死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2005.06.02 23:37
レビュー3:シアターを観たあと...

 レビュー1:パビリオン概要
 レビュー2:シアターの作品としての評価
 レビュー3:シアターを観たあとに何を?
 レビュー4:「忘れられない体験=万博」への示唆

 このシアターは、人々に「自分たちの現実と、赤十字・赤新月が直面する現実」をえぐり出す危うさをもつ力のある作品を提供してくれた。しかし、それゆえに、(自分を卑下するのが好きな)我々日本人に、様々な感情を呼び起こさせる。おそらく、それがこの作品のねらいでもあると思うのだが、逆に難しい論題を突きつけた恰好になったようにも感じる。
 それはどういうことかというと、課題が難しく考えなければいけないような気がして、これまでの「広報」や「ドキュメンタリー」と同じく「深く考えさせられる」というだけに終わる可能性があるということだ。それでは、メッセージが伝わらない気もする。
 赤十字・赤新月といえば知らぬ者はない世界最大の人道組織である。
 しかし、そこにある堅さと真面目さがぬぐえない。人道支援活動のビデオを観ても、こういったものは「大変だ」とは思えても、それ以上に何か考えることはしなくなるケースも多い。あまりにも、自分たちの現実と乖離(かいり)しているがために、何をしていいのかわからなくなるからだ。むしろ、それが、何か「特殊な」ことだとさえ考えるようになってしまうのである。単に、真面目だからとか、重いからだというだけの理由だけではない。
 命をかけて人を救おうとする人間たちと自分を比べて、自分に何ができるか考えても、出てくるのは「どうせ自分にはできないのだ」という結論だけだろう。そこで思考は止まる。募金ぐらいしかできない、と空しく思うかもしれない。

 しかし、その答えは、この作品のなかにあった。

 前回、この作品は、赤十字・赤新月は、我々平和な日本人と「想いは同じ」と語った。「そこに助けを必要としているから、助けに行っているだけ」というものだ。
 「いやいや、そんなたいそうなこと私は考えないよ」と言う人もいるかもしれない。しかし、誰も助けない人間などいない。もし、そんな人間がいたら、おそらく誰からも助けられることはない。そんな人間の未来には死が待っているだけだ。これは小学生だろうが、ギャルだろうが、大学生だろうが、専業主婦だろうが、会社社長だろうが、スポーツ選手だろうが同じことだ。

 人は、横で倒れた人を誰ひとりとして放っておく、ということは少ない(ないとは言わないし、言えない)。自分もおなじ人間だから、その苦しみが想像できるからだ。だから、手をさしのべようとする。そこに、良心や主張など難しい理屈はいらない。本人がそれを「放っておけない」のだ。
 難しく考える必要はない、今、このときでも、私たちは友人の恋愛関係についての悩みの電話を聞いていないだろうか? 自分たちは単に話を聞いているだけでも、当の本人にとっては、それだけで「救われている」のだ。自分はそのつもりがなくても、その人を「助けて」いるのだ。それが、関係を親密にしていく。その延長線上で、赤十字・赤新月の活動もそうしているに過ぎないのだ、というのがこの作品で語られている。ただ、「ここに大きな助けがあったらいいな」というところに、組織としての「助け」を提供しているだけなのだ、ととることができる。彼らは英雄でありながらも、普通の人間の集まりなのだ。
 そんなに断言していいのか? だが、この作品からはそう見えてしまうのだ。


 赤十字の「十字」は、赤十字設立の父、アンリー=デュナンの母国スイスの国旗を反転させたものだ。そして、スイスの国旗の十字は、国民の大多数が信仰するキリスト教のシンボルである、十字架から来ている。そして、キリスト教で有名な教えであり精神のひとつにこんな言葉があった――『汝の隣人を愛せよ』
 この言葉は異教徒には採用されないということで、問題視されている。しかし、問題だからと言って、まったく無視していいものではないはずだ。それが、人と人をつなぎ止めておくためのひとつの「見えないマナー」だと考えるなら尚更だ。

 つまり、自分の友人や家族でもいい、仕事仲間でもいい、すれ違っただけの人でもいい、困っている人がいたら、自分にできる限りの助けをする。私はキリスト者でもなんでもないので、それを強引に勧めようとも思わないが、このシアターの作品を見て、何かを感じて、どうしたらいいのかわからなかったら、そうするべきだと私は思う(入信しろという意味ではない)。
 何かを感じたなら、自分のどこかが必要としているのだ。その感情に素直にしたがった方が、きっとうまくいく。少なくとも、自分は応援してくれる。

 
 赤十字・赤新月のように世界レベルで活動するのは、多くの人にとってはかなり難しいことだろう。しかし、赤十字・赤新月のような精神だけは忘れてはならないのではないだろうか?
 たしかに、命がけでやっているというのは違うかもしれない。が、逆に考えてみたらどうだろう? つまり、そういう赤十字・赤新月の人たちに対して我々だけができることもあるという考え方だ。

 「そんなことある?」「まさか、献血か?」
 と、思われるかもしれないが、募金でも献血でも、充分だと私は思う。理由はこういうことだ。赤十字・赤新月で働く人たちも必要ならば、それを支える人たちも必要なのだ赤十字・赤新月のスタッフだけでは絶対的に血が足りない。明日の生活も困窮する国の人たちにとって募金に回す金すらない。平和な日本だからできること、それをするだけでも充分な支援になる。
 おそらく赤十字の単なる宣伝であるような気がしてみんな防御反応を示すかもしれないが、難しく考える必要はない。自分の余っている血やお金が誰かの役にたつ。つまりは、そういうことなんだ。困っている人は、紛争国の人だけじゃない。赤十字だって支援がほしい。日本に住む我々が出来ることは、必然的に見えてくるはずだ。

 それすらも何か難しいと感じるならそれでもいい(献血できない人も、お金のない人もいるだろうし)。それはあなたの正直な気持ちだからだ。それだからと言ってどうしようもない想いを捨てることはない。先ほども言ったと思うが、大事なのは彼らと同じ精神だけは忘れるなということ、つまり、私たちにできるのは作中のBGMとして流れていたMr.Childrenの『タガタメ』に歌われていることなのだ。

 ただただ抱き合って
 肩叩き抱き合って
 手を取って抱き合って

 それが本当にできているだろうか?
 紛争を起こす人たちが、本当に相手とこういったことをしようとしているだろうか? デモじゃなくてもいい、募金じゃなくてもいい、できることを、誰にでも本当はできるはずのことを、やるべきではなかろうか?

 私はミスチルのファンではないが、純粋にその考えを支持したい。
 「そんなしょぼくさいことでいいのか」とか「赤十字は大変なんだぞ」ではない。逆だ。これまで、赤十字・赤新月が「立派なこと」だと思いすぎて足踏みしていただけだ。そして、知識人もそうやって扱ってきた。その辺の庶凡人とは違う、崇高な奉仕精神が必要なのだ、と。そして、そういう人間になれ、と強要してきた。もしくは、そういう人間をカリスマ視した。

 それがそもそもの誤解ではないのか?
 ボランティアが普及してきた現在、これまでボランティアは奉仕精神溢れる人が行ってきたイメージがあるが、実際はボランティアすることで自分自身が楽しく感じられたり、人との接触を持てて救われたという人もいる。逆に、奉仕活動だからという世間の目を利用して、ウマいこと社会制度を整えずにすませている部分も否めない。言い分はこうだ「彼らは素晴らしい人間だから、文句を言わずにやってくれる。それなのに文句を言う人間が傲慢で身勝手だ」。しかし、それで潰れるボランティアやヘルパーがどれぐらいいるか、考えたことがあるだろうか?
 彼らはたしかに、「やりたくて」やっている。それが高尚な精神かどうかは人によって別々だ。しかし、どんなタイプの人間でもそれを支える力が必要だ。それは仕事を手伝うことではない。その仕事と苦労を認めることだ。その扶助をすることなのだ。

 人間に無尽蔵のエネルギーがあるわけではないのだ。赤十字だって、それは変わらない。我々に出来ること、ただそれだけさえしてくれればいい。少しでも、ほんの少しでも、その積み重ねが力を与える。

 この「マインド・シアター」が、ほんの少しでも、観た人々に「できること」を示してくれる。我々は、自信を持ってそれをすればいい。これは、そういうことも訴えている作品なのだ。私にはそう感じられた。

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