死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.03.28 14:59

 今年から始まったらしい(初耳)「マンガ大賞」というのがあるのだが、「マンガの『本屋大賞』『直木賞』を目指す目的の賞らしい。それにビッグコミックオリジナルで連載中の『岳 みんなの山』が大賞に選ばれたらしい。

 ・・・・・・・ええ?

 私、個人的にあまり評価してないんですよねぇ、あのマンガは。
 ビッグコミックオリジナルが休憩室にあれば、一応読みますけど、つまらないということはないですけど、面白いといえば面白いですけど・・・・・そうかぁ、これが大賞かぁ。という感想を受けた。
 と言っても単行本のものは見たことないので、この一年雑誌で見た分しか知らないのですけどね(それを十二分に考慮に入れてお読み下さい)

 私個人の意見ですが、思うんですよ。
 このマンガ、最近のマンガにありがちな、典型的な「偏差値58」マンガなんじゃないかな、と。面白いは面白い。そして、知らなかったことも教えてくれる。けど、心を震わされるほどではない。なんか、心より頭で読むような作品に思えるんですよね。想像力を駆使すればわかるようなこともわざわざマンガで描いて欲しいという要求が最近の読者の傾向だと思いますが、それが個人的には、どうかねぇと思うもので。

 何て言うんでしょうね、同誌に連載されている『玄米せんせいの弁当箱』や『弁護士のくず』や、有名どころで行けば『ブラックジャックによろしく』とか『ドラゴン桜』もそうですが、こういう青年誌の作品にありがちな、ところどころ、問題提起のつもりが行きすぎてただの文句になってるような部分がちらほら見かけるので、読んでてもあまり「来ない」んですよね。
 『岳』はそういうの少ない方ですけれど、それでも底辺にそういうものがあるのが見えてしまうんですよね。そんなの気にする人はほとんどいないでしょうけれど。

 まぁ、最近のマンガではありふれたことですので時代的な特徴でもあるんでしょうけれど、青年誌というのも抱えるジレンマかもしれませんね。メッセージを伝えたいがためにリアルにすることにこだわって物語としての拡がりに欠けるというか・・・・大げさかもしれませんけれども、わたしの小説もそんなとこがあるのでこれから気をつけようって思ってた矢先だから余計感じるのかもしれませんね。
 自分の作品で世の中変えようと思ってる世代の作品って感じがします。

 たとえば『岳』で最近(の号はマンガ大賞に関係ないですが)、こんな話がありました。
 「昔は遭難して遺体で回収された子供を見た両親が『探してくれてありがとう』と言われたのに、今は『もっと早く見つけられただろ!』と言われる。今じゃあり得ないよね、みたいにしみじみする」ってお話。

 これはこれで山岳救助の現場からの悲痛な叫び(医療現場からのが『ブラックジャックに~』)ですので、そういうこと言うのは全然ダメとは言わないんですけど、ねぇ、でもそれって、どうなの?・・・って思うのです。
 何がどうって、「そうだよね、最近の人たち(※自分は除く)って自分のことしか考えていないんだよね」と舞台の主役側の想いだけにミスリードしかねない表現で、危険だな、と感じるんですよ。「ありえない」ってどういうことだと。お前もそう言うんかと。自分たちの頑張りをわかってくれない人がいるから伝えたいという想いが、こういうお話を造ってしまうんじゃないかと思うんですよね、私は。

 他にも、。「遭難したら迷惑なのになんで山に登るのよ、という考えを持つ救助隊員に『山に登るって快感なんだよ』」で終わるストーリーとか、ホント、明らかな狙いを感じる。一般人の「遭難者は税金の無駄遣い」という過激な意見を真に受けて、その代弁者を物語に登場させて、「そうじゃないんだよ」と諭す・・・・みたいな。

 そういうのが一面的というか、一回読めば十分というか、そこには「人間」という生(ナマ)の存在よりも、メディアの造った「どこかにいるであろう人」を、青年誌に欠かせない実話的エッセンスをちりばめて描くことで、さもそれが「社会に表出するメジャー」みたいな感じを抱かせてしまう。それが「メッセージ性がある」と表現されたりね。でも、それは「道徳の授業」と同じじゃないのか?

 

 こんな事言ってると、「そんなアンタの方が読者を馬鹿にしてる」とつっこまれそうですけど、私が「古い」読者なのかもしれませんけど、こういう作品って、読んでて物足りないんですよね。何か、事実から造ったドラマ=リアルという風潮が。「物語」を重視しないで、伝えたい「事物」を重視しているような?
 「知らん人相手に描く漫画」=「学校の図書館にある歴史マンガ」みたいなものにドラマ風味をつけたように感じる。そういう作品に見えるんですよ。つまらないとか、最低とかいうことじゃないですよ?  歴史マンガもいいですよ? でも、そこには物語のもつ幅の広さとか深さとか全然無いじゃないですか。そんなの読んで、本当に人生の肥やしになるのかと。ただの「知識(つまりお勉強)」の延長じゃないかと。ファイナルファンタジーみたいというか。

 同誌に載る『黄昏流星群』や『浮浪雲』や『玄人のひとりごと』とかとは明らかに違うものがそこにあるような気がするんです。
 読者の感情のために描かれたと言うよりは、伝えたいこと優先みたいなところが。フィクションなのだから、リアルさというスパイスを本当の味だとするような風潮はいかがなものかと・・・・・・・・・・まぁ、『マンガ大賞』は『直木賞』目指しているので、そこまで細かいところは気にしてないんだよね、きっと。
 ベテランじゃないんだから仕方ないわけだし。魅力をあげてチョイスするのが当たり前なので、何か言う方がおかしいんですけれどね。

 ・・・・・などと思いながらまたツラツラと・・・・

 最近の「モンスターペアレンツ」のこともそうですが、「全ての親がそうではない」という「事実」を、マスコミの使いやすい「言葉」を利用して「事実のうわべ」を表現されてしまうことがある・・・・・そういうものがまた逆に、教育者側にも親への不信というものが生まれるって流れが現在ありますよね?(そういうことを鑑みて、PTAを廃止して地域で子供をサポートする組織を作った藤原校長は先見の明があると思う。そうすれば「親」というものより「大人」という視点でぶつかれるから、責任転嫁せずまともな議論になる・・・そこまで考えてるかは知らないが)。

 そんな「モンスターペアレンツ」の話題を、同じビッグコミックオリジナルの『プチッコホーム』ではずっとうまく料理していました。
 あれは何号だったか忘れたけれど、作中、「モンスターペアレント」の話題が出て、安易に「そういう親がいるから最近は・・・」というのだけに終わらず、そういう親の「想い」をまず理解しようとする最近の人びとにはない姿勢をちょっとかわりげな田舎育ちの主人公を通じて提示していましたね。こういう方がよっぽど風刺的です。ストーリーは単調でしたが、その姿勢はメディアに迎合するだけじゃなく、時代を捉えて、なおかつ作家としての魂(何を伝えたいかという意志)を、メディアを超越したものとしてそこにぶつけている感じがしたので。

 これは『岳』のことじゃないですけど、ただの、本やニュースから得た「知識」で、そういう「物事を見ない人」に「マンガというわかりやすい」形に変えて提示することで「諷刺」を気どってるマンガやアニメが実に多いだけに、これは新鮮でしたね(同誌に連載される『弁護士のくず』はその手法を使っていたから、「このネタはパクリだ」と提訴されたのではないのか?)。

 ・・・・・・・・というのをマンガを読むと考えてしまう私ですが、「マンガ大賞」の審査員は私のようには見ないのかもなぁ、と思いました。純粋に面白いとか感動したとかいう感じ? 「山の魅力と怖さ」「山にたずさわる人たちのドラマ」「山登りから人生が見える」とか・・・・・これを「マンガ大賞」の趣旨「人に勧めたくなるマンガ」というにはなんか、スケールが小さいなぁ、という感じがした。
 でも、そう思ったんだからしょうがないよね

 それでも納得できない私なんかは、誰にでも受ける作品をということで、最近の「多数投票が民主主義の本質であり真実」みたいな平面的な見方をする風潮を反映している感じがして、つまらなかったですね、このチョイスは。それこそが「偏差値58」作品を大量生産することに繋がっていると思うんですが・・・・・ようは「質の良い暇つぶしをしたい」という需要に従ったというか。「面白いものを見たい」ってのと違わない? 映画でいえば『踊る大捜査線』なんてのもそうだったけど。

 でもまぁ、造りたいって言うなら仕方ないけどね。それだけ従来のマンガ賞が出版社寄りで閉塞的だと思う人がいるってことでしょうから。それは言えてますから。

 どちらにしろ、個人的にはオススメしませんねぇ。買って損はしないけど得するかもわからない微妙なところなので。

 むしろ個人的に「これは読んでおけ!」とオススメしたいのは同誌で連載中の数ページマンガ『深夜食堂』ですかね。ここ最近で、「買っても良いな」「家に置いて他の人にも読んでもらいたいな」と思った希有な作品です。この、どケチな私が!

 この作品は、なんというか、人生のままならなさをよく知る大人が書いた、大人が読める漫画です。『浮浪雲』ほど達観はしてませんが、「歌謡曲」を聞いているような、けれど古くさすぎずに、どこか温かみのある作品ですね。少なくとも、キャラがやたら泣いて涙を誘う(ようは説教臭い)『レストアガレージ251』とは段違いの、人情マンガです。

~『深夜食堂』についての説明~
 繁華街の脇にひっそりとただずむ、深夜0時~朝7時までのみ営業するという、ちょっとワケあり風なマスターが一人で営業する食堂がある。そこのメニューは豚汁定食・ビール・酒・焼酎・・・・それだけ。あとはマスターが客の注文を聞いてある材料で造れる料理を出すお店。
そこには様々な人がやってきて、様々な料理を注文する。「カキフライある?」「ごめん、またこれでおわりなんだ」「またかあ」「よかったら、これ、どうぞ」・・・そんな繋がりで広がる会話と、感じる人との繋がり。
 ⇒詳しいお話はこちら

 ストーリーは、数ページなので凄く織り込まれているというわけでもありません。むしろ、先程あげた『岳』よりもずっとひねりもこねりもない。 けれど、マンガとして読んだ場合、これはかなり秀逸。特に、顔に傷のあるマスターを利用した特殊な一人称と、深夜の食堂に集まる人(当然ワケあり)と食事を通じて、「人生」と「料理」というものを媒介にして広がる人間という生き物の日常・・・・・・これを「読んで」という以外の言葉で説明するのは至難の業だ。

 大賞は大げさだけど、佳作ぐらいには選ばれても良いと思う。少なくとも個人的には『岳』よりずっとオススメだ。ただし、エンタメにしか触れない小僧には理解不能だと思うのでオススメしない。

 でも、展開的にネタが尽きてありふれたネタに走らないか心配です。でも、安易に「料理で解決」しないところがあるので、先に挙げた『251』のようにはならないと思いますが。何て言うんでしょうね? 基本的に「人間」が描けていますね。文字どおり「人」の「間」を、そこに料理を接着剤までに使わずに、あくまでも、「その場の香り」に過ぎないようにさせる演出とでも言うんでしょうか?

 人は食事に対する記憶ってのは特別なものがありますからね。日常的な食事、特別な食事、それは色々ですけど、あくまでも「名脇役」としてそこに存在するのは間違いないと思います。そこが、「車」を主役にして人情話をくっつける『251』と違うところでしょうか。
 独断と偏見かもしれませんが、こういう点に関して言えば、『美味しんぼ』や、浦沢直樹の『MONSTER』をはるかに超えています。純粋に、「ああ、カリカリベーコン食いてえ!」と思わせるような、マンガなんですよ。かといって絵がうまいってわけじゃないですよ? むしろ、逆で、ホントにそれベーコンか?と聞きたくなるような絵柄ですけど、そんな料理の絵なのに、そこに惹かれる。そこには、読者が、その料理を想像できるって事実があるからでしょう。そして、人間にとっての料理ってのが、ただの「補給」じゃないってことなんでしょう。

 「各所で話題の」誰でも評価できる物を選ぶってのじゃなく(その時点でバイアスあるわけだし)、「読まなきゃ伝わらない」作品を選ぶのが賞なんじゃないんですかねぇ? まぁ、そんな理念に従った賞も少ないのかもしれませんけどね。そんな風に思いましたよ、私はね。

深夜食堂 1 (1) (ビッグコミックススペシャル)
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