死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.04.26 23:59

 そういえば先日ですが、世間から見たらちまたで話題のモンスターペアレントとされそうな人物の話を端から聞いていました。

 で、その人の言い分をまとめると、「(学習ノートを持って)ただ×をつけるよりもここをこうこうこういう風にした方がいいとか書いてくれた方が私も子供に教えやすいし、子供もやる気が出ると思うんです」とかなんとか小一時間話してました。
 皆さんはこういう時「言い返せばいいのに」とか思うんでしょうが、指導方法についてちゃんとした態度を取ってこれなんで、ひたすら聞き続けていたらどうなんでしょう?(短く終わったかもしれないけど)教師は基本、真面目な人が多いので、親にも一々対応しますから、凄いですよね。

 ・・・・・・でもしかし、私には他人事だからいいけど、これは大変だね、ホント。この人、昼と夜も電話してきたらしいので・・・・仕事にならんよね、普通の感覚で行くと。

  このことを語り出したらまぁ、キリがないんでしょうけど、なんですかね、こういう「自分が言えば変わる」って思ってる人が多いのは「物言う消費者」の影響でしょうかね。メディアで誇張された「問題教師」を正さねばならぬ、そうすれば自分の子も、他の子も、みんなハッピーとでも思ってるかのよう。

 現実にはこういう「意見」が多すぎて教師の負担が増えて、逆に教師の負担になって指導に悪影響を及ぼすなんて事もあるんですけど、そういう視点でものが見られる人っていないんですかね。
 子供が大事だからというか。子供そのものが大事というか。保護者面談のときに話せばいいのに、それまで我慢できない。とにかくいち早く子供を「救いたい」と思ってるのかもしれません。けれど、それをやりだしたら際限がなくなってしまうんじゃないかと思うんですが。もう一度言いますけど、テストじゃなくて宿題のノートですからね。

 まぁ、まさか自分みたいな人が他にもいるなんて思わないんでしょうね。それと、「いい先生なら」自分の言うことをちゃんと聞いてくれるって。でもねぇ、家庭教師じゃないので、厳しいものがあります。
 できるかできないかというよりも、しようと努力すればするほど教師が過労になって逆に指導に悪影響になるんですよね。うるさい親が多い公立学校(≒勉強の出来る学校)ほどそういうのが多い。悪循環ですね。当然教師も話を聞きたくなくなります。一人だけじゃないんですもの。

 確かに企業の場合、昔はクレームとして「処理」されていたものが、そこから「意見」として、自らのアドバンテージに転嫁させていく企業も今では珍しくないので、その流れで同じように学校に言うのかもしれません。「私の意見が育てるのだ」と。
 ですが、学校って企業と違うんですよね。何が違うって、そもそも目的が違う・・・・それは教育側の言い分ですが、それでも体勢から何から何まで違いますし、何より、つくり出しているのは「人材」ではなく「人間」なんですよね。だから難しい・・・・って言い訳に対してのアンチテーゼが『ドラゴン桜』なんですが、それでもここを間違えちゃいけないポイントがあるんですよ。

 学校が行なってる教育って、すぐ結果となって出ないんですよね。

 いや、学力とかは上がるだろって声もあるんですけど、学力だけじゃないですからね、教師が気にかけてる事って。ただでさえワガママ育ちな子どもたちが集団生活をして問題が起きないはずもなく、そういうことに対して「処理」だけしてちゃ、それは「教育」とは言えないですよね。今よくても、将来その子の為にならないというか。

 けれど、企業の商品とかサービスの場合は違いますよね。明らかに出ますよね、変化が形として。使いにくい家電が使いやすくなったりとか、無愛想な店員が愛想良くなったとか、すぐにはならないかもしれないけれど、言ったことが影響して「よい変化」が生まれる。言った価値がありますよね。
 でも、それはなぜ起こるかって、それが企業に利益をもたらすからであって、それ以上ではないですよね。消費者の「ため」なんかじゃ絶対無い。昔おろそかにしていたのはそれは消費者を「ナメていた」からであって、今そうしないのは「ナメられなくなった」からってことでしょう。意見とまともに向き合って汲み取ってくれるようになったワケじゃないんです。もちろん、モラル的なものもありますけど。

 だから、それを学校に同じように適用できないんですよね。
 子供は商品じゃないので、少なくとも学校にいる間にその文句を言った教育効果が現れるとは限らない。むしろ、教育は子供のその後の人生を考えて行なわれているので、教育効果がバンバン現れる方がむしろ不自然。
 そういう時の教育効果っていうのがつまり「学力」「進学率」ってことになるんだよね。目に見えやすいから。実際、それをウリにするところもありますよね。

 でもそれって教育の一部だよね? まるで数値化されたデータに囲まれたゲームのように子供の成長を数値化しないと評価できない親がいるから成立する、ごく一部。
 もちろん、社交性が上がったとか見た目の変化もあるでしょうけど、「指導」そのものがたった一年の中の一瞬で効果を見せるのか疑問だ。だから、「こういう指導すれば伸びる」とは決して限らない。「伸びてる塾とかあるじゃない」と言うかもしれないけど、そのやり方が全員に通用しているとは、限らない。

 ここが今までの教育と、今要求されている教育とのギャップなのでしょうけどね。でも、子供を集めたらその社会集団をうまく運営していくというのは必然になるので、要求にばかり応えられないと思うんですよね、私は。塾にそれは求められていないし、学校にも求めないというのならよいのですが、それで「いじめ」が発覚したら学校の責任になるんですもんね。これはかなり厳しい仕事だ。

 

 そういうことを加味した上で、教師に文句を言えるならいいのですが、そんなこと知るよしもないので、「わからないけど言ってしまおう(そうすればなんとかなるだろう)」という人がいるのでしょう。けれど実際は、逆効果で、教師の負担を増やすだけで表面は変わっても本質は変わらないのが現実。

 30人の学級なら、30組の親がいるわけだし。それに対して教師は一人・・・・その想像をしてあげた方が子供のためにもなると思います。その制度が問題なら、教師よりも行政に求めたり、選挙に出たりする必要があるんじゃないかな、と。今、自分の子供だけなんとかしようという欲が、教師を捕まえて~になるんでしょうけど、それじゃ悪循環ですものね。だって、万が一親が言ったことに影響を受けてその子供が特別扱いされるようになったら、他の子から嫌われるじゃないですか。子供は教師の変化を敏感に感じ取りますからね。

 もちろん、実際のほとんどの親は「教師は大変だよね」と思ってるからこそ「モンスターペアレント」という言葉が浸透しているんですけどね。

 親をモンスター扱いすると逆に、「言いたいことがあるけど言えない」という親が出てきます。今日のNHK教育の番組のように「学校に意見を言ったことで相互理解が進んだ」という言説もありますしね。こんなこと言っていいのかなと思ったけれど、今は逆に言えなくなった親も増えたということでしょう。
 んじゃぁ結局どうしたらいいのかってことですよね。クレーマーになるのも嫌だけど、疑問があったらどうするのかって。その為に保護者面談とかの時間を用意するようになったんでしょうが、今はそういう「窓口」を通さずに直で言ってくることが多い時代になったと言うことでしょうか。
 企業でも24時間態勢で電話を受けるようになりましたもんね。もちろん、そういう電話を受けるのはたいがい派遣社員(=赤の他人)ですけど

 その為の組織がPTAを担えばいいのですけれど、今のPTAはそんな機能を持っていないので、新しい組織が必要になってくるのかもしれません。そういう働きかけを「みんな」でしなきゃ、いけないんじゃないですかね、本当に問題のある教師なら。

 それとは逆のアプローチで、学校側として、企業的なやり方ではありますが、そういう問題担当の人をつけてる学校もあるらしいですね。まぁ、公立でそういうのって「予算が下りない」ってなるんでしょうが、それでも少しずつ増えていくでしょうねぇ。もしくは企業と同じように派遣社員(嘱託職員)的な教師を雇って補助とするか・・・・それが安上がりですもんね、企業と同じように。そうして欲しいのかなぁ、そういう親は。

 ちなみに、去年学校でされてたことは「親学」という冊子を配ることです(教育再生会議が元かなぁ?)。ようは「バカな親が多いから親が教育の勉強をしろ」という目的なんだと思います。その根底には子供のためというか教育現場の声も加味されてる気もします。
 でも、そんなの見るかねぇ? 自分のことを悪者扱い、モンスター予備軍なんて扱うようなものに従う人がいるのでしょうか?・・・・・というのが視聴者を悪く言わないテレビ的な媚びを売った表現ですが、そういうのにどっぷり漬かった時代の親が、自らが足りない人間であるから「親の勉強」をしようなんてことをするとは思えない。いや、いつの時代の親でもそうであろうよ。
 というか逆に、なんで学校なんかにそんなこと言われなきゃならんのだと憤る人が多いのではないのかなぁ。この親学提言がマニュアル的だったから余計、マスコミにも「母乳で育てろだなんてヒドイ!」と揚げ足取られてたし。

 ・・・ということで、派遣社員が学校のクレームを受け付ける日も近いでしょう。

 

 私、今日の話聞いてて失笑しながら思ったんですよ、「エジソンの伝記でも読んだらどうか」って。憶えていますかね、皆さん、エジソンのお話? 伝記じゃないエジソンは商魂たくましいエネルギッシュなドクター中松発明家だったのですが、それでも子供の頃登校拒否児だったのは事実だったようで、母親はそれでもOK牧場ということで家で勉強させたんですよね。

 伝記では、エジソンの母は教師だったから~なんてことになってますが、実際は違ったようで、文部省的に登校拒否を勧められないからそういう風に変えたなんて話もあるらしい。そのツケが回ってきてるのか?とも思ったり。「学校が信用できないなら自分の家で育てろ」って言えないもの。
 親は親で、「公共サービスを受けられないのは間違ってる」なんて思う人には、そんなこと死んでもしないよね。負けだもん、それだと。「不公平」で「将来の子供のためにならない」ってことになるから。

 でも、そんなこと言い出したらそれこそ・・・・・だよねぇ。なんでもそうですけど、理想と現実のバランスをうまく取らなきゃダメですよね。先日とりあげた『先生はエライッ!』というドラマじゃないですけど、親が「今」をよくしてもダメなんですよね。親がいなくても生きていけるようにするのがそもそもの教育なんですから。障害のある人に手に職をつけさせる教育をするのも、その為でしょ? 子供が、どう生きるかってことですよね。

 

 だいたい、どっちかが悪いなんてコト言ってても解決しないですよね。だから、この問題はまだまだ続くでしょうねぇ。子供は大変です。

 今、見た目にはいい子が凄く多いんですが、親と教師の間で、日常的に両者に触れるがゆえにどちらに対してもいい子を演じている子が多いんでしょうね。抜けた話です。

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