死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2013.05.11 19:37
 世の中、アホだなぁと思うことは往々にしてある。

 たとえば、原発。原発のことを「安い」と言ってる人間は、昔からアホだと思っていた。なぜなら、「原発」そのものしか見ていないからだ。

 冷静に考えれば、物は作って終わりではなく、そこからの維持費の方がコストがかかることは、バブル崩壊でみんなわかったはずなのに、特に原発なんて、廃炉や放射性破棄物という、使っているときよりも長い時間「処分料」が必要になるにもかかわらず、そういうものに対しての感性が、日本人(に限ったことではないかもしれないが)はほとほと鈍いようである。臭いものに蓋、というか。

 とくに、アメリカのような、広大な敷地があったり、ヨーロッパ諸国のように植民地的に使える土地があるわけでもない、海と山だけの地震大国で、原発の「ゴミ」をどうするんだという議論は、いまだに解決を見いだせそうにない・・・というか、解決するわけないのに、頑張って、努力しているわけだ。
 原発の輸出ならまだわかるが、世界最大ともいえる地震国日本で原発を推進するなど、今の時代に生まれた人間からすると「アホの極致」としかいいようがない。

 もちろん、日本が高度経済成長したのは、原発の役割も大きかったし、火力のように汚染を排出するでもなく、水力のようにいつも発電できるわけでもないから、原発のみが、一度起動したらフル稼働するしかないが安定して使えるベースロード電源として活躍していたのは、私が小学生のころから知っている。

 だが、だからこそ、原発の「うまみ」に甘えて、それを見つめ直す時を取らず、それゆえに放置された、原発が抱える闇についても憂えているのも現実だ。


 なぜ人は、いい面しか見ようとしないのか?

 たしかに、書店にあふれかえる自己啓発本のほとんどは「いいところを見よう」とポジティブに訴えかけているし、実際、世の中の「上の方」の人たちは、市井の人たちよりは確実に「ポジティブ」である。いわゆる「成功者」はケチな人より明らかにポジティブだし、貧乏でもポジティブに生きている人たちは幸せそうである。
 ただ、ポジティブになればいいのかというと、そうでもない。先に挙げた原発の問題は、原発をポジティブに考えてなければ起こりえない問題なのが、いい例だ。

 もちろん、「ポジティブ思考」そのものが悪いわけではない。

 だが、「ポジティブ」とは何かに対しての相対的な位置づけであり、だからこそ、その正反対の極致として「ネガティブ」が存在する。
 自己啓発本の「ポジティブ」は、本来は、自己啓発本を読まないといけないと思いこむような心持ち(つまり「ネガティブ」な気持ち)があるからこそ、訴えて響く考え方であり、「ポジティブ」そのものが素晴らしく、正しく、世界を救う手だてなどと喧伝するのは、ちょっとどうかなというのが私の考えである。

 たとえば、美人でスタイルが良くて、周りにも気を使える、頭の良い女性がいるとして、実際そんな女はいないかというといるのはいるのだが、だからといって、その人が人として「完成形」であると考えるのは間違いだ。

 美人でスタイルが・・・・となると、注目度も高いから、過去のこともぐちぐち言われるだろうし、高嶺の花になればなるほどイメージで語られてしまうので、本人がいくら努力しても防げないトラブルに見舞われることもあるし、周りから「美人はいいわよね、お気楽で」などと言われることそのものが、時には美人にとっては負担にもなるだろう。

 このように、一つのことに対して、一面的なとらえ方をしていては見えてこないものがあるのが、本来は「当たり前」であるのだから、そういった意識を心のすみにでも、置いておかなければいけない、ということだ。


 そのことは、みんな知ってはいる。わかってもいる。

 だが、ときとして人はそれを忘れてしまうし、特に、自分の関心にないことに対しては、それこそ、そこに意識をめぐらせることをしない。

 原発の問題も多くはそういったところから来ているし、ずっぽりと社会の仕組みの中に入り込んで、関わる人が多くなって、イノベーションも、リノベーションも起こらないような状態になってしまっていたからこそ、冷静に考えれば小学生でもわかるような「真実」がなおざりにされてきた。

 これは何も原発に限ったことではなく、たとえば、毎年たくさんの人を殺している自動車の速度は未だに遅くならないし、ロボットの技術進化は人を殺せない様にするどころか、操作する人がイヤな思いをせずにゲーム感覚で人を殺せるようになってしまった。

 そんなアホな世の中の中で生きるのだから、ある程度我々も、アホにならなきゃやっていけないのも事実だろう。でないと、とても、生きにくい。生きにくいから、死を選ぶ・・・なんてことも、あるだろう。


 純粋すぎる人が自殺する・・・日本の将来を憂えて割腹自殺(切腹)した、作家の三島由紀夫なんてその代表格なんじゃないかと思うんですが、「生き抜く」ためには、時には汚れることもあるだろうし、泥にまみれることもあるだろうし、でも泥を食らい、汚れを隠しながら生きていくこともまた、違う意味では「純粋」なのだと思う。ただ違うのは、アホになれるかどうかだけ。

 もちろん、アホそのものになってしまってはいけないけど、アホにならなきゃやっていられないこともありますよね。でなきゃ、生きていけないし。

 でも、だからこそ、こうやって、時には真面目に人生と向き合うことも、人間には必要なんじゃないですかね?


 それがある人とない人との差が、本当にアホな人との差、なんじゃないでしょうか?
 
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