死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2012.08.17 03:35
 祖母の田舎で初盆でしたよ。

 いとこの三女がなにやらゴキゲンで、読経中もアキャアキャしてたのを見て、なにか、感慨深いものがありましたよ。

 「四十九日」ならぬ「三十五日」や葬儀の時にはビービー泣いていたはずですが、今日はしっかり?座って遊んでおりました。

 まぁ、他のいとこの子たちのようには立つこともできないくらいなんで、だまって座るなんてできなくても当然ですが、生きる楽しさにあふれている姿を見てると、法事というしめやかになりがちな大人の行事のなかで、一服の清涼感を与えてくれるものです。

 それと同時に、祖母にとっての子供(私の親たち、4人)の人数よりも多い、いとこの6人の子供たち(祖母にとってのひ孫)を見ていて、祖母は亡くなったけれども、こうやって命の灯火を絶やさずにきたという、大きな仕事をなしとげたんだな、とも感じました。

 と、同時に、その中で「嫁は子供を産むのが仕事」という嫁観が生まれたのも理解できます。

 だからといって、「子供を産めない嫁だから浮気/離縁されてもしかたない」という考え方が正しいとは言いません。ただ、そういう、「時代遅れ」と言われかねない考えの人がいるのも、共感はできなくとも、「理解」はできるな、と感じた、ということです。


 先のような「子供を産めない嫁だから浮気/離縁されてもしかたない」というような発言をする人を、「時代錯誤もいいとこ」と一蹴するのはカンタンです。

 実際、女性のためのサイト『大手小町』の掲示板『発言小町』に、それを象徴するかのようなスレッドがありました。
 「子供ができない嫁を離婚させたい」という、余計なお世話もいいとこの60歳の姑からの炎上必至の相談スレッドなんですが、468件のレス※があり、そのほとんど(というかすべて)が「あんたがおかしい」というものでした。
※発言小町は検閲があり、乱暴な発言は消されたりするので、実際はもっと多かったと想像される。

 当然と言えば当然の帰結ですが、これはあくまでも、普段口撃されることのない姑が、口撃されてもしかたない所に現れたがために起こった、かなり稀なケースで、実際の家庭環境ではまず起こりえないことでもあります。

 実際、このようなことを嫁側が発言したらどうでしょう?

 ここまで一方的に、「その考え方がおかしい」と言ってもらえるでしょうか? 言ってもらえないと思います。

 おなじく発言小町に、そのようなスレッドがありました。「妻である自分に子供ができずに夫から責められるのは、見合いだからしかたないんですよね」というものです。

 フツーに考えたら、子供ができるできないの問題は、個人の努力ではどうにもならないことです。
 周りがみんな無事産んでいるように「見える」から気づいていないだけで、流産・死産の数は想像以上に多いですし、出産時に母体が死ぬこともあるという現実に対して、あまりにも軽く考えている人が多いようです。ですから、「ブライダルチェックしなかったのは悪い」という、今さら言ってもしかたのないことを言っている人(夫含む)もいるのが私はビックリなんですが・・・。

 現実問題、医者に「あなたは子供を産めない」と言われていた女性が、妊娠・出産したなんて話は、流産した話よりも多く聞きます。あくまでも一般論を元にしてつくられた科学が、どれほどあてになるか怪しいところです。

 だから、古来より「授かりもの」という考え方があったのでしょうし、実際、今もそうやって考えている人も多くいるわけです。
 それなのに、「授かれないこと」を、サンタクロースのプレゼントばりに、「お前が悪い子にだから授かれないんだ」と言いつのるのは、大人としてどうなんでしょう?


 ちょっと話がそれてしまいましたが、私はあくまでもここで、不妊にまつわる価値観の議論をしたいワケではありません。ただ、そんなことで責められて、責任を負わされるのはどうなんだ、と言いたいのです。

 人の価値とは、そんなことで決まるのかと。


 たしかに、人間も生物ですから、種の保存は大切な仕事だし、尊ばれるのも当然のことではあります。

 ですが、人は、それだけで生きているのでしょうか??

 私ははじめに、祖母の法事の中で、祖母にとってのひ孫が生を謳歌している姿を見て、「大きな仕事をした」と感じたと言いました。

 でも、それは単に、「子供を産んだ」からだけではないハズです。

 きちんとした、「家族」を作ってきたからこそ、その子たち、孫たちが、「家族」を作ろうと思い、実際に家族を増やしているんです。
 初盆には参加していませんが、6人のひ孫の他、私の兄にも2人子供がおりますので、すでに8人のひ孫がいます。子供のいない孫が私を含めて4人。ですが、全員「結婚しない」と頑なに思っているワケではないので、もっと増えていくのは確実でしょう。

 それは、我々にとって、「家族」というものが、「作るべき」というものではなく、「作りたい」と思えるものだからに他ありません。

 (すくなくとも)私の近しい親族は、橋田壽賀子ドラマのような、嫁姑でドロドロ・・・みたいなのとはほど遠い、親しい親戚関係です。
 我が家では橋田壽賀子ドラマは「ファンタジー」以外のなにものでもありません。「違う世界」のこととして「こんな人いる?」と楽しんで観ておりました。
 ネット掲示板で、舅を「ウト」、姑を「トメ」、あわせて「ウトメ」なんて呼ぶ必要もありません。邪魔な存在ではないからです。

 それは、「恵まれている」と言われればたしかにそうなのかもしれません。

 ただ、それは、そういう家庭を築いてきた人たちの努力のたまものなのではないでしょうか?


 もちろん、人間なので、すんなり行くことばかりではないのも事実。でも、許せる範囲内です。それが、許せない範囲のことが行われている家庭では、いい家族など生まれるハズもありません。だから、うまくいくはずもないし、真似をしたいとも思わないのです。

 たとえば、その、私のいとこ姉弟の子供たち(祖母にとってのひ孫たち)は、名前が「しりとり」になっている、なんてのは真似をしたくなる好例ではないでしょうか?

 長女(姉)の子供の名前が、上から「あけみ(14歳)」「みか(10歳)」「かいと(8歳)」と続き、その下の長男(弟)の子供の名前が「とうま(4歳)」「まみ(2歳)」「みのり(9ヶ月)」と続く…といった感じ。
 もちろん、プライバシーに関わるので名前も性別も変えてありますが、兄弟が、自分たちの子供に、生まれた順にしりとりで「つながり」を作っていくのもまた、家族としての「努力」であると言えるのではないでしょうか?

 だから、「子供を産めない嫁だから…」という議論が出てくる家庭が、いかに、「家族をつくろう」と真剣に考えていない家庭なのかもわかってくるというものです。

 目の前の「事象」にとらわれすぎて、命を紡ぐ、家族という「精神」が伴っていないと言えばいいでしょうか? 本当に家族をつくりたいという気持ちがあれば、養子縁組でもするんじゃないでしょうか?

 江戸時代には将軍家でさえそうしたのに、この平成の世にあって、「血」だの「ご先祖様に」だの、おかしな議論だと思いませんか?

 ・・・・と、私がそう思うのは、我が祖父が、そもそも婿養子だったからかもしれません。祖母姉妹には、兄も弟もいなかったためです。が、それでも、今現在、我が家系は拡大していっているのです。ブライダルチェックなど、なくてもです。
 そんなのあったら、今の私は存在していなかったかもしれません。


 ですから私は、「子供を産めない嫁だから…」という理不尽な言葉に悩まされている人に対して問いたい。

 「産めなきゃ家族になれないのか? それをはたして家族というのか?」と。

 人の価値は、子供を産んだ産まないにあるワケじゃありません。

 子供を産んでも虐待する親はいるし、子供を産んでも人を愛せない、人を傷つけて平気な子供に育ててしまう親もいます。自殺まで追い込むようなイジメをする子供など、その、最たる例ではないでしょうか?

 人が一生のうちにできることは限られています。

 もし、子供が産めないのであれば、親のいない子供の親になってあげてもいいですし、子供の命を救う活動をしたっていいと、私は考えます。
 子供を産むことはたしかに、社会的には+1かもしれませんが、子供が死んだら−1になるのです。ですから、死ぬかもしれない子供を救うだけで、−1が消えることを考えれば、それは+1の働きになるのではないでしょうか?と思います。

 こういう、人の命を数字で考えるのは不謹慎だという声が上がるかもしれませんが、でも、こうやって見なきゃ、見えないものもあるんじゃないでしょうか?

 数多くの出産が人類を発展させてきたというのは、まぎれもない事実です。
 ですが、ここまで人口が爆発的に増えた理由は、「死なずに済む人」、つまり「出産以外の+1」が増えたからに他なりません。医療の進歩はもちろん、食糧供給力の向上、衛生面での改善、それに伴う寿命の増加等、あげればキリがありません。

 これは、「出産」以外のことにも価値があると信じ、貫き通してきた人々の、努力の証ですし、その大多数は、「産めない性」の男たちが担ってきたのです。命を産めないからこそ、命を守ろうとし、命を育てようとした結果です。


 現代では、「産めない女性」という存在が増える環境になっているのは事実です。
 原因は様々ですが、それをあげつらって責めるよりも、女性が、男性がしてきたようなことをすることで、「産めない」ことを責められる気持ちを和らげる・・・という選択肢も、今後はあっていいんじゃないでしょうか?

 「子供を産めない嫁だから自分はダメなんだ…」と悩む人に、そうやってグローバルに考えなさいなんて、難しい提案かもしれませんが、これも一つの「出産」だと、少なくとも男である私は提示しておきたい。

 『作品』をつくり、それを世に出し、それに触れた誰かの命が救われるのならば・・・と考えてるのも、一つの例でしょう。男たちは、自ら遺伝子を残せない代わりに、仕事に遺伝子を費やすことが多いのです。
 そういう男たちは、「自分の優れた遺伝子を残したいから結婚する」なんてことは言いません。そんなことしなくても、伝わるものです。伝えられるものを、産もうと必死になっているのです。それをしてこそ、自分の子供に、自分のしたことを伝えられると考えているのです。


 もちろん、こういった考え方を参考にすることで、抱えている不妊にまつわる問題が解決するなどとは思いません。
 ですが、自分を責めたところで、妊娠なんてできませんからね。自分を責めて責めて、責め抜いて「妊娠した!」って話は、私は聞いたことがありません

 むしろ、女性としての幸せを感じていたり、この人の子供がほしいと思っていたりしていた方が子供ができやすいものです。皮肉なことに不倫相手の方が子供ができやすかったりするのは、そういう部分も少なからずあると、私は思います。
 不倫して妊娠した話はホントによく聞きますから(そして結局堕ろすハメになった話もですが)。

 ここまで述べたのは、私個人の考え方ではありますが、子供が「天からの授かりもの」とするならば、人事を尽くして天命を待つしかないんじゃないでしょうか?

 その「人事」というのが、「家族をつくる」ではなくて、「妊娠する」ことにあるのだったら、それはうまくいくはずもないですよ

 だって、家族って子供だけじゃないじゃないですか?
 夫ともうまくいってないのに「子供ください、子供がいればうまくいきますから」って、そんなの家族じゃないでしょうよと。
 子供は家族のための道具じゃない、これだけは絶対言えることです。

 家族をつくろうと必死になっていたら、がんばってがんばって、子供を授かることができなくても、その、必死になったプロセスの中で、「自分たちの家族になってほしい人」が見えてくるので、養子に迎え入れたい子供の姿も見えてくるでしょうし、たとえ養子を組まなくても、自分たちがきちんと人として生きてくれば、自分たちの背中を見てきた人たちが子供同然になったりしていくことも、あるんじゃないでしょうか?


 私がもし次に生まれ変わるとき、女性として生まれ変わったのなら、この気持ちだけは忘れずに生まれ変わりたいものです。妊娠・出産は女性の最大の喜びかもしれませんが、それがなければ人生じゃないなんて、ツラすぎます

 もしそれしかなかったのなら、自分に娘が生まれて、その子が不妊症だったら、その子の未来をどうやって明るく照らせるというのでしょう?
 
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