死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2012.07.12 00:26
 NEWS ZEROを観ましたよ。

 いじめ問題で警察の強制捜査があって、いじめ問題に取り組んでいる元教師の訴えがあって、その後にパンダの赤ちゃん死亡のニュース・・・・なんとも言えませんよね。

 いじめで自殺した子供が死んだ時に同じぐらい取り上げたのかなぁ、自殺した大勢の子供たちの死をパンダの死以上に悲しめていたのかなぁ、と。そもそも、人の命が奪われたことよりもパンダかよ!という気持ちがなくはない、という人もいるのではないでしょうか?

 こういうのでマスコミの姿勢を問う、みたいな意見も当然出てはくると思いますけれど、マスコミの情報のチョイスはやっぱり「ニーズ」がベースなので、パンダの赤ちゃん死亡が、イジメが原因で前途ある若者が死亡よりも大きく取り上げるのも自然と言えば自然なんですよね。善悪の問題ではなく。

 ただ、世の中とは得てしてそんなものだという現実も、現実。

 その中で生きていくたくましさが、人間として生きていく上で必要な「生きる力」だと私は思うのですが、それってたった一回、講義をしたからと言って身につくものでもないですよね。ちょうど、鳥が空を飛ぶのと同じように、いきなりはうまく飛べないものですから、挑戦して、挑戦して、やっとできるようになるもの。

 逆に言えば、大人たちがすることは、子供たちをいかに、「羽ばたかせることができるか」ということ。


 もちろん、教育熱心な親も、家の手伝いをさせる親も、同じように子供には羽ばたいてもらいたいという想いがあるのは間違いがない。教師たちも、そしてテレビの前の視聴者たちも、そう。建前では、理想では、そう。

 だが、現実として「羽根を一つ一つもいでいる」という環境を作っている大人たちも少なくはない。もちろん、同級生によるイジメとかが理由で、もがれた羽根もたくさんあるだろう。

 生きてる以上、苦難はかならずある。
 飛ぶことを憶えて、巣から羽ばたいた鳥が、別の動物に襲われることも現実にはある。

 人間は鳥ではない。だが、同じように「生物」なのだ。生きるという意味での基本は同じだ。
 何かを食らい、消化し、体を維持させ、一分一秒を過ごしていくのだ。

 鳥が外敵に襲われて、羽根を何枚か失うこともあるだろう。
 何もしなくても、落ちていく羽根もあるだろう。

 だが、飛ぶために羽根が必要であれば、羽根は生えてくるものだ。だが、大きな傷があれば、生えるものも生えてこないだろう。


 子供たちは、可能性に満ちている。
 私みたいに30を超えてしまうと、頑張れば何とかなるものもあるが、頑張っても何ともならんこともある。今から頑張って社長になることはできても、さすがにプロ野球選手になるのはムリ、というように。

 だが、子供たちは違う。
 まだ、何者でもないだけに、何にでもなれる可能性を秘めているのだ。
 でも、何者でもないからこそ、上手に羽ばたかせてあげないといけないのだ。

 いじめ問題が起こるたびに、なぜいじめがなくならないのか? どうしたらいいのか?

 そんな問いが生まれ、親が悪いとか、教師が悪いとか、同級生が悪いとか、大人たちが悪いとか、社会が悪いとか、原因探しをし、いじめは必然的に生まれるから仕方がないとか、なくなることはないとか、そんなのに負けてちゃダメだとか、結局最後はなぁなぁになる。

 よくよく考えればわかることだが、結論など、出るわけがない。
 だって、原因なんてこれが決定的な原因、ってことばかりじゃなくて、複合的にからみ合ってるんだもの。

 からみ合ってるからこそ、「死」という選択をするのではないだろうか。

 大きな羽根があるのに、飛べないと思い込まされていたり、実際にすでに羽根をもがれてなくなってしまっていたり、端から見てると飛べるはずなのに、飛べないと思ってしまう。

 そして、飛べないまま、飛び「降りる」という選択をする。



 逆に言えば「克服できた」いじめ、というのは、その複合度が割と軽微なものだったのかもしれない。いじめられたけど親友はいたとか、親が味方になってくれたとか、教師が親身になってくれたとか、近所のおばさんの家に逃げ込めたとか・・・・私もいじめられたことはあるが、「死」を選ばなかったのも、そういう点で恵まれていたからだろうと思う。

 だから、ほんのちょっとでもいい。
 支えられることがあれば、支えてあげるべきだ。ほんの少しでもいい。あなたのやさしさで救われることがある。

 支援がまったくなくなれば、未来を失う。
 それは、人であっても、国家であっても、パンダであっても、同じ事だ。

 「生物」は、何もかもインプットされた状態で生まれてくるロボットと異なり、生まれ落ちた時が完成ではない。生きながら、徐々に完成されて、死ぬまでそれは続く存在だ。
 特に、体は完成に近づいているのに、心がそれにともなわない中高生は、特に要注意だ。死のうと思って死ねる選択肢も力も、あまりにも多い。そして、支援が少なくなり、敵が増えていくのだ。

 だからこそ、誰かの支援があって、やっていける。
 支援がなくなり、孤立無援になったら、死ぬしかない。ちょうど、籠城して、取り囲まれた武将が、燃えさかる城の中で切腹するのと同じ事だ。もはや、未来も、可能性も、ないと判断するからだ。端から見たらそれが間違った判断かもしれなくても、そう判断するしかなかった事実は、曲げられない。


 今回の事件は、今後の学校教育のあり方に対して、かなり大きな方向性を与えることになるだろう。
 良い意味で言えば、学校が隠し通すことをあきらめることになる。
 悪い意味で言えば、学校が中ではなく外を見てしまうことになる。


 現実の社会とは、こうやって何かがあるたびに少しずつ変化していくものだ。

 その中で「生きていく」というのは、自分の経験だけで導けるものではない。

 親鳥が飛んだ空と、雛鳥が飛ぶ空は、同じであって、同じではない。親鳥が飛ぶルートにはない危険物が、雛鳥のルートにはあるかもしれない。親鳥が飛んでいた頃にはなかった建造物が、雛鳥が飛び回る頃には完成しているかもしれない。

 だからこそ、我々はやらなければいけない。
 自分の手で羽ばたけるようにと、教え、支え、守り、導き、見送ることを。

 それを忘れた場所から、命が消えていくのは当然の帰結ではなかろうか?



 もし万が一、自分の場所がそういう所だと思えるのであれば、今すぐにでも、支援が得られる所に行くべきだ。それは、イジメだろうが、モラハラだろうが、DVだろうが、なんだろうが、同じ事だ。

 飛べない時は、助けを求めるのも、生きていくためには、必要なことだ。生きていくためには。
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