死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2005.05.19 23:00
竹の皮につつまれたわらび餅をはじめて食べる。
warabi.jpg
なんというのか、筒状になっていて、包丁で切っていくのだ。

・・・包丁が! 包丁が!
大変粘着力が強くて、まさに餅だ(そりゃそうだろ)

結構うまいな。
なるほどけっこうござれそうろうと言う感じの味だな(えええ?)
それよりもふと思ったのだが、きな粉ってうまいな。非常にわらび餅とマッチする。改めて、そう思った。
きな粉を考えた人間は大したもんだ。砂糖が入っているからかもしれないが、大豆からこんなものができてるなんて知らない人も今は結構いるかもなぁ・・・と思ったりもする。


(以下、長すぎる本題=省略可)
スゴイ大豆とか大豆ペプチドとか健康食品として大変人気の大豆ですけど、こういうブーム便乗商品って出すぎだよなぁ(楽天での「大豆ペプチド」検索結果)・・・それで儲けるのが今のビジネスの一つの形なんだが(その根底には社会保険不信&医療不信があるのだろう)、アフィリエイトでそれを助長して「これがスゴイ!」とか言ってパーソナル広告塔になってるからさらにそれが加速する、と(さっきの楽天リンクはアフィリエイトじゃないよ、念のため)。
テレビや雑誌広告や、ホームページバナーだけじゃないんだよね、今の広告チャネルは。

んでもって現代の科学は宗教の代わりになってるから、「大変効く理由」を突きつけたり、「これに救われたという事実」を突きつけて、さも信仰しなければいけないような状況をつくり出してるんだよね。
確かにそれらのアナウンスは宗教と同じように嘘ではないし、彼らにとっては事実であるケースも多い。だから感動を共有しようと、執拗に勧めようとするのだ。金よりも強い動機を呼び起こすのは自らの経験だからだ(金も経験によって価値が変わるんだけど)。

こんなこといったら怒られるかな? 手遅れか。
別に宗教が悪いとは言ってないが、こういう人が安易に宗教を批判するのはちょっとどうかと私は思うのよね(そういうもんだけど)。


それにしても、普通に、その辺で安易に手に入る大豆を、コンスタントに、おいしく摂る方法を考えた方が結局は続くと思うがねぇ?
だって昔の人は今よりも食生活悪くても体力あったわけだし、デブもそういなかったんじゃないのか? 社会状況が違うといえども、状況に甘えすぎていないか? 何か理由を探してないか? 工夫する努力を怠ってないか? 自分だけが幸せになる方法ばかり考えてないか?

忙しくて大変なのはわかるが、そういう理由を持ち出してしまえば従順な消費者への着実に進むことになる。それが紛れもない事実だ。
凄く効く商品を買い続ければ、他に使える金が減る。その間に凄く効く商品を売り続けた方は、他に使える金が増える。
「金は天下の回り物」なのだ。ある分しか世の中にはないのが基本だ。


結局、手軽に助けてくれる神様か仏様に変わるものを求めていると言う点で、人は変わっていないのかもね。それがいい悪いとはいわないけど、マーケットにはなる、というのは事実だよね。

ここが搾取する側と搾取される側に別れるポイントかねぇ。
ま、それでもいいと思うのがまさしく宗教的だよね。「これは投資(布施)なのだ」と。
だから、他の信仰はさらにおかしく見える。宗教バッシングは既存の形をした宗教以外の信仰を持ったが為に生まれるものなのかもしれない。「メディア」も元々は神の名前だったから皮肉だよね(神と人間の媒介とかいう語源もあったり正確にはわからないが)

しかし、端から見てるとそう見えるけど、「本人たちが幸せならそれでいいじゃないか」ということも大事だろう。
そう思うのはどんな人間にもあることだけど、わからなきゃいけなくなるのが、今後の他文化社会、グローバル社会なんだから。そうでなければ「文明の衝突」が加速するばかりだ。それをもろ手をあげて望むのはまともとは思えない。

そもそも、搾取されない人間なんていない。人は搾取され、還元して社会を作っているのだ(「それって宗教で述べられてることですよね」って言うツッコミは甘んじて受けよう⇒こういうことがあるから今も宗教は残っているのだろう)。視線を広く持つというのは、それすらも知って受け入れるべき搾取は受け入れる覚悟を持つことだろう(それって「悟りを開くことですよね※」というツッコミも…以下略)
※…「仏教を一応もってます」と言うが、仏教の仏(ブッダ)はもともと「真理を悟った者」という意味で、開祖のゴータマ・シッダールタは、その一人、という扱いにしなければいけないのがホントのところである。「仏になるための教え」というわけだが、いつの間にか「仏の教え」になってる。輸入や再定義の繰り返しの結果だからしょうがないよね。

たとえば、金持ちが潔く納税しないのは、搾取されるのが嫌というからだが(コドモヤンキーみたいだな)、それは自分の持っている信仰「自分の努力は全て自分の努力」を間違っているとは思わないからだ。こういう経営者は社内で「カリスマ」とか「○○(社長の名前)教」とか言われることになるのは偶然ではない。
すべての搾取から逃れたい意志が排他的な宗教性をもたらすのだ。彼らは、大きな事故が起こるまで、それが正しいと思いこんでしまう。彼らのなかでは真実でも、端から見たら、それはおかしいのも事実なのだ。


そうはいっても、まだまだこれから大豆マーケットも伸びるだろうし、イギリスで緑茶ブームらしいから緑茶マーケットも伸びるだろう。格好いいオヤジになるためのマーケットは拡大するし、それが「理想的な人間の姿(=ブッダ?)」になるために必要なことであるようだ。千年前は念仏や題目を唱えれば幸せになると教えられたが、現代はトレンドをチェックしないと幸せになれないらしい・・・市場経済は「神の見えざる手」によってコントロールされていると学者が平気で言うのも、案外的を射ているのかなぁ?


・・・こんな敵を作る書き方しなくても3行で書けるよな?とか思ったりしたが書いちゃったからいいや(←出世しない見本)。
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