死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2012.09.03 01:09
 「伝説を作る」

 と言う若い社員がいるところも、最近はどうだろう?いる方が珍しい、なんてところも多いのかもしれない。なにせ、上昇志向じゃない若者が多いらしいので・・・実際にはいなくならないとは思うんだけど。

 で、今回は実際に「俺らで伝説を作ろうぜ」と言っている人がいた、というお話だが、それを飲み会の席でちゃかされているのを聞いた、さらに上の方の上司は、「気持ちは買うけど、あんまり人前では言わん方がいいな」と言っていた。

 確かに、「伝説を作る」と自分で言っているのはなんか、若いというか、青いというか、恥ずかしいというか、おかしいというか、妙な感じがするのも事実だと思う。実際、気持ちだけから回りするケースも多々あるし。
 上司も色んな人を見てきているので、それを踏まえて忠告していたのだと思う。


 これは私個人の考え方かもしれないが、伝説というのはそもそも、意図して作ったりするものではなくて、「なる」ものだと考えている。なぜそう思うのかというのは、私がいろんな仕事をしてきて実際に「伝説として残る」と言われてきたから、というただそれだけのことだからだ。

 私自身、仕事をしながら「伝説を残してやる」なんて思って仕事はしていない。

 ただ、やるべきことをやっているだけだと思っている。
 他の人と違うのは、「やるべきことかもしれないけれどやれない」というのをできるだけ排除することだと思う。つまり、誰もやりたがらないことでもやるということだ。しかも当然のように。

 これは、実は凄く、カンタンなことだと思う。
 カンタンじゃないのは、そのために払う犠牲がある、ということだけだ。それは、時間であったり、体力であったり、精神力であったり、時にはお金であったり・・・・他のものに使えた何か。

 多くの人は、その犠牲(投資と言ってもいいのかもしれない)を払わない。それよりも、「自分の」生活がよくなることを望むからだろう。「仕事に必死になっても給料が上がるわけでもないし」とか、「自分の将来にとってプラスになるとは思えない」とか、「仕事に人生かけるなんて無意味」とか、できない理由を探す。

 だが、それではとうてい「伝説」など作ることはできない。

 誰もができることは、「伝説」とは言わない。
 誰もやれないことをやるから、「伝説」なのだ。


 だからといって、たとえばゴミ回収をする人が伝説になるかと言ったら、ならない。
 それは、「イメージが汚い」とか「下の人がする仕事だから」ということではなく、あくまでも、その仕事に対して(見合うか見合わないかは別として)きちんとした給料が支払われているからだろう。その中で、決められたことをする・・・それでは伝説にはならない。

 でも、たとえばゴミ収集であっても、めんどくさそうにゴミを回収して収集車に放り投げたりするのではなく、道行く人に「ご迷惑おかけします!」と元気に声をかけたり、大阪市で問題になっている金髪にタトゥーではなく、清潔感漂う姿だったりしながら、なおかつ、誰よりも丁寧で素早くきちんとした仕事を手早くする・・・・そういう人であれば「伝説」にはなるのではなかろうか?

 「そんなん現実見てねーよ!」という声も上がるとは思うが、そういう人を黙らせることができる人が、「伝説の人」になるのだ。伝説になる人は「現実」に負けたりしない。現実に負けた自分を省みずに人に自分の価値観を押しつけたりはしない

 伝説を作るのは、才能でもなんでもなく、ダメかもしれないが、ダメになるまでやってみよう、という「可能性」にかけることのできる人なのではないのかな、と私は思う。もちろん、その人にとっては努力ではないかもしれないが、周りの人からしたらものすごい努力をしているものだ。

 「伝説のゴミ回収人」も、これはあくまでもフィクションだが、フツーに考えたら、清潔感たっぷりでやれるハズがない。だが、ゴミ回収の地位を高めようと清潔感を意識して身なりを気をつけたり、ゴミをいい加減に出してカラスなどに物色されないように、地域の人たちのポジティブな行動を促すために挨拶をしたりと、ムダに見えるかもしれないが、見えない努力をしているかもしれない。

 そういったバックボーンがなければ、伝説などとうてい作れるはずもないだろう。

 「伝説」とは、高い目的意識によって支えられているものなのだ。


 もちろん、気持ちとして、「伝説を作ってやる」ぐらいの気概は必要だと思うが、でも、その基準が、「自分がやれば変えられる」という「空想」に近いものであれば、それはきっとうまくいかない。
 なぜなら、なぜ、それまで誰も手をつけなかったのか、という「現実」にフォーカスしていないから。

 実際には、多くの人が試みてみたけれどダメだった、ということもサラリーマン社会にはよくあることだ。
 理想通りになればうまくいくなんて、そんなにうまい具合に会社とはできていない。そういう調整能力がサラリーマンには求められることで、会社と「戦う」ことよりも、「うまくやっていくこと」の方が大事になっていくことが怏々として存在する。特に大きな企業になればなるほど、旧態依然の組織体制であればあるほど、そうなりやすい。

 その中で「革命を起こそう」とか「伝説を作ってやろう」とかってのは、「若気の至り」以外のなにものでもない・・・と扱われても当然だ。
 それが、上司の、水を差す一言になったのだと思う。もちろん、そんな上司になりたくない、と思う気持ちもわからんでもないが、そういう気持ちだけでは変えられない。


 それよりも大事なのは、「行動」だと思うし、その行動を支える「信念」といったものだろう。

 行動するから、信念に基づいて行動するから、その結果が、生半可な気持ちでやっている人と違うから、「伝説」となる。フツーの人は、それができないからだ。フツーの人は、それができないから、できる人のことを「伝説」と認めざるを得ないのだ。


 「伝説を作りたい」
 そう思うならば、自身の行動が常識内に収まっていないか、一度考えてみた方がいいと思う。

 伝説は、誰もが伝説だと思うからこそ伝説なのだ。「思ってもらおう」というものではない。

 結果こそが「伝説」であり、結果が伴わなければ、ただの夢物語だ。


 伝説としての評価は、その人が行った「結果」だけではなく、高遠な理想を追い求める「プロセス」そのものを指すことも多い。
 でもそれは、イコール「プロセスを評価しよう」ということではなく、実現できないハズの理想に近づくという、誰にも想像だにしなかったことをやってのけたからに他ならない。「頑張ってるんだからプロセスを評価しろ」などとブーたれる、学校に帰れと言いたくなるようなガキとは、次元が違う。

 他の人が見ることができなかったものを見せてくれるから、「伝説」になるのだ。単なる結果ではなく、「高い理想に近づくプロセスという結果」こそが、伝説となる。


 だから、「伝説」とは目指すべきものではなく、「なる」もの、ということだ。

 少なくとも私は、そう思う。
 
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