 それなのに、あたかも「本の読み方を知ってる自分(や嫁)からしたらこんなのは読むまでもない」とか「こんなのが売れるなんて、民衆の愚鈍さは俺の理解を超えるね」といわんばかりの考えが思想の根底にあるんじゃないかと思わせるような、ホントに薄っぺらい会話でビックリしました(想定内すぎて)。

 ま、この本自体、『学問のすゝめ2』というCS放送の中での対談を本にまとめただけで、世間の人々の「そうそう、俺も共感する!」という想いを喚起するコメントを書籍化しただけなので、内容が薄っぺらいのは仕方のないことですが、これが、こんなのが、「出版」されることがそもそも、「ベストセラー炎上」になってる現状なんではないかと思ったワケなんです、私は。


 ・・・と、本来の趣旨とはちがうので、こんなチ○カ○みたいな本の感想はさておき、私、自分にとって何が「嫌い」というのがよくわかりましたよ、今日は。

 このあと家に帰って、ネットで中日・落合監督についてちょっと調べていたんですが、達川光男みたいにきっちりと相手を理解しようとしてる人と、自分が落合が嫌いだから落合の言葉の揚げ足取りを逐一している人の意見を両方見て、後者の人の意見の幼稚さというか「最初っから答えが決まってて、そのあとで『理屈』を考えた」文章にホントに辟易した。

 あくまでも、『理由』ではなく『理屈』ね。文字通り、理を屈させている。最初から答えが決まっていて、普通に考えたらわかりそうな「落合にもいいところがある」ということは一切認めず「それもポーズだ」という強引な方法で自らの設定した答えに導こうとする・・・・・いいところが一つもないなんて、そんな人間実在するハズがないんですが、そうしても平気な人が結構いるということです。「キライだから理解したくない」というのが根底にあるんでしょうね。

 で、最初に取り上げた『ベストセラー炎上』も、「俺、この本キライ」という率直な感想から理屈をつけていったように感じたため、吐き気をもよおして読むのを止めたワケなんですよ、私は。だって、それって単なる思想の押しつけではないですか。自分は優秀であるから、正しいことが言えるから、断言できるんだと。そんな風に感じられました。


 でも、世の中ってそんなにかんたんに割り切れるもんなのか??

 私はつねづねそう思ってるし、割り切れないからこそ、小説なら小説で、彫刻なら彫刻で、写真なら写真で、ダンスならダンスで、それでしか表現できないことがあるんだろうし、だからこそ社会は豊かなんだろうと思う。これが、人間が他の動物とあきらかに違うところだと。

 とはいえ、私もこの本を熟読も精読もしていないので大々的に「この○ン○スが!」なんて言わないですけれど、「10秒で読むのをやめた」と言ってしまえば、自分の本も「10秒で読むのをやめた」と言われても仕方がないと思うんですよね。

 もちろん、しっかり読めば、それはそれで得るものはあるかもしれませんが、だからといって、「ムリして」読んで、何が残るというのでしょう? 私が思うに、「ベストセラー炎上」という現状になっているのはまさに、「ムリして」読んでる人がいることに対してなんではないでしょうか? みんなが読んでるから読むとか、人々が成功者だとあがめるから読むとか。


 ハッキリ言って、『理解』するのって、すごく大変なことだと思うんですよ。
 断罪するのはかんたんです。もっともらしい理由と、誰かの経験と、どっかの権威をくっつければそれっぽく批判することはできますから。私なんて基本人と距離を置いているもんですから、いくらでもアラを探せます。落とし込めようと思えば、とことんまで落とし込みますよ(キレたらやりますが普段はやりませんよ!)。

 ただ、だからこそ、私は、手間がかかっても、金にならなくても、時流とやらに乗れなくても、しっかりと『理解』をしようと思って生きています。「絶対」という言葉に対して以外、世の中に「絶対」なんてことはないし、それを我々の先輩諸氏が連綿とくり返してきたわけですから。

 だからこそ、そうならないように、私は『理解する』ってことを大事にしていきたいと思っています。

 それが相当むずかしいことなのは私も重々承知ですが、だからこそ、私はそれと戦えるよう自らを鍛えてきたつもりです。だからこそ、きちんと「理解」しようとせずに、大上段から語る権力者は、大ッキライですね。そうなったら、終わりじゃないですか。

 もちろん、そういう人たちにはそういう人たちの事情ってもんがありますから、あくまでも私はそれを一方的に批判はしませんけどね。独裁者には独裁者なりの「正義」とか「事情」とかが必ずあるハズだと。共感するかどうかは別問題ですが、理解はできるはずだろうと。

 とんでもない独裁者を断罪するのはカンタンですが、独裁者の考えや行動を「理解」せずに攻撃したところで、「次」が防げるワケじゃない。だが、人々は「次」よりも「今」を考えてしまう。

 そういうことを人間はくり返してきたし、だからこそ自分のしていることがムダなことなのかもしれないのかなとも思うけれども、でも、そうやってきたからこそできることもあるだろうし、きっと、それこそが、私が一生をかけてやることなんだろうと思う。



 まったく余談かもしれないが、現在、私が小説を読んだことのない、いわゆるW村上のエッセイ本をそれぞれ読んでいる。まったくもって片手間な本であるため、内容は「超スゲ!」ってなものはないのだが、この人たちの思想の根底にある「強いもの」はそこかしこに見えた気がした。裡(うち)に抱える思想というか哲学というか。
 そういうのがあるからこそ『ベストセラー』になるんじゃないんかねぇ?

 ケータイ小説から出版化したYoshiの本とかも、小説としては非常に薄っぺらい内容だけど、基本、アホ子向けに書かれているところが多数あるけれど、たとえアホ子でも「救いたい」っていう強い気持ちが感じられるから、『ベストセラー』になったんじゃなかろうか?

 ま、中には「一瞬だけ」ベストセラーになった・・・って本もあるけれど。「この本」は、そういう本を書く人が書いた本だったなって、思った。まぁ、これは「理解」というよりは「推測」でしかないのだが、超一流になれない人の本のように感じた。言葉にセンスもないし。

 そこへ行くと『1Q84』というセンスは、さすがですね。
 読んだことないんですが、たくさん売れたということは、たくさんの批判にさらされたということでもありますから。それを生き抜いてきた人と、「え、誰?」って人の、なかば居酒屋のグチみたいな言葉ではどちらが勝つか明白な気がする。

 だから、手にも取りたくなかったんだよなぁ・・・・・ま、こういうことに気づかせてくれたっていう面では、感謝してるけど。
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