死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2006.02.05 23:55

 私の分は(ムダに)長い。

 よくここまで書けるものだという評価も、「よくこんなに長々と書くことができるな」と、別の意味で評価してもらうこともしばしばである。すなわち、客観的に見ると、私の書き方はどうも「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の部分がまだまだあるようで、思ったことを全部書こうとしているから長くなる、というわけだ。会話なら「お喋りが過ぎる」というとこか。

 書きたいという想いをそのままつらつらと書いているというのは、確かにそれが目的のひとつ(ストレス解消)であるのだからいいといえばいいのだが、そのままではアマチュアの技術でしかないのも事実だ。

 なんと言ってもムダ弾が多いということは、自分にとって不利になるケースのほうが多い。

 野球を例に取ろう。ムダな球を投げるピッチャーはどんなに速い球を持っていようと途中で試合を壊してしまうので、結果的に大成しない。いいピッチャーとは、いい球を持つピッチャーというのではなく、ピッチング全体が「いい」ピッチャーのことである。巨人の上原は木佐貫の球質にはまったくかなわないと自認しているが、どちらが安心して試合を任せられるかといえば、すべての人が上原と答えるだろう。中日の山本昌と朝倉の関係も同じだ。
 バッターもそう。「三振」というルールがあるのだから、やみくもにバットを振るバッターは結果を残せなければサヨウナラ、だ。

 では、こういった技術をどうやって磨くか?

 結局、(周りの声を聞きながら)自分を知って、経験を積んでさらにそれを活かしていくしかないのである。
 とはいえ、単にダラダラと「経験を積んで~」というのは万年二軍選手(ホケツ)か自由契約選手(クビ)になってしまうので、少ないチャンスを必ず物にしなければいけない。そして、そのチャンスを自分でちゃんと分析出来、それを次に活かせるかどうかがポイントだ。

 そんなわけで私は、自分が長々と語らない時はどうしているか、ということに注目してみた。実は私は、書くときは長いけど、普段は「あっさりだな」と言われるぐらい一言で済ませることが多い人間である。だから、その二つのあいだにある不思議なギャップの差異を見つめ、理想の形をその中から見出していくのがいいのではないのか、と考えたのだ(←ハイ、長ーい)。

 

 今日、脳を鍛えるゲームを躍起になって買う大人達を見て、私が一言で切って済ませた言葉があった。

「スポーツしないのに筋トレしてるみたいだな」

 正直、私にはこのゲーム自体を非難するつもりもないのだが、パッと思った不可思議な想いを、ただ言葉にしただけなのである。それに対する「熱すぎる」信仰も、不信感もない。それゆえに、一言で済ましていいものである、と思ったのだ。

 もちろん、ゲームとして楽しむという前提を無視しているので、この発現自体が会話を断絶しかねない言葉であるのは重々承知である。が、それとは別ベクトルの次元で、「そう感じることが出来る」というバックボーンを読みとることが出来る人にはどうも、いい意味でも悪い意味でも「ただ者じゃない」と思うようだ(もちろん、私だけが言えることでもないが)。

 となると、「長々と語る」ということは、ある状況下(シチュエーション)にあれば十分防げるばかりか、たった一言でも、それが決定的な一撃になることもある、ということだ。事実、この言葉を吐いただけで人の眼はガラッと変わり、私を個性的な人間と認識するわけだから、「短くてもインパクトがあり、なおかつ個性がある」言葉とはこうして作られる、ということがいえるのではないだろうか?

 では、その状況下というのはどういったときか?

 そう、「ほどほどに冷静な視点を持てている」ということだ。ようは「客観的」な立場に悠然と立つことが出来ている、というごくごく当たり前のことだが、「主観の客観化」というよりか、「主観の客観風」というようになっていると、それは冷静とはいえず、自己を強化して考え、独善的暴走へとすり替わる危険性があるのだが、そういったことが起こらない、本当の意味での客観化ができている、ということだ。

 前述したように、私はこのゲームに対して、肯定も否定もしていない。元々そのゲームをやったことがないからというのもあるのだが、脳科学を多少勉強したという事実がその冷静さを持ち込むことにつながったのだろうと思う。

 しかるに結論は一つ。「Cool Head」をいかに保つか、ということになる。そのためには、謙虚な心と共に、多面的に分析する努力と共に、常に自分の心から切り離した別の人の視線を持つことが必要なのだ。

 なんだか小難しくなってしまったが、野球に例えるとこういうことだ。

  • 野球はピッチャーだけでやっているのではないと知ること
  • ピッチングだけでなくフィールディング・チームワーク・バッティングの技術も磨くこと
  • 自分の今日の出来具合から、交代するタイミングを自分で判断して、自分から言うこと

 長すぎる文を治すのになんで「エースの法則」がいるのだろうか? ま、いっか。

 長すぎる? いや、こういう長さならいいでしょ?

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