死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.01.11 23:59

 教育現場に入って思ったのは「教育現場は昔とそう変ってない」という事実だ。むしろ、もう少し変っててもいいだろう、というぐらい変っていない。相変わらず工場臭いところもあるし、相変わらず「先生」は「先生」のままだ。

 その中で「昔と変ったなぁ」と感じるのは、たぶん、教師の熱意かもしれない。ゴルフをやるとか、旅行をするとか、そういうことを比較的昔より大事にしているように思う(思うだけかもしれない)が、だからといってそれで授業を手抜きしてるとか、子供に冷たいとかそう言うわけでもない。
 ちゃんと親を呼んで教育相談とかしてるわけだし、部活動の指導にも熱心・・・・・じゃぁ、一体昔と何が変ったかって、結局、日本の社会全体が豊かになって、生きることに必死じゃなくなってゆとりが生まれた、というところではなかろうか? ゆとりがあるからゴルフに行ける。社会制度が整って産休とか有給とかとりやすくなってるからだ。

 そういう意味で言えば、その、昔と変った「熱意」というのは、民間企業についても同じことが言えるのではないのか? バブル以前、人々は生活をより良くしようと、社会をより良くしようと熱心に働いたという。教師も同じだった。ただそれだけのことだ。教師は「日本をよくする人材を育てよう」と必死だった。その必死さが今や「自己実現」とかに向けられるようになったので、力を注ぎづらくなったのではないのか。子どもが夢を持ちづらい世の中だしね。

 今も民間で働く人たちがいい加減に働いているか? そうではない。教師も同じだ。

 ただ、仕事に「人生」ほどの熱意を持てないという人が増えた、だけのことではないのだろうか? そこに何か夢中になれない自分がいる、という人が増えただけじゃないかと。熱血先生がうつ病になるなんてことも少なくない。

 保護者は保護者でモンスターペアレントだのなんだのと言われるが、これもメディアが騒ぐほどやかましくはない。もちろん、そんな保護者もいるが、そんな保護者たちばかりでもない。もちろん(比較的裕福な土地では)教育熱心だというのはあるが、かといってそれが圧力的でもない。当然、教師もそういう人ばかりでもない。だから、保護者も教師に感謝したりすることさえある。それは昔と変らないのではないだろうか。早退した生徒が無事家に着いたと電話をかけてくる保護者の声に、そんな姿は微塵も感じられない(親の過保護というのではなくそういう学校方針)。

 じゃぁなにが問題なんだ? と思われるかもしれない。
 教育現場に関して言えば、大きくはメディアの報道で、「少年犯罪が増えた」と思いこませてるけど実際は減ってるようなのと同じ事象が起きている。少なくとも昔の方が強烈な体罰教師がいたと思う。張り手して耳が聞こえなくなったけど誰も問題にしなかったとか。今は体罰禁止のご時世だから教師の方がストレスを抱えている。大きく変ったことと言えば、周りの目が変っただけだ。 授業時間が減ったとか言う問題ではない。授業時間が減ったことにあれこれ言う人が増えたと言うことだ。
 つまり、学校を信用しない人が増えたのだ。

 そしてもう一つ、そんなメディアや周りからの情報で、学校を決める親や子供が着実に増えているということだ。 入ってからは「手遅れ」なので、あらかじめ合う学校に入れようという・・・・しかし、それは外から見てるからいいように見えるだけのことだってある。実際、どこの学校を出ていようと、能力的な違いがそんなにあるわけじゃないのだ(その中で何をしてきたか、というのが同じレベルは場合ね、もちろん)。

 

 公立学校不信はずいぶん深刻に捉えている人もいるようで、有名私大に入学させようとする親は、そうでなければちゃんとした教育が施されないと半ば強迫観念に駆られている人もいる。
 ・・・・まぁ、それも昔からいる層と言えばいる層があるのだが、それが拡大されつつあるような状況のような気がする(あくまでも気だけ)。それはひとえにメディアからの情報によるものだろう。

 子供をきちんと育てたいがために、きちんとしたところに預けたいという、親の欲がそうさせる。いい教師が地元にいようと、メディアで紹介されていない、地域と関わっていないなら信用できないからいかない。という選択も発生する。

 かといって、これがすべての人というわけでもない。結局、入る前からその教育現場がいいかどうかなんてわかるはずもないのだが、それで結局なんだかんだ言ったところで対外評価(ブランド)で評価している事が多い。
 そのためこういう意識で有名私大に入れられた「階級意識の強い」子供が公立出身者に陰湿なイジメを行なうということも十分考えられる。

 もちろん親はそんなこと考えはしない。自分はちゃんとした所に入れたのだから・・・・と思うわけだ。自分のその行動が子供に影響している可能性だってあるだろうに、それは見ない。特に自分が「子供のため」にしているということに親というのは必要以上にセンシティブになる。それは専業主婦になると強くなる傾向かもしれない。公務員だろうが民間企業だろうが専業主婦だろうが、自分の「仕事」がダメだったなどと言われて嬉しい人はそうそういないものだ。もちろん、そんな状況になるのなら、当然夫婦仲もよくないだろう。それは子供が荒れるのも無理はない。

 個人的に、塾を選ぶよりも、人として生きるのになにが必要なのか伝えることに熱心な親であってほしい。ダメな塾でも生きていけるような子供に育てる方がいいと思う。でなくば、それこそニートになる。大人には、どこまでも環境のいい所が用意されているわけではないからだ。

 教育現場で働く人たちに言わせると、「昔の方がはるかにいい加減だった」と口を揃えて言う。続いて「今それをやったら大問題だ」と。
 その内容とは、打ち上げに職員室でみんなでビール飲んだとか、学校でゴミを焼却したとか、そんなことだ。もっと大昔なら、覚醒剤ヒロポンを打つ教師とかが戦争直後にはいた。それでも昔の教育はよかったなどと今の人は言う。

 今の外部の人たちの意見を聞いていると、とにかく「教育現場は問題だ」という声が聞こえる。それはひとえにマスコミが大きく報じるからにほかならないのだけれど、道徳的な問題を全て「教育」のせいだと論じる人々にも責任があると思う。学校にも確かに問題がある。けれど、学校だけ、「地域」だけ改善すればそれが クリアになるかといえばそうではないはずだ。

 人は「教育」のみで人格が形成されるわけじゃない。

 社会基盤・生活環境・人間関係・・・・・様々なものから造られるのが人なのだ。

 それを、運転マナーがなってないのは学校や親に責任がある・・・・・じゃ飲み屋のグチレベルではないのか?

 運転マナーがなっていないのは、それを取り締まる警察官の不足と、警察に予算を注げない行政状況と、乗ってる人ばかり重視するメーカーと、そういう人間に免許を与える自動車学校と、道路交通法の対応が悪いのと、忙しい社会になったということと、スピード優先の道路整備など・・・・さまざまな理由によるものだ。そして、それは一つだけ解消しても仕方のないことなのだ。
 教育や親に問題があるとするならば、それは、「他者を思いやる価値」を低く見る現代社会全体に言えることで、犯人探しをして自己満足しているだけに私は思う。

 だから、どれだけの有識者を集めても結論は官僚が作るものと同じだ。『ゆとり教育』だって、有識者が作ったのだろう?

それを「教育」だけで解決しようとするのは「ゆとり教育」と同じ道を歩むだけじゃないだろうか? 単に今やってることは「『脱ゆとり』教育」なんじゃないだろうか? と私は真剣に危惧する。

 『金八先生』がたくさんいれば教育はすべてうまくいく! 勉強をして優秀な人間になれば全てうまくいく! という幻想に人々はとらわれすぎているのではないだろうか? 人々は英雄を求め、そして思考回路を麻痺させていくのかと恐ろしく思えもする。

 

 そういう意味で、教育再生会議の提言は大学生が書いたのかと思うぐらい低次元で、「オレ的教育理想論」を実現させようとしている集団にしかすぎないように見えてしまう。
 なぜ縦割りにこだわらないで済むはずの内閣官房直属なのに教育(文部科学省)の視点からしかアプローチできないのか? 実にもったいない話である。一度解体して「美しい国」を作る会にした方がずっと教育にはプラスになると私は思う。もちろん、安倍元首相の言った「美しい国」にこだわる必要はないが、たとえば、ね。

 それこそどげんかせんといかんと言って、「日本改造委員会」でも 作ればわかるのにねぇ。あれかね、学習塾がスポンサードしているテレビ見て学校不信になった親(有権者)の世論を気にするからこういう形になったんかね。

 勉強しなきゃ苦労するよね、人間。あ、自分で、ね。基礎は必要だけど。

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