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死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

2011.12.31 16:53
気がつけば今年も終わりでしたね。
なんか、歳をとるとあっという間なんてこと言いますけど、ホン・・・認めません!

さて、相変わらずの更新ペースでビックリしてしまうのですが、書けないワケないのに書いてないってどうでしょう?
一念発起しなきゃ書けないなんて思うから余計ダメなんでしょうが、大作主義的な性格は変わらないですね。意味がなさそうなものは作りたくない的な。ま、んなえらそうなこと言ってるけど、他の人にとっては意味のないものだったりするもんですが。


気がつけば人生も1/3が経過し、そう考えると「えええっ!!」って感じですね。
なんかクセのように「やらなきゃ」で仕事してる中で、こうなることがわかりきってるから、大学卒業して、フツーに就職ってのをしなかったのに、なーんか、ホント、わかりきった未来にいる自分がなんだかな、という感じ。

20そこそこの自分からは成長してるんだから、まったくそのころ想像していたものと同じってわけではないけれど、それでも、「停滞」してる感じがしてしまうし、実際に、そうなんだろうと思ってしまう。


今日、職場で仕事が最後の子に、予定があるにも関わらず無理矢理残業してもらった。
それでも不平も言わず、最後まで、こっちを助けてくれようとしてくれた。

かたや、定時になると、というか定時前にすでに帰る準備をしている人もいる。
その行為自体は、労働法的には、間違っていない。ただ、こういう人に限って、言動の端々に「甘え」が見え隠れする。

不平があればすぐキレたり、上を飛び越してその上に文句を言ったり、自分の努力をやたら誇張したり、非を認めなかったり、すぐに凹んで仕事する気をなくしたり、ほっとけない雰囲気を出してケアを必要としたり、とにかく、一言でいうと、甘えてる。
一人で生きられるように見せかけて、一人では生きられないという、甘さが、ホントに目立つ。

もちろん、人は一人では生きられないんだけど、まず、一人で生きてみろよと言いたくなる人というか。

こういう人と、今日辞めていった人との、今後は、大きな差になっていくものである。

たしかに、「やることやったから帰っていいでしょ」的な人は、表面的には、仕事をやっているように見える。

だが、本来仕事とは時間で区切られるものではないはずことを忘れたかのような「定時になったら帰れる」という考え方でいること自体、そもそもどうなのだろう?

「仕事の価値」を決めるのは、自分なのか、他者なのか?
ということだ。

定時になる前に、帰る準備をせっせとするというのは、仕事の価値を、自分で評価している最たる例である。
そこには、仕事というものが個人的なものであり、公的なものではないという発想がある。


私は、仕事とは、公的なものだと考えている。
それは十年前もおなじ考えで、当初はそんな考え方をする人の方が珍しいとすら言われたが、十年経ったいま、大学生のときに考えて、そして行動してきたことは、まちがっていないと、昔と同様、今も思える。


人は、なにかしら目に見える形でしか、物事を判断しない傾向がある。

私でも、さっきまで十年前の自分とくらべて大して変わってないと悲嘆に暮れていたが、それは表面的なものを見ているだけで、確かに昔と同様の仕事をしているように見えてしまう現実は否定できない。

しかし、今日辞めた子に対して、その人の将来を本気で心配する自分がいる。今まで貢献してくれたのだから、力になってあげようとも思える。

それは、自分だけのことを考えて仕事している人には得られないものだ。


大人になって得たもの。

たぶんそれは、何を持ち、何を捨てるかを判断することができる価値基準なんだと思う。

もちろん、それを完全に使いこなせるまでにはまだまだいかないけれど、それでも、同じことをしているような感じがしても、実際には違ってて、そこから、今の自分が何を持ち、何を捨てるかの分岐点まで、立てる位置までこれることが、十年前の自分と違うところなのかもしれない。

それは、一人でなんでもしようとしていた十年前の自分のままでは、けっしてたどり着かなかった考え方。

それを考えると、この十年、自分なりに試行錯誤しながらやってきたことが、けっしてムダではなかった・・・それが言えるだけでも、成長なのかもしれないね。
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