死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2006.03.18 23:57

 私はZZガンダムのジェネレーター出力が言える程度のガンダマー(ガンダムファン)であるが、個人的にはガンダムの中でZガンダムが一番好きでない作品だった。

 理由は暗いからというのもあるが、なにか、こう、「ガンダム」ではないような気がしたのだ。まぎれもなくガンダムなんだけれども、ガンダムであってはいけないというか。

 それはガンダムがすでにヒーローロボットの典型となった時代に生まれ育った子供だからそう思っていただけかもしれない。しかし、今回この『劇場版Zガンダム A New Translation』の第3部を観て、そう思った理由がわかってきた。
 今までのTV版ZガンダムのZガンダムは、やはり、「ガンダム」とは言えなかったのではないのか――と。

 こんなこというと、「何言ってんだ、Zこそがリアルロボットの正統だ」とか「ZZなんてガキの見るクソアニメだ」とか「ガンダムと呼べるのはアムロとシャアが登場するファーストと、Ζと、逆シャアだけだ」とか「∀ガンダムなんてヒゲじゃねーか」とか色々と反発を食らうのは覚悟の上だが、私はあえて言う。
 いや、ガンダマーらしく、こう言おう。

「あえて言おう、(Zガンダムは)ガンダムではなかった、と」

 この度、『劇場版Zガンダム A New Translation 星の鼓動は愛』を見て、やっと『ガンダム』の本質が見えてきた気がする。『Zガンダム』じゃなくて、『ガンダム』の、である。

 それは換言してしまえば、「なぜ今、富野監督たちがZガンダムを作り直したか」ということの答えでもある。それは、20周年だから、ということではない。まして、ガンダム人気だからということでもない。そんな低次元な話ではない。そうではない。Zガンダムでは「やり残したこと」があったのだ。クリエイターとして。単に「アニメ見てたらバカになるぞ」というだけじゃないはずだ。

 なにせガンダマーとはいえガンダムエースとかヒストリカも読んでない身なのでなにぶん推測ばかりで申し訳ないが、この映画を見て私が感じた「ガンダム」について、この『Zガンダム3―星の鼓動は愛』のレビューを通して書かせて頂きます。
 間違っても、「星の鼓動はwhy?」などといういつものノリではないことをあらかじめお伝えしておく。あと、ネタバレは当然あるので見てない人は引き返すように!

【どうでもいいけどやっぱりヤザン】

 最初に書くことではないが、あとがマジすぎるので最初に書いておく。

 今回、ヤザンのキャラ立ちがTV版よりさらに立っている。一言で言うと「おいしいキャラ」になっているとでも言おうか。今回などバスクに反逆した時の台詞「そっちにも事情があるってことは、こっちにも事情があるってことだッ(うろ覚え)」が実にヤザンらしくて、ヤザンにしか言えなくて、それを行動にしちゃうって感じが実にヤザン。ジェリドにも、バスクにも、ジャマイカン・ダニカンにも、カクリコンにも、エマにも、シロッコにも無理。これは、ヤザンだけの台詞。それだけにイイ。「シロッコの女か!」もヤザンしか言えましぇん。なんて感情にストレートなお人。
 スタッフは絶対、ヤザンというどうしようもないけど人間くさいキャラを楽しんで書いてるとしか思えない。ヘルメット姿のヤザンアップは書き込みすぎだと思ったのは私だけですか?

 第1部「星を継ぐ者」ではブラン大尉がそんな感じだったけど、さらにそれをパワーアップした感じ。いや、原作を超えてるね、ヤザンは。間違いない。わざわざドゴスギア撃沈をヤザンに変更したのは、カミーユにとっての敵を見えやすくするためだろうが、それでもストーリーとして自然だから良かった。一パイロットとしての欲望を最大限にしたヤザンという描写なら、ヤザンに新型MSを乗せても面白かったかもしれない。ええ、それじゃぁMK-2じゃ絶対倒せないですけど。

 さて、サラの声が変わったとか、レコアの冷めっぷりが妙に大人の女らしかったとか、死んだ人は同じ(これは他作品との整合性の問題だろう)だとか、dybbuckはどうよ?とか、色々あるけど以降は真面目な作品論に入ろう。(なお、dybbuckに関しては「ふるたこ徒然」さんに面白い解釈が

【精神崩壊をしないラストとやたらに堅いシールドの関係】

 色々な憶測があったが、それをうまいこと利用したラストだったと思う。簡単に言えば作り手側の勝利だ。

 カミーユが精神崩壊するという、大魔神佐々木のフォークみたいなラストだったTV版とは異なり、今回ではシロッコによる精神の道連れは行なわれない。しかし、戦闘シーン自体の流れはまったく同じであり、ラストの締めもzガンダムのウェーブライダー形体(飛行モード)での突撃なのはまったく変わらない(というか絵がそのまま)。

 だが、ウェーブライダー形体で突撃後、シロッコが大人しく昇天して、カミーユの乗ったウェーブライダーの機首部分であるシールドが外れて、ウェーブライダーが離れていく、という流れに変更されているのだ。

 その時の動きが特徴的で、シールドがなくなってZガンダムの顔が見えた状態のまま、しばらく動きがなくなり、ファが近づいていくとそれからゆっくりと変形を始めるのだ。この時の動きがあまりにもゆっくりで、観ている者は「カミーユは、どうなった?」と気が気ではない(TV版のラストとの違いが気になるからだ!)。
 そこでゆっくりと変形し、Zガンダムになったときにカミーユが、いつもの口調でファに話しかけ、地球の仲間たちの視点に移る――という流れが「新訳」のカミーユである。

 これは狙いまくっている。そして成功している。私もやられた口だ。

 ウェーブライダー形体の機首(Zガンダムのシールド)がジ・Oについたままというのは、「シロッコが道連れに出来たのはシールドだけ」という意味といっていいだろう。そしてシールドは身を守るものとして、この作品ではTV版以上に活躍している(しかもまったく破壊されない)だけに、最後に破壊するシーンまでZガンダム、そしてカミーユを守ったことになる。
 そして、Zガンダムが変形した後の機首にシールドを使う、という兵器としてはトンデモなアイディアにやっと意味を持たせることに成功したのだ

【見えてくる新訳、そして「ガンダム」の意味】

 以上のことからも、今作の内なる狙いが見えてくるのではないだろうか。表的な狙いはこちらだろうと思うが、にじみ出る内面的な狙いについて、である。

 すなわち、新訳Zガンダム3は、「ハマーンとシャアの決着」がテーマなのではなく、まして「カミーユとファのラブラブ」でもなく、タイトルにもある「Zガンダムという機動兵器がどういう存在なのか」、ということだ。
 「Ζガンダム」がタイトルになるのは単に主人公が乗る機体だからではない。「ガンダム」という、普通じゃないモビルスーツが、作中の人物達に、そして我々にとって、なんらかのメッセージを込めた存在だからこそ意味があるのだと思う。

 Zガンダムはシールドとバックパックがない状態で生還する。これは、コアファイターで生還するファーストガンダム、上半身だけで生還するZZガンダム、半壊状態ながら動くF91などと同じような状況だ。ガンダムはとにかく最後までいる。ボロボロになりながらでも、最後までパイロットを守るのだ。

 ガンダムは最強ではない。だが、最後に生き残るのはガンダムなのだ。そして、Zガンダムは、パイロットであるカミーユを無事な状態のまま生還させることで、真の意味でガンダムと成り得たのではないか? そして、それがしたかったが為の、新訳なのではないだろうか?

 富野監督としてガンダムはもうこれでやりつくした、というコメントをするのは、結局こういうことだったのではないのか? 「ガンダム」という一連のアニメシリーズの中で、ガンダムというものが持つものは、こういうものだったのではないのか?

 「ガンダム」という名前はそもそも、制作段階ではガンボーイという「ガン(銃)」という武器を持っただけの名から、それ以前の名前「フリーダム(自由)ファイター」を掛け合わせて「ガンダム」にした、と言われているし、水をせき止める「ダム」から来ている、とも言われている(語源についてはこちらとかこちらを参照)。

 どちらにしろ、そもそも「ガンダム」とは(少なくとも制作者側にとっては)そういう存在だったのではないだろうか? もっと、ポジティブな人型兵器だったのではないだろうか? それが、いつのまにか「リアルロボットの祖」としてリアルタイム世代から崇められ始め、「ガンダム亜流」のロボットアニメの流れを周りが造ってしまったが、今回の新訳Zで、本流に戻った、と言えるのではないのだろうか?

【ガンダムという名の聖剣伝説】

 「ガンダム」はシリーズを通して特別な存在として描かれる。しかも何が特別かというと、主人公が乗る兵器でありながらも、敵を含む周りの人間にとって何らかの意味合いを持つ、特別な存在だった。

 思えば敵から「連邦の白いモビルスーツ」と恐れられ、見方からは「ガンダムならやってくれる」と言われたRX-78ガンダムだけではなく、『逆襲のシャア』におけるνガンダムもそうだった。νガンダムは「人の光を見せる」存在として、人々の力を集め、隕石アクシズを押し上げて地球とそこに住む人々、そして、地球に対して愛を持つ人々の心を守る。∀ガンダムもターンXと相打ちする。ZZやF91、Vは人類の脅威を討った(Vは少し怪しいが)。敵方だから脅威というわけじゃないが、建前だけでジオン万歳などと言うわけにもいかないだろう。というのも、これもすべて、「人の未来」を守るという行為のためだ。いかなり思想・理念もその前では・・・というのがそもそも、「ガンダム」という作品なのではないだろうか。

 しかし、TV版『Zガンダム』では、Zガンダムは生き残るが、守るべき人間の中で決定的な、主人公カミーユを守ることができずにいるのだ。これは、物語としてのインパクトがあったとしても、ガンダムと言えないのではないのか? ガンダムは、「人の未来」を守る存在でなければいけないのに。

 今回の新訳Zガンダムは、「ガンダム」はこうであるべきものだ、というの富野的ガンダム論のやり直しだったのではないだろうか?  だからこそ、カツやヘンケンやエマなどの死ぬ旧作画シーンは「そんなに悪くなかったから」そのままで、生き残らねばならない象徴としてのカミーユとZガンダムは残った、というように再編集していったのではないのか?(戦闘シーンなどもそう)

 そうやって「新訳」Zガンダムを見て、その再編集の過程を見る内に「ガンダムのあるべき姿とは何か?」というのが見えてくるのだ。

 ガンダムのあるべき姿――それは、強力な武器でありながらも人々を守り、未来の希望を照らし出し続ける存在だ。そう、モビルスーツは未来の「武器」であり、ガンダムはその中でも特別な『聖剣』のような存在なのだ。

 だからこそ「伝説の白いモビルスーツ」ガンダムは、人々の自由や未来を守る存在として、その時代時代の中で特別な存在として一目置かれたり、崇められたりしているのだ。

 それがガンダムであり、もっと具体的に「勝利」に導くという意味合いを込めて作られたのが『V(ヴィクトリー)ガンダム』であり、宗教的な伝説までに持っていったのが『∀ガンダム』なのだと私は思う。
 富野由悠季監督(名義は井荻麟)作詞による∀ガンダムの主題歌『ターンAターン』に、その想いが込められているから、きっと「ガンダム=聖剣」という考え方はそう的はずれでもないと思う。

刻が未来へ進むと  誰が決めたんだ
烙印を消す生命が 歴史を書き直す
美しい剣は 人と人つなげて
巡りくる切なさ 悲しみを払って
あなたとの間に 命ある形を
この星に捧げる 愛というしるしで
 

【新訳の価値~作品論の評価外にあるもの】

 今回の作品を見ていて、新訳するにあたって「人が死にまくるのは止めましょう」とか、「誰を生かして、誰を殺すか」というのをやりたかったわけじゃないことがだんだん見えてくる。それは、「再編集する必要のあるガンダム」としてZガンダムが捉えられていたからに他ならないからだと私は思う。
 そもそも、「Zは死にまくりだから暗い」という人も多いけど、Vなんて無駄死にまくりですからね、そういう意味ではVを再編集したっておかしくはないわけです。でも、Vガンダムは監督曰く「失敗作」かもしれないけど、ガンダムとして伝えたいことは間違っていなかったと私は思うのです。この辺はラスト1,2話を見て頂ければわかると思います。ですが、TV版Zのラストは、明らかにガンダムとして伝えたかったことは伝えられなかったのだと思います。それが、監督自身、『暗いアニメ』を世に出回らせることになったと、逆に後悔してしまうことになったのだと思います。もちろん、Vが引き金で鬱状態になっていくのはそうなんですけど、まとめ方としては悪くなかったと思います(途中はイマイチもいいところな部分がありましたからね!)。

 そもそも、「ガンダム」だからといって、リアルロボットの祖だとかいって、過剰に「悪を倒す(勧善懲悪)」というのを避ける必要はないと思う。それをしたからTV版のZは「素晴らしい、リアルだ」と言われたのかもしれないが、「悪」は必ずしもイコール「敵」ではないはずです。マンガ『デビルマン』にはそれが克明に描かれていました。『ザンボット3』もそうです。

 ですが、『Zガンダム』は『デビルマン』とは違うはずです
 戦争にはどちらにも正義があると言いますが、本当にそうでしょうか? 国家としての正義はそうかもしれませんが、人としての正義はそうではないのではないでしょうか? むしろ、そうでない戦いがあるからこそ「ガンダム」を描いてきたのではないでしょうか? 『Vガンダム』とかマンガ『クロスボーンガンダム』なんてそれが顕著のように思えます。勧善懲悪にしないのは富野監督の作風の一つであって、全部ではないはずでしょ?
 ファーストだって、ガンダムらが倒したのは停戦しようとしたデギンの率いるジオンではなく、戦争を続けようと画策したギレンとキシリア率いるジオンだったハズです。彼らはその過程において倒されるべき存在となってはいなかっただろうか?

 Zガンダムに克明に描かれた、倒す必要のある敵――軍隊の名を借りて虐殺をするバスクや、人を道具にするシロッコや、私怨で戦うジェリドや、人の命を軽んじるヤザンのような「悪」という存在があるからこそカミーユは戦ったのではなかったのでしょうか? エマさんやカツたち、仲間たちの死を乗り越えて・・・だからこそカミーユは勝たねばならないのです。

 新訳のカミーユの象徴的なセリフがありました。 

「ティターンズのことを知ってしまえば、戦うしかないじゃないか!」
「その傲慢さは、人を家畜にすることだ! 人を道具にして! それは一番、人間が人間にやっちゃいけないことなんだ!」

 カミーユは、「健やかな」カミーユは、倒すべき敵を、倒すべき流れで倒したのです。Zガンダムという聖剣と共に。そして戦いを終えたカミーユは聖剣を手放す――ガンダムとはそもそもそういうストーリーなのではないでしょうか?

 ストーリーとは、人にいい心持ちを与えるいいストーリーとは、やはり倒すべき悪を倒してこそのものではないでしょうか? デビルマンのようなテーマで描くのも大事なことだと思います。 ですが、ガンダムというものに持たせた意味を考えるとデビルマンのようなTV版Zガンダムのラストはやはり適当ではなかった、と言えるのではないでしょうか? 今回、それが解消された新訳Zガンダムを見られたことが、作品の質云々よりも良かったと思います。

 ガンダムは、現実世界の人間にとっても『聖剣』だったのです。

 そして、Zガンダムを新訳することで、Zガンダムも「ガンダムという名の聖剣」の仲間入りを果たしたと私は思うのです。 

 これは私の考えるガンダムであり、他の方の考え方は違うかもしれない。ただ、私はZに感じていた「ガンダムじゃないっぽい」イメージがこう、晴れて、ガンダムの位置づけができたというだけだ。それは私がロボットアニメというモノを「人が乗り込んで人々を守り、未来への希望を導くもの」と思っているからにすぎないからかもしれない。
 そして、富野監督の「ガンダム的なものを探して」というメッセージの意味付けをしたかっただけかもしれない。いち、ガンダムファンとして。

――ファンの皆さんに一言
――当時15歳の方だったら、ことし35歳ですよね、そろそろ忘れていいんじゃないのかなと思います。今、20代の方だったら、後追いするより自分達にとってのガンダム的なものを探して欲しいですね。
(メ~テレ「GUNDAM HOMEPAGE INTERVIEW」より)

【おわりに】

 あなたにとってのガンダムが何かは私にはわからないし、それぞれの人がそれぞれの考え方を持っていていいと思うし、だからこそガンダムが拡大していけるのだろうと私は思う。何せ私の考えはかなり強引ですからね!
 「キラ・ヤマト行きます!」と言えばガンダムだと言う人もいるだろうし、地球が格闘場になって「コロニーの連中は下のことなんか何も考えちゃいねえ」と言えばガンダムだと言う人もいるだろうし、ツノが頭に有ればガンダムだと言う人もいるだろうし、「宇宙世紀」ならガンダムだと言う人もいるだろうし、富野監督が作ればガンダムだと言う人もいるだろうし、白ければたとえヒゲがあってもガンダムだと言う人もいるだろう。

 ただ、ガンダムという名が一人歩きする中で、「一体全体、ガンダムってなんなんだろう」と思うことがあったら、富野監督が手がけたガンダム7部作※のいずれでもいい、見直してはいかがだろうか?
 きっと、あなたの中に、あなたの生活の中に、「ガンダム」を見つけるようになるのではないでしょうか?
※富野由悠季が総監督した、機動戦士ガンダム機動戦士Zガンダム(もちろん新訳をね)、機動戦士ガンダムZZ機動戦士ガンダム 逆襲のシャア機動戦士ガンダムF91機動戦士Vガンダム∀ガンダム

 なお、作品としての「ガンダム」そのものについては、『「ガンダム」についての考察~ラブレターとしてのガンダム』も合わせて読んで頂ければ幸いです。
 長々とおつきあい頂きありがとうございます。

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個人的にはTVは嫌い、映画は好きです。Zはガンダムらしくない。確かにそう思います。好調な時の富野作品にある、勢いや粘りが感じられなかった。
ZガンダムのMSってどうも好きになれなっかたけれど、今度の映画で好きになれました。
主役メカとしてのZガンダムについての考察、とても楽しく読ませていただきました。

2006.03.25 14:01 URL | わんこ #- [ 編集 ]

はたと閃いたままに書いたのですが、あながち間違っていなかったのかな、と思えました。

今、DVDで1,2を見直しています。そうすると、新旧の画のギャップが全然気にならなくて物語に入っていけて、また色んなことがわかってきました。また機会があったら書いてみようと思います。

2006.04.27 22:15 URL | tkiyoto #- [ 編集 ]

Z好きです。TV版の方です。ああゆう終わり方があるアニメがあったって別にいいと思うます。兵器は常に万全ではないですし、主人公が常に最強である必要もないハズですから。カミーユが精神崩壊してしまったのも歴代NTの中でも最もNT能力が敏感で繊細で軟弱で最強(ちなみに富野監督曰く、アムロはMS操縦最強・カミーユNT能力最強・ジュドー総合最強・迷いを捨てたシャアは3人の力より上だすです)だからこそで、「ガンダム」のテーマはやはり戦争なのだと思います。戦争が生むものとは???これだと思います。と、いうのが僕の意見です。
しかし、「ガンダム」の象徴説は非常におもしろいですね。なるほどと思いました。でも、そしたらMK-2はどうなるんですか?エマは死んじゃいましたけど。あれはアホみたいにコクピットから出てしまったからかな?それとも一応量産機だからかな?

2006.05.19 01:16 URL | 人の革新 #- [ 編集 ]

こめんとありがとうございます。

そう言われると確かにMk-2はアレげでしたね。すっかり忘れてました。タイトルに引っぱられたまんまで考えてましたわ。
ZZの「ガンダムチーム」の例もあるから、とにかく「最新鋭のガンダム」が聖剣の役割を担う、みたいな感じなのですかね。武器は強くなきゃいけないから(かなり強引な気が・・・)

2006.05.19 23:00 URL | tkiyoto #- [ 編集 ]

新訳Z.の考察、参考になりました。
ガンダムは卒業してしまい、Zは臭いだけ憶えていて、内容は関心無く、(難しく当時よくわからなかった)中年になって、あの頃のガンダムが映画になったという驚きだけで三つ共観たのですが、ははあ、テーマは主題はこういう事でしたか。とは言え、なんとなくです。カミーユのラストのセリフは、十代の若者には
吐けません。よく学び深く沈澱した人が言える深いものでした。
合体したファとカミーユが流れてゆくラブシーンに、守護神の様に巨大なZが漂う。絵的に好きでした。熱狂的ファンの方は気に入らなかったかもしれませんが。
ただ、絵は、全部新しくても平気だったでしょうね。作品の匂いというか臭いは三枝氏のBGMでふわっと戻ったと思います。古い映像を使わずとも。
考えさせてくれる作品でした。良かれ悪しかれ。
富野監督の作品は面白くありませんが、なぜか訴えるものがありますね。

2013.02.02 22:55 URL | 竜太郎 #- [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

>富野監督の作品は面白くありませんが、なぜか訴えるものがありますね。
たしかに、訴えるものがあるってのはよくわかります。
むしろ、それが強く出過ぎるというか、何ごとにも真剣にぶつかりすぎるというのが富野監督の良いところでもあり悪いところでもあるんでしょうね。

だからこそ、古い映像部分も、昔のスタッフの気持ちとかに配慮して採用したのでしょうが、感情移入がしにくいので、「作品」としてのクオリティという面ではやはり落ちるのは否めません。
が、まぁ、そこがやっぱり「富野らしさ」なんでしょうね。

だから、ぶっ飛んだ発言をしたりするヤバい爺さまではありますが、根っこには、そういう、真摯というかクソ真面目な所があるからこそ、好き嫌いはあるにしても、憎まれはしないんでしょうね。


しかし、だからこそスピルバーグになれないんでしょうけど。

純粋に、他の人にも勧められる面白い作品という目で見れば、富野作品だと「機動戦士ガンダム」と「オーバーマンキングゲイナー」ぐらいしかないかもしれませんねぇ、確かに。
「リーンの翼」とか、メッセージ性が強いものはたくさんありますけど。

でも、そこが私以外の、他の富野信者も好きなんでしょうけどね。

2013.02.04 00:29 URL | tkiyoto #- [ 編集 ]













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劇場版Zガンダム第三部を観てきました
今回も何とかプラモ買えました。劇場が狭かったのでかなり混んでました。プラモを買うだけでも30分くらい並びました。ここから感想やらをだらだら書いていきます。ネタバレ注意

2006.03.19 10:39 | ガンぽに

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「ハマーン・カーン!貴様は、戦いの源を生むだけだ!」戦士たちよ・・・戦いはいま、終焉を迎えるときが来た誰も知らないラスト・・・新訳Z(ゼータ)完結編。

2006.03.19 16:43 | ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!!

機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-
というわけで、早速見てきました。なるほど。最初はダイジェストみたいな展開でまたかよって思ったけど、エピソードやキャラクターをざっくり削って圧縮させた分、終盤をじっくり

2006.03.19 22:03 | シネマ・カレイドスコープ

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泣いても笑っても、一年間にわたる『新訳』機動戦士ゼータガンダム【劇場版】、遂に大団円です。夜10時過ぎの回でしたが、公開後1週間という短期間(?)での鑑賞だったため(か?)

2006.03.19 23:48 | Operation Solar-Ray【Blog版】

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