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死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2005.12.24 23:40

 「刃(やいば)を返す」という言葉がある。

 日本人なら誰しもが日本刀には「刃」と「峰」があり、峰の方では人が斬れないことを知っているでしょう。「峰打ちじゃ、安心いたせ」は時代劇には欠かせないワンシーンですね。そしてこれは、実に日本的な考え方と言われ、手に入れた駒をまた戦力にすることができる日本の将棋と、手に入れた駒は二度と使えないヨーロッパのチェスや中国の将棋との差異などに象徴されているとも言われています。
 今日はそんな日本刀の二面性を、「逆刃刀」という特殊な日本刀を使い、ストーリー内で表現した作品の『表現術』を見ていこうと思います。

 とりあげる作品はこちら

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚 (巻之1)
和月 伸宏
集英社 (1994/09)
売り上げランキング: 57,813

 ご存じの方も多いかもしれませんね。

【『るろうに剣心――明治剣客浪漫譚』とは】

 週刊少年ジャンプ上で連載された人気作品の一つです。
 その人気の秘密などはどこでもやっていると思うし、ここの目的とは異なるのでここではいまさら取り上げるつもりもありません。 ここでは、主に「逆刃刀」というアイテムがあることで、どんなストーリー表現が生まれたかを見てみたいと思います。

 作品の大まかなストーリーとしてはこんな感じです。
 舞台は明治10年。明治維新の後の混乱を経て平静となって来た時代に、東京にある一人の剣客が現れます。その剣客の名は緋村剣心(以下剣心)。廃刀令のご時世の中、堂々と刀を帯びる彼は明治維新の際に、幕府転覆のために何人も要人を斬り殺してきた維新志士側の「人斬り抜刀斎」と呼ばれた男でした。
 維新の後、「人を斬りすぎた」という罪悪感に駆られ、官職にも就かずに流浪人(るろうに※)として全国を流れていた剣心は、ひょんなことからある剣術道場に世話になることになり、そこで出会った人たちと交わす交流のうちに、心に未だ住みつく『人斬り』の自分と『流浪人』としての自分との葛藤を乗り越えていく――手には人を斬らないという意思表示を持つ「逆刃刀」を持って――というお話です。
※流浪人(るろうに)…作者、和月伸宏の造語。流れる浪人、という意味でつけられている。言葉だけじゃなくてキャラにも遊び心が多数盛り込まれているのが氏の作品の特徴である(それが批判の対象にもなるが)。

 特徴的なのは、剣心が少年誌にありがちな「凄い暗い過去を背負ったメチャメチャ強い男(そして美形)」という点だけでなく、それを刃と峰が逆になった「逆刃刀」という特殊な刀を持たせることで表現したところでしょうか。すなわち、「人を斬り続ける」という意志の象徴である普通の刀(真剣)と、まったく逆の意思表示をした逆刃刀を持つことで、サムライとしての方向性が普通じゃないということになります。

 そんなサムライが、作品世界の中で、どんなストーリーを生きていったのでしょうか。

【キャラの性格の象徴としての逆刃刀】

 では、逆刃刀とはいったいどんな刀なのでしょうか。
逆刃刀(第2巻)
  見てわかるように、逆刃刀とは通常の刃の部分が峰になっているので、「人を斬る(斬殺)」ことはできないようになっています。ようは、「峰打ち」で戦っているということになります。剣心は、この逆刃刀以外の抜刀を禁忌(きんき)としています。ようするに、「維新が達成されたのだから人斬りはもうしない」という意思表示です。
 「だったら木刀でいいじゃん」とか「竹光でいいじゃん」とか言う声もあるかもしれませんが、あくまでも強さも兼ね備えなければいけないので、こういう形になったとしておきましょう。なお、逆刃の部分は、普通に物が切れる刃になっています。

 主人公、特に少年マンガに登場する「強い主人公」にはオンリーワンの特殊アイテムが欠かせません。『ドラゴンボール』の如意棒・筋斗雲とか、『シティーハンター』のコルトパイソン357マグナムとか、『花の慶次』の松風(馬だけど)とか、あげればキリがありません。そしてそれにまつわるエピソードも欠かせません。が、ここで取り上げるのは、「逆刃刀が生むストーリー」であって、「逆刃刀にまつわるエピソード」ではありません(なお、逆刃刀にまつわるエピソードは単行本9~10巻に収録されています)。

 そもそも剣心が逆刃刀を手にした理由は「目の前の人たちを守るため」であって、その程度なら「逆刃刀」と自分の剣腕(剣術の実力)でなんとかなると思っているし、実際並の人間相手じゃハンデがあっても乗り切れます。そのため、序盤では「実はあの人斬り抜刀斎が人助けを」という人情物のストーリーになっています(=人気はあまり出ません)。

流浪人・緋村剣心普段の剣心の姿からは「人斬り」の見る影もありません。 (1巻)
 しかし、「ほどほどに強い」自分でいると、ときどき問題が起きます。そう、相手を「不殺(ころさず)」の精神のままでは倒せないほどの強敵が現れた場合です。 決して読者に飽きが来ることだけではありません。

逆刃刀2抜刀斎の顔(2巻)
 これは、「不殺(ころさず)」を心に決めている「流浪人の剣心」では強敵を倒すことができなかったゆえに、強かった「人斬り抜刀斎」の自分に戻って逆刃の「刃を返す」シーンです。言葉遣いも「拙者」から「俺」に変わるなど芸が細かいです。

 これだけ見てると、ずいぶん便利設定のような気もします。

普段は不殺(ころさず)の流浪人
でもそれで勝てなきゃキレて無敵の人斬り抜刀斎に戻る

というわけですから。

 しかし、当の剣心はそれをポジティブに考えられる人間ではありませんでした。むしろ、「人斬り抜刀斎」という過去を、「新時代を作るためという理由で人を殺すことが、果たして許される行為だったのだろうか?」とネガティブに捉えてしまう人間だからです。

sakaba9.jpg(12巻)
 「過ぎ去ったことはしかたない」と思える維新志士たちは政府高官になり、そう割り切れない剣心は、流浪人を選択したのです。これは彼が14歳で「人斬り抜刀斎」になったという理由もあるでしょう。しかし、それゆえに流浪人として、わざわざ「逆刃刀」を手にしたのは、剣客として、死ぬことではなく生きることで償える方法を考えたのです。

【逆刃刀が生むストーリー】

 その剣心が、「人を助けるため」という理由で、再び「人斬り抜刀斎」に戻らなければならないほどの強敵に相対したとき、ストーリーは大きく動き出します。それが通称「京都編」というストーリーですが、ここで剣心は「強さを手に入れる=人を殺す気でやる」という選択しかないのか、ということに悩まされます。

 ここでも、逆刃刀という存在がその剣心の葛藤を象徴しています。

 前述したように、逆刃刀とは戦うのに不利な刀です。なにせ致命傷を与えるのが目的の刀ではないのですから、ハンデを背負っているも同然です。しかし、剣心は逆刃刀まで捨てることはできません。できれば剣心は、「人斬り抜刀斎」などに戻らずに、流浪人としての自分がそれに匹敵するほどの力を手に入れたいと願っています。
 その心の象徴が逆刃刀であり、剣心が逆刃刀を真剣に持ち替えたら、それはすなわち流浪人から人斬り抜刀斎に戻ることを意味するのです。

 

職業

アイテム

人を守る行為

 緋村剣心

流浪人

逆刃刀

不殺

 人斬り抜刀斎

人斬り

真剣

斬殺

 しかしストーリーはそんな剣心の淡い願望を打ち砕くかのように襲ってきます。「人を殺すのを何とも思わない」強敵と相対し、流浪人である自分の存在価値を象徴している逆刃刀を折られてしまうのです。結果、ますます剣心は「流浪人のままでは無理なのか?」という気持ちにさせられます。

sakaba5.jpg「とっとと抜刀斎に戻れ」という、剣心をけしかける役回りの斉藤(右)と、「それでも人を殺したくはない」という剣心(9巻)
 結論から言ってしまうなら、彼は新しい逆刃刀を手に入れ、「人を殺す」以上の強さを持つ「生きる意志」という心の強さを身につけるという少年誌的なストーリーでまとめられます。しかし、ここで言いたいのは、そんなことではないのです。ようするに、あくまでも「逆刃刀を捨てない」ストーリーにしたことに意味があるのです。

 剣心は、京都編のラストボス、志々雄(ししお)に、その、逆刃刀を捨てない流浪人でも勝てる強さ「生きる意志」をぶつけます。志々雄の刀は、彼の哲学「弱肉強食」を絵に描いたような「人を斬り続けると刃こぼれするからあえて刃こぼれさせ、それが摩擦で発火して、しみこんだ人の脂を燃やす刀」という、逆刃刀とはまったく逆の性格を持つ刀です。

 逆刃刀を持つ流浪人という存在を否定されることから始まった京都編は、その「人を斬りまくったからこそ火を吹く」刀を持った志々雄が破れ、結局は剣心が逆刃刀を握ったまま幕を閉じます。それが本当の勝利かどうかはここで論ずることではないのですが、逆刃刀という主人公の精神を体現したモノが、自分の存在価値を示したのは注目すべき点です。

【『不殺』というテーマ】

 この『るろうに剣心』という作品は、「不殺(ころさず)」を心に決めている主人公、剣心の物語なのですから、作者もたいそう平和主義者なのかと思えたりもしますが、作者の和月伸宏は本質的には「人殺し? OKOK」な人間であると思えます。それは、氏の単行本に書かれたコメント(読者サービスの一環なのだが反感も多い)からも見て取れますし、作品の中からも見て取れます。
 氏の最近の作品、『武装錬金』では「臓物(ハラワタ)をブチ撒けろ」という過激な名セリフ&残虐シーンで(主にネットで)人気を博し、氏自身も自身がもつダークな快感にちょっと酔いしれているような感じがしました。これは『るろうに剣心』の作品内でも同じです。ヒーロー側(剣心とその仲良し仲間)には人殺しはさせませんが、ちょっと仲間というには怪しい斉藤一(はじめ)や四乃森蒼紫(しのもりあおし)や、敵方の人物など剣心のいないところでは、生首ポーンとか、流血ブシャー以上にやけに凝った殺人シーンを描きまくっています。

sakaba8.jpg上半身が吹っ飛び、血を吹く残された下半身(14巻)。本誌掲載時にはセミカラーだった。そこまでして描きたかったのかと思ったりもします。
 他にも、京都編のラスボスであり、「弱肉強食」が信条の志々雄について

描き終えて思うコトは、とにかくこの志々雄は、自分の中の悪の美学の集大成のキャラだった。(中略)正直、ラストバトルは剣心よりむしろ、志々雄を描く方を楽しんでしまいました。(17巻)

と、述懐しています。いくら主人公が持つ信念が「不殺」だからと言って、作者が己の信念を作品にぶつけているとは限らない一つの例です。

 「過去の強かった自分」というのは少年マンガの王道ですが、「不殺」を心に決めた剣心が過去の強さを都合良く引き出すことができなくなっているのは前述の通りです。なにせ、「不殺」の象徴、「逆刃刀」というアイテムを持つことまでしているのです。そして、氏はそんな剣心に、少年誌のヒーローとしての役割を持たせました。はっきりと人斬りに戻ったほうがストーリー的にはシンプルになって描きやすくなります。
 なぜそんな苦労を背負ったのか、それは氏が、「少年誌にふさわしい表現」を模索していたからではないでしょうか?

 あくまでも推測ですが、氏は「逆刃刀の流浪人」という設定を思いついたときはきっと凄くつかむところがあったのでしょうが、実際描いていくと、難しい現実に直面したと思われます。作者のコメント欄にもそのようなことがときおり見かけられました。なにせ元々が「不殺」主義者じゃないのですから。

 そんな中で氏は、主人公・剣心に「逆刃刀」を持たせた以上、タイトルに『るろうに剣心』という名を冠した以上、剣心が逆刃刀を捨てないストーリーをゆずりませんでした。もちろん、剣心が逆刃刀を捨て、流浪人(るろうに)をやめる選択肢は作者の裁量権としてありますし、青年誌では「いい意味で期待を裏切る」作品を好む読者層もいるのでそれはそれで面白いのかもしれないのですが、氏はそれだけは「少年誌として」やってはいけないものだと感じていたようです。氏は数多くのコメントの中でも、とくに「少年漫画」というもののあり方を考えているのが諸所で見て取られ、特に次のコメントは何回もくり返されています。

少年漫画の基本は笑顔とハッピーエンド。 (24巻)

 言うなれば、氏は氏の考える「少年漫画」という枠組みの中でこの作品を描いたのです。現在、「続編漫画」の多くが青年誌に移っているのは読者層が大人になったからというのもありますが、青年誌の方が幅広い表現が許されるというのも理由でしょう(性描写含む)。
 ですが、氏は少年漫画という受け手が子供たち中心であるがゆえに限られた表現しかできないフィールドで、自身の考える「少年漫画像」を作品の中で追求してみたわけです。自信の願望よりも、読者が喜ぶ「ハッピーエンド」のために。

【逆刃刀というハッピーエンド】

 では、『るろうに剣心』におけるハッピーエンドとはなんなのでしょう?

 それは、主人公剣心が、流浪人としての選択が正しかったと言える人生を送ったと思うことに他なりません。「流浪人なんてせずに、人斬り仕事でも高級高官になってりゃよかった」などと後で後悔するのは、剣心にとってハッピーエンドにはなりません。そのためには、剣心が流浪人である自分の象徴である「逆刃刀」をずっと持っていなければなりません。そう、逆刃刀を持ち続ける剣心であることがハッピーエンドなわけです(実際のラストはもっと進んでますが)。

 だからストーリーは自然と「逆刃刀」を肯定するストーリーになります。

 それが、自然と「人殺し? OK、OK」的な性格を持ち、「悪のカタルシス」を喜々として描く作者の和月氏に、一つの歯止めをかけさせます。逆刃刀を持つ剣心を肯定するには、他の人間がどんな殺しをしても、剣心に殺しはさせずに、なおかつ過去を乗り越えさせるストーリーにしなければなりません。
 その流れのまま、「京都編」のあとの「人誅編」では、ハッピーじゃない展開も一時は見せながらも、結局はハッピーエンドの締めを見せます。その選択はノイローゼになるほど悩んだのだと思いますが、それでも「少年漫画の基本は笑顔とハッピーエンド」という作者自身の信念が、逆刃刀を肯定するラストを作り上げたのでしょう。

 言うなれば、「人斬り願望」のある作者の、本当の自分を律する「逆刃刀」のような信念が、このハッピーエンドの人気マンガを作らせたのかもしれません。

   

 余談ですが、実際の「逆刃刀」は峰の先の部分だけが刃になっただけの、真剣です(Wikipediaによる解説)。
 ですから、『るろうに剣心』に出てくるような刃と峰が逆になる刀「逆刃刀」は実在しません。実在しても、重い峰の部分が前に来るため、かなりアンバランスな刀となるのでとても普通の剣を使っているのと同じようには振るえないそうです。
 ですが人気マンガの宿命か、レプリカがネットなどでも手に入り(4万円強ですが)、実際に使ってみて「パイナップルを真っ二つにした(by 探偵ファイル)」など試した人もいるようです。 まぁ、金属で出来た細い物ですから、逆刃刀でも勢いよく振れば物は斬れます。人を撲殺することも可能でしょう。「マンガだからしょうがないだろ」とも言えますが、もう一つ、「マンガだからこういう表現が出来たのだ」とも言えます。それは、マンガというメディアの特質に絡んできますが、それは次回にでも取り上げることにしましょう。

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