死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2006.01.13 23:59

 マンガは絵で伝えるメディアあります。セリフがなくてもマンガになりますが※、絵がないのはマンガになりません。
※その昔石ノ森章太郎がセリフのないマンガを描いて、それを見た手塚治虫が「あんなのマンガじゃない」と発現したが、結局手塚が謝罪して認めたらしいです。

 では、絵で伝えると言うことはどういうことでしょう? 言葉とはどう違うのでしょうか?

 ここでは前回「逆刃刀が生むストーリー」で取り上げた『るろうに剣心』などを例にとり、マンガゆえの「暴力」にまつわる表現術を探っていきましょう。

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚 (巻之1)
和月 伸宏
集英社 (1994/09)
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【マンガにおける暴力とツッコミ】

 マンガでは特に外国人からしてみるときわめて暴力的ととられる表現が多く使われるメディアですが、「ツッコミにグーパンチ」という表現はマンガではメジャーな表現です。だからといって日本人が暴力性を好むかというとむしろそうじゃない傾向の方が強いと言えるでしょう。そういった「メディアが暴力を生むか?」という問いに関しては、『ボウリング・フォー・コロンバイン』という映画が上手く応えていると思います。

ツッコミはグーパンチで!(和月伸宏『るろうに剣心』18巻)
 現実にこういったツッコミをすることはありませんし、極力しないようにすべきだというのは誰もが持っている常識感です。それを逆手に取った『蹴りたい背中』という芥川賞小説もありましたが、マンガ世界では蹴りまくる表現が普遍的すぎて題名にすらならないといえるでしょう。それぐらい、マンガには現実にはあり得ないほどの暴力表現があります。

 この暴力的ツッコミにも色々ありまして、以下のように、マンガ内のキャラクターでさえ「激しくツッコミ過ぎだろ!?」という表現もときおり見られます。

蹴って井戸に蹴り落とすのも「キツイ」ツッコミです(7巻)
 洗濯してるキャラを井戸に蹴り落とすというツッコミは、ツッコミのレベルが強いことを第三者の驚きで表現しています。これは「ほのぼの日常→マジトーク」といったように、前後の話の流れを大きく変える一つのテクニックですが、それもツッコミの暴力度をアップすることで表現しています。

 もちろん、これを現実世界で行なうのは「いじめ」の域を超えていることも我々はわかっています。ですが、なぜこんな誤解されやすい過激な表現を使うのでしょうか? それはマンガというメディアの特性ゆえと言えるのです。

【マンガは絵で表現するメディア】

 はじめに言いましたが、マンガは「絵」であります。
 ベタ塗り(黒一色で塗りつぶされたと言うこと)でセリフのみというページがあったりしますが、それでもそんなシーンはごく一部で、それは「暗闇」とか「独白」とかいったもののための「演出」でしかありません。

絵のない絵(高橋しん『いいひと。』23巻)
 このシーンを見ていただければわかると思いますが、マンガの「コマ」である以上、真っ黒でもそれは「絵」として表現されていることになります。本来何かしらの「絵」を描くべきところに、それが出来ないという「絵」を描いているわけです。この表現は特に「内面の闇」にどうしても触れなければいけない青年マンガに見られます。

 この例のように、「絵ではない絵」を使わなければならないのが、マンガやテレビなどの視覚に訴えるメディアの宿命です。ですから、北朝鮮の報道をするときはいつも「北朝鮮らしさ」を出す「軍事パレード」の映像を流しますが、実際の北朝鮮で軍事パレードが毎日行なわれているワケではありません
 ですから、いつ撮ったかわからないような映像でも、「それとわかれば」いくらでも使い回しするのです。 これが「絵」を使うメディアの特性であり、問題点でもありますが、ここで語るのは避けておきましょう。

 話を戻します。
 このように、「絵を使う」のがマンガという表現媒体なのですから、必然的に視覚に対して刺激を及ぼさない表現は効果がありません。その点で、「暴力的なツッコミ」は、視覚的にダイレクトに伝わってくるのです。実際の社会では、声の大きさ(聴覚)やボディーランゲージ(視覚)などからツッコミの大きさが分かりますが、マンガの場合訴えるのは「視覚」だけですから、言葉だけで「オイ」と言うのと、「オイ」と言いながら井戸に蹴り落とす絵を描くぐらいしなければ、ツッコミのレベルが計りにくいのです。

 そして、こういった視覚に訴えるマンガのようなメディアには、必然的に受け手(読者)に対してある一つのルールを課すことになります。それは、

 「絵を読むことができること」 です。

【マンガ世界の暗黙の了解】

 「絵を読む」、というのは、決して「絵を見る」というのとは違います。
 「絵を見る」のは絵画などの一枚絵を見ることに使いますが、マンガは絵の連続です。その点ではアニメーションとも違うといえるでしょう。マンガは、一コマ一コマ絵が違います。違わないケースもありますが、だからといって、その場合の同じ絵の2コマ目が持つ「意味」はまったく同じとは限りません。

bakayasumi.jpg「バカも休み休み言え」という言葉に反応したギャグ(高橋ゆたか『ボンボン坂高校演劇部』6巻)
 見てもらえばわかるのですが、このように同じ絵であっても、2コマ目、3コマ目になると、その絵の持つ意味は、1コマ目とずいぶん変わってくるのです。これが1コマ目だけのギャグだったら「しら~っ」で済むかもしれませんが、3回もやるなら、「どっちらけ」のギャグになってしまいます。 結果このキャラクターは、他のキャラクターに激しくツッコまれてその行為自体をギャグとしています(とはいえこれは「飽き」と紙一重なのでギャグにしか使えませんが)。

 なぜこんなことが起こるのでしょう?
 それは我々自身が、同じ絵でも2コマ目に同じ絵が出されるという「マンガの通常の流れには存在しない流れ」を出されることで、その2コマ目に独自の意味を感じ取っているからです。言わば、「マンガ世界の暗黙の了解」に自動的に従っているといえます。これは、このような「同じ絵」を繰り返すという表現だけではなく、マンガ内の表現すべてに言えることです。

 言ってしまうなら、我々は、マンガという絵を読んでいるわけですが、それはマンガにまつわる表現作法、マンガ世界の暗黙の了解を受け入れながら読んでいるのです。それが、「絵を読むことができる」というわけです。
 あり得ない現実を、「マンガみたい」というのも、その一つの例と言えるかもしれません。マンガと現実には、厳然とした壁があり、それは表現にも及んでいる、とも言えます。

 前回紹介したような『るろうに剣心』に登場する、刃と峰が逆になった「逆刃刀」というものは、まさにその、マンガ世界の暗黙の了解を踏まえているからこそできたものなのです。

【「峰打ち」という常識感を逆手に取った逆刃刀】

 前回では「逆刃刀でも撲殺できる」ということを言いました。しかし、それは「鉄パイプで殴っても誰も死なない」マンガ世界の暗黙の了解として気にしないで済ませることが出来ます。ですが、それ以上に我々がその「逆刃刀」に人を傷つけないというイメージを湧かせるのは、「峰打ちじゃ、安心いたせ」という時代劇お約束のシーンがあるからこそ、なのです。

 時代劇の殺陣(たて)では主人公が峰打ちでバッタバッタと敵をなぎ倒していますが、あの時敵が撲殺された、ということがあったでしょうか? ありません。それは峰で叩くからではありません。「峰打ち」という技術が行われているという前提の元に成り立っています。

 「峰打ち」は刀を逆に持って「峰」で相手を叩くことでありますが、その時「刃」で斬りつけるように思いっきり振り下ろすのではなく、当てる瞬間に峰を少し反発させながら叩くのが峰「打ち」です。 詳しい技術的説明ははぶきますが、この峰打ちはしすぎると刀自体を痛めるという、案外便利なようで危険な技です。 詳しいことは『剣豪 その流派と名刀』という本にも書かれていますので、ネットで見てもいいですができれば自分で確認してください。

 さて、そんな色々と複雑な「峰打ち」なのですが、我々の中でそんな事情を知っている人がどれぐらいいるでしょう? 日本刀に興味のある人以外は、ほとんどいないと言っていいのではないでしょうか?

 そもそも、我々の生活の中には「刀を振るうサムライ」どころか、「日本刀」そのものを目にする機会がありません。その知識はメディアから、特に「リアルなサムライ」はテレビの時代劇から来ていると言っても過言ではありません。
 その「リアルなサムライ」が1kgほどもあるはずの刀を自在に振り回し、「峰打ちじゃ、安心いたせ」と言っているのですから、我々は「峰打ち=殺さない日本刀の攻撃」と解釈してしまうのも必然です。普通の日本語としても「峰打ち=殺さない程度の手加減」という認識が出来てしまっているでしょう?

 『るろうに剣心』の「逆刃刀」は、我々のそんな「刃の方は人を斬るためにあるが、峰の方は人を生かすためにある」という峰打ちへのイメージを逆手に取っているのです。

峰だから大丈夫に聞こえるけど(『るろうに剣心』1巻)
 鋼鉄で出来た日本刀は、たとえ刃と峰が逆の「逆刃刀(こんなかたな)」じゃなくても人を撲殺することが出来る危険な代物です。ですが、すでに言ったように我々は日本刀の「峰」を、殺すためではなく生かすための手段と捉えています。ですから、「刃と峰が逆になった刀、逆刃刀」という表現を見ただけで我々は、思わず「峰打ち」の効果がある不思議な刀と思い込んでしまっているのです。

 また、マンガの表現において、「刀で人を真っ二つ」にする表現が溢れているから、その日本刀の危険性と逆を行く刀と言うことで、「峰打ち」の刀としての「逆刃刀」にさらにインパクトを与えます。

首を斬る斉藤刀で首をはねるシーン(7巻)
 こんな光景がマンガではありふれています。実際に勢いよく首をはねるのは大変らしいですが、我々は「刀で人をあっさり斬れる」というマンガ世界の暗黙の了解においてマンガを見ています。

 そして「逆刃刀」は、そんなマンガ世界の暗黙の了解と、我々が持つ「日本刀への暗黙の了解」の両方を逆手にとって、暴力溢れるマンガに、「不殺(ころさず)」を描ききっているのです。


(参考資料)

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