死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2007.10.01 00:07

 NHKの朝アニメ『風の少女エミリー』を観ました。

 えっ知らない?

 知らないだろうなぁ、私も前回初めて知ったぐらいだし。しかも今日、最終回。
 『赤毛のアン』で有名な、L.M.モンゴメリの、小説家を目指す少女の物語、いわゆる「エミリーシリーズ」の少女時代のアニメ化なんだけど、知ってる人いるかな?

 私は知らなかったんだけど、これが観てみたら結構オーソドックスなストーリー展開(というか現代の物がそれに追従しているという言い方のほうが正しいのか?)でしたけど、ちゃんと押さえるべきポイントが押さえられていて、特にその、小説への姿勢が、なんかこう、世俗的な『立身出世』ばかり考えがちな作家志望者が多いのをまるで戒めるかのような、純粋な「創作意欲」に従った上での作家行動をする姿に、ある種新鮮みを感じます。

 劇中では、ケガをした叔母さんの気晴らしがてら、小説を毎日一章ずつエミリーが叔母さんにお話しするという提案をします。そして、それを聞いた叔母さん、これを本の形にして、出版を待つのではなく、街の人々に読んでもらったらどうかという提案をし、その本は街の人々に次々と読まれていきます・・・・・という話なんですが、あくまでも『出版』という話はありません。読んでもらいたいから、書く、作家になりたいから書くのではなくて。
 エピソードの最後のほうに、出版社の人から「作家になるための糧に」とNYへの誘いがあるけど、それもエミリーは断ります。「私は、ここにいて、ここのことを書くの」と。

 これはなにやら示唆的ですよね。
 現代はやたら「向き不向き」とか「才能」とか「脳力」とかで決めつけがちですからね。「したい」という想いそのものが持つ価値というのが、デジタルな数量で計れないから軽んじられているのかも知れませんけど、そういう光景をよく見ます。そういう本もね。「アナウンサーにどうやってなるか」とかね。

 「したい」というのはいわゆる「do」であって、アナウンサーになるというのはいわゆる「be」である。

 本来、「do」があって「be」にならなきゃいけないのに、学校の問題か家の問題かはたまた進学塾の問題かひとつに絞りきれないですけど、ほとんどの場合に「be」が優先されているのはひとえに、それが「結果」として現れるからでしょう。「うちの子は大企業に入社したんザマス」とかね。そうすることが、自分の評価になる。対象者の幸せになるとさえ、思っているかもしれない。いや、思ってる! 多くの親や学校や塾や、大人たち・・・・・いや、自分自身が一番!。

 でも、それがために、その「期待」に応えなきゃいけないと考える「いい子」たちが生まれてしまう。そして、期待に応えられないのを恥じていく・・・・・・・それは自分の幸せにならないのだけれど、そうやって追い込まれてしまう。「働いたら負けかな」という有名なセリフも、そういった追い込みへの反発なのかもしれない(←ちょっと違うんでは)。

 職業をたずねるとき英語では、「What do you do ?」と言うが、これはまさに仕事が「do」そのものであるといういい例ではなかろうか?※

※「What are you in?」という聞き方もあるが、それは話の流れがないとわからないらしい。(GetUpEnglishより
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