死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

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2008.05.17 23:59

 甥っ子(もうすぐ2歳)を見てて思うのだが、あれだね、子供って、生きてるのが嬉しくてたまらない感じだね。親に守られながら生きているからとも言えるんだけど、何よりまだ、他人と接してないからだろうなぁ。

 そんな中、学校裏サイトやらなんやらで最近はとっても生きてるのにツラいという子供もいる。表面ではいい顔してるのに、ネットやメールではボロクソだったり。それもまた人間なんだと思うけど、そもそも、みんな仲良くと教える学校では、「それもまた人間だよ」なんて絶対教えないので、やっぱりどっかでそういうことを教える人間も必要なんだろうね。エンタメばかり触れるのも考えものってことだよね。

 んまぁだから今でも宗教や哲学が消えずに残っているんだけれども、受験や就職ばかりを考えた学校の勉強はそんなこと「考えなくてもいい」ってノリになりがちなので、教えられるはずなのに教えていないという現実が、また、ネットとかの学校外でのことに悩む子どもたちをなんとかしろよという教師のプレッシャーに繋がっていくんだろうと思うと、目に見える教育改革なんて結局何の解決にもならないということなのかもしれない。

 たとえるなら、印籠を出し方を変えた水戸黄門みたいな。どうやろうが、それはやっぱり水戸黄門だよね。むしろ、その方がつまらなくなったり。学校でも、いい事例を取り入れるだけに済ませたり・・・それは、それ以外の雑務が多いことと、教育方針が曖昧なところに基づくからだろう。迷いがあるというか。

 そういう意味で、モンッテソーリ教育とか、シュタイナー教育とか、教育を根本から思想的な体型の中に組み込んで行なう教育の方が、きっと問題は少ないんだろうなぁ。周りの目とかがうるさいんだろうけど。

 その、シュタイナー教育について書かれた本『シュタイナー再発見の旅~娘とのドイツ』に、周囲が受験勉強に躍起になっているのに、絵画や演劇などの作品づくりばかりする授業に生徒が反発し、教師が答えるシーンがあった。

「きみたち、プレッシャーがないというご不満をおもちのようだが、考えてごらん、プレッシャーは、学ぶ対象の側に厳然とあるよ。ぼくの演劇の授業でも、毎日経験しているだろう、作品自体がプレッシャーだってこと。正しい取り組みをしよう、力を出しきる上演に仕上げよう─ぼくは何度もダメ押しをして、妥協しないだろう。それは決して点数によるプレッシャーじゃないけど」

 ○○しなきゃいけないと思いこんでいる人が多いが、その多くは刷り込みであり、実際、誰しもが「この勉強が役に立つのか」と思っている。そこで見出した妥協的結論が「将来の生活ため」という、不確定な未来に対しての希望的観測である。

 しかし、勉強の本質はそもそも、古来よりそうであるが、その人が生きることそのものであり、生活の手段はその下位に相当する。なぜなら、今回のミャンマーサイクロン・中国地震を見てわかるように、世の中はほぼ不確定であり、その中でも生きていく選択をするにあたってしなければならない努力が、勉強を生むのだ。
 生きたくなければ、「今回の教訓を」なんて誰も言わない。「生きる力」というのは、そもそもそういうことで、学校で勉強することは、その体験を蓄積していくことなのだ。

 まだ本当の苦しみを知らない甥っ子のように、生きるということはそもそも本質的には楽しいものなのだろう。
 そういうことを考えたら、どんな艱難辛苦も、向き合わなきゃいけないのじゃないかなぁ?逃げてもいい時もあるけれど、本質的には逃れられないので、いつかは戦わなくちゃ、泥沼にはまったままになってしまう・・・・・今の学校教育が、そうなのか・・・なぁ?

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