死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2005.06.19 23:50
「総合的な学習の時間」が教師に不評らしい
予想されたことだからまぁいいとして、何よりも注目すべきは、支持する保護者が多いということだ。
教師は今までなりたくてもなれない状況が続いていたほど、人数を決めつけて、「入れません」としてきた。本来は少人数になればなるほど教育効果が高まるのに。教育の基本はマンツーマンであり、家庭教師の時給は高く、英会話教室でも大体がマンツーマンレッスンの方が値段が高くなる。
そもそも、大人数教育だから学校教育の問題が大きくなっていったのだ。

ちなみに、『ドラゴン桜』はそういう意味では理想的な教育をしている。たった二人の生徒に、いい大人(それも教師)が躍起になるという光景がいったいどこにあるだろうか?「学校」ならまず、ありえない。
ドラゴン桜 (1)
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三田 紀房
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このマンガに登場するような優れた教育メソッドよりも、個人対個人で面を向かって教えるというのは「言い逃れ」ができないから教育効果があるのである。『3年B組金八先生』のように、クラスメイトをマネジメントするという多くの教師が抱える難題はスルーしているこの作品だからこそ、そう言う点が浮き彫りになってくる(が多くの人は教育メソッドに注目するかもしれない)。
作品的に言えば、前者が集団の中での自分を意識するのはその個人の責任に置いてやるものだとする考え方、後者は集団を学んでおいて自分の能力を磨くのは個人でするという考え方を体現しているということになるだろうか?

これまで大体勉強が出来ない生徒を放置プレイしてきたようなところは、「教えましたよ」と開き直っていた。聞いてない方が悪いという考え方だ。しかし、かけ算もよくわからない生徒に微分積分を授業で板書して語ったから「教えましたよ」と平気で言ってのけるのを教育と言えるのか?
それを支えてきたのが学習指導要綱、カリキュラムである。まさに、ノルマのために顧客を顧みなかったサービス産業とでも言おうか。本人達は自分たちの方法論がどこかおかしいところがあろうとも、正しさの根拠があるからそれに従ってきたことで自分の責任を果たしてきたと思うようにしていたのではなかろうか。

そして、それは金八先生型の教育現場だと顕著に生まれる構造とも言える。人が育っていなくても、人間関係を学んだとかなんだとか「言い訳」が出来たのだ。本当に人が育てば、超難問は解けなくても、基本的な問題ぐらいは解けるようになっていなきゃいけないのだ。本当に人間関係が学べたら、わからないことを教えあえるようになっているはずだ。
そしてそれを具現化するための指針がそもそもカリキュラムだったはずなのに、いつのまにかカリキュラムに沿うことで「やったこと」にしてきたのだ。その点はドラゴン桜にも描かれている(描写に問題があるかもしれないが)。


おそらく、多くの保護者がそんな教育現場のなかで育ってきた。大人になれば勉強の大切さがわかるけど、それは何かに努力し、解決する能力を磨くことであるという意味で大切だと思っている。
だから、今まで自分たちが「教えられてきた」押しつけがましい科目勉強よりも、子供たちが能動的学習者になっている総合的な学習を評価している、というところではなかろうか?

なんでも問題があれば廃止にしようとする向きがあるけども、実際の問題はどこにあるのか、もう一度考えてみるべきだろう。たしかに世の中総合的な考え方が重視される時代だが、その総合的な学習を実行する部分への総合的アプローチ(特に財政面)は欠けていたと言わざるを得ない。

教師になりたい人はごまんといる。子どもが好きな人もごまんといる。社会の中で身を粉にして戦っている人もごまんといる。そう言う人たちの力を利用する方がよっぽどスマートではなかろうか? 財政云々もあるけど、ボランティアで教えたいという人は多いはず(大人に教えるのには金下さいと言うだろうが)。
子どもや保護者の賛成も無視してつぶすようなことだけは、しないでほしい。でなければ、子供たちは本当に大人達に反抗することしか覚えようとしないだろう。「俺たちはモルモットかよ!」と言うところだ(モルモットも今時つかわん表現か)

現場の声を聞くことも大事だろうが(教育者のモチベーションが子供たちの将来を決めかねないし)、すべてを聞き入れたら改革など出来はしない。やはり、学校には問題があるのだ。しかし、家庭で道徳観を育てようとしない人もいたりと、学校はこれからも役割を増やしていかなければならない場所になっているのだ。


誰のための教育か、考えて欲しい。

勉強できる中学生の「なんの役にたつかわからない」という発言に一々つき合ってはいけない。そんなことをいう中学生の方が問題なのだ。役に立つか立たないかなど予想できるものではないのに、制度化された中でしか働かない思考を築きあげているのだから。それを賢い人間に育てるのが教育だ。
そもそも中学生に物の価値がそうそうわかるわけがないのだ。わかるなら教育などする必要などほとんどない。

大人達はいつからカリキュラムさえ抑えておけば問題ないと思うようになったのだろうか? そんな大人達の考え方を逆手にとって、「普段いい子にしていて裏で好き勝手やる」というのは反抗的な子供たちの常套手段だ。
いい加減、気づいて欲しい。子供たちがキレやすいのではない、大人達がバカなのだ。キレてるように見えるのは、子供の予想(演技)が破綻したからそう見えるだけだ。
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